カテゴリー別アーカイブ: 仏像

神奈川県小田原市より、平野千里の福寿七福神の宅配買取。

神奈川県小田原市より、平野千里の福寿七福神の宅配買取させていただきました。

平野千里の七福神をご売却されたいとお問い合わせいただき、宅配にて買取させていただきました。当社から少々距離があり、お品も一点のみでしたので、郵送していただき買取させていただきました。お売りいただいたお品は、彫刻家 平野千里の福寿七福神。平野千里は日本近代木彫界の巨匠「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」の彩色を担当していた彩色木彫の第一人者・「平野富山(ひらのふざん)」の次男として生まれました。20 歳でイタリアへ留学し、西洋彫刻の技術を学んだ後、帰国。帰国後は父、平野富山に極彩色の教えを受け、日本の伝統技術である極彩色技術を今に伝える唯一の彫刻家であります。お売りいただいた「福寿七福神」は小振りの作品ではあるものの、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、いずれも平野千里の見事な極彩色が施された素晴らしい作品であります。シミの出てしまっている七福神もございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので精一杯の査定額で買い取らせていただきました。大切にされていた作品、当社で責任持って次へと橋渡しさせていただきます。お問い合わせ時からお取引終了までお付き合い下さり、誠に有難うございました。

平野千里(ひらのせんり)
1948年 東京で彩色木彫の第一人者である父・平野富山の次男に生まれる
1966年 都立小石川高等学校卒業。ローマ・アカデミア美術学校彫刻科入学。ペリクレ・ファツィーニに師事する。
1972年 ローマ・アカデミア美術学校彫刻科卒業。
1988年 日本へ帰国し、父・富山に師事。
1989年 父・平野富山逝去。第21回日展初入選。
1990年 第20回日彫展入選。第22回日展入選。第86回大平洋展で大平洋美術会賞受賞。
1991年 大平洋美術会会友となる。第21回日彫展奨励賞受賞。第23回日展入選。
1992年 第22回日彫展奨励賞受賞。
1993年 第23回日彫展日彫賞受賞。大平洋美術会会員となる。
1996年 日彫会を退会し、彩色木彫に専念する。
1998年 平野富山、千里親子展開催。第94回大平洋展にて、文部大臣奨励賞と会員秀作賞受賞。
2001年 写真家西宮正明氏による写真集「極彩」出版。以後、全国百貨店にて毎年、個展を開催。

静岡県浜松市にて田中主水の福禄寿、門井俊夫の大黒天、仏像など。

静岡県浜松市にて田中主水の福禄寿、門井俊夫の大黒天、仏像などをお売りいただきました。

旧家解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。木彫りの仏像や置物を多数ご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、田中主水の福禄寿、門井俊夫の大黒天、木彫りの仏像や置物など多数。車内一杯お売りいただきました。田中主水は江戸時代後期の大阪の仏師であり、住吉大社の大工の棟梁でもあります。お売りいただいた作品は極彩色の木彫り福禄寿。細部にまで精密に彫刻、彩色されており、大変素晴らしい田中主水作品であります。門井俊夫は周防大島の宮大工の家系に生まれ、彫刻界の巨匠平櫛田中(ひらくしでんちゅう)に師事します。その後彫刻家、仏師として仏像や木彫りなど数々の作品を残されました。お売りいただいた作品は、木彫りの大古久天(大黒天)。残念ながらお顔や台座にひび割れがございましたが、大振りの作品で大変造りの良い大黒様でした。他にも不動明王、観音菩薩、千手観音像などたくさんの仏像をお売りいただきました。遠方の出張買取でしたが、お客様にお喜びいただけて良かったです。お売りいただきました作品の数々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
帰宅時に新東名の浜松SAで静岡おでんを食べました。京都へ出張する際にはいつも寄らせていただいてます。味噌、けずり粉、青のりを振り掛けて食べる静岡おでんはとても美味しいです。

門井俊夫(かどいとしお) 1917~1986年
社寺彫刻を生業としていた門井鳳雲の長男として周防大島町(旧東和町)に生まれる。少年期に光市上島田に移り住む。木彫界の巨匠平櫛田中に師事し、日展入選21回を数え、同会友となる。日本彫刻会無鑑査会員でもあり、日彫賞を4回受賞する。「弘法大師像」(室積象鼻ヶ岬)、文化センター外壁レリーフなどがある。紺綬褒章受章。

東京都豊島区にて先崎栄伸の大日如来像、晝間弘の弘法大師、木彫の仏像。

東京都豊島区要町にて先崎栄伸のブロンズ彫刻「大日如来」、晝間弘のブロンズ彫刻「弘法大師」、木彫の仏像、仏画などの掛け軸をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。仏像や掛け軸などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は先崎栄伸のブロンズ彫刻「大日如来像」、晝間弘のブロンズ彫刻「弘法大師」、木彫の仏像、仏画などの掛け軸など。先崎栄伸は弱冠18歳にして帝展入選という歴史的大記録を打ち立てました。その後、文展、日展、正統木彫家協会展など、数々の受賞歴を重ねていきます。寺社に納められているものも多く、總持寺(説法釈迦)や大圓寺(聖観音、千手観音)を手掛けるなど、数々の作品が各地の寺院に存在します。お売りいただいたお品は、大日如来像のブロンズ彫刻。共箱などの付属品はございませんでしたが、六角堂の強化買取中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。晝間弘(昼間弘)は昭和に活躍した彫刻家。初期の頃は木彫を中心に制作活動を行っていましたが、塑像、ブロンズ像へと領域を広げていき、堅実な写実力で独自の造形力を追い求めました。北村西望に師事し、日展で受賞を重ねます。日展理事、常務理事に就任し、日展の重鎮として活躍しました。また、朝倉文夫・加藤顕清・本郷新らが中心となり結成された日本彫刻家連盟の後身である日本彫塑会の理事にも就任されております。お売りいただいたお品は弘法大師のブロンズ彫刻。高さ67センチの堂々たる造りの作品です。共箱あり、状態も良いです。他にも木彫りの観音菩薩や地蔵菩薩、大黒天、仏画などたくさんのお品をお売りいただきました。ご家族が大切にされていた仏像など、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。

先崎栄伸(せんざきえいしん)1917(大正6)-1986(昭和61)
1917年 福島県に生まれる。
1931年 阿井瑞岑に師事。
1935年 18歳の若さで帝展に初入選。
1954年 仏教美術協会の設立にも携わる。
1976年 文部大臣賞受賞。
1985年 第一回彫玄会展を主催。
1986年 逝去。

晝間弘(ひるまひろし)1916(大正5)-1984(昭和59)
1916年 東京都で生まれる。
1939年 東京美術学校彫刻科木彫部を卒業。
1947年 東邦彫塑院展で特選。
1952年 日展審査員となる。
1958年 日展会員となる。
1962年 日展評議員となる。
1964年 日展で文部大臣賞を受賞。
1970年 日本芸術院賞を受賞。
1972年 日本彫塑会理事となる。
1976年 筑波大学教授となる。
1977年 日展理事となる。
1980年 日展常務理事、日本芸術院会員となる。
1984年 逝去。

埼玉県ふじみ野市にて仏像、こけしなど、狭山市にて金重晃介の備前花器。

  

埼玉県ふじみ野市にて木彫りの千手観音や金属製、陶器製の仏像、こけしなど、狭山市にて桐箪笥や金重晃介の備前花器、反物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県ふじみ野市へ遺品整理でお呼びいただきました。仏像や木彫りなどをご処分されたいとお電話いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は木彫りの如来や菩薩像、陶製、金属製の仏像、こけしや木彫りの民芸品など。たくさんのお品をお売りいただきました。中でも木彫の千手観音像は彩色が施され、大変造りの良い仏像でございました。石製の地蔵菩薩など、本日積み残したお品を来年またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。ご主人様が生前大切にされていた仏像など、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。本日二件目は、業者様のご紹介で狭山市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、新潟県の伝統工芸品 加茂桐箪笥、金重晃介の花器、他陶器など。加茂桐箪笥は35年ほど前の桐たんすで所々に砥粉落ち、傷みがございましたが、買取強化しているお品ですので買い取らせていただきました。金重晃介は人間国宝である金重陶陽の三男。金重道明の弟であります。受け継がれてきた伝統を尊重しながらも、伝統の重みと技法にとらわれることなく、土の特性を生かした独自の備前焼を発表、抽象花器を得意とする作家であります。お売りいただいたお品もまた素晴らしい花器でございます。付属品もあり、保管状態も良かったのでお客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。他にも備前焼や九谷焼など、たくさんの陶器をお売りいただきました。搬出時に手伝っていただいたりお気遣いいただき有難うございました。

金重晃介(かねしげこうすけ)
1943年 金重陶陽の三男として、岡山県備前市伊部に生まれる。
1970年 東京藝術大学大学院彫刻科修了
1975年 陶芸作品を発表し始める
1982年 築窯
1988年 田部美術館「茶の湯の造形展」優秀賞 (1990年同賞受賞)
1994年 日本陶磁協会賞受賞
1999年 山陽新聞社賞受賞
2005年 岡山日日新聞社賞受賞
現代日本の陶芸(ボストン美術館)
2012年 岡山県重要無形文化財保持者 認定
2014年 岡山県文化賞

東京都足立区にてクメール美術古銅仏頭、村上華岳の木版画、茶葉末釉の水盤。

東京都足立区にてクメール美術カンボジアの古銅仏頭、村上華岳の木版画「観世音菩薩像」、茶葉末釉の水盤をお売りいただきました。

業者様にご紹介いただき、遺品整理でお呼びいただきました。仏像や絵画などをご処分されたいとご連絡頂き、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、クメール美術カンボジアの古銅仏頭、木彫りの仏像、村上華岳の木版画「観世音菩薩像」、茶葉末釉の水盤など。お父様がご趣味で集めていらっしゃったお品になります。クメール王朝とは9世紀から15世紀ごろまで現在のカンボジア王国からタイにまで及ぶ一帯にあった王朝国家です。お売りいただきましたお品は、クメール王朝期につくられた銅製の仏頭。古い仏像ですので所々に破損がございますが、当社で買取強化中の仏像ですのでお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。村上華岳は、大正から昭和期にかけて活躍された、日本を代表する画家のひとりであります。初期は写生風と洋風の交じり合った画風で、油彩画にも挑戦されました。独学で仏教美術・ルネサンス絵画・インド美術を学び、生涯のモチーフとなった山水や仏画を主題とした作品を多く描き、東西の様式を吸収。次第に神秘的要素から宗教的要素へと移行しました。お売りいただいたお品は、木版画の「観世音菩薩像」。タトウ箱に納められ、大変状態の良い作品でしたので、高額査定となりました。茶葉末釉(ちゃようまつゆう)は中国の陶磁器で、茶葉の粉末の色のように見えるため、その名が付いたといわれております。緑色と黄色が混ざった釉薬は蕎麦の実のようにも見えるため、日本では蕎麦釉(そばゆう)と呼ばれております。高台にカケがございましたが、人気の中国美術ですのでこちらも買い取らせていただきました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

村上華岳(むらかみかがく)明治21(1888)年7月3日~昭和14(1939)年11月11日
1888年 7月3日、大阪天満松ヶ枝町に生まれる。本姓武田、甲州武田氏の末裔。本名震一。
1895年 神戸市神戸尋常小学校に入学。叔母村上千鶴子の婚家、村上五郎兵衛方に寄居する。
1903年 京都市立美術工芸学校へ入学。
1904年 村上家を嗣ぐ。
1907年 京都市立美術工芸学校卒業。
1911年 京都市立絵画専門学校卒業。
1916年 京都市東山高台寺円徳院に住む。
1917年 洛北衣笠に転居。この頃仏画に筆を染め、静物、風景等を多く描く。
1918年 土田麦僊・小野竹喬らと、国画創作協会(国展)を結成する。
1923年 京都を去り、神戸に帰り、芦屋に隠棲。
1925年 タゴール翁と識する。「タゴール像」を素描す。国展第五回に「松巒雲煙」出品。
1926年 久邇宮家の献上画を制作。
1927年 神戸花隈の旧居に帰る。この頃より画壇を遠ざかる。
1934年 華岳作品の憧憬者が集り、各自その収蔵作品を持より東京永楽倶楽部に於て展列を行う。
1935年 帝国美術院第一部無鑑査となる。
1936年 京都美術倶楽部に於て、友人達が作品百余点を展示する。
1939年 11月11日、永眠。享年51才。

千葉県柏市にて帝室技芸員 香取秀真の金銅仏具、仏像、仏画。

千葉県柏市にて帝室技芸員 香取秀真の金銅仏具、仏像、仏画をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。仏像や仏具などを処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、江戸期の木彫り仏像六体、仏画掛軸、金工師 香取秀真の三具足、金銅供物器 二面、金銅飲食具 二対、金銅三具足。
香取秀真(かとりほつま)は学問としての金工史を確立し、日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章しました。古代鋳金の研究を進め、「日本金工史」「金工史談」「茶の湯釜」など優れた学術著作を残されております。正岡子規門下の歌人としても知られ、根岸短歌会に参加し、アララギ派の歌人として「秀真歌集」や「天之真榊」の歌集があります。東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授、芸術院会員。帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員を歴任。金工の人間国宝である香取正彦は長男であります。
三具足とは仏具の呼称の一つで、香炉・燭台・花立 各一つずつで一組となる仏具をいいます。供物器、三具足はいずれも底に「秀真」の印あり。飲食具に銘はありませんが、こちらも間違いなく香取秀真の作品であります。全てに共箱あり。経年のイタミや汚れはございますが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。

香取秀真(かとりほつま)1874~1954
本名、秀治郎。別号に六斎、梅花亭。
1874年 千葉県印旛郡船穂村に生まれる。
1891年 東京美術学校(現在の東京藝術大学)に首席で合格、鋳金科へ進む。鋳金家大島如雲に、東美校では岡崎雪声に学ぶ。
1896年 卒業。卒業制作は『上古婦人立像』。
1898年 「日本美術協会展」で「獅子置物」が褒状1等となる。
1900年 パリ万国博覧会で銀賞碑を受けるなど国際的に活躍。
1908年 同志と鋳金会を創立。
1914年 東京鋳金会を発展させた青壺会を津田信夫らと結成する。
1929年 国宝保存会委員
1933年 東京美術学校教授となり、学問として母校で「鋳金史」「彫金史」などを講義、多くの後進を育てた。
1934年 帝室技芸員となる。
1953年 功績を認められ文化勲章を叙勲される。文化功労者としても顕彰。
1954年 1月31日死去。80歳。

東京都品川区戸越にて古銅観音菩薩立像、博古堂の茶托、桐箪笥など。

東京都品川区戸越にて古銅観音菩薩立像、博古堂の茶托、桐たんすなどをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。仏像や桐たんすをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、古銅観音菩薩立像、博古堂の茶托、桐たんすなど。桐たんすは大正時代のもので、厚みある金具に飾り金具が見事な時代箪笥。状態の良い総桐たんすでございました。古銅観音菩薩立像は高さ70㎝と大振りの仏像。首周りにヒビがありありましたが、当社で買取を強化している仏像作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。
鎌倉彫の茶托は鎌倉彫の名門博古堂のもの。五客組、共箱無し。博古堂は明治33年(1900年)、鎌倉市にある鶴岡八幡宮鳥居脇に店舗を構える老舗。明治初頭に神仏分離から暴走した廃仏毀釈を背景に、仏像制作は止まり鎌倉仏師の多くは廃業に追いやられました。そのような中、博古堂の創始者である後藤斎宮・運久親子は大胆な方向転換を決め、仏師の確かな伝統技術を活かす漆芸工芸品へ注力し、現在の鎌倉彫への道を拓きます。万国博覧会への出品と、横須賀線の開通で増えた観光客で顧客の幅も広がり、鎌倉彫は広く知られるようになります。大正・昭和と新技法や新たな意匠も加えられ、伝統を保持しながら現代の生活にも映える鎌倉彫は昭和52年に通産省の伝統的工芸品指定産地の認定を受けました。博古堂は鎌倉彫を代表する名門になります。
ご家族が大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名いただき誠に有難うございました。

東京都武蔵野市にて岸田陸象の阿弥陀如来座像、木彫り仏像、桐たんす。

  

東京都武蔵野市にて岸田陸象の阿弥陀如来座像、仏像、桐箪笥をお売りいただきました。

解体業者様のご紹介で、お片付け整理でお呼びいただきました。仏像や桐たんすをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、岸田陸象の阿弥陀如来座像、木彫り仏像、桐箪笥など。桐たんすは明治期のもので、厚みある金具の時代箪笥。状態の良い総桐でございました。木彫りの仏像は江戸期の大黒天、観音菩薩像など。状態の悪いものもございましたが、全て買取させていただきました。仏像彫刻家岸田陸象(きしだりくぞう)の阿弥陀如来座像は、高さ65㎝と大振りのブロンズ像。共箱あり。こちらは当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。お喜びいただけて良かったです。お父様やお母様が大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名いただき誠に有難うございました。

岸田陸象(きしだりくぞう)1919年~2002年
1919年、長野県下水内郡旭村生まれ。本名は陸蔵といいます。1937年、中村實のもとで農民美術工芸の指導を受ける。20歳で入隊、7年間の軍隊生活を経て復員。1947年、長野県展に木彫作品が初入選。1949年、中村直人に師事。1953年に中村直人が渡仏のため、新海竹蔵に師事し第38回院展初入選。以後連続入選して1957年、日本美術院院友となる。1962年、院展彫刻部解散に伴い創造美術会に彫刻部を新設して同展に出品を続け「瞑想の曲」が東京都知事賞など受賞を重ねる。運営委員も務めるが退会。1976年、日本美術家連盟会員。1984年、コンクール連展で埼玉県知事賞。1985年、長野県立信濃美術館で個展。日本現代美術家連盟理事。木彫、ブロンズを並行して制作、仏像、裸婦、オブジェと幅広い。2002年、永眠。享年83歳。

東京都板橋区小豆沢にて木彫りや銅製の仏像、古銅葡萄彫細工花瓶、掛軸。

東京都板橋区小豆沢にて木彫りや銅製の仏像、古銅葡萄彫り細工の花瓶、掛け軸をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理、仏像のご処分でお呼びいただきました。お父様が骨董品をたくさん集めていらっしゃったようで、たくさんのお品がございました。お売りいただきましたのは、木彫りや銅製の仏像、古銅葡萄彫り細工の花瓶、掛け軸など。仏像は、古銅のものや木彫りのものなどで日本の仏像の他、チベットのものなどがございました。古銅葡萄細工花瓶は、昭和初期頃のもので、葡萄模様を盛上げ細工で造られております。桐箱に納められ、保管状態も良かったです。掛け軸は日本画、仏画、書など様々でした。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。お父様の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。
ただいま六角堂では、仏像の他、仏教美術、密教美術なども強化買取しております。
チベット仏、金銅仏、鍍金仏、銅仏像、古銅仏像、鋳銅仏像、石仏像、木彫仏像、珊瑚仏像、白磁仏像、香木仏像、乾漆仏像、象嵌仏像、インド密教仏、ガンダーラ石仏、アカンサス装飾、スコッタ ストッコ像(ストゥッコ像)、テラコッタ像、タンカ、マンダラ、仏画、中国仏画、チベット仏画、高麗仏画、朝鮮仏画、仏教彫刻、宝塔彫刻、仏舎利(ぶっしゃり)彫刻、舎利塔(しゃりとう)彫刻、多宝塔(たほうとう)彫刻、仏具、厨子、線香、香木、数珠、如意(にょい)、金剛杵(こんごうしょ)、釣鐘、香炉、宝珠、経典、経巻、経箱、石彫レリーフなどがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。仏教美術、密教美術に詳しい鑑定士が、見積もりにお伺いします。

東京都三鷹市下連雀にて木彫大黒天、古銅人物香炉、香木(伽羅)など。

 

東京都三鷹市下連雀にて時代木彫彩色大黒天像、古銅人物香炉、香木(伽羅)などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お父様が生前集めていらっしゃったという仏像、仏具、掛軸などの骨董品をご処分されたいとのことでお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、時代木彫大黒天像、古銅人物香炉、香木(伽羅)など。木彫りの時代大黒天像は黒漆に彩色の施されている時代ある仏像。明治期頃のものでしょうか、良い表情の大黒さんです。所々色剥げや傷みなどございましたが、買取強化中のお品ですので買取させていただきました。古銅製の香炉は和尚に童子、猫が寄り添う姿でとても造りの良い香炉となってます。表情が豊かで見ているととても癒される香炉となっております。猫もとても幸せそうなお顔をしていますね。あまり見かけない面白い香炉です。香木は伽羅で5g~10gのもの、合わせて57gございました。そのままの状態でもほんのりと香りが残っており、重みのある香木です。他にも仏像や仏画なども併せてお売りいただきました。どのお品も銘などはありませんでしたが、当社の買取強化商品になりますので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただくことが出来ました。処分しようか迷われていたお品にも査定が付き、お喜びいただきました。お父様の大切にされていたお品々、大事に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠にありがとうございました。
本日は一件のみの出張買取でしたので、帰宅後倉庫で一日仕分け作業をしました。夕飯は川越市にある「山田うどん食堂 下赤坂店」へ行きました。今日は麻辣ラーメンにカレーコロッケ。カレーコロッケは先日無料券をいただいたのでトッピングしました。外に出ると駐車場には夜桜がライトアップされており、とてもきれいでした。色々と大変な時期ではありますが、サクラは綺麗に咲いておりました。車の中から一人しばらく見入ってしまいました。