カテゴリー別アーカイブ: 茶道具・煎茶道具

埼玉県さいたま市北区にて橋本紹尚の茶掛け、羽尺の反物、お着物など。

   

埼玉県さいたま市北区にて、橋本紹尚(はしもとじょうしょう)の茶掛け「白珪尚可磨」、羽尺の反物、お着物などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、橋本紹尚(はしもと じょうしょう)の茶掛け「白珪尚可磨」、羽尺の反物、お着物、オーディオ、楽器など、多数お売りいただきました。掛け軸は前大徳 柳生芳徳禅寺 橋本紹尚の茶掛「白珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)」。「白珪尚可磨」とは中国最古の詩集・誌経(しきょう)の中の教え。白珪とは上が丸く、下が四角い完全無欠のきれいな玉のことで、これ以上磨きようがない玉をさらに磨きなさいという意味。さらに磨こうと努力をすることが大切という教えであります。反物は羽尺など。羽尺とは羽織尺の略称で、一枚の羽織をとりうる用尺のある織物の総称。一般に幅九寸五分(約36センチメートル)、長さ二丈七尺内外(約10.2メートル)を一反としてます。最近では、茶羽織や中羽織があり丈(たけ)が短いので、用尺は7~8メートルのものも一反としております。羽織向きの柄のものが多いです。お着物は少々古いお品で、シミの出てしまっているものなどもございましたが、全て買取らせていただきました。他にもオープンリールデッキやフルート、クラリネットなどもお売りいただきました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はまとめてのご売却、有難うございました。また、お茶をいただいたりお気遣いいただき、誠に有難うございました。
緊急事態宣言の期間中は、外食を控え、密を控えることとしました。出張買取のある日は倉庫へ戻り一人作業、出張のない日も倉庫で一人作業をしております。はじめは苦しかったマスクにも慣れ、手洗い、うがいも習慣となりました。皆様もご自身、大切な人を守るため、この危機を乗り越えていきましょう!

橋本紹尚(柳生紹尚)芳徳禅寺
昭和37年 花園大学卒業
昭和37年 大徳寺専門道場にて掛塔、小田雪窓老師(大徳寺第四八九世)に師事する
三玄院先代住職藤井誠堂老師より「顕道」「紹尚」を拝命
昭和40年 柳生芳徳寺に帰る
昭和47年 芳徳寺住職となる
平成08年 奈良市文化財に指定される。

芳徳禅寺 臨済宗(大徳寺派)
奈良県 神護山
寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。のちに柳生氏代々の菩提所ともなった。
平成四年本堂と柳生家墓所が奈良市文化財に指定され、それを機に始まった本堂解体修理も平成八年に完了し現在に至る。

世田谷区用賀にて、玉川堂茶托など煎茶道具、ロイ・フェアチャイルドのリトグラフ。

     

東京都世田谷区用賀にて、玉川堂の銅製托子(茶托)、高盛漆絵変わり木製茶托、煤籐編瓶座、皆川堂の南瓜型銅瓶(蓋無し)などの煎茶道具、ロイ・フェアチャイルドのリトグラフ「サスキア」などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、玉川堂の銅製托子(茶托)、高盛漆絵変わり茶托、煤籐編瓶座、皆川堂の南瓜型銅瓶(蓋無し)などの煎茶道具、ロイ・フェアチャイルドのリトグラフ「サスキア」など。玉川堂は新潟県燕市の金属加工業の中でも唯一、1枚の銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗。玉川堂の製品は当社でも買い取りを強化しております。木製の茶托は高盛漆の素晴らしい茶托です。皆川堂の南瓜型銅瓶は残念ながら蓋をなくされてしまったとのこと、造りの良い作品だけに残念です。煎茶道具の他、絵画、掛け軸なども併せてお売りいただきました。バレリーナを描いたリトグラフはロイ・フェアチャイルドの作品。サスキアというタイトルで、本人直筆のサインが入っております。若干シミやヤケがございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。査定額にお喜びいただけて良かったです。ご家族の思い出のお品だったとのこと、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をお呼びいただき、誠に有難うございました。
買い取り終了後に市場へ行き、帰りに山田うどんさんへ行きました。いつもはうどんですが、今日は麻辣ラーメン。やまだうどんはラーメンも美味しいです。カレーコロッケは先日無料券をいただいたのでトッピングしました。美味しかったです。

ロイ・フェアチャイルド(Roy Fairchild)
フェアチャイルドは、ペルシャ芸術の表面的描出の素晴らしさ、中でもオリエントの敷物やタペストリーに見られる複雑な紋様に大きな影響を受けました。イタリアのフレスコ壁画の崩れかかった石膏仕上げもまた表面的描出や色合いの妙を思いつかせた。これらの特徴を自らの作品の鮮やかな表面仕上げに取り入れ、アクリルや油性の上塗りの基礎に実際に石膏を用いた。形象美術では、エゴン・シーレやグスタフ・クリムトに大きな影響を受け、描線や装飾を参考にしているが、より新鮮で大胆な色合いやより積極的なアプローチといった現代的な特質も加味している。作品の表面仕上げは鮮やかかつ壮麗で、そのような仕上げを確かなものにするためにあらゆる媒体を調合して使用している。版画作家としては、スクリーン版画に己の最大の表現の場を見出しており、彼の正確な図案と濃いくすんだ色調がさらに押し進められている。
1953年 イギリスのサリーで生まれる。
幼い頃からアーティストになることが夢で、テクニカルスクールでアートの一般過程を学び、その後LONDON SCHOOL OF PRINTSで3年間グラフィックデザインを学ぶ。
卒業後はイラストレーターとして活躍し、この頃の経験が現在の彼の版画の確かな知識と技術の土台となっている。
1980年 アーティストへ転身することを決意する。
その後はニューヨークアートエキスポでの国際デビュー以降、アメリカ、ヨーロッパを中心に多くの個展を開催。
1993年 日本に初来日し、多くのファンの熱い支持を得ており、作品のコレクターも増えております。
現在はイギリスの田舎町にアトリエを構え、家族や友人に囲まれて暮らしております。
ここ数年の間、2次元の絵画から3次元の彫像やレリーフへ、さらに詩の世界へと拡がっている。

東京都西東京市にて吉向十三軒の茶碗、吉田華正の漆茶碗など茶道具、反物。

     

東京都西東京市にて八代吉向十三軒の干支寅暦手茶碗、吉田華正の沢瀉蒔絵漆茶碗(内梨地)などのお茶道具、反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、八代吉向十三軒(きっこうじゅうそうけん)の干支寅暦手茶碗、吉田華正(よしだかしょう)の沢瀉(おもだか)蒔絵漆茶碗(内梨地)などお茶道具一式、紬の反物など。八代吉向十三軒は裏千家御出入方陶器師としても活躍しており、茶道の世界と密接に関わっている重要な位置を占める陶芸家であります。出入方という、千家十職以外の職人として例外的に出入りが許される名誉ある地位でもあり、常に最高の茶道具を作られております。吉田華正は、伝統の技に豊かな感性で独自の漆芸の世界を展開、多くの茶人・数寄者の熱い支持を得ています。画像の茶碗の他、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、釜、茶掛など一式買い取らせていただきました。共箱のないものもございましたが、茶道具は当社で買い取りを強化しておりますので全て買い取らせていただきました。お母様の大切にされていたお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をお呼びいただき、有難うございました。
本日は市場の開催日。出張買取の後に市場の仲間達と合流し、大宮駅にある「博多劇場」さんで食事をしました。鉄鍋餃子がとても美味しかったです。仲間達で行く市場の後の食事は、とても楽しいです。

八代 吉向十三軒(きっこうじゅうそうけん)
1948年、吉向焼の本家である七代吉向十三軒の4男として生まれ、父の下で伝統技法を修得、1971年に八代吉向十三軒を襲名しました。現在十三軒窯は東大阪生駒山麓にて工房を持ち、主に茶陶中心に製作し裏千家からの信用も厚く鵬雲斎、座忘斎好みを製作されています。

吉田華正(よしだかしょう)
1940年 石川県小松市に蒔絵師の長男として生まれる。 本名 利昭
1982年 山中漆器蒔絵展県知事賞受賞
1990年 日本伝統工芸石川支部展入選、全国漆器展日本放送協会会長賞受賞、日本伝統工芸展入選
1991年 日本伝統工芸石川支部展入選
1993年 日本伝統工芸石川支部展 日本工芸会賞受賞
1994年 山中町文化財調査委員となる、日本伝統漆芸展入選、日本伝統工芸石川支部展入選
1995年 日本伝統漆芸展入選、全国漆器展 日本漆器協同組合連合理事長賞受賞、兼六茶会公募展入選
1996年 日本伝統漆芸展入選、日本伝統工芸石川支部展入選、兼六茶会公募展入選
1997年 日本伝統工芸石川支部展入選、兼六茶会公募展入選
1998年 新宿三越にて個展、日本伝統工芸石川支部展入選、兼六茶会公募展入選、通産大臣認定資格『 伝統工芸士 』に認定
1999年 新潟伊勢丹にて個展、福山そごうにて個展、兼六茶会公募展入選

東京都足立区にて高橋敬典の釜、掛軸、埼玉県川越市にて上野正晃のお着物や帯など。

 

東京都足立区綾瀬にて高橋敬典の釜、掛軸、埼玉県川越市にて上野正晃の訪問着、大島紬やしぼりの羽織などお着物や帯などお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都足立区綾瀬へ、お着物、掛け軸、人間国宝高橋敬典の雲龍釜、万年筆をお売りいただきました。リサイクル業者のお客様で、たくさんあるお品の中から買取できるお品を探して買取させていただきました。まだリサイクルを始めたばかりのお客様でしたので、お品を説明しながら買取させていただきました。今後の参考になればと思います。LINEを交換させていただきましたので、今後分からないことがあればすぐにご連絡ください。リサイクル以外にも色々なお話が出来て、とても楽しかったです。良い出会いをしました。お茶をいただきご馳走様でした。本日二件目は埼玉県川越市へ、お着物の出張買取でお呼びいただきました。足立区からの帰宅途中にご連絡いただき、ご近所でしたのですぐにお伺いすることが出来ました。骨董屋さんをされていたお客様で、共通の知人がたくさんおり驚きました。骨董屋さんをされていた時に買取されたというお着物がたくさんあり、一点一点丁寧に査定させていただきました。シミや汚れのあるお着物も多少ございましたが、全体的に状態も良くお客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。たくさんある中、作家物は一点のみでしたが、京友禅作家の上野正晃さんの訪問着もございました。他にもしぼりの羽織や大島紬、帯など、多数ございました。ご近所で同じ骨董品を商いとされていたお客様、素敵な出会いが出来ました。共通の知人の昔話などが出来、とても楽しかったです。今後もお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は二件とも新規の業者様、とても貴重な出会いが出来た一日でした。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
帰宅途中、川越市にある「麺屋芽ぶき」へ寄り、食事をしました。以前友人に連れてきてもらい、とても美味しかったので、再びの来店です。油そばが人気のお店ですが、わたしは大好きな麻婆麺をいただきました。辛過ぎず、丁度良い麻婆でした。次回は麻婆豆腐定食をいただきます。

高橋敬典(たかはしけいてん)1920(大正9)年~2009(平成21)年
大正九年 山形市に生まれる
昭和十三年 五月家業の鋳造業を継ぐ
昭和二十五年 重要無形文化財「茶の湯釜」保持者・長野垤志に師事
昭和二十六年 日展初入選 以来七回入選
昭和三十五年 日本花器茶器展・読売新聞社賞受賞
昭和三十六年 昭和天皇山形県行幸の際、献上の釜謹作
昭和三十八年 日本伝統工芸展・工芸会会長賞受賞
昭和四十年 中小企業展・通商産業大臣賞受賞
昭和四十六年 日本伝統工芸展・出品作品文化庁買上
昭和四十七年 日本伝統工芸新作展・日本工芸会賞受賞
昭和五十一年 日本伝統工芸展・NHK会長賞受賞
昭和五十二年 斎藤茂吉文化賞受賞
昭和五十三年 日本伝統工芸展・審鑑査委員十回歴任
昭和五十三年 日本伝統工芸展・特待出品
昭和五十四年 皇太子殿下山形県行啓の際、献上の釜謹作
平成三年 日本伝統工芸展・重要無形文化財保侍者選賞受賞
平成四年 勲四等端宝章受章
平成八年 重要無形文化財「茶の湯釜」保持者認定
平成八年 山形市名誉市民選定
平成九年 河北文化賞受賞
平成十年 文化庁買上
平成十一年 日本伝統工芸展作品文化庁買上
平成十二年 山形県郷土館開館五周年記念事業
やまがた人間国宝三人の会
平成二十一年 六月二十三日逝去

上野正晃(うえのまさあき)1941~
1941年 京都生まれ
1962年 京友禅師である父に師事
1964年 日本画家・浅野角亭氏に師事
1972年 京都府・職業訓練指導委員の免許取得
1975年 「上野染美工芸」設立
1988年 京都彩芸展 経済局長賞
1989年 京都彩芸展 京都府知事賞
1990年 京都彩芸展 経済局長賞、日本染織作家展 文部大臣賞
1993年 日本染織作家展 京都府知事賞
2001年 日本染織作家展 京都市長賞
2003年 京都彩芸展 経済産業省製造産業局長賞
2008年 日本染織作家展 京都市長賞
2009年 日本染織作家展 文部科学大臣賞
2018年 京都手描友禅作品展 京都府中小企業団体中央会長賞
(一社)日本染織作家協会・理事、京都彩芸美術恊同組合員、京都府伝統産業優秀技術者「友禅師」京の名工、経済産業大臣認定伝統工芸士

東京都文京区小石川にて真葛香斎、篠田弘明 の茶碗など茶道具、着物。

東京都文京区小石川にて真葛香斎 仁清写日の出鶴の絵茶碗(久田宗也(無適斎)書付箱)、篠田弘明 尼蓮禅河砂入茶碗(堀内家十二代 堀内宗完(兼中斎)書付箱)などの茶道具、着物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お母様が生前表千家茶道をされており、お茶道具やお着物など多数ございました。真葛香斎(まくずこうさい)の仁清写日の出鶴の絵茶碗は残念ながらニュウがありましたが共箱に久田宗也(無適斎)の書付があるお品でした。また篠田弘明の尼蓮禅河砂入茶碗には堀内家十二代 堀内宗完(兼中斎)の書付がございます。茶碗の他、水指や棗など茶道具一式、共箱のないお道具もございましたが、すべて買い受けさせていただきました。お着物もシミの出てしまっているものもございましたが、こちらも全て買取させていただきました。お母様の大切にされていたお道具やお着物、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
倉庫へ戻る途中、所沢市にある玉川さんで食事をしました。本日のランチセットは餅入りカレーうどんにサラダのセット。玉川さんのランチセットは美味しくて、とてもお得なセットです。

四代 宮川香斎(初代 真葛香斎)1897年-1987年
号「香斎」「永誉」「治平」
1897年 二代宮川香斎(みやがわこうさい)の次男として生まれる。本名:金吾
1909年 京都徒弟伝習所轆轤科に入所し、卒業後は家業に従事
1913年 4代宮川香斎を襲名
1915年 北大路魯山人が作陶の手ほどきを受けに陶房を訪れる
1929年 久田家11代無適斎宗也師事、本格的に茶道具制作に専念
1934年 久田家11代無適斎宗也に「真葛焼」の箱書を授かり「真葛香斎」を号した
1972年 婿養子・三喜重に家督を譲って隠居し、「治平」を号した

久田家11代 無適斎宗也(むてきさいそうや)1884年-1946年9月13日
無適斎宗也の父宗悦(玄乗斎)が1895年に40歳で夭逝したため、11代無適斎宗也は表千家に引き取られ一時中絶となる。無適斎宗也が1917年に表千家12代惺斎の援助を得て再興する。『無適斎日記』を残す。

篠田弘明(しのだひろあき)
京都市で生まれ、松本市で育つ。
学習院大学文学部哲学科卒業。
愛知県瀬戸窯業高校陶芸専攻科終了。
人間国宝 近藤悠三、篠田義一に師事する。
1988年 塩尻市東山に「悠山窯」を築き独立する。

堀内宗完(ほりのうちそうかん)1919-2015
大正8年1月20日生まれ。表千家流堀内家12代。兄11代幽峰斎が急逝したため、表千家13代即中斎に師事し、昭和28年宗完を襲名。長生庵主、不審庵理事をつとめる。平成9年宗完の名を兄の長男國彦氏(分明斎)にゆずり、自身は宗心を名のる。平成27年5月27日、96歳にて逝去されました。
京都出身。京都帝大卒。本名は吉彦。別号に長生庵、兼中斎。著作に「茶の湯聚話(しゅうわ)」「茶花」など。

東京都武蔵野市で、11代田原陶兵衛萩茶碗、福生市で民芸調和箪笥。

     

東京都武蔵野市にて、十一代田原陶兵衛の萩茶碗など茶道具一式、福生市で民芸調和箪笥三竿をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は解体業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでお売りいただいたお品は、お茶道具や市松人形など。茶道具は十一代田原陶兵衛の萩茶碗をはじめ、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、釜など一式買い取らせていただきました。共箱のないものも多数ございましたが、茶道具は当社で買い取りを強化しておりますので全て買い取らせていただきました。十一代 田原陶兵衛は十代陶兵衛の長男で、本名を忠太郎といいます。卓越した技術で1943年に技術保存窯に指定されるも、1956年に若くして亡くなり、以降、弟である十二代陶兵衛がその名跡を継ぎ、窯の火を守っていきました。本品は十二代田原陶兵衛の識箱、塗箱に納められております。紐は保管時に切れてしまったようです。鹿背(御本)がほんわかと出ており、素敵な萩茶碗となってます。お客様の大切にされていたお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。まとめてのご売却、誠に有難うございました。二件目は東京都福生市へ、遺品整理でお呼びいただきました。親戚が大切に使われていたという民芸調の箪笥、和箪笥、洋箪笥、整理箪笥の三竿。欅材の張地に中桐、黒塗り鉄金具の装飾素敵なたんすでした。近年タンスのリサイクルが厳しくなっておりますが、当社ではまだまだ買取可能となっております。ご親戚の大切にされていたタンス、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
帰宅途中、武蔵村山市にある「江川亭 武蔵村山店」で夕食をいただきました。のり麺にニャン玉ごはん、とっても美味しかったです。今日は私の誕生日、良い一日となりました。

田原陶兵衛系譜
初代 赤川助左衛門
二代 赤川三左衛門
三代 赤川忠兵衛
四代 赤川佐々エ門(佐兵衛、左々ヱ門)
五代 赤川忠兵衛(喜右衛門)
六代 赤川喜右衛門
七代 赤川忠兵衛
八代 赤川喜代蔵
九代 田原陶兵衛 – 幕末、喜代蔵の嫡男謙治が田原姓を名乗り田原陶兵衛を称する。
十代 田原高麗陶兵衛 1880年-1939年
十一代 田原高麗陶兵衛 1956年没 十代陶兵衛の長男。1943年技術保存窯指定。
十二代 田原陶兵衛 1925年-1991年十代の二男。1956年(昭和31年)12代田原陶兵衛を襲名。日本工芸会正会員。 1981年 山口県の無形文化財保持者に認定。
十三代 田原陶兵衛 1951年- 現当主。十二代の長男。中里重利に師事。1992年に父の死去により十三代を襲名する。

東京都国分寺市にて青柳翠峰の水指、茶道具、川島織物の袋帯、作家物の着物。

 

東京都国分寺市にて青柳翠峰の高取菱形水指(前大徳藤井誡堂書付)などお茶道具一式、川島織物の袋帯や作家物の着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しすることとなり、お茶道具やお着物を減らしたいとのことでご連絡いただきました。お売りいただいたお品は、青柳翠峰の高取菱形水指(前大徳藤井誡堂書付)などお茶道具一式、川島織物の袋帯や作家物の着物など。
青柳翠峰(あおやぎすいほう)は大正五年生まれ、上野焼の作家 であります。口が四方(菱形)で 底は丸形の高取水指。三層の釉薬が掛分けられており、綺麗な景色を作っています。共箱蓋裏に前大徳藤井誡堂の書付がございます。
川島織物は西陣でも龍村と双璧をなす名門。選び抜いた絹糸を用い、西陣最高峰の技術を駆使して製織される帯の数々は、その美しさに加え締め心地の良さにも評価が高く、多くの方から支持され続けています。
たくさんあるお品の中から今回ご処分されるお品を分けながら、一点一点査定させていただきました。買い取りを強化している作家作品があり、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。またお着物やお茶道具をご処分される際にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂をお呼びいただき、有難うございました。
倉庫へ戻る途中、所沢市にあるお蕎麦屋さん「玉川」で食事をしました。本日のランチセットは天丼とおうどんのセット。とても美味しくて、お得なセットでした。

藤井誡堂(ふじいかいどう)1898年(明治31)~1984年(昭和59)
大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職
戦後より大徳寺の復興に瑞巌、雲窓らと共に尽力を示す。
特に茶陶に深い造詣を持ち、京焼陶工を指導して、江戸時代の紫野焼復興に功績を残す。
自作の茶碗、茶杓、茶掛書も数多く製作、茶席では大徳寺歴代管長の中でも人気の高い一人。

東京都墨田区本所にて、孟臣「寒夜客来茶 堂酒」朱泥急須。

東京都墨田区本所にて、孟臣「寒夜客来茶 堂酒」朱泥急須をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。今回買取致しましたのは、中国茶を飲む際に使用される茶具の茶壷(茶壺)です。 茶壷は、日本でいうと急須の役割をするもので、実用と鑑賞の両方を楽しめる中国茶器として、中国だけでなく、日本でも人気が高いお品物です。孟臣とは、明朝時代から清朝時代にかけて、急須の基礎を発展させた現在でも名高い急須の作家です。蓋裏には「水平」、底部に「寒夜客来茶 堂酒 孟臣」とあります。寒夜客来茶 堂酒は、寒夜客来茶当酒とも言い、(冬の)寒い夜に客人が来たので、お茶を酒と見なして(もてなしをすることにした)の意。杜秉という南宋の人の言葉です。
近年中国の方々に朱泥急須などの煎茶道具は人気があり、価格が高騰しております。朱泥とは、鉄分の多い粘土を焼いてつくる赤褐色の無釉(むゆう)陶器。中国、明代に、煎茶の流行に伴って宜興窯(ぎこうよう)で創られました。宜興の紫砂土で作られた茶壷はお茶を美味しく淹れられると現在でも高い人気がございます。良い朱泥急須とは粒子が非常に細かく、鉄分を多く含み(これが赤くなる原因)逆にそれ以外の金属ミネラルはあまり含んでなく、これがお茶を美味しくするようです。急須はその形状から、後手・上手・横手と3種類に分類され、煎茶道では上手の急須の事は土瓶、取っ手のない急須は宝瓶と呼ばれます。
六角堂では、煎茶道具でしたら古いものから新しいもの、作家物から名前のないもの、日本のものから中国唐物のものまで全て買い受けます。煎茶道に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定し、高額査定にて買取させていただきます。ご不要の煎茶道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。
いつもお世話になっている着物の業者の方々が近くで集まっているとのことで、本日もまた湯島にある「四万十(しまんと)」さんで合流しました。ちゃんこ鍋で有名なお店ですが、今日は味噌鍋に一品料理をたくさんいただきました。大好物の白子ポン酢、生牡蠣や刺身などたくさんいただきました。大人数で食事をすると、色々なものが食べられるので嬉しいです。美味しい鍋で今日も一日温まりました!

東久留米市にて、翠嵐窯の建水、辻清明の茶碗、黄瀬戸茶入などの茶道具。

東京都東久留米市にて、油揚手時代黄瀬戸茶入、中村翠嵐窯の紫交趾唐草建水、辻清明の萩茶碗、木村清五郎の炭道具などの茶道具、北斎名画撰をお売りいただきました。

昨年お茶道具の整理でお呼びいただいたお客様に、再度お呼びいただきました。表千家茶道の師範をされていたお客様で、茶道具の在庫がたくさんございます。徐々にご処分されるとのことで、前回に続き本日も数点お売りいただきました。今回お売りいただいたお道具は、中村翠嵐窯の紫交趾唐草建水、辻清明の萩茶碗、木村清五郎の炭道具、油揚手時代黄瀬戸茶入、皆具や数茶碗など。時代黄瀬戸茶入は油揚手(あぶらげ手)のもので、大黒屋金襴の仕覆に納められております。こちらはお客様のお母様が大切にされていたお道具。口に直しがあるものの、良い茶入れに仕上がっております。北斎名画撰は葛飾北斎の名画を木版(縮刷版)をにしたもの。高見澤研究所発行、全49枚組。多少のシミはありましたが、全て揃っており比較的状態の良いものでした。こちらお客様が大切に保管していたお品でしたので、65000円の高額査定で買い取らせていただきました。本日も一点一点丁寧に査定させていただき、買取させていただきました。お客様、お客様のお母様が大切にされていたお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二度にわたり六角堂をご指名いただき有難うございました。
帰りに「丸源ラーメン東久留米店」へ寄り、食事をしました。いつもは肉そばを食べますが、今日は黒とんこつにドッカンねぎ。とても美味しくて、わたしもN尾氏も替玉いただきました!

中村翠嵐(なかむらすいらん)1942年(昭和17)~
交趾焼の第一人者として知られ、青、紫、黄、緑などの鮮やかな釉薬発色の交趾焼作品を得意としております。中村翠嵐の作品には、基本的な茶道具四器(水指、杓立、建水、蓋置)を一式そろえた皆具や茶碗、水指、蓋置、喰籠、香合、鉢、花入、茶器、火入、銘々皿など種類が豊富にございます。
1942年 京都で生まれでる。
1961年 京都市立日吉ケ丘高校美術課程陶芸家を卒業する。陶磁器上絵付業を営む父、初代翠嵐に師事する。
1974年 二代 翠嵐を襲名する。
1984年 第06回京都・清水焼展グランプリ受賞。第09回全国伝統的工芸展NHK会長賞受賞。
1987年 京都・清水焼伝統工芸士に認定される。
1993年 125年ぶりの海外展「現代の京焼・清水焼パリ展」に出品、同展実行委員長を務める。
2003年 京の名工 京都府伝統産業優秀技術者賞。
2010年 現代の名工(卓越した技能者)厚生労働大臣賞を授かる。
2014年 伝統工芸業務功労者として「瑞宝単光章」受章。
以後多数の個展・展示会を開催し活躍中。次代の娘も作陶中。

辻清明(つじせいめい)1927年(昭和2)~2008年(平成20)
富本憲吉や板谷波山と言った日本を代表する陶芸家に薫陶を受けると東京都多摩市に開窯。 「明る寂び」と呼ばれる美意識の表現を目指し信楽を中心に焼締を中心に作陶すると一躍大陶芸家へとのし上がる。 陶芸作品のほかにガラス工芸のコレクターとしても有名で、90年頃より自らもガラス製作を手掛けました。
1927年 東京都で生まれる。
1941年 姉・輝子と共に、辻陶器研究所を設立。日本現代工芸美術展で25回記念賞を受賞する。
1952年 新工人会を設立。
1952年 光風会展で工芸賞受賞。
1955年 現代生活工芸協会会となる夫人・協と共に多摩丘陵に辻陶器工房を設立。
1964年 日本陶磁協会賞受賞。
1968年 シドニー・ボナイスン画廊を皮切りに、以後世界中のギャラリーで個展を開催する。
1983年 日本陶磁協会金賞受賞。
1990年 藤原啓記念賞受賞。第33回日展審査員をつとめる。
2006年 東京都名誉都民に認定される。
2008年 肝臓がんのため逝去。
陶印は「清明」、「ツ」

 

さいたま市西区にて真葛香斎の花入、白鳳造の皆具、鈴谷茂翁の棗。

 

埼玉県さいたま市西区にて真葛焼宮川香斎の黄交趾鶴首花入、平安白鳳造の染付祥瑞皆具、鈴谷茂翁の双鶴蒔絵棗など、茶道具一式の出張買取。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県坂戸市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、お着物や雑貨、人形などをお売りいただきました。お着物は残念ながらシミなどが出てしまっているものが多くありましたが、お母様の思い出のお着物、全て買い受けさせていただきました。なるべくお荷物を減らしたいとのこと、他にも雑貨やお人形など当社でリサイクル出来るものを集めて、まとめてお売りいただきました。ご家族の大切な思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日二件目は、業者様のご紹介でさいたま市西区へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。本日お売りいただいたお品は、真葛焼宮川香斎の黄交趾鶴首花入、平安白鳳造の染付祥瑞皆具、鈴谷茂翁の双鶴蒔絵棗など、茶道具一式。京都東山の伝統的な焼物である真葛焼。この真葛焼を極めた人物こそが真葛香斎であります。京焼のもつ洗練された独特の焼物文化を引き継ぐ、美しくモダンなそのデザインは、外国の方々に人気があり、生産数は年々増えてきていると言われております。真葛香斎は代々受け継がれている家督となっており、現在では宮川香斎という号で当主が活躍を続けています。六角堂では京都真葛とよばれる宮川香斎(真葛香斎)、横浜真葛とよばれる分家筋・宮川香山の茶道具を強化買取中です。真葛香斎作品の他にも、たくさんの茶道具をお売りいただきました。箱のないものも多くございましたが、全て買い受けさせていただきました。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。
本日は市場の開催日。出張買取の後に市場へ行き、帰りにみんなで食事をしました。今日も市場で奢っていただけるとのこと、朝霞市にある大庄水産さんで贅沢させていただきました。刺身の盛り合わせ、生牡蠣、のどぐろの煮つけなど、とても美味しかったです。仲間達で行く市場の後の食事は、とても楽しいです。

宮川香斎(2代 真葛香斎) 1922(大正11)年生
5代宮川香斎(2代真葛香斎)は東京に生まれました。
旧姓を杉本三喜重、号を香斎・治平(隠居後)といいます。
1946(昭和21)年、4代宮川香斎(初代真葛香斎)の長女と結婚して宮川家に入籍しました。
1972(昭和47)年、5代宮川香斎(2代真葛香斎)を襲名しました。
表千家13代即中斎宗左より「真葛」の印を授かりました。
2002(平成14)年、養子・和男に家督を譲って隠居し、「治平」を名乗りました。
久田家11代無適斎宗也の逝去後は12代尋牛斎宗也に指導を仰いで茶陶を制作しました。
陶印は「香斎」 「真葛」「十水五石」ほか