月別アーカイブ: 2018年3月

神奈川県横浜市磯子区にて、人間国宝 金重陶陽の湯冷し、掛軸。

 

神奈川県横浜市磯子区にて、人間国宝 金重陶陽の湯冷し(金重道明識)、掛け軸をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、備前焼で初めて人間国宝となられた金重陶陽の湯冷しになります。こちらは本人の共箱ではなく、陶陽の長男である金重道明の識箱に収められておりました。六角堂で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。良いお道具をお売りいただき有難うございました。二日前に横浜市へ来た時にも寄らせていただきましたが、本日もまた中華街へと寄らせていただきました。昼食は、「熊猫飯店」さんへ、なんとも可愛らしい看板につられて寄ってみました。ネギらーめんに炒飯のセットランチをいただきました。他に春巻きも付いて千円しませんでした。もちろん美味しかったです。本日もまた、中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと参拝しに寄ってきました。今日は志木市場の開催日でしたので、早々に戻らせていただきました。明日より一週間、買取事例担当のものがお休みをいただきますので更新することが出来ません。出張買取、受付は通常通り営業しておりますので、引き続きどしどしとお問い合わせください。

金重陶陽(かねしげとうよう)1896~1967年
金重陶陽は金重楳陽の長男として岡山県備前市伊部に生まれました。本名を勇といいます。
1910(明治43)年、伊部尋常高等小学校を卒業後、父に師事して細工物に従事しました。
1918(大正7)年、色絵(彩色)備前を造り始め、この頃より「陶陽」の号を用い始めました。
1928(昭和3)年、備前飛獅子置物、彩色備前鬼瓦に鳩置物を天皇陛下に献上されました。
茶道具の基本を学ぶ為、表千家流に入門。
1930(昭和5)年、備前焼の本質を無釉焼き締めの土味に求めて土の生成法を発見し、
桃山備前の土味を再現する事に成功しました。
江戸時代から伊部で用いられてきた水簸土は土味を失うからとして使用を止めました。
1932(昭和7)年、本格的に轆轤制作を開始し、陶印を「陶陽造」等から「土」に改めました。
以前までは細工物を中心に焼成していましたが、
古備前の豪快で侘びた美しさに傾倒して作陶の主題は茶陶へと移行します。
武者小路千家12代愈好斎宗守が来訪したのを機にその門に入門しました。
高松宮両殿下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
1936(昭和11)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
1939(昭和14)年、再び三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
川喜田半泥子、弟・金重素山と岡山県邑久の虫明窯を訪れて作陶しました。
皿等の重ね焼きで緋襷の焼成に成功しました。
1941(昭和16)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
金重素山の出征を機に窯を改良し、古備前の窯変に画期的な成功を収めました。
1942(昭和17)年、川喜田半泥子、荒川豊蔵、10代三輪休雪とからひね会を結成しました。
備前焼の技術保存資格者に認定されました。
1944(昭和19)年、日本美術、工芸統制協会代議員に就任。
1945(昭和20)年、岐阜県大萱の荒川豊蔵の窯を金重素山と訪れて作陶。
1947(昭和22)年、生活用品芸術陶磁器認定委員に就任。
1948(昭和23)年、芸術陶磁器第二部資格者となりました。
1949(昭和24)年、藤原啓、山本陶秀、藤田龍峰、金重素山、浦上善次と備前窯芸会を結成。
1951(昭和26)年、京都府亀岡市の大本教本部が花明山窯を築窯する際、指導を行いました。
1952(昭和27)年、備前焼の無形文化財記録保持者に認定されました。
以前から親交のあった北大路魯山人がイサム・ノグチを伴って来訪し、作陶を行いました。
北大路魯山人から食器の世界、前衛彫刻家のイサム・ノグチから造形の強烈な個性を受け、
この大家との出会いが陶陽の作陶に大きな変化と幅を持たせる事になりました。
魯山人の「ロ」に倣って陶印を「ト」に改め、次第に小さくなって最後まで使用しました。
秩父宮妃殿下が金重家を御来訪されました。
北大路魯山人が北鎌倉山崎の邸内に備前窯を築窯する際に協力し、
ここで志野、織部、瀬戸、伊賀等の土物を多数制作しました。
石黒宗麿、荒川豊蔵、加藤唐九郎、宇野三吾と日本工芸会の設立を協議しました。
再び、花明山窯を訪れて指導しました。
1954(昭和29)年、熱海伊豆山桃李郷で石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、
加藤唐九郎、小森松庵、黒田領治、佐藤進三と桃李会を結成。
岡山県重要無形文化財に認定されました。
山口県萩市の吉賀大眉窯、佐賀県唐津市の中里太郎右衛門窯を訪れて作陶しました。
1955(昭和30)年、日本工芸会が結成。
1956(昭和31)年、重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1959(昭和34)年、中国文化賞を受賞。
1960(昭和35)年、山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞た。
岡山県文化財保護協会理事、備前町文化財保護委員会委員長に就任。
1961(昭和36)年、石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、宇野三吾と柏会を結成。
京都府綾部市の大本教本部の鶴山窯で備前や信楽を焼成しました。
1962(昭和37)年、日本伝統工芸展審査員、日本工芸会理事に就任。
1963(昭和38)年、島根県知事・田部長右衛門の招きで出西窯を訪れて作陶。
1964(昭和39)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
1965(昭和40)年、岡山県工業試験所陶磁器指導所講師に就任。
1966(昭和41)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
紫綬褒章を受章しました。
1967(昭和42)年、昭和天皇両陛下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
勲四等旭日小綬章を受章。

金重道明(かねしげみちあき)
1934年 岡山県備前市伊部に金重陶陽の長男として生まれる。
1956年 金沢美大工芸科卒業。
1957年 朝日現代陶芸展初入選
1958年 日展入選。
1964年 日本伝統工芸展入選。
1967年 米国・メキシコで開催の「国際芸術見本市」に出品。
1968年 京都、東京国立近代美術館(現代陶芸の新世代展出品)
1969年 日本工芸会正会員となる。
1970年 第2回ヴァルロス国際陶芸ビエンナーレ出品。
1971年 第3回金重陶陽賞受賞。
1973年 一水会陶芸展出品、委員に推挙される。
1975年 鈴木蔵と双戌展開催。
1976年 東ドイツにて開催の「日本の陶磁名品」展に出品
1979年 第7回中日国際陶芸展審査員。
1980年 日本陶磁協会賞受賞。
1981年 作陶25周年記念展開催。
1982年 第7回アジア芸術祭(香港)「現代日本陶芸」展に招待出品。
1984年 西ドイツ国内巡回開催の「土と炎ー現代日本の伝統陶芸」展に出品。
1985年 作陶30年記念展開催。
1995年 没。

埼玉県越谷市にて、桐たんす、渡辺芳文の油彩画「花」、山口逢春の工芸画。

 

埼玉県越谷市にて、桐たんす、一枚の絵画家 渡辺芳文の油彩画「花」、山口逢春の工芸画「池」をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。一枚の絵画家 渡辺芳文の油彩画「花」や山口逢春の工芸画「池」の他、水彩画やリトグラフなどの絵画をまとめてお売りいただきました。お客様の思い出の絵画、大切に次へと繋げさせていただきます。倉庫へ戻る途中、久兵衛屋さんへ寄り、ランチセットをいただきました。出張続きで疲れておりますので、今日は早上がりさせていただきました。明日は、神奈川県横浜市へ出張買取。ユンケル飲んで頑張ります!
六角堂では「山口逢春」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(版画、肉筆画も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
山口逢春作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。

山口蓬春(やまぐちほうしゅん)1893~1971
山口蓬春は、はじめ油彩画を試みましたが、まもなく日本画に転向。大和絵による古典的な画風を描くようになる。
のちに形を単純化させ、構成的な形態と色彩による独自の静物表現を確立する。現代的感性あふれる「新日本画」の世界を確立しました。
1893 北海道に生まれる
1914 東京美術学校西洋画科入学
1918 日本画科に転じて松岡映丘に師事
1924 新興大和絵会に参加
1926 帝国美術院賞受賞
1929 帝国美術学校教授となる
1930 福田平八郎、中村岳陵、木村荘八らと六潮会結成
1950 日本芸術院会員となる
1954 日展理事となる
1965 文化勲章受章、文化功労者
1969 日展顧問
1971 神奈川県葉山市で死去。享年77歳

渡辺芳文(わたなべよしふみ)
昭和19年、岩手県生まれ。鶴岡義雄に師事。
二科展特選、サロン・ドートンヌ展入選、現代洋画精鋭選抜展入選。

神奈川県横浜市西区にて、唐物玉山堂の粉彩筆筒、ネパール曼荼羅(タンカ)。

神奈川県横浜市西区にて、唐物玉山堂の粉彩筆筒、ネパール曼荼羅(タンカ)をお売りいただきました。

本日は一件の見積もり、一件の出張買取でした。一件目は、目黒区大岡山へ見積もりへ伺いました。時代箪笥、茶道具の茶碗、マッピン&ウェブの家具調カトラリーセットなど。当社で精一杯の査定をさせていただきましたので、ご縁がございましたら、ご連絡よろしくお願いいたします。鶯坂を昇り、大岡山公園の桜を眺め、二件目の横浜市西区へと向かいました。遺品整理とのことで、お呼びいただき、時代箪笥、古家具の他、唐物玉山堂の粉彩筆筒、ネパール曼荼羅(タンカ)などを買い取らせていただきました。粉彩(ふんさい)とは、白磁上絵付(うわえつけ)技法の一種。西洋から中国に伝わった琺瑯(ほうろう)の技法をベースに、清(しん)朝康煕(こうき)年間(1662~1722)末には江南の景徳鎮窯(けいとくちんよう)で開発され、官窯の重要な新技法として珍重されました。絵具が柔らかいため軟彩とも、また琺瑯(ほうろう)彩ともよばれております。絵付けの良い素敵な筆筒でした。ネパールタンカは、一見古いもののように見えましたが、残念ながらよく見ると印刷されたものでした。印刷物ではありましたが、タンカ(曼荼羅)は中国での人気がありますので、買い受けさせていただきました。人気の中国物の買取り、当社をご指名くださりありがとうございました。
帰りに、横浜中華街が近かったので、夕食へと寄りました。今日は昼食がとれずお腹が空いておりましたので、中華街にある食べ放題のお店「客満堂 二号館」さんへと行きました。何種類のメニューを食べ放題なのかで料金設定が変わるようで、お腹がペコペコだったため130品食べ放題1880円のコースにしました。わたしもN尾氏もたくさん注文し、満腹になりました。とても美味しかったです。また、中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと本日も参拝しに行きました。もちろん中国美術との出会いを求めて祈願してまいりました。中国美術、骨董品をご売却の際は、是非六角堂をご指名ください!明日は埼玉県越谷市へ出張買取、頑張ります!

東京都渋谷区幡ヶ谷にて、お茶道具、民芸家具、文京区小石川にて、お着物など。

東京都渋谷区幡ヶ谷にて、お茶道具、民芸家具、文京区小石川にて、お着物などをお売りいただきました。

本日は、二件の出張買取。一件目は、業者様のご紹介で、リフォーム前のお片付け整理でお呼びいただきました。一年近く前にお呼びいただいた業者様で、久しぶりにお会いすることが出来ました。お客様のお母様がお茶やお花の教室の先生をしておりましたので、お稽古用のものからたくさんのお道具がございました。一度他の骨董屋さんが入ったようですが、まだまだ査定の付くお道具がたくさん残っておりました。画像の中村秋峰の乾山写し蕪絵茶碗、三代森岡嘉祥の祥瑞呉須絵鉢、伊賀うずくまる(掛花入)の他、釜、鉄瓶、香合、蓋置、建水、掛軸(茶掛け)などのお道具をまとめて買い受けさせていただきました。また、茶箪笥、アンティーク家具なども併せてお売りいただきました。たくさんのお道具や家具をお売りいただき、ありがとうございました。二件目は、文京区小石川へ、不動産業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。昨日ご連絡いただき、解体前までの日程があまり残っていないとのことでしたので、本日お伺いさせていただきました。はじめてお呼びいただく業者様でしたが、終始ご丁寧にご対応いただきました。有難うございました。こちらでは、たくさんのお着物や、贈答品などをお売りいただきました。踊りをされていたようで、踊り用のお着物がたくさんございました。他にも、お客様のお母様のお着物など、画像に写っている倍近くのお着物をトラックいっぱい、まとめて買い取らせていただきました。今回は、当社のご指名ありがとうございました。また何かありましたら、六角堂をご指名ください。
画像の桜は、渋谷区幡ヶ谷へ向かう途中、都内の桜、豊島区南大塚の南大塚さくらまつり。今日の桜も綺麗でした。倉庫へ戻る途中、南大塚にある「麺屋 帝旺」さんへ寄りました。油そばで有名なお店のようですが、わたしは大好物の味噌らーめんをいただきました。辛めのスープがとても美味しかったです。また寄りたいと思います。

三代 中村秋峰(なかむらしゅうほう)
京都生まれの人気陶芸家。現代的仁清風・乾山風として自分好みの絵付けをした作品は高く評価されています。
1947年 京都府で生まれる
1966年 京都府立伏見工業高等学校窯業科を卒業し、父のもとで修業をする
1983年 第5回京焼・清水焼展で京都市長賞を受賞する
1985年 京都市姉妹都市中国西安市へ作品を寄贈する
1990年 第33回上絵陶芸展で京都陶器協会理事賞を受賞する
1994年 京焼・清水焼伝統工芸士に認定される
2002年 近畿経済産業局長より伝統的工芸品産業功労者表彰を受賞する
2006年 経済産業大臣より伝統工芸品産業功労者表彰を受賞する

三代 森岡嘉祥(もりおかかしょう)1937年(昭和12)~(現在)
京都市出身。
京都の窯元2代森岡嘉祥を父に持ち、五条坂に生まれ。
1956年に19歳で3代嘉祥を襲名。
以来、表千家家元ら多数の著名茶人らと親交を深め、伝統の上にも新しい感覚の茶陶制作を心掛けてその研鑽と追及を続け、主に個展を中心に作品を発表。
また中国や韓国の古窯跡を訪ねて、青磁や刷毛目、高麗を研究、近年では釉裏紅など、色鮮やかな釉薬発色を基調とした作品にも取り組む。
五条坂の窯のほか74年に山科に公害防止装置付登窯、98年に信楽に穴窯を築窯。

さいたま市南区にて、軍隊物、ブロンズ置物、茶道具、華道具、和光市にて、桐箪笥、琴。

   

埼玉県さいたま市南区にて、軍隊物、ブロンズ置物、お茶道具、華道具、和光市にて、桐箪笥、お琴をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、埼玉県さいたま市南区にて、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。軍隊関係の勲章、記章、エンタイヤ、戦前の古い写真、秀之銘のブロンズ鶏の置物、短冊箱に入ったお稽古用お茶道具一式、釜、池坊華道具(御玄猪)などを買い取らせていただきました。お茶道具の短冊箱(たんざくばこ)とは、倹飩蓋(けんどんぶた)で、内に三枚の棚板がある、細長い縦型の携帯用の点茶用箪笥です。 短冊箱は、地板に蓋置を仕組んだ平建水、一段目の棚に水指、二段目の棚に茶碗、三段目の棚に棗を置き、その左側の切込みに柄杓を掛けるようになっています。 短冊箱は、倹飩蓋裏に短冊を貼って、客付にあけて野点などに用いるところからこの名があり、「短冊箪笥」(たんざくだんす)ともいいます。華道具の御玄猪(おげんちょ)とは、池坊で使用する銅製の重ね薄端(うすばた)の一つで、池坊専明(1793~1864)が亥の子の祝いに用いられる丸三宝を模して花器にし、「御玄猪」の銘を付したのが最初。本日お売りいただいた御玄猪は、鉄製のものでした。古き良き時代のお品をお売りいただき有難うございました。帰りに、お庭になっていたビックレモンを私たちに採ってくださいました。初めて見るビックレモンに驚きました。完全無農薬だから子供達にあげても安心とのこと、早速いただきます。秋ヶ瀬橋から桜を眺めながら、本日の二件目、和光市へと向かいました。和光市は遺品整理でお呼びいただきました。こちらでは時代桐箪笥の他、お琴をたくさんお売りいただきました。生前、お琴の先生をされていたようで、お稽古用の他、演奏用のものもございました。画像のものは、龍舌(りゅうぜつ)に蒔絵の入ったもので、一点はくり甲、彩杉彫りの入った逸品でした。柱(じ)や爪などの付属品も併せてお売りいただきました。古いもので痛みなどございましたが、お琴などの和楽器は現在買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お母様の思い出のお道具、大切に次へと繋げさせていただきます。良いお道具をお売りいただき有難うございました。
帰りに、幸楽苑へ寄り、味噌野菜ラーメンに餃子のセットをいただきました。久々に幸楽苑へと寄りましたが、相変わらず安くて美味しかったです。明日は東京都渋谷区幡ヶ谷、文京区小石川へ二件の出張買取。頑張ります!

千葉県柏市にて、お着物、掛軸、置物、埼玉県三郷市にて、桐箪笥、神田浩二の絵画。

   

千葉県柏市にて、お着物、掛け軸、花瓶などの置物、埼玉県三郷市にて、桐たんす、お着物、一枚の絵作家神田浩二の絵画「水温む」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は千葉県柏市にて、お引越し整理でお呼びいただきました。一か月ほど前にご予約をいただいて、ようやくお伺いすることが出来ました。掛け軸やお着物、花瓶などをお売りいただきました。掛軸は、画像の橋本雅邦の他、伊東深水などをお売りいただきました。橋本雅邦(はしもとがほう)は、江戸の生まれの日本画家、明治画壇の巨匠。本名は長郷。狩野派に学び、狩野芳崖とは同門。フェノロサ・岡倉天心に認められ、新日本画の確立に尽くしました。東京美術学校教授として横山大観・下村観山・菱田春草らを指導されました。中国七宝の花瓶は、古い箱に収められており、一見時代物のように見えますが、近年造られた工芸品でした。お着物は、ウールや喪服がございましたが、全て買い受けさせていただきました。他にも深川製磁などの陶器、象彦などの漆器をお売りいただきました。たくさんお売りいただき有難うございました。二件目は埼玉県三郷市へ、桐たんす、お着物、絵画の出張買取。遺品整理にて、お呼びいただきました。こちらでは、一枚の絵作家神田浩二の絵画の他、リトグラフなどお売りいただきました。お着物はシミ汚れなどございましたが、状態の良い帯なども多くあり、全て買い取らせていただきました。搬出時にお茶をいただいたり、お気遣いくださり有難うございました。本日は一人での出張でしたので、満開の桜を眺め、倉庫近くの山田うどんさんへと寄り倉庫へ戻りました。明日は埼玉県さいたま市南区へ出張買取。頑張ります!

橋本雅邦(はしもとがほう)1835~1908
1835年 江戸の木挽町(現在の銀座)狩野家の邸内で生まれる。父親は狩野派の絵師、橋本晴園。
1847年 狩野勝川院雅信に入門。
1854年 勝川塾の塾頭となる。
1860年 雅邦の号を貰い絵師として独立する。
1882年 第1回内国絵画共進会に「得宜」を出品し銅賞受賞。
1884年 フェノロサを中心に結成された鑑画会の活動に参加。
1889年 東京美術学校の初代日本画教授となる。
1890年 第3回内国勧業博覧会で「白雲紅樹図」が一等妙技賞受賞。
1895年 第4回内国勧業博覧会に「竜虎図屏風」を出品。
1898年 パリ万国博覧会に「竜虎図屏風」を出品し銀牌を受賞。
1898年 東京美術学校を退職。岡倉天心とともに日本美術院を創立。
1908年 死去。享年73歳。

神田浩二(かんだこうじ)
1972年島根県出雲市に生まれる。幼い頃から絵が好きで、学生時代には美術部に籍を置く。島根大学理学部数学科卒業後は家業を手伝いながら描き続け、各種コンクールに出品。
県展、島根洋画展、昭和美術会展、花の美術展等での受賞・入選、平成11年 画商に認められ専属契約、翌年 若手画家で創る<美術家集団21>の設立に参加する。
平成14年、一枚の絵「現代洋画精鋭選抜展」で過去に無い高評価を受け、審査員を驚かせる新表現で金賞を受賞。できる限り簡略化し、同系色でまとめる独特な作風を個性とし、風景を中心に描き続けている。

東京都中央区銀座にて、お着物、お茶道具、贈答品の出張買取。

本日は二件の出張買取。一件目は、半年ほど前にお客様をご紹介いただいた業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。再度お客様をご紹介いただき有難うございました。中央区銀座といった一等地、近くで駐車スペースを確保できるか心配でしたが、思いのほかすぐ側にコインパーキングがございました。早速お邪魔すると、たくさんの贈答品がございました。一点一点査定していると、所々にお茶道具が混ざっておりました。お客様のお母様がお茶をされていたようです。十一世坂高麗左衛門(韓峯)の萩焼茶碗、大久保鼎湖の南鐐(純銀)清香菓子器、薮内流十二世猗々斎書附 山中塗の千筋文千成瓢箪菓子器など、他にも香合や蓋置も混ざっておりました。お着物はシミや汚れなどございましたが、大島紬や結城紬など良いものが多く、全て買い受けさせていただきました。お茶道具、お着物と当社の得意とするものが多く、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。途中、お茶を入れていただいたり、子供たちにとお菓子をいただいたり、搬出時に車を見ていただいたりと、お気遣いありがとうございました。お陰様で、スムーズに気持ちよく作業が出来ました。本日の二件目は、業者様のご紹介で荒川区西尾久へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、お着物、贈答品、たくさんのゴジラやモスラなどのフィギュアをお売りいただきました。お着物は保管状態の良いものが多く、全て買い取らせていただきました。また何か出てきましたらお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。今日の昼食は、銀座にある「函館ラーメン 船見坂」へ行きました。わたしは味噌そばをいただきました。函館らーめんといえば塩ラーメンですが、そこはN尾氏に譲り、わたしは札幌ラーメン風の味噌らーめんにしました。もっちりとした麺に濃い目のスープがとても美味しかったです。N尾氏の塩そばも美味しかったようです。銀座にある公園の桜がとても綺麗でした。ほぼ満開ですね。明日は千葉県柏市、埼玉県三郷市へ出張買取。頑張ります!

11世 坂高麗左衛門(さかこうらいざえもん)1912(明治45)年~1981(昭和56)年
11代坂高麗左衛門は林利作の三男として山口県に生まれました。
本名を信夫、号を韓峯といいます。
1941(昭和16)年に帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)を卒業し、
山口県立大津中学校に美術講師として勤務しました。
1948(昭和23)年、10代坂高麗左衛門の次女と結婚し、江戸時代からの萩焼宗家に入りました。
山口県立大津高等学校の退職後は義父に師事して作陶の道に進みました。
1956(昭和31)年、千家同門会山口県支部理事を就任しました。
山口県美術展で知事賞を受賞しました。
1958(昭和33)年、11代坂高麗左衛門を襲名しました。
1965(昭和40)年、萩市文化財審議会委員、萩市観光審議会委員を委嘱されました。
1967(昭和42)年、第一回杉道助文化奨励賞を受賞しました。
1968(昭和43)年、一水会賞を受賞し、一水会正会員となりました。
1969(昭和44)年、山口県美術展審査員を委嘱されました。
1970(昭和45)年、奈良東大寺の晋山式の際に抹茶碗400個を献納しました。
1971(昭和46)年、日本工芸会正会員となりました。
1973(昭和48)年、福岡県美術展審査員を委嘱されました。
山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1974(昭和49)年、福岡県美術展審査員を委嘱されました。
1975(昭和50)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
1981(昭和56)年、1月13日死去。

猗々斎(いいさい)は茶道藪内流(やぶうちりゅう)十二代。
京都生。透月斎の長男。名は紹智・紹称・紹光、猗々斎は号、別号に竹風紹智。昭和54年(1979)歿、75才。
太平洋戦争の最中に39歳で代を継承した猗々斎は、戦中戦後の困難な時代を、忍耐強く道統を守り、また、新しい時代に即応した家元の体制の確立や、門人の全国的組織作りなどの新しい試みを晩年になって次々と成し遂げました。
昭和43年には東京稽古場を開設し、昭和45年の万国博覧会には五家元と共に日本庭園の茶席を担当しました。また、著述や放送を通じての普及にも熱心で「茶道入門」や当流機関誌等に健筆をふるい、NHKの放送には毎回必ず自ら出演し、藪内流茶道の普及に努めました。
昭和49年には門人の全国組織「古儀茶道藪内流竹風会(こぎさどうやぶのうちりゅうちくふうかい)」、昭和52年には財団法人藪内燕庵の設立と、今日における藪内流の組織の基礎を確立されました。
藪内家 歴代 宗匠
[初代]剣仲紹智-藪中斎/[二代]真翁紹智-月心軒/[三代]剣翁紹智-雲脚亭/[四代]剣渓紹智-蕉雪斎/[五代]竹心紹智-不住斎/[六代]竹陰紹智-比老斎/[七代]竹翁紹智-桂陰斎/[八代]竹猗紹智-真々斎/[九代]竹露紹智-宝林斎/[十代]竹翠紹智-休々斎/[十一代]竹窓紹智-透月斎/[十二代]竹風紹智-猗々斎/[十三代]竹中紹智-青々斎

東京都足立区竹の塚にて、パブロ・ピカソ、アンリ・マチスのリトグラフ。

東京都足立区竹の塚にて、パブロ・ピカソ、アンリ・マティスのリトグラフをお売りいただきました。

現在断捨離中で、所蔵の絵画を処分したいとの事でお呼びいただきました。お売りいただいた絵画は、海外作家のものが多く、油彩画やリトグラフなどございました。パブロ・ピカソのリトグラフは「平和の鳩」というもの。ピカソといえば誰もが知っている有名画家さんですね。こちらの製作は1952年、直筆の鉛筆サインがございます。アンリ・マティスのリトグラフは、「ヴィサージュ 6」というもの。1946年の製作になります。「ヴィサージュ 」はマチスらしいイラストタッチな作風の女性像のシリーズで、デフォルメされた描き方ながら、一枚一枚表情の違いを楽しめる作品となっております。シワやシミ・汚れなどございましたが、六角堂強化買取り中の画家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良い名画をお売りいただきありがとうございました。また処分をする際にはお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。
帰り途中、外を眺めてみると桜の花が咲いておりました。現在五分咲きくらいとのこと。週末には満開のようですね。今年も仕事で花見は出来なそうです・・・。家に帰ると、近所の方からイチゴをいただいたようでテーブルに置いてありました。良く見ると白いイチゴだったのでびっくりましたが、こちらは「淡雪(あわゆき)いちご」といって2013年に品種登録された白いちごのようです。早速いただきましたが、とても甘くて美味しかったです。一歳半になる息子も気に入ったようですぐにおかわり。わたしは一つしか食べることが出来ませんでした。今度スーパーで探してみます。明日は中央区銀座、荒川区西尾久へ出張買取、頑張ります!
六角堂では「パブロ・ピカソ」「アンリ・マティス」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(版画、肉筆画も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
パブロ・ピカソ、アンリ・マチス作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。

パブロ・ピカソ(Picasso Pablo)
1881年 パブロ・ピカソはスペイン南部マラガに生まれる。
1895年 バルセロナのエコール・デ・ボザールに入学。
1900年 パリに移り、ロートレックなどの影響を受ける。
1901年 画商のボラールがピカソ初めての個展をパリで開催。
1901年 この年から1904年にかけて、貧しい⼈々の⽣活を⻘い⾊調で描く、「青の時代」。
1904年 モンマルトルの集合アトリエ「洗濯船」の住⼈となる
1905年 この年から1906年にかけて、静かな優しさ・愛がテーマとなる、「バラの時代」。
1907年 ニグロ芸術とセザンヌの影響から、キュビズムの記念碑的な作品となる「アヴィニョンの娘たち」を制作。
1911年 作風が分析的キュビズムから総合的キュビズムに発展。
1920年 一時「新古典主義の時代」といわれる具象作品となる。
1937年 大作「ゲルニカ」を制作。パリ万博スペイン館にて発表。
1973年 南フランスにて死去。享年91歳。

アンリ・マティス(Matisse Henri)
1869年 北フランスのカトーカンブレジで生まれる。
1892年 パリに移り住む。
1895年 エコール・デ・ボーザールでギュスターヴ・モローに師事、ルオーと知り合う。
1896年 サロンに初出品、国家買い上げとなる。
1900年 初めてドライポイントを制作する。
1904年 ヴォラールの画廊で最初の個展。
1906年 初めて石版画と木版画を制作する。
1918年 ポール・ギョーム画廊にてピカソと2人展を行う。
1933年 アメリカ、バーンズ邱の壁画「ダンス」を制作。
1943年 南フランスのヴァンスに定住。
1950年 第25回ヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受賞。
1954年 ニース郊外にて死去。

東京都世田谷区北沢にて、桐箪笥、チーク家具、掛軸、万年筆、藤田喬平の花瓶。

 

東京都世田谷区北沢にて、古い加茂桐箪笥、チーク家具(ブックシェルフ)、掛け軸、パイロット蒔絵万年筆、人気ガラス工芸家藤田喬平の手吹花瓶をお売りいただきました。

本日は一件の出張買取、二件の見積もりで出張しました。一件目は、世田谷区北沢。先月お見積りにお伺いしたお客様と買取が成立しましたので、出張買取させていただきました。お売りいただいた桐たんすは、時代桐箪笥。お客様のご出身が新潟県加茂市で、何十年も前に購入された加茂桐箪笥。伝統工芸品に指定される前のたんすで、オーダーメイドのもの。二つのタンスを一つに組み合わせた大変珍しいタンスでした。現在、この時代の桐タンスの買い取りは厳しくなっておりますが、こちらは特別に買い受けさせていただきました。チーク製の家具はブックシェルフ。所々傷みがございましたが、人気のチーク家具、買い取りさせていただきました。掛軸は、田能村竹田の山水画や山本梅逸の花鳥図など。万年筆は、皇太子殿下御成婚記念の際に、パイロット社が國光会の中で人気の作家である吉田久斎とコラボして作られたものになります。ペン先は18金で、本体には御所車や桜の蒔絵が入っております。とても見事な万年筆でした。藤田喬平は東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区百人町)生まれのガラス工芸家。東京美術学校で彫金を学ぶが、途中でガラス工芸に転向。その後、イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立されました。宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)に、藤田喬平ガラス美術館がございます。藤田喬平のガラス工芸品は、六角堂で買い取りを強化しております。良いお品をお売りいただき有難うございました。また近日、古銭などの買取りでお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。二件目は、神奈川県川崎市中原区へ、お茶道具の見積もりでお伺いしました。人間国宝である角谷一圭の弟である釜師角谷莎村(かくたにしゃそん)の鉄瓶、十四代坂倉新兵衛の萩茶碗、他にも棗や香合などございました。精一杯の査定額を付けておりますので、ご縁がございましたらご指名ください。三件目は、東京都大田区へお着物のお見積り。振袖や留袖、紬、帯などを査定させていただきました。こちらもまた、精一杯の査定額を付けておりますので、ご縁がございましたらご指名ください。本日の昼食は、世田谷区へ向かう途中、高円寺近くの環七沿いにある立ち食いそば屋さん「江戸丸」さんへと寄りました。安い、美味い、早いと、典型的な立ち食いそばの良店。初めて寄りましたが、メニューも豊富で、久々の立ち食いそばはとても良かったです。ゲソ天に春菊天を入れたうどんをいただきましたが、熱々でとても美味しかったです。また寄りたいと思います。夕食は遅くなってしまいましたが、最近通っている所沢市にある「麺場 壱歩」さんへ行きました。今日は九州麦味噌肉ネギらーめんをいただきました。とても美味しかったです。明日は、東京都足立区竹の塚へ出張買取、頑張ります!

藤田喬平(ふじたきょうへい)
1921 東京都新宿区に生まれる
1944 東京美術学校工芸科彫金部卒業
1949 2年間務めた岩田硝子工芸退社。ガラス作家として独立
1964 流動ガラスの代表作「虹彩」を発表
1973 飾筥の代表作「菖蒲」を発表
1977 ヴェネチア・ムラノ島にてガラス製作を始める
1989 恩賜賞・日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員就任
1996 藤田喬平ガラス美術館開館
1997 文化功労者顕彰、紺綬褒章受章
2002 文化勲章受賞
2004 逝去

東京都北区堀船にて、清水六兵衛の染付茶碗、加藤景秋の志野茶碗などのお茶道具。

東京都北区堀船にて、清水六兵衛の染付茶碗、加藤景秋の志野茶碗など、お茶道具をお売りいただきました。

本日は東京都北区へ、お茶道具の出張買取でお伺いしました。お引越し前の断捨離との事です。今日はまさかの雪に驚きましたが、スタッドレスタイアを装着しておりましたので、慌てることなくお伺いすることができました。京焼の名工清水六兵衛の茶碗や美濃焼の名工加藤景秋の茶碗は、当社で強化買取り中の作家作品ですので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただきました。茶碗の他にも、鉄瓶、釜、建水、水指、茶杓、香合などなど、一式お売りいただきました。良いお道具をお売りいただき、ありがとうございました。

ただいま六角堂では、茶碗をはじめ、壷・花瓶・皿など陶磁器の買取りに力を入れています。
流氷焼、小久慈焼、堤焼、楢岡焼、平清水焼、会津本郷焼、大堀相馬焼、笠間焼、益子焼、小砂焼、無名異焼、九谷焼、大樋焼、珠洲焼、越前焼、美濃焼、志戸呂焼、瀬戸焼、常滑焼、萬古焼、伊賀焼、信楽焼、膳所焼、湖南焼、京焼、楽焼、清水焼、朝日焼、御室焼、丹波立杭焼、明石焼、出石焼、赤膚焼、布志名焼、備前焼、虫明焼、萩焼、大谷焼、砥部焼、江山焼、上野焼、小石原焼、高取焼、唐津焼、伊万里焼、吉田焼、波佐見焼、三川内焼、小代焼、小鹿田焼、薩摩焼、壺屋焼、李朝時代の古陶磁器、中国の古陶磁器など幅広く買い取りしております。ご自宅にお持ちの陶磁器のご売却をお考えの際は、是非お気軽にご相談下さい。

加藤景秋(かとうかげあき)1899〜1972
岐阜県生まれの陶芸作家。本名は壮一。兄は林景正。
生涯を通して美濃桃山陶の再現を目指して研鑚しました。志野、織部を中心に作陶した。
1899年(明治32年)美濃(みの)焼の陶祖12代の次男として岐阜県に生まれる。
1916年(大正5年)17才で陶業に従事し始める。
1950年(昭和25年)美濃陶祖12代を継承する。
1955年(昭和30年)日本伝統工芸展に入選する。翌年昭和31年も入選。
1958年(昭和33年)岐阜県重要無形文化財保持者に認定される。
1972年(昭和47年)8月6日永眠。73歳。