月別アーカイブ: 2016年12月

東京都文京区向丘にて、千家十職釜師大西清右衛門の銚子、指物師駒沢利斎の四方盆などの茶道具、和たんすなどをお売りいただきました。

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東京都文京区向丘にて、千家十職釜師大西清右衛門の銚子、指物師駒沢利斎の四方盆などの茶道具、和たんすなどをお譲りいただきました。

六角堂では、お茶道具に関して古いものから新しいものまで、人間国宝や作家物からお稽古用まで幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。
お茶道具の強化買取作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸家 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎、清風与平
金工師 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸家 一后一兆、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、渡辺喜三郎

大西 清右衛門(おおにし せいえもん) 釜師:釜、鉄瓶など
・初代:浄林(1590~1663)当時の草庵風の京作とは異なる書院風の独自の作風を確立
・二代:浄清(1594~1682)比較的浅い砂気のある独特の地肌を打ちつくり、ざんぐりとした釜が多い
・三代:浄玄(1630~1684)釜肌の研究をつみ、文字などを鋳込み枯淡味のある釜を作る
・四代:浄頓(1645~1700)書院風の広間向きのものが多く、「きれいさび」の浄林・浄清の作風を受け継ぐ
・五代:浄入(1647~1716)形は京作風のものが多く、砂気のある地肌で書院風の「きれいさび」の釜が多い
・六代:浄元(1689~1762)浄元の代より千家出入りの釜師となり、侘び茶風の大西釜の作風を展開
・七代:浄玄(1720~1783)大西家中興の祖。作風は入念で、よく整った美しい気品のある釜が多い
・八代:浄本(1747~1785)草庵向きの茶気のある釜を作る
・九代:浄元(1749~1811)作風は精作で上品な典雅なものが多くつまみや座に至るまで吟味されている
・十代:浄雪(1777~1852)草庵好み、侘び茶向きの釜の製作に努力を傾ける
・十一代:浄寿(1808~1875)作風は大胆で力強く、かつ典雅な趣深い作品が多い
・十二代:浄典(1841~1869)作品は少ないが、海老鎧付の釜などおとなしい繊細な作風
・十三代:浄長(1866~1943)山本春挙や橋本関雪の下絵を釜に鋳込み新しい京釜の展開を試みる
・十四代:浄中(1888~1960)独自の地肌を作り始め、即中斎宗匠の字や絵を鋳込んだ華やかな釜が多い
・十五代:浄心(1924~2002)東山魁夷下絵の釜などを作る
・十六代:清右衛門(1961~)平成二年十六代襲名

大西清右衛門(おおにし せいえもん)は、千家十職の釜師。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。四代目当主が清右衛門をなのり、六代目以降九代目をのぞき、代々の当主は清右衛門という名を継いだ。京都市中京区の三条釜座(かまんざ)に工房があり、「大西清右衛門美術館」も併設されている。現在は十六代清右衛門が当主。十五代の長男として京都に生まれ、大阪芸術大学美術学部彫金科卒業。父が隠居の後、1993年に十六代清右衛門を襲名した。

駒沢 利斎(こまざわ りさい) 指物師:茶箱、棚物など
・初代:宗源(1673~81)初代宗源は通称を理右衛門といいます。延宝年間指物を家業として自立。
・二代:宗慶(1628~1693)通称は理右衛門。
・三代:長慶(?~1686)通称は利兵衛、理右衛門。
・四代:駒沢利斎(1673~1746)三代長慶の婿養子。通称は理右衛門、名は利斎。
・五代:駒沢利斎(1707~1764)四代の子。通称は利右衛門、名は利斎。
・六代:駒沢利斎(1739~1803)通称は利右衛門、名は利斎。
・七代:駒沢利斎(1770~1855)六代婿養子。呼名を茂兵衛、通称を信邦、名を利斎
・八代:駒沢利斎(1796~1846)幼名は十次郎、名は理右衛門、利斎。
・九代:駒沢利斎(1819~1862)七代の子。幼名は十次郎、寿次郎。名は理右衛門、利斎。
・十代:駒沢利斎(1841~1866)八代の長男。幼名は重次郎。名は理右衛門、諡は利斎。
・十一:代駒沢利斎(1852~1902)岡本喜助の子として生まれ、十代駒沢利斎の婿養子となる。名は理右衛門、利斎。歴代の中で最も茶の湯に精通した人物といわれている。          ・十二代:駒沢利斎(1876~1896)十一代の長男。幼名は利三郎、諡は利斎。21歳で早世。
・十三代:駒沢利斎(1883~1952)十一代の次男。幼名は重次郎、名は利斎。
・十四代:駒沢利斎(1909~1977)十三代の妻。名は浪江、利斎。

初代・宗源が延宝年間に指物業を始めたのが最初とされる。千家に関わったのは2代・宗慶からで、千宗旦の注文により指物を製作したと言われる。しかし、積極的に千家に関わるのは4代・利斎からである。彼は表千家六世・覚々斎の知遇を得て千家出入りの茶方指物師として指名され、「利斎」の名を与えられた。これ以後、代々の駒沢家当主は「利斎」を名乗るようになる。       江戸時代後期に活躍した7代・利斎は指物だけではなく塗師としても一流の腕を持ち、8代黒田正玄や11代飛来一閑らと合作を作るなど意欲的に製作を行い、長寿にも恵まれ「駒沢家中興の祖」といわれる。その後は大成する前に早世する当主が相次ぐ。13代・利斎は70歳まで生きたものの、晩年に儲けた息子に先立たれると言う不幸にあう。13代の死後、妻であった浪江は娘・千代子を後継者とするべく家業の継承を決意、14代・利斎となるが、その千代子も1961年(昭和36年)に早世、14代も昭和52年に死去、以後現在に至るまで名跡は空席となっている。

東京都目黒区青葉台にて、茶道具、総桐箪笥、お着物、龍村平蔵製の袋帯。

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東京都目黒区青葉台にて、茶道具、総桐箪笥、お着物、龍村平蔵製の袋帯をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。有名作家のお品が多く、お客様にご満足いただける査定、買取りができました。お忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。
ご自宅でずっと眠っている着物、なかなか日の目をみない着物、をお持ちの方は着物買取に経験豊富な六角堂を利用されてみませんか?当社ではただいま龍村平蔵、久保田一竹、松井清々、百貫華峰、羽田登喜男、由水十久、志村ふくみ、北村武資などの有名作家物や本場大島紬、本場結城紬、加賀友禅、西陣織首里織、琉球絣、越後上布、小千谷紬、琉球紅型、えぞ織、長井紬、牛首紬、伊那紬、天蚕紬、群上紬、大石紬、丹波布、出雲絣、久留米絣、綿さつま絣、八重山上布、宮古上布、芭蕉布、琉球紬、能登上布、読谷山花織、本場黄八、本場塩沢などの産地作品、高級着物の買い取りを強化しております!査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。
六角堂出張地域
東京都
世田谷区・港区・中央区・渋谷区・杉並区・目黒区・千代田区・大田区・品川区・新宿区・文京区・豊島区・中野区・練馬区・足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・葛飾区・北区・江東区・墨田区・台東区・武蔵野市・昭島市・小金井市・三鷹市・あきる野市・日野市・調布市・府中市・小平市・国分寺市・国立市・武蔵村山市・清瀬市・東村山市・西東京市・福生市・青梅市・東大和市・羽村市・立川市・町田市・多摩市・稲城市・狛江市・八王子市・東久留米市
神奈川県
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千葉県
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埼玉県
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山梨県、栃木県、群馬県、茨城県、福島県、長野県、新潟県、静岡県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張致します。お気軽にご相談ください。

《 龍村平蔵 》 初代龍村平蔵は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)で構成される織物を、独特の陰影をたたえた立体の造形としてとらえ、新技法を次々と生み出しました。数々の特許を取得し、織物を芸術の域まで高めた先駆者として、近代染織史に大きな足跡を残しています。 以来、四代平蔵にいたるまで、きらびやかな錦の帯、法隆寺や正倉院に伝わる古代裂(ぎれ)の復元、祇園祭など各地の祭りの山鉾(やまぼこ)などにかけられる懸装品などで、今なお染織分野の最高峰であり続けています。
1876年、大阪博労町に生まれる。
幼少の頃から茶道、華道、謡、仕舞、俳諧と文芸美術の豊かな環境の中で育った。
16歳で祖父が死去し、それをきっかけに府立大阪商業学校を中退し、家業の西陣にて呉服商の道へ進む。
当初は呉服販売に従事していたものの、徐々に織物の世界へと傾倒する。
その後、自ら機場に入るようになり、織物の研究・制作に没頭する。
18歳には独立し、商売も順調に拡大した。
1906年には龍村製織所を設立し、若手デザイナーを起用するために当時では異例の学校訪問で採用を働きかけた。
海外から持ち込まれたジャカード機により機械化の幕開けとなり、機械が主流になれば織の技術ではなく図案が良し悪しを左右すると感性に富んだ若手を多数採用する。
1919年に初の個展を開催する。
そこで芥川龍之介から絶賛を受け、龍村平蔵の名を不動のものとした。                                        1956年 日本芸術院恩賜賞を受賞
1958年 紫綬褒章を受章
1962年 逝去

東京都調布市にて、彫刻家一星刀「尊徳先生(二宮金次郎)」砂上御手習之像、玉峰銘古銅製の二宮金次郎像をお売りいただきました。

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東京都調布市にて、彫刻家一星刀「尊徳先生(二宮金次郎)」砂上御手習之像、玉峰銘古銅製の二宮金次郎像をお譲りいただきました。

年末の片付け処分にてお呼びいただきました。二宮金次郎さんがお好きだったようで、二宮金次郎に関する古書や置物などをお譲りいただきました。貴重なお品をお売りいただきありがとうございました。ブロンズ彫刻の査定・買取りは六角堂にお任せください。西洋美術品、現代美術品など幅広い作品をお取り扱いしており、できる限り市場に相場に沿った買取価格をご提示させていただきます。まずは一度ご相談くださいませ。現在の強化買取彫刻作家は、以下となります。
秋山信子(あきやま のぶこ)朝倉響子(あさくら きょうこ) 朝倉文夫(あさくら ふみお)市橋とし子(いちはし としこ) 圓鍔勝三(えんつば かつぞう)岡本太郎(おかもと たろう) 荻原碌山(守衛)(おぎわら ろくざん(もりえ)) 鹿児島寿蔵(かごしま じゅぞう)加納銕哉(かのう てっさい) 北村西望(きたむら せいぼう)木内克(きのうち よし)後藤貞行(ごとう さだゆき) 佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)佐藤朝山(さとう ちょうざん) 澤田政廣(さわだ せいこう)清水多嘉示(しみず たかし)高田博厚(たかた ひろあつ)高村光雲(たかむら こううん) 高村光太郎(たかむら こうたろう)富永直樹(とみなが なおき) 中原悌二郎(なかはら ていじろう)野口園生(のぐち そのお)林駒夫(はやし こまお)平櫛田中(ひらくし(ひらぐし) でんちゅう) 平田郷陽(ひらた ごうよう)平野富山(ひらの ふざん) 舟越桂(ふなこし かつら)舟越保武(ふなこし やすたけ)堀柳女(ほりりゅうじょ) 松本喜三郎(まつもと きさぶろう)宮本理三郎(みやもと りさぶろう) 安本亀八(やすもと かめはち)柳原義達(やなぎはら よしたつ) 籔内佐斗司(やぶうち さとし)

ブロンズを含む彫刻作品をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。他にも時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。

調布市出張地域は、入間町、上石原、菊野台、国領町、小島町、佐須町、柴崎、下石原、深大寺東町、仙川町、染地、多摩川、調布ケ丘、飛田給、西つつじケ丘、西町、野水、富士見町、布田、緑ケ丘、八雲台、若葉町

 

新座駅のトイザらスで・・・

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本日は午前中に近場で見積りのみのお仕事でしたので、久々の家族サービス。子供たちのクリスマスのプレゼントを探しに新座市の駅前スーパーにあるトイザらスへ行きました。一階に入るとなんと六角堂でも買取強化している平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」をつくられたことで有名な人気金工作家籔内佐斗司さんのブロンズ像「葡萄の童子」なるものが・・・なんとも迫力のあるオブジェとなっております!その後トイザらスへと行き、うちの次男は画像のニモの乗り物が気に入ったようではしゃぎながら寝てしまいました。仕事で忙しい中、子供たちの顔を見ると癒されます。今年も残りわずか、六角堂は休まず頑張ります!!籔内佐斗司さんの作品をご売却される際は、是非六角堂をご指名ください!!

籔内佐斗司 やぶうちさとし

1953年 生まれ。東京藝術大学および大学院において彫刻を学び、
1982~87年、同学保存技術研究室において仏像の古典技法研究と修復に携わる。
その経験を基に独自の彫刻技法をあみだし、彫刻家として日本人のこころの世界を
木彫作品やブロンズ作品として制作。2004年から、母校の大学院文化財保存学教授(彫刻)。
2009年、平城遷都1300年祭公式キャラクターせんとくんのデザインを機に、
仮面舞踏集団「平成伎楽団」を 結成し、彫刻家の枠を越えた多彩な表現活動を行っている。
2013年には籔内佐斗司展「やまとぢから」を全国5会場で巡回、
2014年には島根県立石見美術館で「籔内佐斗司展」を開催。

東京都武蔵野市吉祥寺南町にて、掛け軸や油彩画、茶道具、煎茶道具、山縣製藤編提手純銀製銀瓶をお売りいただきました。

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東京都武蔵野市吉祥寺南町にて、掛け軸や油彩画、茶道具、煎茶道具、山縣製藤編提手純銀製銀瓶をお譲りいただきました。

六角堂では、純銀・銀製品の茶道具(銀瓶・棗・急須・茶托・茶釜)を高価買い取り致します。
価値ある銀製茶道具、銀細工置物、銀食器などを潰し価格で処分するのは、非常に惜しいです。銀瓶などを潰し価格で買取る業者が多く見られますが、当社は潰しではなく商品としての適正価格にて高価買取致しますので、是非六角堂へご相談ください。霰打ち銀瓶、鳳凰口銀瓶、鉄砲口銀瓶、宝珠形銀瓶、南瓜形銀瓶、翡翠摘み銀瓶、鎚目銀瓶、秦蔵六、中川浄益、石黒光南、金谷五郎三郎、名越弥五郎、木村清雲、北村静香、尚美堂などの銀瓶は高価買い取りいたします!また、鉄瓶も強化買取中ですので、あわせてお問い合わせください。内容や量にもよりますが、銀瓶などの骨董品類の買取に関しては、全国出張します。もちろん出張料、査定料は無料で行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。
和家具・古美術・骨董品・茶道具・美術品・古道具・諸道具類のご処分をお考えのお客様は、お気軽に六角堂までご相談くださいませ。
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東京都世田谷区奥沢にて、アンティーク家具や数百年前のアンティークペルシャ天鵞絨毯をお売りいただきました。

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東京都世田谷区奥沢にて、アンティーク家具や数百年前のアンティークペルシャ天鵞絨毯をお譲りいただきました。

年末の不用品処分にてお呼びいただきました。代々お客様の家族に伝えられてきましたアンティークペルシャ絨毯をお売りいただくことになりました。こちらは西本願寺別荘の※三夜荘印がございます。当時の350年前の絨毯ですので、現在からは400年~500年近く経っているお品となります。貴重なお品をお売りいただき有難うございました。ご家族の思い出のお品、大事に次へと繋げていきます。

アンティーク絨毯の魅力は現在のペルシャ絨毯には見ることのない昔の珍しいデザインと色褪せることで生まれた味わい深い色合いです。糸がほつれることなく綺麗な状態であるのは、結びがしっかりとしている証でもあります。実用的に使うために織られたというよりは、芸術性を追い求めたデザイナーのこだわりが絨毯に込められているのです。ペルシャ絨毯は使っている絨毯の方が魅力を増していくといわれています。それは、本当に質のよい絨毯は使い込むほどに、光沢や柔軟さが増し、味わい深い色合いへと落ち着き、結び目がしっかりと詰まるためです。ペルシャ絨毯は使い込むことで、絨毯本来の魅力を感じることができます。仮に、見た目は綺麗な絨毯でも結びの弱い絨毯であれば、使うほどに絨毯は傷んでしまいます。糸の紡ぎ方、染色方法、織り職人の結びの技術力が、最終的に絨毯を実際に使うことで判断されるのです。そのため、ペルシャ絨毯の本場イランでは、使い込まれた絨毯でダメージのないものがアンティーク絨毯としての価値があります。アンティーク絨毯は高値で取引されることもありますし、デザインの希少性などから文化的財産としての価値などからも美術館などでも見ることができます。オークションに数億円の値がついて取引されるものもあるくらい、アンティーク絨毯の繊細さと美しさには高い骨董価値があります。日本で本格的にペルシャ絨毯が輸入されだしてまだ20 年余ですので、国内でのアンティーク市場はまだまだ確立されているとはいえませんが、近年ではやっとオールド絨毯が取引されるようになって来ました。

アンティーク家具の他、アンティークペルシャ絨毯、アンティーク品をご処分の際には、是非六角堂をご用命ください!

※「三夜荘」は、「木戸孝允」が命名し、「徳川慶喜」や「伊藤博文」ら多くの名士が滞在した由緒ある施設。「豊臣秀吉」が築いた「伏見城」の「観月台」があったといわれる「宇治川」沿いの高台に位置し、林に囲まれた風光明媚な地で、第21代門主の「大谷光尊」が1876年(明治9年)に木造平家の「旧館」を建築し、7つの部屋と茶室で来賓に接待が行われたようです。
1900年に建築された「新館」は、4つの部屋がある木造平家で、床下の鉄パイプに蒸気を通した「床暖房」を備えていたようです。
「シルクロード」の仏教遺跡を発掘調査した「大谷探検隊」の創設で知られる第22代門主「大谷光瑞」の時代には、庭園に全国の桜が数千本植えられ、桜の名所となり、学生に「仏教」や海外情勢を教える研究施設としても活用され、「シルクロード」の古代都市「楼蘭」の遺跡を発見した「スウェーデン」の探検家「スウェン・へディン」も宿泊したといいます。

東京都墨田区業平にて、岩谷堂の小箪笥、お着物、お茶道具、人間国宝 清水卯一 白釉茶碗をお売りいただきました。

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東京都墨田区業平にて、岩谷堂の小箪笥、お着物、お茶道具、人間国宝 清水卯一 白釉茶碗をお譲りいただきました。

解体屋さんのご紹介で処分整理にてお呼びいただきました。お茶道具がしまわれていた倉庫から、人間国宝 清水卯一 白釉茶碗を見つけていただき、精一杯の査定額にて買い受けました。人間国宝の作品や人気作家の作品はすぐに売りやすい為、高額にて買い受けすることが出来、お客様にも喜んでいただけます。六角堂では作家の無いお品でも買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。
六角堂の強化買取陶芸作家は以下となります。
青木龍山・浅倉五十吉・荒川豊蔵・安東五・池順鐸・石黒宗麿・伊勢崎淳・伊勢崎満・板谷波山・井上萬二・今泉今右衛門・今井政之・岩田久利・隠崎隆一・宇野宗甕・浦上善次・永楽善五郎・大樋長左衛門・大塩昭山・大塩玉泉・大塩昭山・大塩正人・大塩正義・大樋年朗・大淵武則・岡部嶺男・岡部靖彦・小川長楽・小川裕起夫・奥田木白・尾西楽斎・隠崎隆一・角谷一圭・各務満・加藤渓山・加藤光右衛門・加藤孝造・加藤卓男・金重陶陽・金子信彦・金重昇介・金重道明・金重素山・河井寛次郎・河合紀・河井武一・河合誓徳・河井透 河井久・河合紀・館林源右衛門・北大路魯山人・吉向十三軒・吉向翔平・吉向松月・木村盛和・清水六兵衛・金城次郎・楠部彌弌・久保木二朗・熊倉順吉・黒木国昭・鯉江良二・河野栄一・小山富士夫・近藤濶・近藤悠三・坂井岱山・酒井田柿右衛門・酒井田正・榊莫山・坂倉新兵衛・坂田泥華・三代徳田八十吉(正彦)・島岡達三・清水卯一・清水公照・清水潤・清水甫・清水保孝・新開寛山・杉田祥平・鈴木藏・須田青華・諏訪蘇山・高橋楽斎・田村耕一・帖佐美行・沈寿官・辻常陸・徳田八十吉・戸畑茂四郎・富本憲吉・豊場惺也・中里太郎右衛門・中島宏・中村晋也・バーナード リーチ・長谷川翠光・濱田晋作・濱田庄司・浜田昇児・林正太郎・藤田喬平・藤本能道・藤原恭助・藤原啓・藤原敬介・藤原建・藤原雄・真葛香斎・松田正柏・松本勝哉・三浦竹軒・三浦竹泉・宮尾造(宮尾栄助)・三輪休雪・柳海剛・矢部篤郎・山田常山・山田光・山田正和・山本一洋・山本陶秀・横山尚人・吉田隆・吉田美統・吉田文之・由水常雄・柳海剛・加守田章二・加藤土師萌・加藤唐九郎・加藤壽明・楽吉左衛門・館林源右衛門・岩田藤七・宮下善爾・畦元紀秀・高橋道八・坂高麗左衛門・三輪雪堂・守屋弘斎・小川二楽・仁阿弥道八・塚本快示・辻村史朗・藤原敬介・徳田八十吉・八木一夫・和太守卑良

清水卯一(しみずういち)大正15年(1926)3月5日〜平成16年(2004)2月18日 77才没。

清水卯一は京焼陶磁器卸問屋・清水卯之助の長男として京都市東山区に生まれました。
1940(昭和15)年に立命館商業学校を中退し、石黒宗麿に師事しました。
短期間でしたが、その精神性に深い感化を受け、中国宋磁の端正な古典美に開眼しました。
後に京都国立陶磁器試験場の伝習生を経て京都市立工業研究所窯業部に勤務しましたが、
1945(昭和20)年に京都五条坂に開窯して陶芸家としての頭角を現していきます。
1948(昭和23)年に四耕会、
1949(昭和24)年に緑陶会を結成しました。
1950(昭和25)年、京都市美術展で市長賞を受賞しました。
京都陶芸家クラブ新作陶展で最優秀賞を受賞しました。
1951(昭和26)年、京都府工芸美術展で最優秀賞を受賞しました。
1953(昭和28)年、現代工芸連合展で奨励賞を受賞しました。
1954(昭和29)年、京都陶芸家クラブ展でクラブ賞を受賞しました。
1955(昭和30)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
昭和30年代は柿釉と油滴作品を中心に作陶しました。
1958(昭和33)年、日本工芸会正会員となりました。
日本伝統工芸展で奨励賞を受賞しました。
1959(昭和34)年、ブラッセル万国博覧会でグランプリを受賞しました。
1960(昭和35)年に日本伝統工芸展で日本工芸会総裁賞を受賞しました。
1961(昭和36)年、柿天目壷が皇居吹上御殿用に買い上げられました。
1962(昭和37)年、プラハ国際陶芸展で金賞を受賞しました。
日本伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、日本伝統工芸展鑑査委員に就任しました。
ワシントン国際陶磁器展で銀賞を受賞しました。
1964(昭和39)年、日本工芸会理事に就任しました。
1967(昭和42)年、イスタンブール国際陶芸展でグランプリを受賞しました。
1969(昭和44)年、皇居新宮殿に柿釉壷を制作しました。
1970(昭和45)年、バロリス国際陶芸ビエンナーレ展で名誉参加賞を受賞しました。
滋賀県滋賀郡志賀町の蓬莱山麓に蓬莱窯を開窯して京都から移住しました。
蓬莱山麓の原料を用いた作品には青白磁「蓬莱磁」、天目釉「蓬莱燿」、黄色「黄蓬莱」等、
蓬莱に因んだ名称が付けられています。
1973(昭和48)年、日本伝統工芸展で二十周年記念特別賞を受賞しました。
1977(昭和52)年、日本陶磁協会賞金賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、重要無形文化財「鉄釉陶器」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1986(昭和61)年に英国皇太子御夫妻ご来日の際に京都市伝統産業会館にて特別実演を行い、
外務省の要請により蓬莱燿茶碗を献上しました。
紫綬褒章を受章しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会陶芸部会長に選出されました。
黒白の対比に加えて文字や線条を指で掻き落とした「鉄燿白流」等の作品を発表しました。
1988(昭和63)年、京都府文化功労賞を受賞しました。
1992(平成4)年、京都市文化功労者として表彰を受けました。
1995(平成7)年、紺綬褒章を受章しました。
1998(平成10)年、京都府文化賞特別功労賞を受賞しました。
勲四等旭日小綬章を受章しました。
中国・宋時代の鉄釉陶器を基盤に近代的感覚を加味した気品ある鮮麗な作行は、
枯淡な中にも大胆さが感じられるものとなっており、極めて高い評価を受けています。

山梨県中央市にて、伝統工芸士頓所芳男の加茂桐箪笥、振袖などのお着物。

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山梨県中央市にて、伝統工芸士頓所芳男の加茂桐箪笥、振袖などのお着物を買い受けしました。

本日は山梨県への遠方出張でしたので、六角堂ではお決まりの漫画喫茶へと前乗りさせていただきました。前日は雨でしたが、朝漫画喫茶を出ると青空が出ており気分爽快でお客様宅へと伺いました。到着後、早速見積もりさせていただき荷運びをしようとしたところ、階段から出せず急遽吊り作業へと変更の為ホームセンターへとロープを買いに行ってきました。その間に雨戸を外していただいたり、運びやすいように車の移動をしていただいたりとお陰様でスムーズに作業を終えることが出来ました。有難うございました。購入後20年経過している桐箪笥でしたが、大変保管状態もよく、お客様がとても大事にされていたのが分かる素晴らしい桐たんすでした。次に大切にしていただける方へと、大事に繋げさせていただきます。山梨県といえばほうとう。帰りにお客様のお勧めのお店「皆吉」へと向かわせていただきましたが、途中お客様よりお電話いただき定休日との事で残念!その後、笛吹市石和町にある赤富士という郷土料理店へと向かいました。アルプス?山々を眺めながら到着しました。赤富士は古民家風の店内はどこか懐かしさを感じ、ほっと出来る落ち着いた空間。早速わたしはきのこほうとう、N尾氏はかぼちゃほうとうを注文しました。やはり地元のほうとうはとても美味しいです。新鮮な野菜がたっぷりと入っており、とても満足しました。風邪気味のわたしでしたが、大変温まりました。次に近くにきた際には、是非「皆吉」へと寄ってみたいと思います。大変親切なお客様でしたので、とても良い出張が出来ました。有難うございました!

桐たんす、和たんすなどの和家具をはじめ、骨董品、お茶道具、掛け軸、絵画、お着物などがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。また骨董品・美術品のお見積もり・出張は、全国対応しております。ぜひご利用ください。

『伝統工芸士』は、経済産業大臣指定伝統的工芸品の製造に直接従事する者を対象に、財団法人伝統的工芸品産業振興協会が実施する伝統工芸士認定試験において、実技試験及び知識試験に合格した者をいい、経済産業大臣認定資格制度により『伝統工芸士』の称号が得られます。受験資格は、伝統的工芸品の製造に現在も直接従事し、12年以上の実務経験年数が必要になります。

『加茂桐箪笥伝統工芸士』(物故作家含む) 田澤謙介 石川鬼千 吉沢昭次 頓所芳男 皆川新司 東樹義明 番場堅介 中山昌二 坪谷哲男 三本和好 山本隆 鈴木浩市 水科政明 皆川繁之 横山松雄 番場堅 大橋勉 金井国男 鈴木進 神保良雄 石井克彦 高橋浩人 高橋聡 高橋研二 野本光男 藤田隆二 坂井昭兵 阿部健 斉藤敬二  江部雅之 大関正 堀正和 小柳幸太郎 小池茂次

東京都多摩市にて、森田美光作鋳銅鶺鴒の置物や桐箪笥・和家具などをお売りいただきました。

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東京都多摩市にて、森田美光作鋳銅鶺鴒の置物や桐たんす・和家具などをお売りいただきました。

六角堂では、金工作家の作品を探しております。現在買い取りを強化している金工作家は以下となります。
荒木東明 一宮長常 飴谷有珉 石黒光南 初代魚住為楽 内島青鳳 海野盛寿(凌雲斎) 海野勝珉 二代海野美盛 海野清 圓鍔勝三 大澤光民 大島如雲 大森雪峰英友 岡崎雪声 奥山峰石 香川勝広 鹿島一谷 鹿島秀広 桂盛仁 加藤忠三郎 香取秀真 香取正彦 門脇喜平 金森映井智 金谷五郎三郎 加納夏雄 鴨下春明 菊池政光 北村静香 黒川栄勝 黒瀬宗康 黒瀬宗世 高玉斎一久 後藤一乗 小林親光 駒井音次郎 齋藤明 佐々木象堂 澤田宗味 正阿弥勝義 須賀松園 須賀月真 関谷四郎 紹美栄祐 鈴木長翁 鈴木盛久 高村豊周 田口壽恒 玉川宣夫 帖佐美行 塚田秀鏡 豊田勝秋 内藤四郎 中川衛 中杉与三七 二橋美衡 根来実三 野上龍起 般若勘渓 羽原秋芳 本間琢斎 蓮田修吾郎 増田三男 丸谷瑞堂 三好三治 村田整珉 米光光正 和田美之助 山田宗美 角谷一圭 角谷沙村 角谷与斎 宮崎寒雉 吉羽與兵衛 高橋敬典 大西清右衛門 中川浄益 金森浄栄 一之瀬宗辰 秦蔵六 長野垤志 西村道仁 西村道也 金谷五郎三郎 金谷浄雲 門脇喜平 畠春斎 和田美之助 佐藤清光 菊池正直
お品を一点一点丁寧に拝見し、お話させていただきます。
その上でご納得いただけた場合のみお買取りさせていただきます。お気軽にご相談くださいませ。

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山梨県、栃木県、群馬県、茨城県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!

東京都豊島区雑司が谷にて、掛け軸、茶道具、千家十職十二代楽吉左衛門(弘入) の菊乃絵盃台、古い染付伊万里茶碗をお売りいただきました。

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東京都豊島区雑司が谷にて、掛け軸、茶道具、千家十職十二代楽吉左衛門(弘入) の菊乃絵盃台、古い染付伊万里茶碗をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お着物やお茶道具など、生前お婆様が大事にされておりましたお道具を多数お譲りいただきました。大事に次へと繋げさせていただきます。

盃台とは客に酒を勧めるとき、盃を載せる器で、懐石道具の一種として知られる。本来は木製で漆塗り、引盃と呼ばれる塗りの盃を重ねて使われておりましたが、陶磁器の発達にともない、やきものの盃台が現れるようになりました。樂吉左衛門は千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(茶碗師)です。当時はまだ、長次郎が造った茶碗に「樂茶碗」という名称はなく、「今焼茶碗」と呼ばれていました。「樂」という名称の始まりは、長次郎が秀吉より聚楽第の一字にも含まれる「樂」字を拝領した事によると伝えられます。轆轤を用いない手捏ねによって成形され、内窯と呼ばれる家屋内の小規模な窯で焼成されます。表玄関の暖簾「樂焼 御ちやわん屋」は本阿弥光悦の筆と伝えられており、歴代当主が襲名の際に樂家に残されている字型を基に新調します。茶室、窯場を含む家屋全体は国の登録文化財に指定されています。
樂焼のルーツは中国・明時代の「華南三彩(素三彩)」である事が判明しています。
「一樂、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶の分野において最高の評価を受けています。

六角堂では、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。
お茶道具の強化買取作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸家 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎、清風与平
金工 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸 一后一兆、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、渡辺喜三郎

12代 樂吉左衛門(弘入) 1857(安政4)年~1932(昭和7)年
12代樂吉左衛門は11代樂吉左衛門(慶入)の長男として京都に生まれました。
名を小三郎(後に惣治郎・吉左衛門)、諱を喜長、号を翫土軒・雪馬・弘入といいます。
1871(明治4)年、12代樂吉左衛門を襲名しました。
1890(明治23)年、長次郎三百回忌に赤樂茶碗を300碗制作しました。
この時に使用した印は表千家11代碌々斎宗左の筆による「草樂印」です。
1919(大正8)年、惺入に家督を譲って滋賀県石山の別邸に隠居しました。
苦難の茶道衰退期を慶入と共に乗り越えて家業維持に貢献しました。
作風は温和な性格を反映した物が多く、鋭い箆削りは豪放で黒樂の幕釉を得意とします。