月別アーカイブ: 2017年9月

千葉県流山市にて、家具やお着物、中島千波のリトグラフ「華」などお売りいただきました。

千葉県流山市にて、家具やお着物、日本画家中島千波のリトグラフ「華」などお譲りいただきました。

お家の建て替え前のお片付け整理にてお呼びいただきました。お母様が大事にされていたお着物や絵画、オットマン付きのソファなどをお売りいただきました。お客様宅へ向かう途中、外環道が事故渋滞していたのでご到着が少し遅れてしまいましたが、ご都合を合わせていただき有難うございました。ご家族の思い出のお品、大事に次へと繋げさせていただきます。今日も帰宅時に、戸田市美女木にある花月ラーメンへと寄りました。いつもいただく嵐げんこつらあめん味噌に豚めしセットをいただきました。いつ来ても花月は安定の美味しさですね。

ただいま六角堂では日本画家の作品を探しております。
秋野 不矩、池上 秀畝 、池田 蕉園、池田 遙邨、伊東 深水、稲田 和正、今村 紫紅、入江 波光、岩橋 英遠、上村 淳之、上村 松園、上村 松篁、梅津 道雄、大橋 翠石、大山 忠作、岡 信孝、小川 芋銭、奥田 元宋、奥村 土牛、小倉 遊亀、小野 竹喬、尾竹 国観、小茂田 青樹、片岡 球子、堅山 南風、加藤 栄三、加藤 東一、金島 桂華、狩野 芳崖、鏑木 清方、加山 又造、川合 玉堂、川端 龍子、菊池 契月、北野 恒富、吉川 霊華、木村 武山、工藤 甲人 、小泉 淳作、小杉 放庵、児玉 希望、小林 古径、小松 均、郷倉 和子、郷倉 千靱、酒井 三良、榊原 紫峰、佐藤 太清、柴田 是真、下田 義寬、下村 観山、杉山 寧、千住 博、高山 辰雄、竹内 栖鳳、竹久 夢二 、田中 一村、土田 麦僊、寺島 紫明、徳岡 神泉、富岡 鉄斎、冨田 溪仙、堂本 印象、堂本 元次、中島 千波、中村 岳陵、中村 貞以、中村 不折、西村 五雲、橋本 関雪、橋本 雅邦、橋本 明治、浜田 昇児 、濱田 台児、林 功 、速水 御舟、東山 魁夷、菱田 春草、平川 敏夫、平福 百穂、平松 礼二 、平山 郁夫、福井 爽人、福王寺 法林、福田 平八郎、堀 文子、前田 青邨、牧 進、松尾 敏男、松岡 映丘、松林 桂月、宮廻 正明、三輪 良平、武藤 孤舟、村上 華岳、森田 りえ子、守屋 多々志、安田 靫彦、山口 華楊、山口 蓬春、山本 丘人、山元 春挙、横山 大観、横山 操、渡辺 省亭
など、ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
日本画の正当な評価での売却をご希望の方は、是非出張買取専門店の六角堂まで!

中島千波(なかじまちなみ)
1945年(昭和20年) 10月21日、日本画家・中島清之の三男として疎開先の長野県上高井郡小布施村に生まれる。
1948年(昭和23年) 神奈川県横浜市に家族と戻る。
1965年(昭和40年) 東京芸術大学美術学部日本画科に入学
1969年(昭和44年) 東京芸術大学日本画科卒業。第54回院展初入選。第4回神奈川県展受賞。
1970年(昭和45年) 神奈川県美術展 (神奈川県立近代美術館)でK氏賞受賞
1971年(昭和46年) 東京芸術大学大学院修了。第1回山種美術館賞展出品。日本美術院院友推挙。
1977年(昭和52年) 第32回春の院展奨励賞受賞。第62回院展奨励賞受賞、以後数回受賞。
1978年(昭和53年) 第33回春の院展奨励賞。
1979年(昭和54年) 第5回山種美術館賞展、優秀賞受賞。
1980年(昭和55年) 第2回日本秀作美術展招待。 (日本橋・高島屋) に選抜出品
1981年(昭和56年) 第3回秀作美術展招待。第6回山種美術館賞展招待。
1983年(昭和58年) 昭和世代日本画展。
1984年(昭和59年) 「横の会」結成に参加(第10回展で終了)。
1985年(昭和60年) 東京セントラル美術館・裸婦大賞展大賞受賞。
1987年(昭和62年) 4月、NHK「今日の料理」の表紙絵を担当する。(3年間)
1988年(昭和63年) 第73回院展奨励賞受賞。9月、朝日新聞朝刊宮尾登美子作 「きのね」の挿絵を担当する。
1989年(平成元年) 第44回春の院展奨励賞受賞。ベルギー・ユーロパリア’89ジャパン現代日本画展に出品。
1990年(平成 2年) 朝日新聞連載挿絵展 NHK「今日の料理」原画展開催。横浜三渓園臨春閣の襖絵「不二と桃花図」「松林図」を完成。第75回院展奨励賞受賞、特待に推挙。
1991年(平成 3年) 第46回春の院展奨励賞受賞。第76回院展奨励賞受賞。
1992年(平成 4年) 長野県小布施町に「おふせミュージアム・中島千波館」がオープン。
1993年(平成  5年) 諏訪北沢美術館10周年記念・中島千波展 (長野県)を開催。横浜市民ギャラリー「いきなり拒絶反応しないで」中島千波展開催。
1994年(平成  6年) 鎌倉・鶴が岡八幡宮 斎官貴賓室床の間壁画〈日和麗麗孔雀の図〉完成披露。東京芸術大学美術学部助教授に任命される。
1995年(平成 7年) 「ひと・はな・いのちのフォルム」中島千波展をパリ・三越エトアールにて開催。(朝日新闘社主催)「身延山枝垂桜」「四曲半双屏風」を制作。
1996年(平成 8年) 日本橋三越本店にてパリ展の帰国記念展開催。日本橋高島屋にて第1回「目-それぞれのかたち展」(日本橋・高島屋) 開催。 伊藤彬・中野嘉之・中島千波・畠中光享・林功により『目の会』を結成
1998年(平成10年) 「中島千波の花宴展」を京都・東京で開催。
1999年(平成11年) 「花と富士 中島千波屏風絵展」を東京(銀座・松坂屋) にて開催。 宮尾本『平家物語』(週刊朝日連載小説)の挿絵制作が始まる。
2000年(平成12年) 平家物語「青龍の巻」中島千波挿絵原画展開催 (日本橋・高島屋、他6会巡回)
2001年(平成13年) 深川不動尊(成田山東京別院深川不動堂)内仏殿格天井の小図(100号)完成。数年先に格天井完成予定。
2002年(平成14年) 深川不動尊(成田山東京別院深川不動堂)内仏殿格天井の原画(100号)完成 。
2004年(平成16年) 深川不動堂の内仏殿格天井画<大日如来蓮池図>完成 。
2007年(平成19年) 東京芸術大学創立120周年記念企画日本美術「今」展開催 。鮮やかな色合いの桜のシリーズで大人気の日本を代表する作家です。
現在 東京芸術大学美術学部デザイン科教授 無所属

埼玉県川越市にて、絵画や掛け軸、お着物、新座市にて、桐箪笥、お着物などを買い受けました。

埼玉県川越市にて、ラッセンのシルクスクリーン「ラハイナスターライト」、掛け軸、お着物、新座市にて、桐箪笥、お着物、反物、和装小物、無形文化財道明新兵衛の帯締めなどお譲りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県川越市にて、お引越し前のお片付け整理。お引越し先が今より狭くなりお道具達を連れていけないとの事で、まとめて買い受けさせていただきました。お着物の他、掛軸、備前焼の花器などを買い取りさせていただきました。ラッセンのシルクスクリーンは娘さんの成人式のお祝いで購入されたもの。大振りのサイズで、こちらもお引越し先へと運べないので泣く泣くのご処分。タトウ箱、証明書がないものの、頑張り査定額で買い受けました。思い出のお品々、大事に次へと繋げさせていただきますね。二件目は、埼玉県新座市へ遺品整理にてお呼びいただきました。桐箪笥とお着物をたくさん買い受けさせていただきました。当社で強化買取りしている道明新兵衛の帯締めが多数ございましたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。当社では、着物と同時に、帯留め、帯揚げ、帯締め、草履、下駄、バッグ、巾着、かんざしなどの髪飾りなど、和装小物も買取しております。小物だから値段が付かないとあきらめてしまう前に、お着物と一緒にお売りください。和装小物でも、今回の帯締めのようにお値段の付くものがたくさんございます。

二件目へ向かう途中、新座市にある「うどん 槙」さんへと寄りました。わたしはきのこうどんを注文しました。うどんが来るまえに無料でいただけるうどんかりんとうをいただきました。黒ごま味ときなこ味があり、とっても美味しかったです。うどんが来てびっくり、中盛りでしたが、なんと600gあるとのこと、何も知らずにごぼう天までトッピングしておりました。美味しかったので完食しましたが、お腹いっぱいでしばらく動けず、今晩の夜食は抜きとします。次回は200gのミニ盛かな。

道明新兵衛(どうみょうしんべえ)
江戸中期に創業し、350年という歴史ある老舗「道明」の帯締め。
組紐は飛鳥時代に中国より伝来、平安時代には日本的な色彩や精巧な技法が生まれ、劇的な発展を遂げる。
武家社会での刀の下緒、締緒などを経て帯締めとして活用され始めたのは、江戸時代に入ってからのこと。
道明には、冠組・高麗組・奈良組・丸源氏組・鎌倉組など様々な組み方がある。
6代目は婿養子でありながらも工芸組紐の製作普及につとめ、7代目は正倉院遺物組紐の復元・模造を行うなど組紐界に功績を残しており、
東京上野にある店舗は江戸時代から続く組紐の老舗として知られています。
六代道明新兵衛
1879年 新潟県三保市生まれ。旧名半蔵。
1902年 五代道明新兵衛の婿養子となる
1933年 五代の死去により六代新兵衛を襲名
1960年 無形文化財指定保持者
1961年 黄授褒章受章
1962年 勲六等瑞宝章受章、逝去
七代道明新兵衛
1904年 東京都生まれ。六代道明新兵衛の長男
1960年 選択無形文化財になった組紐技術をまとめる
1962年 七代道明新兵衛襲名
1972年 逝去

クリスチャン リース ラッセン Lassen Christian Riese
1956年、3月11日アメリカ カリフォルニア生まれ。4歳の頃からすでに絵画に親しむほど、幼少の頃から才能に恵まれる。’66年ハワイ・マウイ島へ家族で移住。海の魅力に魅せられ、様々な試行錯誤の末に水面の上下で宇宙と海底を表現する2WORLDの画風を確立させる。’76年より作品を発表しつつ、プロサーファーとして世界的なランク入りを果たす。’83年、国連<クリーンオーシャンキャンペーン>のイメージアート「サンクチュアリ」を制作。’89年、ホノルルマラソン公式アーティストに選定される。 ’90年、海に対する恩返しの気持ちから環境保護団体<シービジョン財団>設立。’92年、「サンクチュアリ」が国連記念切手となる。’96年、映画「フリッパー」の公式ポスター制作。’98年、「国際海洋年1998」の公式ポスターを制作するとともにN.G.O.組織<F.U.N.>の親善大使に任命される。さらに自身が作曲・ボーカルを担当した「TURN THE TIDE」を発表。マリンアートの第一人者として日本での人気は絶大である。

東京都文京区目白台、新宿区北新宿、新宿区四谷坂町にて、加茂桐たんす、庄内箪笥、絵画、掛け軸。

  

東京都文京区目白台にて庄内箪笥、和家具、エコーネスのソファ、絵画、洋食器、花瓶、新宿区北新宿にて古いカメラレンズ、掛け軸、栃材の花台、新宿区四谷坂町にて、加茂総桐箪笥、絵画、ジャズ、クラシックのレコード、CD、古いおもちゃ、尺八、書道具などをお譲りいただきました。

本日は朝より三件の出張買取、多忙な一日となりました。朝方には台風も去り、快晴の天気の中の出張となりました。一件目は先日お邪魔した文京区目白台のお客様。リフォーム前のお片付け整理で、先日積み残したお品の他、片付けの最中に追加で不要品が出たとの事でお呼びいただきました。数十年前に新潟県より持ってきた時代(明治期)庄内箪笥は以前お邪魔した際に閂(かんぬき)が見つからず、引き上げが出来ませんでしたが、我々が来るので探しておいてくださりました。作業途中、暑いからと冷茶をいただいたりお気遣いありがとうございました。リフォーム後にもまた何かございましたらお呼びください。二件目は新宿区北新宿にて、解体前のお片付け整理、古いカメラにレンズ、掛け軸数点、栃材の花台をお売りいただきました。栃材の花台は、虎杢が素敵な花台でした。経年汚れがなかなか落ちなかったので、後日クリーニングしようと思います。虎杢とは、虎の縞のような模様の杢をいいます。バイオリンや三味線などの楽器の材でよく使われております。先日リサイクル関係の業者を呼んだら何も買う物はないと帰られたようですが、当社では買取り出来るお品が多数ございました。お客様に、ご家族の思い出のお品を処分に出さず、リサイクルできることをお喜びいただけました。解体日まで残り僅かのようですが、お片付け頑張ってください。三件目は新宿区四谷坂町の出張買取。四谷坂町は新住所のようで、わたしの愛車ナビに住所が見当たらず、以前は坂町という住所だったようです。携帯で調べて無事到着。こちらは、加茂桐箪笥を処分したいとの事でお呼びいただきました。焼桐の整理箪笥、正面、天部にシミが出てしまっておりましたが、当社で強化買取りしている加茂箪笥でしたので、買い受けさせていただきました。他にも山口正人の油彩画「月のベニス」、佐藤昭三の日本画「尾瀬」、金工師 森豊一のブロンズレリーフ「朝追ひ」の他絵画数点、ジャズ、クラシックのレコード、CD、古いミニカーなどのおもちゃ、尺八、硯や墨などの書道具を買い受けさせていただきました。お父様の大切にされていたお道具達、大事に次へと繋げさせていただきます。玄関前までお荷物を運ぶ手伝いをしていただいたり有難うございました。本日は、家具の他、お道具の買い取りが多く、倉庫へと戻り仕分け作業をして先程帰宅しました。三件とも距離が近かったので移動距離が短いものの、一点一点丁寧に査定しておりますので、時間が掛かってしまいました。運び用の段ボール箱を増やすなどして、これから忙しくなる前に作業修正をしていこうと思います。明日も埼玉県内で二件の出張買取、頑張りたいと思います。それでは、今からようやく本日の一食目です(>_<)

山口正人(やまぐちまさと)1934年~
1934年 佐賀県唐津市に生まれる
1975年 二科展特選/ 1983年 ル・サロン会員となる
1991年 個展(新宿京王デパート)
1993年 個展(吉祥寺東急・千葉そごう・新宿小田急)
1994年 個展(横浜そごう・大宮そごう・吉祥寺東急)
1995年 個展(新宿小田急・柏そごう・吉祥寺東急)
1996年 個展(吉祥寺東急・横浜そごう)・春龍展出品20回
1997年 個展(大阪ギャラリー大井)
1998年 個展(船橋東武)渡欧16回

佐藤昭三(さとうしょうぞう)
昭和3年福島県生まれ。加藤栄三に師事。日展入選多数。佳作賞1回。日春展入8回。美協賞1回。画院賞3回。現在,日展会友。

東京都文京区小石川にて、紫檀の座卓、花梨の衝立、古時計、懐中時計、武者小路実篤の水彩画「花無心」をお売りいただきました。

東京都文京区小石川にて、紫檀の座卓、花梨の衝立、古時計、懐中時計、武者小路実篤の水彩画「花無心」をお譲りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。時代和家具や、古時計、掛け軸などを買い受けました。お忙しい中、お呼びいただきありがとうございました。市場へ行くと、いつもお世話になっている古美術商のO橋さんと会い、いつもご馳走になる大島屋さんへ連れて行ってくれました\(^o^)/いつもいつも贅沢させていただきありがとうございます。ご馳走様でした!

六角堂では「武者小路実篤」絵画、筆跡作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(水彩画、油彩画、掛け軸も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
武者小路実篤作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。他にも時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。
絵画・骨董品買い取り地域 全国対応致します。(内容や荷量によっては伺えませんので、ご了承ください)

武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ)1885~1976
小説家・劇作家・詩人・画家・思想家。子爵の家柄に生まれる。東大中退。その後学習院同窓の志賀直哉らと雑誌「白樺」を創刊、それまで傾倒したトルストイから離れ自我肯定の大胆な個人主義を主張する文学を展開。大正7年、自己の生活と社会の改造をめざした「新しき村」を創設、大正の終わりまで共同生活を送る。昭和にはいると美術への関心を深め、平明で親しみのある書画を遺した。
1885 東京都に生まれる
1906 東京帝国大学社会科入学。翌年中退
1908 「荒野」を処女出版
1910 「白樺」を創刊
1911 「お目出たき人」を刊行
1917 白樺美術館設立の運動を起こす
1918 新しき村の建設に着手
1927 「大調和」を刊行
1937 日本芸術院会員
1939 新しき村を創設
1940 小説「愛と死」で菊池寛賞受賞
1946 日本芸術院会員辞任
1951 文化勲章受章
1952 日本芸術院会員再選
1976 逝去。享年90歳

東京都目黒区上目黒にて、桐たんす、お着物、太田昭夫の木彫り彫刻「鹿」の置物をお売りいただきました。

 

東京都目黒区上目黒にて、桐たんす、着物、太田昭夫の木彫り彫刻「鹿」の置物をお譲りいただきました。

本日わたしは長男の運動会のため、当社のエースN尾が出張買取へと伺いました。息子さん夫婦と同居することになり、桐箪笥や着物が邪魔になるとの事でお呼びいただきました。削り直し後の状態があまりよくありませんでしたが、珍しいハーモニカたんすでしたので、買い受けさせていただきました。桐たんすは、密閉度が高いので、引出を押したり引いたりすると違う段のところの引出がでたり引っ込んだりします。引出の各段の棚の奥の方に、空気の通りができるよう、少しだけ隙間を作っているからです。この空気穴がないと、引出の奥が真空状態になって、引出を引くとき重くなるので、軽く引けるように考えられた職人の知恵です。 その空気穴を利用して、ハーモニカを取り付ければ、ファーと音が鳴るのです。ハーモニカは「息を吸う/吐く」で音が違うように、ハーモニカたんすも一つの引出しを「引く/押す」で音が変わります。防犯という意味合いと職人の遊び心ですかね。

長男の運動会は途中小雨がぱらついたりしましたが、無事最後まで終了しました。久々の運動会、息子の成長を驚きながら見ておりました。いつの間にこんなことが出来ることになったのだろうと、ただただ驚くばかりです。来年も必ず行くことにします。昼休憩で、小学校の近くにある「嘉津味屋 三芳店」さんへと行き、三色そばをいただきました。いつもコテコテのラーメンばかり食べているわたしですが、たまにはあっさりとしたそばも美味しいものですね。とても美味しかったです!

彫刻家・太田昭夫(1930~88)号は照玄
大阪市生まれで漢学者の祖父、日本画家の父の下で漢籍や芸術に親しみ、大阪市立工芸学校に入学するが、終戦末期の大阪大空襲で一家は罹災。その後、母方の親戚が住む奈良に移り、46年、奈良県工芸伝習生木彫科に入学しました。23歳の時「鹿」が日展に初入選、以降、鹿をモチーフに多くの作品を発表されました。太田氏の作品は、表面を磨いたり彩色したりせずに、ノミの痕跡をそのまま残した素地仕上げが特徴。表面を磨いたり、彩色したものはほとんどございません。全身に残る1つ1つのノミの跡は今まさに打ち込まれたような荒々しさで、それが鹿の野性味を引き出しています。材はヒノキより粘りのあるクスノキを多く使われました。

神奈川県横浜市港南区にて、ジャック デペルトのリトグラフの買い取り、鎌倉市へ、お着物、陶磁器、絵画の見積もり。

      

神奈川県横浜市港南区にて、ジャック デペルトのリトグラフを買取り、鎌倉市へ、お着物、陶磁器、絵画などの見積もりへ行ってまいりました。

本日は早朝より、神奈川県横浜市港南区へ李朝箪笥、リトグラフの買い取りへ行ってきました。お引越し前のお片付け中で、不要になられたとの事、次へと橋渡しさせていただきます。二件目は鎌倉市へと見積もり査定でお伺いしました。お父様、お母様のご遺品の整理、残念ながら陶磁器は箱と中が合わない物が多く、あまり高い査定が出せませんでした。絵画は、棟方志功の工芸版画や福田平八郎、小倉遊亀などの工芸作品を屏風にされたものなどがございました。ご家族に相談されてからご処分されるとの事、ご処分される際にはまたお呼びください。
鎌倉市へ出張へ来たときには必ず生しらす丼を食べると決めておりますので、食べログで検索し、鎌倉市小町、鶴岡八幡宮のそばにある「鎌倉釜飯かまかま本店」さんへと寄りました。残念ながら、生しらす丼は終わってしまったとのこと、釜揚げしらす三色丼をいただきました。さすが食べログ人気店、とても美味しく、おこげに薬味を載せていただくお茶漬けがまた美味しかったです。画像のフライですが、なんと白子と豆腐を混ぜて揚げた白子豆腐揚げ、とっても味がしっかりとしていて絶品でした。鎌倉小町通りをブラブラしながら、手焼き炭火のお煎餅を土産に買ったり、路上で美味しそうな串焼が並んでおりましたので、まぐろのホホ肉、鮎の塩焼きをつまみました。鎌倉はとてもいいところですね。今度は家族を連れて、観光しに来たいと思います。
明日は、長男の運動会。雨が心配ですが、決行するようです。リレーの選手に選ばれておりますので、帰宅後に「焼肉さんあい 」さんへと行き、たくさん栄養を付けさせました。鎌倉帰りでさすがにお腹いっぱいでしたので、わたしは眺めているだけでした。本人は一等賞になる自信があるようですが、とにかく結果が楽しみです。ここ数年間、仕事が忙しく全く子供の運動会に出てませんでした。明日の出張買取はわたしは行けず、N尾氏に託します。明日は久々、父親してきます!

ジャック・デペルト (JACQUES DEPERTHES)
黒を基調としたデリケートな描線と整然としたコンポジション、落ち着いた色調の清麗な画面には、静寂さと孤独感の中に温かさと郷愁が漂う。
ジュネーブ市主催「演劇と演奏」会の舞台装置を制作 。
作品はパリ市立近代美術館、ジュネーブ市立美術史博物館、鎌倉市立近代美術館等に収蔵されている。
1936年  フランス、シューレンヌに生まれる。
サント・エティエンヌ国立芸術大学、およびジュネーブ装飾美術学校に学ぶ。
1960年  ジュネーヴのユニオン・ド・バンク・スイスの壁画制作。
1961年  この頃から、ジュネーブ、パリ、カンヌ、ロンドン、シカゴ、東京などで個展を開催。
国際的に作家活動を展開する。
1965年  フランス政府給費留学生としてイタリアに滞在。
1976年  東京・大阪にて個展。
1984年  11月、ビジョンヌーベルの招きで来日。
1986年  二度目の来日。

埼玉県新座市にて、屏風、お茶道具、県指定無形文化財 十三代坂田泥華造萩焼酒器セット

埼玉県新座市にて、屏風、茶道具、県指定無形文化財 13代坂田泥華造萩焼酒器セットをお譲りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。当日のご依頼でしたが、ご近所でしたので即日お伺いさせていただきました。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。帰宅時に、わたしの大好きなラーメン雷豚 三芳店へ寄り、辛味噌ラーメンをいただきました。辛さを10段階から選ぶことが出来、今日はは4の大辛にしました。おかわり自由のネギをたくさん入れて、美味しくいただきました。辛味噌の辛さ、ネギの辛さがたまらなく癖になってます!!

六角堂では山口県萩市で作られる陶器、萩焼の茶碗や湯呑などの茶器や花瓶など、萩焼の買い取りに力を入れております。三輪休雪の作品でけでなく萩焼のご売却、査定でしたらお気軽にお問い合わせください!萩焼の強化買取り作家は以下となります。
三輪休雪、田原陶兵衛、坂高麗左衛門、坂倉新兵衛、宇田川抱青、坂田泥華、吉賀大眉、兼田昌尚
などの萩焼作家物を強化買取りしております。壺、花瓶、花器 、茶碗、茶器、香合、皿、鉢、酒器、ぐいのみ、徳利など、全て対象となります。萩焼以外にもたくさんの陶磁器を探しております。たくさんの御見積お待ちしております。

十三代 坂田泥華(泥珠) 1915(大正4)年~2010(平成22)年
13代坂田泥華(さかたでいか)は12代坂田泥華の長男として山口県長門市に生まれました。
本名を一平、号を天耳・泥珠といいます。
1933(昭和8)年、山口県立萩商業学校を卒業後、父に師事して家業に従事しました。
1950(昭和25)年、13代坂田泥華を襲名しました。
1962(昭和37)年、加藤土師萌の指導を受ける。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1965(昭和40)年、山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1968(昭和43)年、山口県美術展審査員を委嘱されました。
1970(昭和45)年、中国文化賞を受賞しました。
1972(昭和47)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
名古屋オリエンタル中村個展の出品作品が宮内庁に買い上げられました。
1974(昭和49)年、迎賓館に水指を納入しました。
山口県選奨(芸術文化功労)を受賞しました。
1975(昭和50)年、東京三越個展の出品作品が宮内庁に買い上げられました。
1976(昭和51)年、日本工芸会理事に就任しました。
1981(昭和56)年、紫綬褒章を受章しました。
1987(昭和62)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
1994(平成6)年、全国豊かな海づくり大会の際に山口県より天皇陛下献上の茶碗を制作しました。
2004(平成16)年に長男・慶造が早世した為に15代坂田泥華を追贈し、自らは「泥珠」と号しました。
2010(平成22)年、2月24日肺炎で死去。94歳没
井戸茶碗に深い感銘を受けて研鑽を重ね、他の追随を許さない「泥華井戸」と称される独自の豪快な作風を確立しました。
焼成時に釉薬を剥ぎ取る事により御本風の柔らかい斑文を表現した剥離釉等、新しい技法の開発にも取り組みました。
近代の萩焼を語る上で欠かす事のできない重鎮です。

千葉県市川市真間にて、桐箪笥、お着物、純銀製徳利(カラカラ)、みちのく織 米沢小島織物 男物アンサンブル 亀甲(反物)。

 

千葉県市川市真間にて、桐箪笥、お着物、純銀製徳利(カラカラ)、みちのく織 米沢小島織物 男物アンサンブル 亀甲(反物)をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。お着物や銀製品など多数お売りいただきました。当社が入る前に、リサイクルショップの出張をお願いされたようですが、そちらのお店では和家具や着物、中古の銀製品は取り扱わないとの事で、六角堂をご指名くださりました。当社では、銀製品を強化買取りしており、幅広く取り扱っております。みちのく織の反物は、山形県米沢市で織られたもので、状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で全て買い受けさせていただきました。
六角堂では、金・銀製品の置物や酒器(銚子・盃・ちろり)・茶道具(銀瓶・棗・急須・茶托・茶釜)を高価買い取り致します。
価値ある金・銀製茶道具、金・銀細工置物、銀食器などを潰し価格で処分するのは、非常に惜しいです。金瓶、銀瓶などを潰し価格で買取る業者が多く見られますが、当社は潰しではなく商品としての適正価格にて高価買取致しますので、是非六角堂へご相談ください。もちろん、金、プラチナ、銀製のアクセサリーなど、貴金属も買取しておりますので、併せてお問い合わせください。

市川市出張地域
市川、市川南、国府台、新田、平田、真間、菅野、東菅野、南八幡、宮久保、八幡、鬼越、鬼高、北方、高石神、中山、北方町、本北方、若宮、稲越町、北国分、国分、下貝塚、須和田、曽谷、中国分、東国分、堀之内、大町、大野町、柏井町、奉免町、南大野、伊勢宿、入船、大洲、大和田、加藤新田、上妙典、河原、高谷、末広、幸、塩焼、下新宿、下妙典、関ケ島、宝、田尻、稲荷木、富浜、原木、東大和田、日之出、二俣、本行徳、本塩、妙典、二子飛地、本郷飛地、相之川、新井、押切、欠真間、香取、行徳駅前、島尻、新浜、広尾、福栄、湊、湊新田、南行徳、加藤新田、高谷新町、塩浜、高浜町、千鳥町、新浜、本行徳、東浜、二俣新町

埼玉県和光市にて、時代箪笥、掛け軸、お茶道具、中川浄益造唐銅製エフゴ形建水、杏雲堂錫製ぐい吞み。

埼玉県和光市にて、時代箪笥、掛軸、茶道具、中川浄益造唐銅製エフゴ形建水、杏雲堂錫製ぐい吞をお譲りいただきました。

旧家解体前の整理で、解体業者様よりお呼びいただきました。古家具・古道具の残置物があるとのことで、いつもお世話になっている業者様に呼んでいただきました。今回もまたお呼びいただき有難うございます。六角堂では、不動産屋さん、解体業者、お引越し業者、介護関連業者、遺品整理等の業者様より、随時買い取りのご依頼を受け付けてます。残置物が少ない場合でも、何か気になるお品がございましたら、六角堂までメール、またはお電話にてお問い合わせください。当社で、出来る限りの対応をさせていただきます。ご不要になり捨てるつもりだった物や、今まで倉庫や押し入れに眠っているガラクタ同然と思っていたものに意外な価値があるかも知れません。六角堂は、通常では捨てられてしまうような物でも価値のあるお品、埋もれているお宝を見つけ出すことができるのが強みです。時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、是非六角堂までお問い合わせください。
錫は金・銀に次ぐ高価な金属として知られています。 起源は古く、紀元前の3000年頃にはすでに銅と錫との合金である「青銅」が使われるなどし、紀元前1500年頃の中国殷王朝では錫が使用されていたと言われています。 長く日本各地でも採掘されていた錫ですが、昭和40年代を最後に国内での採掘がなくなってしまった為、古い錫製品は希少となっています。当社では、茶器、煎茶器、酒器、花器など、錫製品全般買い受けしてます。錫製品をご処分の際には、是非六角堂までお問い合わせください。
出張帰りに、くるまやラーメン新座野火止店へと寄らせていただきました。ここではいつも野火止店限定のごまみそネギらーめんを頂いております。濃い目の味噌スープがたまらなく美味しく、通い始めてすでに15年。当時からの味で、変わらず美味しいです。

東京都練馬区春日町にて、お着物、博多人形、立花大亀などの茶掛け(軸装)、人間国宝十四代酒井田柿右衛門の錦 牡丹鳥文 額皿、人間国宝金城次郎の刷毛目魚紋茶碗、西岡小十の斑唐津茶碗、十四代沈寿官造の薩摩香炉。

東京都練馬区春日町にて、着物、博多人形、立花大亀などの茶掛(掛け軸)、人間国宝十四代酒井田柿右衛門の錦 牡丹鳥文 額皿、人間国宝金城次郎の刷毛目魚紋茶碗、西岡小十の斑唐津茶碗、十四代沈寿官造の薩摩香炉をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お父様、お母様が大事にされていた多くのお道具がございました。茶掛けは茶道をされていたお母様の遺品、お父様の遺品である陶芸作品は人間国宝をはじめ、人気作家のお品が多数ございました。陶芸作品がお好きだったとの事、人間国宝である十四代柿右衛門、島岡達三、中島宏、金城次郎などをはじめ、沈寿官、西岡小十、坂高麗左衛門、大樋長左衛門(大樋長楽)、玉置保夫、伊勢崎満、林正太郎、中里重利などなど、たくさんの名品がございました。一点一点、丁寧に説明し、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。今回は数点のみの買い取りでしたが、また次回お呼びいただけるとの事、楽しみにお待ちしております。お忙しい中、遠路ご実家まで来てくださり有難うございました。また次回もお客様とわたしの故郷、練馬区について思い出話させて下さい。
昨日、わたしと同じ古物商の仲間たちから出張土産をいただきました。茨城県へ出張されたOさんからはスイートポテトタルトケーキ、静岡県へ出張されたYさんからは伊勢えび味噌汁、美味しくいただきます。有難うございました。
六角堂では作家物の陶芸作品の買い取りを強化しております。作家の無いお品でも買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。陶芸作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。

立花大亀(たちばな だいき)1899~2005
明治32年12月22日生まれ。臨済(りんざい)宗。大正10年出家。京都大徳寺塔頭(たっちゅう)の徳禅寺住職となる。大徳寺派宗務総長を2期つとめ,昭和38年最高顧問,48年大徳寺内に如意庵を復興して庵主となる。57-61年花園大学長。平成17年8月25日死去。105歳。大阪出身。堺市実業補習学校卒。著作に「度胸の据え方」「利休に帰れ」など。

十四代酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)1934(昭和9) – 2013(平成25)
陶芸家。酒井田家十四代。多摩美大卒。十二代・十三代に師事する。一水会委員。西部工芸会副幹事長。
重要無形文化財保持者(人間国宝、2001年7月12日認定。色絵磁器)、佐賀県陶芸協会会長、日本工芸会副理事長、および九産大大学院芸術研究科専任教授。

金城次郎(きんじょうじろう)1912年~2004年
那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(沖縄県で初の人間国宝)。子の須美子、孫の宮城三成も陶芸家。
1912年 沖縄県に生まれる
1925年 新垣栄徳の製陶所に入門、壷屋の製陶に従事
1946年 那覇市壷屋に築窯。浜田庄司、河井寛次郎らに師事
1985年 人間国宝に認定、沖縄県功労賞受賞
1993年 勲四等瑞宝章受賞
2004年 死去

西岡小十(にしおかこじゅう)
1917年 佐賀県唐津市に生まれる
1945年 終戦を迎え日本に帰る
1950年 唐津に帰郷し、友人とともに色唐津の古窯址を訪れる。
1953年 古唐津を再現する為、古窯址の発掘を始める。
1960年 古窯址の発掘が縁となり、小山富士夫氏と知り合う。
1971年 小山冨士夫に指導され、割竹式登窯を唐津衣干山の頂に築いて独立。
1975年 初の個展と古唐津陶片展を姫路のデパートで開催。偶然来館した荒川豊藏に茶碗を求められる。
1981年 絵斑唐津の焼成復元に成功。小十窯を開く。
1983年 梅花皮唐津の復元に成功
1999年 石川県辰之口町に加賀唐津、辰之口窯を開窯。
2006年 逝去

十四代沈壽官(ちんじゅかん)1926(大正15)年生
14代沈壽官は13代沈壽官の長男として鹿児島県に生まれました。
本名を大迫恵吉といいます。
早稲田大学政経学部を卒業後は東京で代議士秘書を務めていましたが、
1961(昭和36)年から作陶生活に入りました。
1964(昭和39)年、14代沈壽官を襲名しました。
1973(昭和48)年、社会教育振興の功労により文化大臣感謝状を受賞しました。
1984(昭和59)年、文部大臣表彰を受賞しました。
1987(昭和62)年、地域文化功労賞文部大臣表彰(文化財保護功労)を受賞しました。
1989(平成元)年、大韓民国名誉総領事に任命されました。
1993(平成5)年、フランス国際陶芸ビエンナーレでフランス政府首相奨励賞を受賞しました。
大韓民国大田世界博覧会組織委員会長より感謝状を受賞しました。
鹿児島県民表彰を受けました。
1996(平成8)年、南日本文化賞を受賞しました。
1998(平成10)年、鹿児島県知事薩摩焼振興功労賞表彰を受賞しました。
1999(平成11)年、大韓民国銀冠文化勲章を受章しました。
名誉博士号を受けました。
2000(平成12)年、早稲田大学より芸術功労賞を受賞しました。
2003(平成15)年、大韓民国国済州道国際自由都市名誉弘報大使に就任しました。
2010(平成22)年、旭日小綬章を受章しました。
優美で気品に満ちた白薩摩、素朴で力強い黒薩摩、辰砂や鉄絵等も幅広く手掛け、
薩摩焼宗家としての名に相応しい創作活動を広く展開しています。
又、日韓の親善交流に果たした努力の数々は枚挙に遑がありません。
司馬遼太郎著『故郷忘じがたく候』のモデルとしても知られています。
司馬遼太郎によって井戸水が光る趣の「井光釉」と命名された独特の黒釉を開発し、
氏の芸術の特質を的確に言い表したものとして世に知られています。