月別アーカイブ: 2017年4月

東京都中央区築地にて、桐たんす、お着物、長火鉢、屏風、掛け軸、重要無形文化財(人間国宝)13代酒井田柿右衛門の葡萄文花瓶をお売りいただきました。

東京都中央区築地にて、桐たんす、お着物、長火鉢、屏風、掛け軸、重要無形文化財(人間国宝)13代酒井田柿右衛門の葡萄文花瓶をお譲りいただきました。

解体前の片付け整理にて、お呼びいただきました。柿右衛門は当社でも強化買取り中している人気作品でしたので、お客様にご満足いただける高額査定で買い取りさせていただきました。他にも桐たんす、お着物、,掛け軸、置物などを買い受けいたしました。有難うございました。仕事帰りに倉庫そばにある中華料理「磨味坊」さんへと寄り、スタミナラーメンをいただきました。ここのラーメンは野菜がたくさん入っており、外食の多いわたしには大事に栄養源です。出張が続いておりますので、たくさんスタミナ付けて明日からも頑張ります!

六角堂では、酒井田柿右衛門の作品を探しております。何代の作品でも構いません。また、本人作でなくとも、柿右衛門窯作品でも構いません。ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
酒井田柿右衛門作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。ぜひご利用ください。

13代 酒井田柿右衛門 1906(明治39)年~1982(昭和57)年
13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれました。
本名を渋雄といいます。
1924(大正13)年、有田工業学校製陶科を卒業しました。
1953(昭和28)年、父と濁手素地の復興に成功しました。
1955(昭和30)年に「柿右衛門」の製陶技術が文化財保護委員会より、
記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受けました。
1963(昭和38)年、13代酒井田柿右衛門を襲名しました。
一水会審査員に就任しました。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1966(昭和41)年、佐賀県文化功労者に選択されました。
「柿右衛門」の陶芸技法が佐賀県重要無形文化財に指定されました。
濁手草花文蓋物が宮内庁に買い上げられました。
1967(昭和42)年、佐賀県重要無形文化財に認定されました。
1969(昭和44)年、皇居新宮殿に濁手瓢形壷一対を制作しました。
1970(昭和45)年、佐賀県陶芸協会会長に就任しました。
濁手菊鳥文壷が外務省に買い上げられ、サンパウロ日本館に展示されました。
1971(昭和46)年、13代を会長に上級技術者11人で柿右衛門製陶技術保存会を設立します。
これは素地の調製から作品完成に至るまでの工程を江戸時代以来の分業による集団体制で、
伝統の濁手によって柿右衛門様式を制作する技術保持を目的とした団体です。
技術保存会による「濁手」の技法が重要無形文化財として総合指定を受けました。
濁手露草文鉢等が宮内庁に買い上げられました。
東宮御所の御用食器を納入しました。
濁手花鳥文陶額がオランダ日本大使館展示品として外務省に買い上げられました。
1972(昭和47)年、紫綬褒章を受章しました。
1974(昭和49)年、迎賓館に濁手梅花文壷を制作しました。
1975(昭和50)年、西日本文化賞を受賞しました。
濁手草花文鉢と濁手椿文壷が文化庁に買い上げられました。
1976(昭和51)年、柿右衛門製陶技術保存会が技術保持団体として認定されました。
1978(昭和53)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
1982(昭和57)年、有田名誉町民の称号を受けました。
個人作家として新しい柿右衛門の確立を目指した13代は、
伝統を墨守し続ける頑固な父の方針に不満を持ち、
お互いの方向性の違いから親子喧嘩が絶えなかった事でも有名です。
この父より受け継がれた職人気質を基礎に現代様式の柿右衛門を創造すべく、
日本画家、彫刻家、芝居役者、政治家、実業家等のあらゆる分野の人々と交流を深め、
近代的な独自の新意匠を取り入れた新境地を築き上げました。
頻繁に全国各地の野山へ出掛けては膨大な量のスケッチを取った事でも知られており、
こうして図案化されたものが濁手素地の上に彩られました。
芸術作家としての柿右衛門の評価は13代の出現で不動のものとなりました。

神奈川県川崎市麻生区にて、和箪笥、着物、茶道具、膳所焼 淡海ぜぜ 陽炎園造 朝鮮唐津写 耳付花入をお売りいただきました。

神奈川県川崎市麻生区にて、和箪笥、着物、茶道具、膳所焼 淡海ぜぜ 陽炎園造 朝鮮唐津写 耳付花入をお譲りいただきました。

不動産業者様のご紹介にて、遺品整理にてお呼びいただきました。いつもお呼びくださり有難うございます。膳所焼陽炎園は当社で強化買い取り中の作品でしたので、お客様にご満足いただける査定・買い取りが出来ました。

膳所焼の歴史は江戸初期から始まりますが、沿革は湖南の国分焼、大江焼、などがあり確立していません。通説では、元和7年(1621)膳所城主の菅沼織部定芳が御用窯として始めたものと言われています。定芳は諸芸に通じ、本阿弥光悦、松花堂昭乗、小堀遠州、金字院崇伝、等と親交が深く、茶陶の名窯といわれる膳所焼の創始者としてふさわしいと考えられます。このような関係からか、光悦が膳所の土を取り寄せて造ったいわゆる膳所光悦が数碗つたえられています。
菅沼氏のあと膳所城主となった石川忠総(1583-1650)は小堀遠州政一の門下生で遠州の指導のもとに近江八景の一つ、勢多の唐橋の近く、大江の地に窯を築いて茶陶のみを焼かせました。世に遠州七窯の一つとして名のある膳所焼きはこの大江窯のことだとされています。
大江窯では特に茶入がすぐれており、中興名物の銘[大江]の茶入などがそれと考えられ、茶入の名手として陶工太郎右衛門の名が記録にあります。遠州好みの茶陶を焼くのに適した良土と窯であったと思われます。その後、膳所窯は延宝年間まで焼成されたとされますが、茶入、水指など遠州好の茶陶は城主忠総一代だけでした。
江戸時代末期に近い天明年間の膳所の地では、御用窯ではなく民間の窯、梅林焼(ばいりんやき)があります。古膳所(こぜぜ)の特色である黒褐色の鉄釉とはまた違った、はなやかな釉調に特色が見られます。 湖南の景勝地にはぐくまれてきた膳所の名窯にも幾たびかの途絶えがあり、梅林焼のあとはなく、わずかに雀ヶ谷焼が伝えられるだけですが、近代になり大正8年(1919)、遠州ゆかりの茶陶の名窯の廃絶を惜しんだ膳所の人岩崎健三が、時の日本画壇の巨匠、山元春挙とともに膳所窯を復興し、その工房を陽炎園としました。
現在、陶磁器業界はもとより茶道界にても膳所窯は著名な存在になっています。

ただいま六角堂では、茶碗をはじめ、壷・花瓶・皿など陶磁器の買取りに力を入れています。
流氷焼、小久慈焼、堤焼、楢岡焼、平清水焼、会津本郷焼、大堀相馬焼、笠間焼、益子焼、小砂焼、無名異焼、九谷焼、大樋焼、珠洲焼、越前焼、美濃焼、志戸呂焼、瀬戸焼、常滑焼、萬古焼、伊賀焼、信楽焼、膳所焼、湖南焼、京焼、楽焼、清水焼、朝日焼、御室焼、丹波立杭焼、明石焼、出石焼、赤膚焼、布志名焼、備前焼、虫明焼、萩焼、大谷焼、砥部焼、江山焼、上野焼、小石原焼、高取焼、唐津焼、伊万里焼、吉田焼、波佐見焼、三川内焼、小代焼、小鹿田焼、薩摩焼、壺屋焼、李朝時代の陶磁器、中国の古陶磁器など幅広く買い取りしております。ご自宅にお持ちの陶磁器のご売却をお考えの際は、是非お気軽にご相談下さい。
六角堂は長年の実績と確かな専門知識で、数多くの品々を取り扱って、現在に至っております。特にお客様との信頼関係を大切にいたしております。
和家具、美術品、骨董品、茶道具、掛軸、絵画、工芸品、陶磁器、古道具、蔵整理の買取をお受け致します。 売却整理のご検討は、是非六角堂にお任せ下さいませ。

東京都武蔵野市西久保にて、春日部桐箪笥、お着物、和装小物、北村西望のブロンズ像「不老長寿」をお売りいただきました。

東京都武蔵野市西久保にて、春日部桐箪笥、お着物、和装小物、北村西望のブロンズ像「不老長寿」をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お忙しい中、当社をお呼びくださり有難うございました。倉庫の近所に「かつ庵」さんというとんかつ屋さんが出来ましたので、とんかつ好きのわたしは早速寄らせていただきました。とんかつ屋さんも遂にタッチパネルを使う時代が来てしまったんですね。おろしポン酢とんかつ定食をいただきましたが、豚汁が具沢山でとっても美味しかったです。近所ですので、次はかつ丼を食べにまた寄りたいと思います。

六角堂では、「長崎平和祈念像」で有名な北村西望の作品を探しております。ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
北村西望作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
長崎の平和祈念像などで知られる文化勲章受章者の彫刻家北村西望は、3月4日午前8時58分、心不全のため東京都武蔵野市の自宅で死去した。享年102。明治17(1884)年12月16日長崎県南高来郡に生まれる。長崎師範学校に進むが、病気のため中退し、36年京都市立美術工芸学校彫刻科に入学。40年同校を首席で卒業し、同年東京美術学校彫刻科に入学、同期に朝倉文夫、建畠大夢がいた。45年にこちらも首席で卒業する。この間、在学中の41年第2回文展に「憤闘」が初入選し、42年第3回文展「雄風」、44年同第5回「壮者」はともに褒状となった。さらに、大正4年第9回文展で「怒涛」が二等賞、翌5年同第10回「晩鐘」は特選を受賞、6年第11回文展に「光にうたれた悪魔」を無鑑査出品する。帝展では大正8年第1回展より審査員をつとめ、14年には弱冠40歳で帝国美術院会員となった。また大正10年東京美術学校教授となり、昭和19年まで後進の指導にあたった。このほか、大正8年曠原社を組織し、同11年西ケ原彫刻研究所を開設、昭和8年には東邦彫塑院の顧問となるなど、彫刻研究に没頭する。戦前は「寺内元帥騎馬像(寺内正毅)」(大正11年)、「児玉源太郎大将騎馬像」(昭和13年)、「橘中佐」「山県有朋元帥騎馬像」(昭和5年)など、勇壮な男性像で戦意高揚を意図した作品を手がけるが、戦後は平和や自由、宗教などを題材に制作。29年第10回日展「快傑日蓮上人」や、4年がかりで制作した長崎の「平和祈念像」を30年に完成する。このほかにも、広島市民のための「飛躍」など多くの平和祈念像を制作した。また戦後は日展に出品、44年より49年まで日展会長をつとめ、49年日展名誉会長となったほか、日本彫塑会にも出品し、37年名誉会長となっている。22年日本芸術院会員となり、33年文化勲章を受章、文化功労者となる。また28年武蔵野市の都立井の頭公園内にアトリエを建築、東京都にその後の寄贈分も合わせ計約500点の作品を寄贈し、作品は井の頭自然文化園の彫刻館に陳列される。37年武蔵野市名誉市民、47年長崎県島原市名誉市民、55年名誉都民となった。61年12月に風邪をひいてから静養していたが、62年1月に完成した板橋区役所新庁舎前の「平和を祈る」が絶作となった。

千葉県市原市にて、桐箪笥、お着物、掛け軸、お茶道具、二代徳田八十吉(魁星)作 窯変雪花文香炉をお売りいただきました。

千葉県市原市にて、桐箪笥、お着物、掛け軸、お茶道具、二代徳田八十吉(魁星)作 窯変雪花文香炉をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。本日もまた、遠距離出張でしたので、前日より千葉市に入り漫画喫茶にて前乗りさせていただきました。本日の出張買取は二件、市原市と千葉市花見川区へと伺いました。二件目の千葉市へ向かう途中、千葉市中央区にある味噌屋庄助 仁戸名店へと寄らせていただきました。九州麦味噌肉ネギらーめん、鶏肉餃子をいただきました。九州麦味噌、とっても美味しいです。ほのかに甘く、優しいスープが本当においしかったです。あちこちに庄助さんあるようですので、また寄りたいと思います。二件目の千葉市では、絵画や民芸品などを買い受けました。本日も素敵なお客様、美味しい食事と良い出会いが出来ました!六角堂は千葉県全域への出張買取を行っております。ご不要のお品がございましたら、お電話やメールにてお問い合わせください。

香炉といけば、多くの方は仏前に置く小さな【三具足の香炉】を連想しますが、本品のような卓上や床の間用の【置香炉】、柄付きで持ちやすい【柄香炉】、吊るしておける【釣香炉】、 服の袖に入れる為の【袖香炉】、衣類に香を焚くための「被中香炉」など、香炉には様々な種類がございます。昔は「薫香」と呼ばれ、お化粧の一つとしてお香を焚いていた為、香炉は人々の生活に身近な存在でした。歴史あるお道具の一つで、古いものには高額査定となるものが数多くございます。素材も陶器製をはじめ、金や銀、銅、真鍮などの金属製、塗り物や象牙製など幅広くございます。六角堂では、こうした幅広い香炉を全て買い取りの対象としておりますので、ご不要の香炉がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。香木、線香など香道具も買い受けしますので、併せてお問い合わせください。

二代 徳田八十吉(とくだやそきち) 1907(明治40)年~1997(平成9)年
二代徳田八十吉は石川県に生まれました。
本名を雲戸外次、号を魁星・百吉といいます。
1923(大正12)年、初代徳田八十吉の養子となり陶技の修業を始め、「魁星」と号しました。
1926(大正15)年、石川県工芸奨励会会員となりました。
1927(昭和2)年、石川県立小松中学校を卒業しました。
1929(昭和4)年、小松町産業研究生として京都国立陶磁器試験場に派遣されました。
1938(昭和13)年より富本憲吉の指導を受けました。
1951(昭和26)年、日展で特選および朝倉賞を受賞しました。
1956(昭和31)年、2代徳田八十吉を襲名しました。
1958(昭和33)年、ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞しました。
1976(昭和46)年、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会の相談役・名誉理事に就任しました。
1978(昭和48)年、小松上絵工業組合顧問に就任しました。
1982(昭和57)年、九谷焼技術保存会の会長に就任しました。
1988(昭和63)年、長男・正彦に家督を譲って隠居し、「百吉」と号しました。
初代の伝統的な九谷焼の上絵付け技法を継承する一方で、異なる二種類の色粘土を練り込んで轆轤成形した後に上絵付けを施す「涌象」等、新技法の開発にも尽力して堅実さと斬新さを兼ね備えた独自の作風を展開しました。石川県指定無形文化財に認定され、日展会員、日本窯業協会評議員、小松市美術文化協会理事等を歴任しました。

東京都葛飾区高砂にて、和箪笥、お着物、鶏血石や水晶、寿山石などの印材、彩色龍雲紋の端渓硯など、書道具をたくさんお売りいただきました。

東京都葛飾区高砂にて、和箪笥、お着物、鶏血石や水晶、寿山石などの印材、彩色龍雲紋の端渓硯など、書道具をたくさんお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。生前お母様が大事にされていた書道具などのお道具をまとめてお譲りいただきました。思い出のお品、大事に次へと繋げていきます。お忙しい中、有難うございました。出張の帰りに、埼玉県志木市にある「らーめんの小池さん」へと寄りました。小池さんは志木の市場のそばにあり、仕事帰りによく寄らせていただいております。「大宮アルディージャ」のサポーターの間では有名なお店のようで、お店はアルディージャ一色です。本日は仕事の疲れをとる為、スタミナラーメンにしましたが、いつも食べている小池さんラーメンが最高です。ニンニクの効いたスープがたまらなく美味しいです!

六角堂では、端渓硯、端石硯、歙州硯、洮河緑石硯、澄泥硯、魯硯、太史硯などの硯、曹素功、汪近聖、汪節庵、胡開文、古梅園、墨運堂、玄林堂、鳩居堂などの墨、紅星牌、三星牌などの中国画仙紙、古筆をはじめ、拓本、硯箱、硯屏、水滴、墨床、筆架、筆筒、水印などの書道具を探しております。また、寿山石、青田石、田黄石、鶏血石などの希少な印材も探しております。書道具は、使用済みのものや状態の良くないものでも査定が付く場合が数多くあります。ご売却をお考えの際は、是非六角堂までご相談ください。

書道具の他、時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。

六角堂出張地域
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その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!

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東京都中野区江原町にて、桐たんす、古家具、お着物、掛け軸、江戸期の能面「頼政」をお売りいただきました。

東京都中野区江原町にて、桐たんす、古家具、お着物、掛け軸、江戸期の能面「頼政」をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。生前大事にされていたお品とのこと、次の方に丁寧にお繋ぎできるよう努力させていただきます。お忙しい中、有難うございました。わたしの住む三芳町では、菜の花が咲いておりました。倉庫へ向かう途中、畑に横付けして菜の花に見とれてしまいました。畑一面の菜の花、とても綺麗でした。三芳町はさつまいもで有名ですが、おそばも有名で、そばの季節になると畑一面真っ白になり、それもまた大変綺麗です。野菜の美味しい町、三芳町はとてもいいところですよ!

能面の種類は約250種類と言われていますが、基本形は約60種です。 室町時代より安土桃山時代に打たれた面を本面と呼び その後は、その基本形を模倣再現しています。翁(おきな)能のもととなった猿楽から取り入れられた能面で、すでに平安末期には使われていたといわれます。能面の中で、最も古い分類の面です。尉(じょう)老人系の面。小尉、朝倉尉、三光尉、笑尉、などの種類があります。これらは、脇能や修羅能のシテが前場の化身のときにつける場合が多くなります。女面能面というとこれを思い描く人が多いというように、種類が豊富でポピュラーな面です。主に年齢や性格などによって細分化されています。小面(こおもて)、若女(わかおんな)、増(ぞう)、孫次郎(まごじろう)などは、気品に満ちた、若く美しい女性を現します。近江女(おうみおんな)は若い女性ですが、庶民的です。深井、曲見(しゃくみ)は、気品に満ちた中年の女性を現しています。曲見は深井に比べ、表情が強くなっています。泥眼(でいがん)は、目が金色で、現実の女性ではないことを表しています。老年の女面には、老女、姥などがあります。男面平太(へいだ)、中将(ちゅうじょう)、十六、二十余り、童子、渇食(かっしき)、痩(やせ)男など、身分やその状況に応じてさまざまなバリエーションがあります。鬼神早い時期に現れたと考えられる、鬼や天狗など超自然を現す面。大きく分けて「飛出(とびで)」(鬼神や鬼畜に用いられる)と「癋見(べしみ)」(天狗などに用いられる)があります。怨霊死霊をあらわす面。この世に心残りがある者たちで、男の怨霊には「怪士(あやかし)」「痩男」「河津/蛙(かわず)」などが、女の怨霊には「山姥」「泥眼」などがあります。有名な「般若」もこの分類に入ります。

六角堂では能面の買取を強化しております、能面の強化買取作家は以下となります。
長澤氏春 長澤草春 羽生光長 羽生光善 河合春慶 橋岡一路 中村光江 堀 安右衞門 石倉耕春 北澤耕雲 深草浄春 田中彗月

能面の他にも能衣装や能装束、道具や関連書籍などの能道具、笙、龍笛、篳篥(ひちりき)、鞨鼓(かっこ)、鉦鼓(しょうこ)、太鼓、筝(しょう)、琵琶(びわ)、和琴、横笛能などの雅楽器も合わせて買受けしております。また能の人形なども買受けしておりますので、合わせてお問い合わせください。

桐たんす、和箪笥などの和家具をはじめ、骨董品、お茶道具、掛け軸、絵画、お着物などがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。また骨董品・美術品のお見積もり・出張買取は、全国対応しております。是非ご利用ください。

能面 頼政(よりまさ)源頼光の玄孫(やしわごまたはげんそん)孫の孫にあたり、射芸や和歌にすぐれ、能曲「鵺」でおなじみの「鵺」を一矢で射落としたとの口伝もあり、源三位入道とも呼ばれる。平家追討を企てたが、こと現れて宇治川の合戦で敗れ、平等院に1首の歌を残して自害した。能曲頼政は能二番目物、世阿弥作。古名「源三位(げんざんみ)」「宇治頼政」。「平家物語」による。宇治平等院の扇の芝の由来と、頼政の最期の有様を脚色。三修羅の一つ。この面に限り、頼政頭巾を被る。宇治川の戦いに敗れた時の表情で、当年75歳の時の相貌、目は金具、眼の周りは朱を入れ、額には皺があり、顔は黄褐色、鬢や頭に毛が無いことは、入道して後、髪や髭を剃ったもので、怨みの表情をあらわす。

東京都港区三田にて、アンティーク家具、絨毯、絵画、木彫りの仏像、二代諏訪蘇山の青瓷袴腰香炉をお売りいただきました。

東京都港区三田にて、アンティーク家具、絨毯、絵画、木彫りの仏像、二代諏訪蘇山の青磁袴腰香炉をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。以前お呼びいただいたお客様より、お引越しするので最後の荷物整理品を処分したいとのことでご連絡頂きました。当社で買い取りを強化している人気作家・諏訪蘇山さんの作品で純銀製の火屋に共箱付、状態も良くお客様にご満足いただける査定額にて買い受けることが出来ました。今回もお忙しい中、お呼びくださり有難うございました。帰りに、三田にある太陽のトマト麺さんへと寄り、太陽のチーズラーメンをいただきました。トマト苦手なわたしですが、食べてみると意外と美味しかったです。麺とトマト、チーズとトマトって会うんですね。初挑戦でしたが、完食しました。健康にもいいし、また寄らせていただきます。

諏訪蘇山は明治大正期から続く陶芸家の名前で、現在は4代がその名を継いでいます。初代蘇山は、陶画や九谷焼を学び、独立すると五条坂に窯を開き、青磁作品の研究を重ね、「蘇山青磁」と呼ばれる独自の青磁を完成させました。諏訪蘇山は初代から当代まで共箱には共通印を使用しており、作品を見分けるためには作品に押されている陶印で判断する事ができます。 初代が楕円、2代が丸印、3代が角印、4代が三角印となっております。 本品は丸印なので、2代の作品という事になります。 当代の4代目は3代と千家十職・塗師の12代・中村宗哲の間に生まれた三女で、父から陶芸を学び、母から漆芸を学び作品に取り入れております。

二代 諏訪 蘇山 (すわ そざん)1890~1977
明治23年(1890)石川県金沢に生まれ。本名は虎子。初代蘇山の実弟・好直の次女。幼くして初代蘇山の養女となり、初代の指導のもと作陶を学ぶ。大正11年初代歿後、二代目を襲名する。大正13年第65回美術展覧会に『青影瓷尊式花瓶』を出品し銅賞受賞。以後、京都市工芸展、五条会展などにその制作を発表し、受賞を重ねる。皇太子殿下買上、九邇宮家買上。昭和35年実弟・米澤蘇峰の次男・修を養子として迎え、昭和45年代を譲り二代を退く。
昭和52年(1977)没、86歳。

港区出張地域は、赤坂 麻布十番 愛宕 芝 芝浦 芝公園 白金 白金台 新橋 台場 高輪 虎の門 西麻布 西新橋 浜松町 東麻布 東新橋 三田 南青山 南麻布 元赤坂 元麻布 六本木

山梨県都留市にて、和箪笥、掛け軸、茶道具、重要無形文化財(人間国宝)十三代鈴木盛久の亀甲霰平宝珠形鉄瓶をお売りいただきました。

山梨県都留市にて、和箪笥、掛け軸、茶道具、重要無形文化財(人間国宝)十三代鈴木盛久の亀甲霰平宝珠形鉄瓶をお譲りいただきました。

本日はお昼頃に八王子市にて和家具や書道具、時代人形などの買い取りをしました。終了後に、本日中に買取へ来てほしいとお電話をいただき、急遽山梨県都留市へと伺わせていただきました。解体前のお片付けとの事で、たくさんお品を買い受けさせていただきました。圏央道がつながって移動が楽になり、急な出張買取でも対応で出来ることが増えました。到着時間が夕方となってしまいましたが、お待ちいただき有難うございました。帰りに、中央道談合坂SAにある「蔵出し味噌麺場田所商店」さんへと寄り、九州麦味噌らーめん、ミニチャーシュー丼をいただきました。麦味噌のスープにかぼちゃがとっても美味しかったです。

現在六角堂では、鉄瓶、急須、銀瓶、金瓶を強化買取りしております。強化買取中の鉄瓶は、以下となります。
龍文堂、亀文堂、金龍堂、金寿堂、祥雲堂、瑞雲堂、雲色堂、光玉堂、蔵六造、大国造、日本梅泉造、秦蔵六、畠春斎、 般若勘渓、石黒光南、角谷一圭、鈴木盛久、長野垤志、中川浄益、名越弥五郎、宮崎寒雄、小泉仁左衛門、佐藤清光、菊池政光

鈴木盛久(すずきもりひさ)は本名を繁吉(はんきち)といい、明治29(1896)年2月14日盛岡市に生まれ、15才のときから父の先代盛久に鋳造技術を学んだ。以後、盛岡にあって伝統的な南部鉄器製法の技術を研究し、大正13(1924)年、釜師として第13代盛久を継ぎ、その活躍は海外にも知られた。昭和49(1974)年には南部鉄器の伝統的技術保持者として国の重要無形文化財の技術者の指定をうけている。
略年譜
明治29年(1896) 2月14日、盛岡市に生まれる。
大正12年 盛岡市長より模範技術士の称をうける。
昭和4年 ベルギーのリエージュ万国博に出品、金賞をうける。
昭和21年 日展に入選、以後毎回入選
昭和27年 日展出品作「八卦文独楽釜」特選となる。第5回岩手日報文化賞をうける。
昭和31年 秩父宮妃献上の茶の湯の湯釜を制作
昭和32年 日ソ国交回復記念日本工芸美術展に出品、その技術をソ連から高く評価され、その作品はソ連の美術館へ収蔵される。
昭和33年 岩手県紫波郡高金寺の梵鐘を制作。
昭和34年 ベルギー・ブリュッセル万国博に出品、グラン・プリをうける。盛岡市制70周年記念文化芸術功労者に選ばれる。黄綬褒章をうける。
昭和35年 日展委嘱となる。アメリカ・ウォーカー美術館現代デザイン展に出品。
昭和36年 東京日本橋三越において第1回茶の湯釜展。
昭和37年 大阪・好友クラブにおいて茶の湯釜展。
昭和38年 東京日本橋三越において第2回茶の湯釜展。
昭和39年 北九州市小倉区の浄土寺の梵鐘を制作。
昭和40年 東京日本橋三越において第3回茶の湯釜展。
昭和41年 岩手日報90周年記念行事として同社主催の茶の湯釜展を開催。この年、勲六等単光旭日章をうける。
昭和44年 東京日本橋三越において第4回茶の湯釜展。
昭和47年 東京日本橋三越において第5回茶の湯釜展。
昭和48年 盛岡市にて喜寿記念茶の湯釜展。
昭和49年 文化庁より記録選択重要無形文化財の技術者の指定をうける。
昭和50年 岩手日報社主催の重要無形文化財指定記念展を開催。盛岡市本誓寺の梵鐘を制作する。
昭和51年 11月15日、盛岡赤十字病院にて没。勲五等雙光旭日章をうける。

千葉県柏市にて、お着物、お茶道具、掛け軸、絵画、人間国宝田村耕一の陶板額「壷の図」をお売りいただきました。

千葉県柏市にて、お着物、お茶道具、掛け軸、絵画、人間国宝田村耕一の陶板額「壷の図」をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。生前お爺様が大事にされておりましたお着物やお道具、大事に次へと繋げられるよう、頑張らせていただきます。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。

六角堂では作家物の陶芸作品の買い取りを強化しております。作家の無いお品でも買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。陶芸作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。
六角堂の強化買取陶芸作家は以下となります。
青木龍山・浅倉五十吉・荒川豊蔵・安東五・池順鐸・石黒宗麿・伊勢崎淳・伊勢崎満・板谷波山・井上萬二・今泉今右衛門・今井政之・岩田久利・隠崎隆一・宇野宗甕・浦上善次・永楽善五郎・大樋長左衛門・大塩昭山・大塩玉泉・大塩昭山・大塩正人・大塩正義・大樋年朗・大淵武則・岡部嶺男・岡部靖彦・小川長楽・小川裕起夫・奥田木白・尾西楽斎・隠崎隆一・角谷一圭・各務満・加藤渓山・加藤光右衛門・加藤孝造・加藤卓男・金重陶陽・金子信彦・金重昇介・金重道明・金重素山・河井寛次郎・河合紀・河井武一・河合誓徳・河井透・河井久・河合紀・館林源右衛門・北大路魯山人・吉向十三軒・吉向翔平・吉向松月・木村盛和・清水六兵衛・金城次郎・楠部彌弌・久保木二朗・熊倉順吉・黒木国昭・鯉江良二・河野栄一・小山富士夫・近藤濶・近藤悠三・坂井岱山・酒井田柿右衛門・酒井田正・榊莫山・坂倉新兵衛・坂田泥華・三代徳田八十吉(正彦)・島岡達三・清水卯一・清水公照・清水潤・清水甫・清水保孝・新開寛山・杉田祥平・鈴木藏・須田青華・諏訪蘇山・高橋楽斎・田村耕一・帖佐美行・沈寿官・辻常陸・徳田八十吉・戸畑茂四郎・富本憲吉・豊場惺也・中里太郎右衛門・中島宏・中村晋也・バーナード リーチ・長谷川翠光・濱田晋作・濱田庄司・浜田昇児・林正太郎・藤田喬平・藤本能道・藤原恭助・藤原啓・藤原敬介・藤原建・藤原雄・真葛香斎・松田正柏・松本勝哉・三浦竹軒・三浦竹泉・宮尾造(宮尾栄助)・三輪休雪・柳海剛・矢部篤郎・山田常山・山田光・山田正和・山本一洋・山本陶秀・横山尚人・吉田隆・吉田美統・吉田文之・由水常雄・柳海剛・加守田章二・加藤土師萌・加藤唐九郎・加藤壽明・楽吉左衛門・館林源右衛門・岩田藤七・宮下善爾・畦元紀秀・高橋道八・坂高麗左衛門・三輪雪堂・守屋弘斎・小川二楽・仁阿弥道八・塚本快示・辻村史朗・藤原敬介・徳田八十吉・八木一夫・和太守卑良

田村耕一 (たむらこういち1916(大正7)~1987年(昭和62)
日本の陶芸家。1986年に鉄絵の技術で、栃木県では浜田庄司以来2人目の人間国宝に認定される。
1918年 栃木県佐野市富岡町に生まれる。
1941年 東京美術学校工芸科図案部卒業。私立南海商業学校デザイン教師就任。
1946年 京都の松風研究所に輸出陶器のデザイナーとして入所。富本憲吉から直接指導を受け生涯の師と仰ぐ。
1947年 新匠美術工芸会創立参加。
1948年 赤見焼きの創業に参画。栃木県芸術祭にて芸術賞受賞。浜田庄司に認められる。
1949年 佐野市久保町 倒焔式の薪窯を築く。
1950年 濱田庄司推薦 栃木県窯業指導所技官。
1953年 独立し、佐野市久保町に四袋の登り窯を築く。
1956年 第5回現代日本陶芸展 朝日新聞社賞・松坂屋賞を受賞。
1957年 日本陶磁協会賞受賞。
1960年 第7回日本伝統工芸展で奨励賞受賞。
1961年 第16回新匠会展 富本賞受賞。
1962年 日本工芸会正会員。
1967年 トルコ イスタンブール国際陶芸展でグランプリ金賞受賞。東京芸術大学助教授就任。
1968年 日本工芸会常任理事就任。
1970年 栃木県文化功労賞受賞。
1972年 日本工芸会陶芸部会長就任。
1975年 日本陶磁協会賞金賞受賞。
1976年 日本陶磁協会賞金賞受賞。
1978年 佐野市市政功労者。
1979年 紺綬褒章を受賞。
1980年 日本工芸会副理事長就任。
1983年 紫綬褒章 受賞。
1986年 重要無形文化財保持者(鉄絵陶器)認定。東京芸術大学名誉教授推。佐野市名誉市民。
1987年 胆のう癌にて死去。勲三等瑞宝章受章。

神奈川県横浜市金沢区にて、伝統工芸士田澤謙介の加茂総桐箪笥(和たんす・整理箪笥)、久米島紬などのお着物をお売りいただきました。

神奈川県横浜市金沢区にて、伝統工芸士田澤謙介の加茂総桐箪笥(和たんす・整理箪笥)、久米島紬などのお着物をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。生前、お婆様が大事にされていたお着物などをお売りいただくことになり、併せて桐箪笥を買い受けさせていただきました。思い入れのあるお着物など、大事に次へと繋げていきます。買取の帰りに中華街へと寄り、同業者の仲間たちと合流し京華樓さんへとお邪魔しました。今日は横浜で中国のオークションが行われており、たくさんの同業者や中国の友人が横浜中華街にいらっしゃいました。京華樓さんでは、本格四川料理が出てくるとの事で、麻婆豆腐、酸辣湯などをいただきました。四川省にはたくさん友人がいて何度も遊びに行っておりますが、こちらのお店では現地の味がしてとても美味しかったです。もちろん激辛で、汗だくになってしまいました・・・

六角堂では、桐箪笥の買取りを強化しております。桐タンスには、和たんす(衣装たんす)、洋服たんす、整理たんす(昇りたんす)、小袖たんす、チェストなどがございますが、六角堂では全て買取対象となっております。また、新潟県の加茂桐たんす、埼玉県の春日部桐箪笥、愛知県の名古屋桐タンス、大阪府の泉州桐箪笥、和歌山県の紀州桐たんすなどのブランド桐タンスを強化買い取りしております。ブランド桐タンスに関しましては、高価買い受けさせていただきますので、お早めにご相談ください。他にも和家具、民芸家具をはじめ、デザイナーズ家具、各種ブランド家具まで、幅広く買い取りしておりますので、ご売却をお考えの際には、六角堂をご指名ください。

久米島紬(くめじまつむぎ)
久米島紬の起こりは、15世紀の後半に堂の比屋と呼ばれる非凡な人物がいて、中国から養蚕産業を学びこれを広めたことから始まったと言い伝えられています。日本の紬絣技法は久米島を起点に発達し、沖縄本島、奄美大島を経て本土へと伝えられました。大島紬、久留米絣、結城紬などのもととなり、日本全国に伝播されていったのが、久米島紬が紬の発祥の地とも言われる所以です。いわば久米島は日本の紬の里なのです。
久米島紬は、蚕から取った真綿でつむいだ糸を原料糸として、天然の草木、泥染めによって染色します。織りは、手投杼を用いて丹念に手織りで織り上げます。これらのすべては伝統を踏襲し、一貫した手作業を一人の織子が行うところにあります。
したがって、久米島紬にはつくる人の想い入れが込められ、紬糸のもつしなやかな風合いが着る人の着心地を満足させ、さらに気品をかもし出します。
久米島紬は、昭和50年に伝統工芸品として通産産業大臣の指定を受け、昭和52年には県の無形文化財として指定され、さらに平成16年には国の重要文化財として指定されております。