月別アーカイブ: 2017年11月

東京都中野区弥生町にて、博古堂の鎌倉彫古鏡式盆、島倉堂の鎚起銅製急須、本塩沢単衣着物など。

    

東京都中野区弥生町にて、博古堂後藤齋宮作 鎌倉彫古鏡式盆、島倉堂の鎚起銅製急須、本塩沢紬単衣などのお着物をお売りいただきました。

解体前のお片付け整理にてお呼びいただきました。解体で多くのものを処分してしまうので、少しでも再利用していただける物があればとのことでお呼びいただきました。古い贈答品の中から、鎌倉彫の盆を発見させていただきました。博古堂の作品は、我々古物業界でも有名な鎌倉彫の会社。博古堂後藤齋宮(いつき)の作でした。明治42年に作られた、古鏡式雀と花枝図の盆、とても雰囲気ある名品でした。鎌倉時代から佛師を家業として代々受け継がれてきた後藤家。26代後藤齋宮(いつき)は明治の変革期に際して、造佛から鎌倉彫へ目を向け、美術工芸品としての新しい境地を拓きました。博古堂は明治33年(1900年)、鎌倉市にある鶴岡八幡宮鳥居脇に店舗を構え、使うことを考慮した後藤彫りと彫刻を引き立て堅牢な幹口塗り(ひくちぬり)を考案しました。鎌倉彫で名門中の名門になります。お売りいただきました後藤斎宮の丸盆は、古い時代に作られた作品とは思えないほど、しっかりと漆が残っており、多少の傷はございましたが、美術品価値や鎌倉彫の資料としての価値もございましたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。六角堂では、博古堂の作品を強化買取りしております。後藤齋宮(いつき1838~1908)をはじめ、子の後藤運久(1868~1947)、孫の後藤俊太郎(1923〜2006)、当代の後藤圭子の作品全て買い取り対象となっております。他にも、島倉堂の鎚起銅製急須、こちらは持ち手、摘みが唐木でつくられており、使用感あるものの良いお品でした。お着物は、本塩沢単衣着物をはじめ、留袖、訪問着、帯など、古いものでしたが良いお着物でしたので全て買い受けさせていただきました。多くのお品を処分せず次の方に橋渡しできるので、お客様にお喜びいただきました。お忙しい中、当社をご指名くださり有難うございました。
今日は志木市場の開催日でしたので、帰りに市場へ寄り今夜もまたみんなで食事をしました。いつも行く「大島屋食堂」で、北海づくし丼や牡蠣グラタンなどをいただきました。「大島屋食堂」はメニューが豊富で、いつ来ても飽きません。美味しかったです♪

東京都新宿区二十騎町にて、欅の飾り棚、文机、アンティーク着物、はぎれなど。

 

東京都新宿区二十騎町にて、欅の飾り棚、文机、アンティーク着物、はぎれなどをお売りいただきました。

先日お呼びいただいた東京都新宿区二十騎町の旧家解体前のお片付け整理で再度お邪魔しました。本日は家具などの大物が多くありましたので、N尾、O橋、わたしの三人体制でお邪魔しました。本日は前回積み残した和家具やアンティークチェア、レトロなトランクバック、贈答品、アンティーク着物やハギレなどを買い受けました。欅の文机や飾り棚などの和家具は重量感あるしっかりとした良品。近年和家具のリサイクルは厳しくなっておりますが、このような立派なものは今でも市場で需要がございます。アンティーク着物は昭和初期のもの、多少の時代不足感はあるものの可愛い柄のものなどもあり、全て買い受けさせていただきました。画像の日本画は、有名な女流日本画家、上村松園のもの。美人画ではないものの珍しい凧の図です。先日掛軸を買い取らせていただいた時に松園のものがありましたが、中が切り取られておりましたので確認したところ、軸装からこちらの額装へと変えて飾られているようです。お客様の許可をいただいて写真を撮らせていただきました。いずれご処分される際には、またお呼びくださいね。お昼休憩でお客様に近所の定食屋さんをご紹介いただき、新宿区市谷柳町にある中華料理屋さん「ふくちゃん」へと行きました。こちらのメニューを見ると、ヒーヒーなるものがありましたので、わたしは魚介とんばらヒーヒーをいただきました。やはり想像通りの激辛ヒーヒーでした。魚介スープに豚バラ、もちろん美味しかったです。お客様宅へと戻り、今回の出張買取ラストスパート。わたくしたちの買取引き上げ後、すぐに解体の準備が始まってしまいますので、再販できるものは全て引き上げさせていただきました。おかげさまでトラック満載、たくさんお譲りいただきました。お客様が小さいころから住まわれていたお家の思い出の品々を大切に次へと橋渡しさせていただきます。お庭も解体されてしまいますので、お庭の木々を撮影させていただきました。紅葉で赤く染まったもみじに南天、珍しい黄南天、お客様に木の種類や思い出話をたくさん教えていただきました。お家も立派でしたが、お庭もすごく立派でした。いずれまたこちらを通ったときには違った景色となっているのでしょうが、この景色しっかりと目に焼き付けました。二日間にわたり、お付き合いいただき有難うございました。また何かありましたら、お気軽にご連絡下さいませ。

上村松園(うえむら しょうえん)1875年(明治8年)4月23日‐1949年(昭和24年)8月27日
1875年 京都の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれる
1887年 京都画学校に入学、四条派の鈴木松年に師事
1990年 第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品、一等褒状受賞
1893年 幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事
1895年 竹内栖鳳に師事
1902年 息子信太郎(松篁)が誕生
1914年 間元町竹屋町に画室竣工。金剛巌に謡曲を習い始める
1941年 帝国芸術院会員
1945年 奈良平城の唳禽荘に疎開
1948年 文化勲章受賞(日本人女性として初)
1949年 8月27日逝去。従四位に序せられる。享年74。寿慶院釈尼松園

東京都杉並区下高井戸にて、十三代酒井田柿右衛門窯 錦柳鳥文皿、本場久米島絣の木綿反物など。

 

東京都杉並区下高井戸にて、十三代酒井田柿右衛門窯 錦柳鳥文皿、本場久米島絣の木綿反物などのお着物をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。柿右衛門作品は当社強化買取り品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。他にも、訪問着、留袖、帯、本場久米島絣の木綿反物などを買い受けました。少々古いものでしたが、保管状態が良かったので、買い取らせていただきました。
久留米絣(くるめかすり)は、福岡県久留米市および周辺の旧久留米藩地域で製造されている絣。綿織物で、藍染めが主体となっております。あらかじめ藍と白に染め分けた糸(絣糸)を用いて製織し、文様を表す。伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つとされております。久留米絣の技法は1956年に重要無形文化財に指定され、1976年には通商産業大臣により伝統工芸品に指定されています。南方から琉球を経由して伝わった絣と別に、江戸時代の後期に、井上伝という当時12歳の少女が創始したとされております。久留米藩が産業として奨励していおりました。江戸後期、明治、大正、昭和初期は老若男女問わず、庶民は絣の着物を着ておりました。生活必需品として久留米絣は今とは比べ物にならないくらいの生産量を誇ってましたが、戦後の洋装化により絣の需要が激減。現在は少量生産にとどまってるなか、久留米絣を用いたスニーカーやカバンといった新商品開発など、新たな動きも出てきております。有名な小説家の太宰治は久留米絣を用いた着物を好んで着ていたようです。本日も倉庫へ戻る途中、倉庫そばにある「武蔵野うどん 竹國」さんへと寄り、肉汁うどんをいただきました。トッピングにきんぴらとかき揚げ丼をいただきました。大盛りが無料で出来ますので、もちろん大盛りをいただき、満腹になりました。出張が続いておりますので、たくさんスタミナ付けて明日からも頑張ります!
六角堂では、酒井田柿右衛門の作品を探しております。何代の作品でも構いません。本人作でなくとも、柿右衛門窯作品でも構いません。ご所蔵の柿右衛門作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
酒井田柿右衛門作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。ぜひご利用ください。

東京都新宿区にて、小林和作、平川敏夫、鬼頭鍋三郎の油彩画、頼山陽の書屏風、掛け軸、螺鈿文箱、置物など。

東京都新宿区二十騎町にて、小林和作、平川敏夫、鬼頭鍋三郎の油彩画、頼山陽の書屏風、掛け軸、螺鈿細工の文箱、路川二峯の鋳銅鶴の置物、金杯などをお売りいただきました。

新宿区二十騎町は新宿区の東部に位置する町。町域の北は南山伏町、東は納戸町、南は市谷加賀町、西は市谷甲良町に接しております。いずれもわたしにとって思い出のある町。市谷加賀町は骨董屋を初めて一番最初に買取へいった町。南山伏町は初めてお茶道具を買い受けた町。そんな思い出深い町への出張買取でしたので、朝から気合いが入っておりました。解体前のお片付け整理のため、和家具、屏風、掛け軸の処分でお呼びいただきました。お客様宅へお邪魔して早々に目に入ったのが小林和作の油彩画「能登の海」。小林和作は六角堂でも良く扱う画家で、わたくし自身とても好きな画家さんです。その後次から次へと絵画が出てきました。平川敏夫の風景画、鬼頭鍋三郎の油彩画「芦ノ湖」などの油彩画をはじめ、水彩画、リトグラフ、色紙画など、全て買い受けさせていただきました。屏風は頼山陽の書屏風。表装をしなおしたが一度も飾る機会がなく今後も飾られないとの事で、買い受けさせていただきました。頼山陽は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人で、主著に『日本外史』があり、幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなっております。他にもお客様がリビングに色々とおまとめいただいておりましたので、査定がスムーズに出来ました。ライカのカメラ、金杯、路川二峯の鋳銅鶴の置物、リヤドロのフィギュリンなどたくさん良いものをお譲りいただきました。本日も、一点一点丁寧に査定し、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。搬出途中、リヤドロのフィギュリンは花の箇所が壊れやすいからと、お客様が丁寧に梱包してくれました。とても親切にして下さり有難うございました。他にも和家具や小物などが多数ありましたが、トラック積載の関係で明後日またお邪魔させていただくこととなりました。お父様やお爺様が大事にされていたというお道具達、大事に次へと繋げさせていただきますね。明後日、またよろしくお願い致します。
帰りに志木の市場へ荷物を降ろしに行くと仲間たちも丁度降ろしており、そのままみんなでデニーズへ行くこととなりました。夜八時となりましたが、これが本日の一食目。カレードリアにカキフライ、締めにデザートと一日分のカロリーを補給しました。明日は埼玉県坂戸市への出張買取、頑張ります!

小林和作 (こばやしわさく)
1888年 山口県に生まれる。
1904年 京都市立美術工芸学校絵画科に入学。
1908年 日本画家の川北霞峰に入門。
1910年 第4回文展に「椿」を出品し初入選。
1913年 第7回文展に「志摩の波切村」を出品、褒状を受ける。
1918年 この頃洋画に転向、鹿子木孟郎の画塾に通う。
1924年 第2回春陽会展に初入選。
1925年 第3回春陽会展で「伊豆風景」ほかが春陽会賞受賞。
1926年 第4回春陽会展で「軽井沢の春」ほかが春陽会賞受賞。
1927年 春陽会会員となる。
1934年 独立美術協会会員となる。
1953年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
1971年 勲三等旭日中綬章受章。
1974年 死去。

平川敏夫 (ひらかわとしお)
1924年 愛知県に生まれる。
1950年 創造美術展に初入選。
1954年 第18回新制作展で「月庭」が新作家賞受賞。
1960年 「白樹」制作。
1978年 大阪大丸で毎日新聞社主催<平川敏夫作品展>開催。
1980年 中日文化賞受賞。
1982年 日本秀作美術展に招待出品。
1983年 愛知県教育委員会文化功労賞受賞。
1985年 名古屋松坂屋ほかで「山と水・平川敏夫水墨画展」開催。
1990年 豊橋市美術博物館にて回顧展開催。
1994年 松坂屋美術館にて平川敏夫屏風展開催。

鬼頭鍋三郎 (きとうなべさぶろう)
1899年 愛知県に生まれる。
1922年 松下春雄、中野安治郎らとサンサシオン設立。
1923年 岡田三郎助に師事。
1924年 第5回帝展に初入選。辻永に師事。
1951年 第17回日展、パリ自由美術展に「バレリーナ」を出品。
1955年 第11回日展に「アトリエにて」を出品。
1970年 光風会理事長に就任。 勲三等瑞宝章受章。
1980年 「画業六十周年記念 鬼頭鍋三郎回顧展」開催。
1982年 死去。

東京都板橋区志村にて、中国女流画家Jia Lu(ジア ルー)の大判ジクレー、結城紬などのお着物。

    

東京都板橋区志村にて、中国女流画家Jia Lu(ジア ルー)の大判ジクレー、結城紬や絽綴れ名古屋帯などのお着物をお売りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。今年もそろそろ年末のお片付け整理が始まったのか、忙しくなってきており、お客様にはご日程の調整などでお気遣いくださりました。また、搬出時にスペースを作っていただいたり、お気遣いいただきありがとうございました。お婆様が生前大事にされていたというお着物や、購入したけど飾る機械なくしまわれていた絵画など、まとめて買い取らせていただきました。お着物は、言わずと知れた結城紬や大島紬など。絽綴れ(つづれ)名古屋帯は、綴れ織り(つづれおり)地に絽目を通した織の袋名古屋帯で、軽くて締めやすいのが特徴です。初夏から晩夏にかけて、単衣(ひとえ)や夏着物(絽・紗・夏紬など)に合わせていただけます。年代幅も広く、フォーマルからおしゃれ着までご使用いただける大変重宝な帯です。こちらの名古屋帯は多少古いものでありましたが、状態も良くお客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。絵画は、アメリカニューヨークに拠点を置き活躍する女性画家、ジア・ルーのもの。ジア・ルーは西洋とアジアを融合させた独特の世界観を描いております。自画像も良く描きいており、女優出身の彼女の美貌とともに美しい世界観を作りだしています。
六角堂では、ジア ルーをはじめ、インテリアアートの買い取りを強化しております。ご不要になりました作品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。インテリアアートに詳しいスタッフが、見積もり査定させていただきます。出張料無料、お売りいただくお品が多い場合は、遠距離の出張買取も可能でございます。皆様より、たくさんのお問い合わせをお待ちしております。
出張からの帰りに、埼玉県ふじみ野市にある「とんかつ とんQ」さんへと寄りました。農林水産大臣賞を受賞した国産ブランド『やまと豚』のとんかつに、大好物のカキフライのセットをいただきました。おかわり自由の、げそごはんもたくさんいただきました。とっても美味しかったです。明日は、東京都新宿区への出張買取。トラック配車の都合で、明日はO橋氏と同乗していきます。頑張ります!

Jia Lu ジア・ルー
北京生まれ、父は油彩画家のLu Enyi
清華大学の中央芸術科学アカデミー卒
師・Fan Zeng
ニューヨークの国連本部で個展を開催した最初の中国人女流作家
US Art Magazineにおいて2000年の版画トップ5に選出
The Global Timesにおいて「世界で最も認知された50人の中国人」に選出
現在もアメリカニューヨークで活躍中

東京都世田谷区成城にて、刀剣、印材などの書道具、代田にてお着物、茶碗などの買取。

 

東京都世田谷区成城にて、日本刀、脇差、龍の目に金象嵌の入った大振りの鍔、竹根や玉、石製の印材などの書道具、世田谷区代田にて男物のお着物、茶碗、花入などをお売りいただきました。

本日は世田谷区へ二件の出張買取。一件目の世田谷区成城は、先日二度ほどお呼びいただいたお客様。以前お呼びいただいた時に登録書の付いていない刀剣があり、ようやく無事発行されたとの事でお呼びいただきました。お売りいただいた刀剣は、無銘の日本刀、銘有りの脇差の二本。お忙しい中登録のお手続きなどしていただきましたので、精一杯の査定額にて買い受けさせていただきました。他にも龍の目に金象嵌の入った大振りの鍔や、竹根や玉、石製の印材などの書道具を買い受けました。前回お呼びいただいた時に買わせていただいた古墨が良いものでしたので、他にも書道具があればと伝えたところ、石のようなものであればと出していただきました。玉でつくられたものや竹根でつくられたものがあり、どれも古く良いものでした。これらの書道具は、現在中国の方達に人気があり、市場でもまだ高値が付いております。竹の根を使った竹根は、数が少ない上に、置物などは製作に何年もかかる場合が多々あるため、大変貴重なものとされています。竹は強度が高く、しなやかで軽いため竹根工芸品は以前より重宝されておりました。太く大きい竹根を使って長い期間をかけて製作されたものや、古くて状態の良いもの、芸術性の高いものに関しては、現在高値で取引されております。竹根などの竹彫り工芸品は、もともと中国より伝わってきたもので、現在でも中国からの人気がございます。また、印材に使われる玉石には、寿山石、青田石、田黄石、鶏血石などたくさんの種類があり、中でも田黄石、鶏血石は中国から強い人気がございます。田黄石は黄色、鶏血石は血のような深い赤色が特徴となってます。お客様には、これは寿山石、これは孔雀石と一点一点説明しながら、全て買い取らせていただきました。今回で三度目の出張買取となりましたが、まだ他にも何か出てくるかと思います。また何か出てきましたら、どんなものでも構いませんのでご連絡下さい。ご日程の調整をしていただいたり、お気遣いくださり有難うございました。二件目は、世田谷区代田へお呼びいただきました。お引越し後に出てきたご不用品の整理でお呼びいただきました。こちらでは、男物の袴やお着物、頂き物の茶碗、花入などを買わせていただきました。お客様ご自身のお着物が不要になったときにはまたお呼びいただけるとの事、楽しみにお待ちしております。
二件目の代田へ向かう途中、いつも寄っている世田谷区の長浜ラーメンさんへと寄りました。世田谷近辺へ買い取りへ来てるときにはほぼ必ず寄っている大好きなお店です。今回もまた、次の現場が控えておりましたので、替え玉は一杯のみで我慢。今度は次の現場が控えていないときにがっつりと替え玉したいと思います。

東京都東久留米市にて、桐たんす、和箪笥、二代徳田八十吉造(魁星)深厚耀変香炉など。

東京都東久留米市にて、桐たんす、和箪笥、九谷焼の名工 二代徳田八十吉造(魁星)深厚耀変香炉などをお売りいただきました。

本日は、東京都東久留米市に一件の出張買取。朝家を出ると、庭の柚子が黄色くなっておりました。一か月ほど前に、約8年ぶりに青い実を発見しましたが、気付かない間に黄色になっておりました。現在の家に引っ越してきて約8年。今年まで毎年枝が伸びたらすぐに剪定していたからか、実がなることはありませんでした。昨年は枝をばっさりと切ったので、今年は切らないでおりました。きっと剪定しないと実がなるのでしょうね。今年の冬至は12月22日のようです。冬至の日には、この柚子たちで柚子(ゆず)湯に入ろうと思います。柚子湯には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防したり、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果があるようです。冬至までの約一か月、大事に育てようと思います。
東久留米市は解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんす、和箪笥、古家具や九谷焼の名工である二代徳田八十吉造(魁星)深厚耀変香炉などを買い受けました。二代徳田八十吉(1907-1997)は初代徳田八十吉に師事し、古九谷五彩写しや深厚釉に高い才能を発揮し、九谷焼を代表する陶芸家として功績を残し、県重要無形文化財保持者となりました。お譲りいただいた深厚耀変香炉は味わいある同師を代表する作品です。状態も良く、共箱、共布、陶歴などの付属品も全て揃っておりましたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。お忙しい中、ご指名くださりありがとうございました。本日も帰りにN尾氏と食事をしました。お店は東久留米市にある「三喜食堂」さん。東久留米市では有名な定食屋さんのようで、N尾氏も近くに住んでいたころによく寄っていたようです。これぞ定食屋といった感じでメニューが豊富で選ぶのが楽しかったです。わたしは焼肉丼をいただきました。食堂ならではのパンチの効いた味付けで、量が多く価格は安い。とても満足しました。昭和の雰囲気が好きな人には 是非お勧めの大衆食堂です。
六角堂では、徳田八十吉作品を強化買取りしております。初代(号は鬼仏)、今回お譲りいただいた二代(号は魁星)、「彩釉磁器」で人間国宝となられた三代(正彦)、当代である四代八十吉(順子)、全ての作品を買い受けいたします。人間国宝をはじめ、作家物の陶器工芸品を中心に取り扱いしてますので自信があります!徳田八十吉の壷、花瓶、茶碗、皿、鉢、香炉、ぐい呑、徳利、湯呑、水滴、急須、盃などのご処分は六角堂におまかせください!

二代 徳田 八十吉(とくだ やそきち)1907 – 1997
1923年に初代の養子となり師事する。
1956年、二代目徳田八十吉を襲名。九谷焼の近代化を推進した。
1988年、八十吉の名を長男に譲り百々吉を名乗る。初期の号は魁星。

埼玉県さいたま市浦和区にて、茶懐石道具の扇面蒔絵内梨地五段重箱や絽の小紋などのお着物。

埼玉県さいたま市浦和区にて、茶懐石道具の扇面蒔絵内梨地五段重箱や絽の小紋などのお着物などを買い取らせていただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。黒塗りに扇面蒔絵、内梨地に鶴蒔絵の五段重箱は、蓋に一か所ひびが入ってしまっておりましたが、素晴らしい作品でしたので高額査定で買い取らせていただきました。お正月にこんな素敵な重箱でおせち料理を食べてみたいものですね。他にも、絽の小紋や訪問着、留袖、帯などを買い受けました。絽は捩織で織られる、薄く透き通った絹織物の一種。夏の着物の中でも色柄を楽しめるところが絽小紋の特徴です。絽は夏物の定番アイテム。少々古いもので若干シミなどございましたが、良い絽小紋でしたので、買い取らせていただきました。
ただいま六角堂では蒔絵などの漆芸作品の買取りに力を入れています。ご自宅にお持ちの蒔絵・漆芸作品について、売却をお考えの際はお気軽にご相談ください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。衝立や座卓、書棚、飾り棚などの蒔絵家具や印籠・棗・硯箱・手箱などのほか、椀・皿・お盆・屠蘇器・重箱など日用品にも価値のあるものが多くあります。蒔絵は日本はもちろん、海外にもコレクターの方が数多くいらっしゃいます。作者や時代が不明のお品でも高額となる場合がございますので、気になるお品がございましたら、お気軽にお問い合わせください。蒔絵・漆芸作品に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定させていただきます。
今日は祭日で、子供たちが家族で夕食に行こうというので、近所のふじみ野市にある「しゃぶ葉 上福岡店」さんへと行きました。しゃぶしゃぶの食べ放題のお店ですが、あまりにもわたしが野菜をどっさりと入れるので、ほとんどお鍋の状態です。たくさん野菜の種類があって、ついつい欲張ってしまいました。寒くなってきましたので、これからお鍋の美味しい時期になりますね。普段野菜不足のわたしですが、本日はたくさん補給出来ました。

東京都豊島区にて、桐たんす、西村松雲の棗、昭一、清山作輪島塗茶杓、仲田錦玉の香合。

東京都豊島区高松にて、桐たんす、加賀蒔絵師西村松雲の柳蒔絵棗、昭一、清山作輪島塗の茶杓、九谷焼の名工仲田錦玉の青粒唐草紋香合などのお茶道具をお売りいただきました。

本日は午前中練馬区の業者様のところへ銀製品、茶道具、掛け軸などをまとめて買い取らせていただきました。いつもお呼びいただき有難うございます。量がたくさんございましたので、仕分けが終わり次第ご紹介させていただきたいともいます。午後は豊島区へお片付け整理にて出張買取させていただきました。これからの時期、年末のお片付けでお呼びいただくことが多くなりそうです。年明けに内装リフォームをされるようで、桐たんすやお母様が使われていたお茶道具をご処分されたいとのことでお伺いしました。棗や茶杓は金蒔絵が素晴らしいお道具でした。九谷焼の人気作家、仲田錦玉の香合は、暗い中での買取りでしたのではじめ気付きませんでしたが、明るい所で確認してみると蓋に割れによる直しがございました。良いお品だけにとてももったいなかったです。仲田錦玉は、明治時代末か大正時代初め頃から受け継がれている「青粒(あおちぶ)技法」の第一人者。作品には従来の青粒のものと、錦玉氏によってつくられた渦文・青海波文とがあります。 青粒・白粒と金盛の技術を使い、立体感あふれる見事な作品です。普通の青粒は、不規則な位置に粒が打たれておりますが、錦玉氏は渦状に粒を打たれるので、立体感や風格が違います。その粒の大きさ、色、間隔の均一さは、まさに神業といわれております。三代にわたりこの画風を継承し日々精進を続けておられます。他にも茶碗や水指などのお茶道具を全て買い受けさせていただきました。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。
六角堂では、徳田八十吉、吉田美統、福島武山、武腰潤、仲田錦玉、中田一於、北村隆、田村金星、田村敬星、松本佐吉、浅蔵五十吉、三ツ井為吉、北出塔次郎、北出不二雄、見附正康などの九谷焼人気作家の買取りを強化しております。ご不要の九谷焼製品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

仲田錦玉(なかたきんぎょく)
昭和21年 初代錦玉が石川県小松市にて開窯。皇太子殿下、妃殿下金沢ご来訪の折に両殿下使用の茶器を製作する。
昭和60年 中田信之、2代錦玉を襲名。
昭和63年 九谷焼技法最高賞。
平成6年  伝統工芸士認定。
平成9年  国際色絵陶磁器展 入選、日本伝統工芸展 初入選。
平成13年 日本伝統工芸展 入選、日本工芸会正会員認定。
平成20年 アメリカ、ニューヨーク日本クラブにて個展開催。
平成25年 中田勝彦、3代錦玉を襲名。
平成26年 伝統九谷焼工芸展 入選。
平成28年 伝統工芸士認定

東京都北区にて、13代今泉今右衛門の酒器、花瓶、14代辻常陸の箸置、水滴など。

東京都北区桐ケ丘にて、十三代今泉今右衛門の錦桃絵酒器、草花絵花瓶、宮内庁御用達十四代辻常陸の染錦おしどり箸置、おしどり水滴などをお売りいただきました。

お片付け整理にてお呼びいただきました。お父様が有田焼の作品が好きだったようで、花瓶、食器、大皿、飾り壷など有田焼作品が多くございました。
有田焼とは佐賀県にある有田町一帯の地域で作られる陶磁器全般の事を指します。多くの作家が手がけてきた有田焼ですが、中でも酒井田柿右衛門、今泉今右衛門の作品は人気があり、買取市場でも高額で取引されています。
六角堂では、酒井田柿右衛門、今泉今右衛門、井上萬二、中村清六、館林源右衛門、辻常陸、青木龍山、奥川忠右衛門などの有田焼人気作家の買取りを強化しております。ご不要の有田焼製品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。
本日は午前中のみの出張買取でしたので、倉庫へ戻る途中近所の川越市にあるラーメン屋さん「松ちゃん」さんへと寄りました。昔ながらの町の中華食堂といった感じで、らーめんも昔ながらのなぜか落ち着くラーメンでした。また寄りたいと思います。

十三代 今泉今右衛門(いまいずみ いまえもん)
色鍋島今右衛門技術保存会を組織し、国重要無形文化財総合指定を受ける。
平成元年、重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)に認定され、色絵磁器の確立と技術継承に力を入れる。
鍋島に吹墨・薄墨の技法を取り入れ、吹墨と薄墨を重ね合わせる吹重ねの技法を確立されました。
1949年 東京芸術大学工芸科 卒業
1957年 日展初入選
1965年 日本伝統工芸展奨励賞
1981年 日本伝統工芸展最優秀作品賞、色鍋島今右衛門技術保存会会長、佐賀県陶芸協会会長
1986年 紫綬褒章
1989年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定
1999年 勲四等旭日小綬章

十四代 辻常陸(つじ ひたち)
白磁発祥の地である佐賀県有田で、350年続く歴史的な窯元『辻家』に生まれる。本名、辻常喜。辻家は仙台藩主伊達綱宗に端を発し、百十二代霊元天皇に至るまで、辻家が生み出すその鮮麗たる磁器を認め、以後『常陸大掾(天皇直属の家臣)』の官位を賜り『禁裏御用窯元(皇族のみのための窯元)』として現在も尚、皇室へ数々の磁器を献上している。
1909年 佐賀県で生まれる
1930年 東京工業大学窯業科を卒業する
1947年 14代・辻常陸を襲名する
1985年 極真焼の再現に成功する
1988年 傘寿記念個展を開催する
1990年 天皇御即位の大礼に際し祝宴の儀記念の御料器の御下命を賜わる
1997年 米寿記念個展を開催する
1999年 卆寿祈念個展を開催する
2000年 イギリス王室エドワード王子夫妻へ作品を献上する
2007年 3月15日逝去