月別アーカイブ: 2018年4月

東京都板橋区にて、和箪笥、お茶道具、鈴木表朔の香合、龍文堂造の鉄瓶。

 

東京都板橋区徳丸にて、和箪笥、お茶道具、龍文堂造の霰鉄瓶、桂離宮の古材で造られた二代鈴木表朔の桜蒔絵香合をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。和箪笥やお着物の他、お茶道具や掛け軸(茶掛け)などをお売りいただきました。龍文堂造の霰鉄瓶、桂離宮の古材で造られた二代鈴木表朔の桜蒔絵香合の他、茶碗、水指、建水、棗などのお道具を一式買い取らせていただきました。鈴木表朔(すずきひょうさく)は京都の代表的な塗師であります。鈴木家は表派(ひょうは)という塗師の系統にあり、表派初代の木村表斎(1817~1885)は、朱塗、真塗を得意とし,現代に続く京塗の伝統を形作られました。桂離宮(かつらりきゅう)は、京都市西京区にある八条宮家(桂宮家)の別荘で、江戸初期に八条宮智仁(としひと)親王が創建。親王の没後一時荒廃したが、その後幕府の援助で数次にわたり増築。回遊式庭園と数寄屋風書院が有名であります。思い出のお道具たち、六角堂で大事に次へと橋渡しさせていただきます。古き良き時代のお道具をお売りいただき、ありがとうございました。
帰りに埼玉県富士見市のららぽーと富士見にある、「つじ田」さんへ寄り、濃厚らーめんをいただきました。豚骨、比内地鶏の鶏がら、魚介、野菜などを煮こんだ特製の濃厚スープが癖になってしまいます。美味しかったです。明日は東京都品川区、文京区へ出張買取、頑張ります!

二代 鈴木表朔(すずきひょうさく) 1905-1991
1905(明治38)京都生まれ。本名は貞次。俳号貞路。父・表朔の元で漆塗りの技法を学ぶ。
1926(大正15)年、21才の時に、聖徳太子奉賛展入選を果たしたのを皮切りに、創作活動を開始する。
1934(昭和9)には、流型派工芸展に出品。美術の新潮流に反応した作品を制作した。
その後、京展入賞、帝展、文展などに出品を続け、1937(昭和12)年、32の時に、パリ万国博銀賞を受賞する。
昭和53(1978)年、73才の時に、「現代の工芸作家展」出品、「漆と共に50年」記念個展を開催、1981(昭和56)には、古希記念個展を京都高島屋で開催した。
1991(平成3)年逝去。

千葉県千葉市緑区にて、田澤謙介作加茂桐箪笥、今右衛門の水滴、豊橋筆など。

 

千葉県千葉市緑区にて、伝統工芸士田澤謙介の加茂桐箪笥、お着物、今泉今右衛門の色鍋島吹墨草花文水滴、伝統工芸品豊橋筆などの書道具をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介くださりありがとうございます。お着物を処分されるとのことで、併せて桐たんすも不要となってしまうとのことでした。本日お売りいただいた桐タンスは新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸の総盆和箪笥というタイプのもので、当社でも多く取り扱う高級桐たんすになります。上部・下部の四方角が丸い桐たんす「四方丸」という桐たんすになります。全てが衣装盆の総盆タイプで、15の衣装盆が収まってます。伝統工芸士である田澤謙介氏の作、前飾りには、光刀と銘がございます。田澤謙介氏は、加茂桐箪笥伝統工芸士の第一人者でございます。たくさんの素晴らしいたんすを作られた方でございます。油単をかけて大切に保管されておりましたので、状態がとても良く、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。お着物は多少古いものでございましたが、桐箪笥同様大切に保管されておりましたので、シミや汚れなく良い状態でございました。他にも、フランス人形、花瓶や漆器、贈答品を買い取らせていただきました。贈答品の中には、今泉今右衛門の色鍋島吹墨草花文水滴、伝統工芸品豊橋筆などの書道具もございました。桐箪笥、お着物、書道具と六角堂で強化買取り中のお品をたくさんお売りいただき有難うございました。思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。
帰りに、東関東自動車動湾岸幕張パーキングエリアで天玉うどんといもぶたメンチ丼のセットをいただきました。以前寄った時に食べたいもぶたメンチ丼がとても美味しかったので、今回もまたいただくこととしました。こちらで家族へお土産を買いました。給食チーズ オイシイオヤツ、ニューヨークマヨネーズと、どちらも初めて見ました。子供たちが喜びそうです。明日は東京都板橋区へ出張買取、頑張ります!

十三代 今泉今右衛門(いまいずみ いまえもん)
色鍋島今右衛門技術保存会を組織し、国重要無形文化財総合指定を受ける。
平成元年、重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)に認定され、色絵磁器の確立と技術継承に力を入れる。
鍋島に吹墨・薄墨の技法を取り入れ、吹墨と薄墨を重ね合わせる吹重ねの技法を確立されました。
1949年 東京芸術大学工芸科 卒業
1957年 日展初入選
1965年 日本伝統工芸展奨励賞
1981年 日本伝統工芸展最優秀作品賞、色鍋島今右衛門技術保存会会長、佐賀県陶芸協会会長
1986年 紫綬褒章
1989年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定
1999年 勲四等旭日小綬章

東京都杉並区にて、小松崎邦雄のリトグラフ、ダンヒルなどのパイプ。

東京都杉並区高円寺北にて、小松崎邦雄のリトグラフ「舞妓」、ダンヒルなどのパイプをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたリトグラフは、人気洋画家小松崎邦雄の「舞妓」。小松崎邦雄は、人形、舞妓などを的確な写実表現で描いた作家。 小松崎邦雄の絵画作品は、現在でも人気のある作家の一人で、もちろん六角堂でも買い取りを強化しております。 また、ダンヒル(dunhill )や、スタンウェル(STANNWELL)、シャコム(CHACOM)などのパイプも併せてお売りいただきました。当社では、こういったパイプの買い取りもしております。パイプの販売を行う煙草専門店は多くございますが、中古パイプの買取を行っている業者は少ないかと思います。パイプ、煙管など、中古喫煙具をご処分の際には、是非六角堂をご指名ください。本日は当社のご指名、ありがとうございました。
昼食は、中野区中野にある「中華料理 和」さんへと行きました。こちらは、昨年末の忘年会の締めでたまたま寄ったお店で、昔ながらの中華料理屋さんといった雰囲気のお店です。今日は大好物のワンタンをいただきました。昔ながらのお味で、とても美味しかったです。画像のクッキーはN尾氏から旅行のお土産をいただきました。山中湖へ家族旅行へ行っってきたようで、人気の「富士登山電車」にも乗られたようです。N尾氏、ご馳走様。明日は千葉県千葉市へ出張買取、頑張ります!

小松崎邦雄(こまつざきくにお)
一水会委員。1970年代は人形やヌードを多く描き、80年代に入ると舞妓に挑戦。
NHKテレビ「油絵入門」の講師
1931年 東京生まれ
1950年 東京芸術大学美術学部油画科に入学(安井會太郎のち林武の教室で学ぶ)
1954年 一水会展に初入選(’56一水会賞、’60会員優賞)
1956年 東京芸術大学専攻科修了
1957年 一水会会員
1963年 第7回安井賞候補新人展(東京・国立近代美術館)に入選、以後入選を重ねる。
1966年 文部省作品買上げ
1968年 一水会委員となる。ユネスコ・フェローショップにより欧州留学(’69帰国)
1969年 第4回昭和会展で昭和会賞受賞
1973年 丸井今井の「現代洋画俊英作家新作展」に招待出品
1976年 日中友好美術家訪中団の一員として訪中
1982年 東郷青児美術館大賞
1984年 「日本経済新聞」連載の渡辺淳一「化身」の挿絵を制作。
1985年 NHKテレビ番組<NHK趣味講座・油絵入門>に出演。(1988年にも出演)
1987年 個展<舞妓の世界展>を日本橋・三越で開催。
1990年 第4回浦和市文化栄誉賞を受賞。
1991年 個展<舞妓の情景>を日本橋・三越で開催。第9回宮本三郎記念賞を受賞。記念展が日本橋・三越で開催される。
1992年 茨城県水戸市で死去(享年61才)

東京都豊島区にて、桐箪笥、山本雄一窯の備前焼花生、伊藤赤水窯の湯呑、掛軸。

 

東京都豊島区池袋本町にて、桐たんす、山本雄一窯の備前鶴首花生、五代伊藤赤水赤水窯の無名異焼湯呑、掛け軸をお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。不要となった陶器や漆器、贈答品などを買い取らせていただきました。備前焼の人間国宝である山本陶秀の長男、山本雄一の窯作品である備前鶴首花生や、無名異焼の人間国宝である五代伊藤赤水の窯作品の湯呑などをお売りいただきました。どちらも窯作品ではありますが、人気作家のものとなりますので、一点一点丁寧に査定させていただきました。他にも平安象彦や山田平安堂の漆器、日本画や書画などたくさんの掛け軸をお売りいただきました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。今日は志木市場で数か月に一度の骨董大会をしておりましたので、帰りに寄らせていただきました。ふだんお目にかかれない貴重な道具がたくさん出ていたようですね。市場のそばに新しいお店が出来たとのことで、途中みんなで食事に行きました。「コミュニティレストラン ソラシドキッチン」さんというお店です。お洒落なお店で、メニューもお洒落なものばかり。料金がとてもお安いのに、サラダバーやスープバーが付きます。新鮮なサラダはとても美味しく、おかわりしてしまいました。わたしのいただいた「ソラシメン」、かき揚げの揚げ具合が絶妙でとても美味しかったです。市場の近所に素敵なお店が出来ました。また寄せていただきます。明日は東京都杉並区への出張買取、頑張ります!

山本雄一(やまもとゆういち)
人間国宝山本陶秀長男として生まれる。1959年から父のもとで陶芸の道に入りました。1968年には備前焼で初めてガス窯を導入。科学好きの旺盛な探究心で、偶然に頼る部分の多い緋襷を意図的なデザインとして生み出す方法を研究。稲わらを煮詰めて抽出したエキスを絵の具のように使い、素地に花や模様を描いた人口の緋襷「緋紋」「緋彩」の技法を考案しました。花器、茶器、壺、大鉢など幅広く製作しています。1967年日本工芸会正会員に。1995年、制作者向けの入門書「備前焼の技法 伝統と創造」を出版。1996年には茶の湯の造形展で田部美術館大賞を受賞。同年、岡山県重要無形文化財保持者に認定されました。1998年に紺綬褒章を受章、2002年に表千家同門会岡山副支部長に就任。
金重陶陽賞、岡山県文化奨励賞、山陽新聞賞、紺綬褒賞、岡山日日新聞芸術文化功労章、茶の湯の造形展大賞など多数受賞する。

伊藤赤水(いとうせきすい)
五代伊藤赤水(本名伊藤窯一)は、1941年新潟県・佐渡市相川町の無名異焼窯元、四代伊藤赤水の長男として生まれた。1966年京都工芸繊維大学を卒業後帰郷。祖父三代赤水について家業の無名異焼の伝統技法を修業した。1977年に五代伊藤赤水を襲名。作調は「窯変」と「練上」に大別される。窯変は穴窯によるもので、窯の中での焔の洗礼によって、器表に表れた不定形な赤と黒のコントラストとその境界に表れる微妙な変化が見所である。練上は地元の白・赤・黒の三種の陶土をこね合わせ、その切口の断面を鉢等の全体的な文様として構成する工芸技法によるもので、電気窯又は、ガス窯で焼成される。その作品は無名異焼の伝統に新生面を拓いた。2003年重要無形文化財「無名異焼」の保持者(人間国宝)に認定。

東京都葛飾区奥戸にて、桐タンス、お着物、赤松克己の油彩画。

東京都葛飾区奥戸にて、桐箪笥、着物、赤松克己の油彩画「早春のグリンデルワルト」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、先日お邪魔した台東区下谷のお客様宅へ、前回積み残したお荷物の引き上げへとお邪魔しました。また次回、アンティークランプや古時計の買い取りでお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。ご日程の調整をしていただいたり、お気遣いいただき有難うございました。二件目は葛飾区奥戸へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、桐たんすやお着物の他、三越取扱伊香川県出身の洋画家「赤松克己」氏の油彩画をお売りいただきました。人気画家作品で30号と圧巻のサイズでしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。大事な方よりいただいたという絵画、大切に次へと橋渡しさせていただきます。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
本日の昼食は、台東区根岸にある居酒屋「卯月」さんのランチへ寄りました。わたしは画像の定食セットをいただきました。落ち着く雰囲気と美味しいお料理で、わたしもN尾氏もとても満足しました。ジンギスカンが名物のようですので、また次の機会にでもいただきます。

赤松克己(あかまつかつみ)1921年(大正10年)~現在 香川県高松市出身。
彩度の異なる色彩を巧みに使った優雅な作風で知られる赤松克己は、東京美術学校を卒業し小林萬吾に師事しました。戦前の文展で入選、戦後は行動美術協会を中心に作品を発表し、行動美術協会展行動賞を受賞、1962年同会会友に推挙されました。また、現代作家展招待出品した他、三越百貨店でコンスタントに個展を開催し、人気を誇りました。鮮明な色彩が印象的な作風は、混色によるぼかしと微妙な光の扱いによって、生き生きとした風合いを引き出しています。特に風景画においては、深く濃密な色に淡い乳白色を重ねることで、リアルでありながら、どこか幻想的な雰囲気を漂わせた独自の世界観を確立しております。

神奈川県横浜市旭区にて、屋久杉の飾り棚、人間国宝伊勢崎淳、伊勢崎満の備前焼。

神奈川県横浜市旭区にて、屋久杉の飾り棚、お着物、日本人形、人間国宝伊勢崎淳の備前緋襷瓢徳利、備前火襷耳付花生、伊勢崎満の備前徳利などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、横浜市泉区へお家建て替え前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、ブランド物のバッグや、贈答品などを買い取らせていただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。二件目は横浜市旭区へ、お片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、屋久杉の飾り棚、古唐木の花台、伊勢崎淳の備前緋襷瓢徳利、備前火襷耳付花生、伊勢崎満の備前徳利などをお売りいただきました。美しい杢目の屋久杉の民芸飾り棚、屋久杉は世界遺産となり現在伐採を禁止されております。その為、大変貴重なものとなっております。また、備前焼で人間国宝となられた伊勢崎淳や、その兄である伊勢崎満の花瓶や酒器(徳利)を、併せてお売りいただきました。伊勢崎淳の作品は、人間国宝となられる前の前作でございましたが、当社強化買取り中の作家作品でしたので、全て買い受けさせていただきました。素晴らしい家具、お道具をお売りいただき有難うございました。
今日の昼食は、横浜市泉区和泉町にある、「高社樓」という中華料理屋さんへ行きました。こちらは昭和51(1976)年創業のお店のようで、奇遇にもわたしの生まれた年と同じです。わたしは味噌らーめん、麻婆豆腐をいただきました。昔ながらのシンプルなお味で、とても美味しかったです。近くへ来た時には、また寄りたいと思います。
六角堂ではただいま金重陶陽、伊勢崎淳、藤原啓、 藤原雄、山本陶秀、安倍安人、森陶岳、中村六郎、中村真、原田拾六、隠﨑隆一、藤原楽山、金重道明、金重素山、伊勢崎満、伊勢崎陽山 など備前焼作家物を強化買取りしております。備前焼以外にもたくさんの陶磁器を探しております。たくさんの御見積お待ちしております。

伊勢崎淳(いせさきじゅん)1936年(昭和11)~(現在)
1936年 岡山県で生まれる
1959年 岡山大学特設美術科を卒業する
1960年 兄とともに姑耶山古窯跡に中世の半地下式穴窯を復元する
1966年 日本工芸会正会員となる
1978年 岡山大学特設美術科の講師をつとめる
1981年 金重陶陽賞を受賞する
1987年 田部美術館茶の湯の造形展優秀賞を受賞する
1993年 岡山県文化奨励賞を受賞する
1996年 山陽新聞文化功労賞を受賞する
1997年 フランスの備前焼千年の伝統展に出品する
1998年 岡山県重要無形文化財保持者に認定される
日本工芸会理事、日本工芸会中国市支部幹事長に就任する
2002年 新首相官邸の陶壁を作成する
2003年 岡山大学創立50周年記念の陶壁を作成する
2004年 重要無形文化財(人間国宝)に認定される
三木記念賞を受賞する
2006年 アメリカのボストンで「一門展」を開催する
2007年 イギリス大英博物館の展覧会に出品する
2013年 県重要無形文化財保持者5人による秀作展に出品する

伊勢崎満(いせざきみつる)1934(昭和9)~(現在)
弟の伊勢崎淳と共に岡山県重要無形文化財に認定されました。
古備前への探究心と彫塑で培った造形感覚を駆使し、円熟した陶技からはベテラン作家としての貫禄が伝わってきます。
作品によって登窯と中世の穴窯を使い分け、電気窯やガス窯は使用しない松割木による焼成にこだわっています。
1934(昭和9)年、伊勢崎陽山の長男として岡山県備前市に生まれました。
1957(昭和32)年に岡山大学教育学部特設美術科彫塑専攻を中退後、父に師事して本格的に備前焼に取り組みました。
1961(昭和36)年、弟・淳と姑耶山の古窯跡に備前で初めて中世の古窯(半地上式穴窯)を復元。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1972(昭和47)年、備前陶心会会長に就任しました。
1973(昭和48)年、緋襷花器が外務省に買い上げられ、中国の日本大使館に展示されました。
1974(昭和49)年、金重陶陽賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、岡山日々新聞社文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会中国支部審査員に就任しました。
1990(平成2)年、岡山県文化奨励賞を受賞しました。
1994(平成6)年、山陽新聞文化功労賞を受賞しました。
1998(平成10)年、田部美術館大賞「茶の湯の造形展」で大賞を受賞しました。
2007(平成19)年、小形登窯と穴窯を築窯する。

東京都中野区にて、楽吉左衛門(覚入)の赤楽茶碗、柳庵作即中斎宗匠御筆寿盆。

東京都中野区新井にて、千家十職 楽吉左衛門(覚入)の赤楽茶碗(表千家14代即中斎書付銘清流)、京都柳庵作即中斎宗匠御筆寿盆など、表千家茶道具を一式お売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お母様が生前、表千家茶道の先生をされていたようで、お茶道具やお着物などを買い取らせていただきました。千家十職 楽吉左衛門(覚入)の赤楽茶碗(表千家14代即中斎書付銘清流)、京都柳庵作即中斎宗匠御筆寿盆の他、たくさんのお道具をお売りいただきました。寿盆は京都の漆工芸の老舗「柳庵 初瀬川」製、即中斎宗匠筆の寿の字が入っております。赤楽茶碗は千家十職楽吉左衛門(十四代覚入)のもの。楽吉左衛門は千家十職の一つ。楽焼の茶碗を作る茶碗師の樂家が代々襲名している名跡。当代は十五代になります。三代楽吉左衛門(道入)以降の各当主には隠居した際に「入」の字を含む入道号が贈られており、後世はその名前で呼ばれております。本品作者の覚入は楽吉左衛門十四代。こちらは二重箱に収められており、表千家十四代即中斎の書付(銘 清流)がございます・・・のはずが残念ながら、共箱の蓋をなくされてしまったようです。おそらく共箱蓋裏は即中斎の書付だったはず。わたしもお客様も必死に探しましたが、見つかりませんでした。見つかり次第ご連絡いただけるとのこと、是非是非お待ちしてます。千家十職は 表千家、裏千家、武者小路千家の茶道三千家で使う茶道具を作ることを業とした職方の事であります。茶碗師の楽吉左衛門、釜師の大西清右衛門、塗師の中村宗哲、指物師の駒沢利斎、金物師の中川浄益、袋師の土田友湖、表具師の奥村吉兵衛、一閑張細工師の飛来一閑、竹細工柄杓師の黒田正玄、土風炉焼物師の永楽善五郎の各家が千家の道具をまかなっています。六角堂では、千家十職作品の買い取りを強化しております。ご不要の千家十職茶道具がございましたら、六角堂をご指名ください。
素晴らしいお道具をお譲りいただきありがとうございました。倉庫へ戻る途中、本日は中野区鷺宮にある「ジョナサン」で食事をしました。久々のとんかつ、とても美味しかったです。明日は神奈川県横浜市泉区、旭区へ二件の出張買取。頑張ります!

十四代 楽覚入(らくかくにゅう)1918年(大正7)~1980年(昭和55)
京都府出身。東京美術学校(彫刻科)卒、14代楽吉左衛門
1918年 京都府で惺入(13代・楽吉左衛門)の長男として生まれる
1940年 東京美術学校彫刻塑科を卒業する
1945年 14代・楽吉左衛門を襲名する
1959年 高松宮妃殿下の筆による「楽」を拝領し、大小二つの楽印とする
1976年 無形文化財保持者に認定される
1978年 財団法人楽美術館を設立する
1980年 逝去
東京美術学校で近代的な造形を学び、また独自に緑釉、赤砂釉、幕釉、白釉などを研究し伝統を継承しながらも、歴代吉左衛門にはなかった色彩やデザインを強調するような作品を展開。
没後十六代覚々斎宗左より覚入と号される。京都伝統工芸家協会役員。

東京都世田谷区にて欅材飾り棚、大田区にて加茂桐箪笥。

東京都世田谷区成城にて欅材真鍮金具の飾り棚、大田区の東糀谷にて加茂桐箪笥をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取、一件の見積もり。一件目は、世田谷区成城へ出張しました。お引越し前のお片付け整理でお呼びいただき、本日は欅材真鍮金具の飾り棚のみ買い取らせていただきました。日本の和家具ではございますが、真鍮の金具が李朝家具のバンダジのようで、引き出しに仕掛けがあったりと面白い飾り棚でございました。今年の八月にお引越しされますので、数回に分け徐々に家具をご処分されることとなりました。次回は北欧家具や桐箪笥の買い取りでお呼びいただくこととなりました。楽しみにお待ちしております。二件目は業者様のご紹介で、港区赤坂ㇸ絵画の見積りへ伺いました。シャガールのリトグラフとのことでしたが、よく見てみると残念ながらポスターでございました。三件目は大田区東糀谷へ、加茂桐箪笥(洋箪笥、整理たんす)の買い取りで向かいました。所々に砥粉落ち、内カビ、痛みなどございましたが、当社強化買取り中の加茂たんすでしたので、買い受けさせていただきました。本日お売りいただいた桐箪笥は天丸のワードローブ洋箪笥と整理箪笥というものになります。現在、ワードローブ洋箪笥の買取が厳しくなっておりますが、こちらはセット物でしたので併せてお売りいただきました。大切に次へと繋げさせていただきます。お電話いただいた時から買取終了時まで、親切にしていただき有難うございました。わたしとN尾氏、受付の者にまでお土産をいただき有難うございました。受付の者も喜んでおりました。
本日の昼食は、港区赤坂にある「トゥーランドット臥龍居」さんでランチをしました。こちらは、今はなき料理の鉄人で中華のアイアンシェフ脇屋友詞オーナーシェフのお店。雰囲気の良いお店で、料理もとても美味しかったです。他画像は、東京タワー、大田区仲池上にある子安八幡神社。明日は、東京都中野区へ出張買取。頑張ります!

東京都品川区にて、唐木・玉製の観音像、唐木花台、ぺこちゃんこけしなど。

東京都品川区旗の台にて、唐木・玉観音像、唐木花台、ぺこちゃんこけし、古いアニメのレコードなどをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、新宿区西早稲田にて、お着物の買取でお呼びいただきました。古めのお着物でしたが、大切にされていたようで保管状態の良いお着物が多くございました。帯締めや草履なども併せ、全て買い取らせていただきました。お亡くなりになられた叔母様のご遺品でしたが、次に着ていただける方へ大切に繋げさせていただきます。二件目は業者様のご紹介で、品川区旗の台へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。子供の頃に住んでいらっしゃった三姉妹の方々が揃ってお迎えくださいました。お売りいただいたのは、お父様が昔香港へ仕事で行かれた際にいただいたという唐木や玉製の観音像、仏画などの掛け軸やまくり、唐木の花台の他、ご姉妹の方々が子供の頃に聞いていらっしゃったアニメのレコード、ブリキのおもちゃ、古いソフビ、ペコちゃんこけしなど。玉製観音は寿山石で彫られたもの。赤みのある凍石が混ざっており雰囲気がいいです。唐木の観音は時代物の為、ひび割れなどございましたが、仏像は当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。唐木の花台は、小振りなもので、木目が綺麗なものでした。古いレコードは昔懐かしいアニメのもの。ペコちゃんこけしはレトロで可愛いですね。他にもおもちゃや雑貨などたくさんお売りいただきました。ご家族皆様の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。終始、丁寧にしていただき、有難うございました。倉庫へ戻る途中、知人のリサイクル業者のところへ、日本画家河合玉堂の掛軸を査定しに行ってまいりました。残念ながら、工芸画でした。倉庫へと戻り、市場の仲間たちと「らーめんの小池さん」へ行きました。今日はスタミナラーメンに爆弾チャーハン。爆弾チャーハンとても辛いです!汗だくだくでいただきました。皆さんも是非ご挑戦ください。明日は、世田谷区成城、港区赤坂、大田区東糀谷へ出張買取。ハードスケジュールですが、頑張ります!

東京都練馬区石神井台にて、玉珪銘江戸期銀製根付、銀製兜のボンボニエール。

 

東京都練馬区石神井台にて、仏像、仏具、玉珪銘江戸期銀製根付、天皇家卸下賜品銀製兜のボンボニエールをお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。お爺様が生前集めていらっしゃった、仏像や根付、印籠、天皇家卸下賜品である銀製品のボンボニエールなどを、まとめて買い取らせていただきました。銀製の根付は江戸期の根付師玉珪のもの。玉珪は、上田令吉の『根附の研究』には「木刻を以て人物獣蟲を作る、天明寛政頃の人なり」と文献に記載されております。龍珪や法珪と同派で木刻のみを作り上げました。同派の根付師が明治になっても同名で同じスタイルの根付を製作していたとする説があり、恐らくこちらの根付は同派のものと思われます。銀製兜は菊紋が入っている為、おそらく天皇家卸下賜品であるボンボニエールと思われます。「ボンボニエール」とは、フランス語でボンボンと呼ばれる小さな砂糖菓子を入れる器。 日本では明治時代から、天皇のご即位をはじめ、お子様のご誕生やご結婚式などの皇室・宮家の慶事の度、金平糖が詰められたボンボニエールが祝宴の記念品として招待された人々に贈られてきました。ボンボニエールは、今なおコレクターさんが多く存在し、市場でも高額で取引されるものが多くございます。こちらの兜形ボンボニエールは希少なもので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。六角堂では、こういった根付やボンボニエールなどの時代小物の買い取りを強化しております。ご不要の時代小物がございましたら、是非六角堂をご指名ください。良いお道具をたくさんご売却いただきありがとうございました。
本日は志木市場でしたので、出張帰りに寄らせていただき、市場終了後いつものように仲間たちと「大島屋食堂」さんへ食事に行きました。こちらのお店はメニューが豊富で、いつ来ても飽きません。昨日に引き続き、T橋氏ご馳走様でした!

根付(ねつけ)とは、江戸時代に煙草入れや矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和、平成の現代根付に大別されます。 製作国の日本以上に、日本国外では骨董的蒐集品として高く評価されております。