カテゴリー別アーカイブ: 茶道具

東京都墨田区本所にて、孟臣「寒夜客来茶 堂酒」朱泥急須。

東京都墨田区本所にて、孟臣「寒夜客来茶 堂酒」朱泥急須をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。今回買取致しましたのは、中国茶を飲む際に使用される茶具の茶壷(茶壺)です。 茶壷は、日本でいうと急須の役割をするもので、実用と鑑賞の両方を楽しめる中国茶器として、中国だけでなく、日本でも人気が高いお品物です。孟臣とは、明朝時代から清朝時代にかけて、急須の基礎を発展させた現在でも名高い急須の作家です。蓋裏には「水平」、底部に「寒夜客来茶 堂酒 孟臣」とあります。寒夜客来茶 堂酒は、寒夜客来茶当酒とも言い、(冬の)寒い夜に客人が来たので、お茶を酒と見なして(もてなしをすることにした)の意。杜秉という南宋の人の言葉です。
近年中国の方々に朱泥急須などの煎茶道具は人気があり、価格が高騰しております。朱泥とは、鉄分の多い粘土を焼いてつくる赤褐色の無釉(むゆう)陶器。中国、明代に、煎茶の流行に伴って宜興窯(ぎこうよう)で創られました。宜興の紫砂土で作られた茶壷はお茶を美味しく淹れられると現在でも高い人気がございます。良い朱泥急須とは粒子が非常に細かく、鉄分を多く含み(これが赤くなる原因)逆にそれ以外の金属ミネラルはあまり含んでなく、これがお茶を美味しくするようです。急須はその形状から、後手・上手・横手と3種類に分類され、煎茶道では上手の急須の事は土瓶、取っ手のない急須は宝瓶と呼ばれます。
六角堂では、煎茶道具でしたら古いものから新しいもの、作家物から名前のないもの、日本のものから中国唐物のものまで全て買い受けます。煎茶道に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定し、高額査定にて買取させていただきます。ご不要の煎茶道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。
いつもお世話になっている着物の業者の方々が近くで集まっているとのことで、本日もまた湯島にある「四万十(しまんと)」さんで合流しました。ちゃんこ鍋で有名なお店ですが、今日は味噌鍋に一品料理をたくさんいただきました。大好物の白子ポン酢、生牡蠣や刺身などたくさんいただきました。大人数で食事をすると、色々なものが食べられるので嬉しいです。美味しい鍋で今日も一日温まりました!

東久留米市にて、翠嵐窯の建水、辻清明の茶碗、黄瀬戸茶入などの茶道具。

東京都東久留米市にて、油揚手時代黄瀬戸茶入、中村翠嵐窯の紫交趾唐草建水、辻清明の萩茶碗、木村清五郎の炭道具などの茶道具、北斎名画撰をお売りいただきました。

昨年お茶道具の整理でお呼びいただいたお客様に、再度お呼びいただきました。表千家茶道の師範をされていたお客様で、茶道具の在庫がたくさんございます。徐々にご処分されるとのことで、前回に続き本日も数点お売りいただきました。今回お売りいただいたお道具は、中村翠嵐窯の紫交趾唐草建水、辻清明の萩茶碗、木村清五郎の炭道具、油揚手時代黄瀬戸茶入、皆具や数茶碗など。時代黄瀬戸茶入は油揚手(あぶらげ手)のもので、大黒屋金襴の仕覆に納められております。こちらはお客様のお母様が大切にされていたお道具。口に直しがあるものの、良い茶入れに仕上がっております。北斎名画撰は葛飾北斎の名画を木版(縮刷版)をにしたもの。高見澤研究所発行、全49枚組。多少のシミはありましたが、全て揃っており比較的状態の良いものでした。こちらお客様が大切に保管していたお品でしたので、65000円の高額査定で買い取らせていただきました。本日も一点一点丁寧に査定させていただき、買取させていただきました。お客様、お客様のお母様が大切にされていたお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二度にわたり六角堂をご指名いただき有難うございました。
帰りに「丸源ラーメン東久留米店」へ寄り、食事をしました。いつもは肉そばを食べますが、今日は黒とんこつにドッカンねぎ。とても美味しくて、わたしもN尾氏も替玉いただきました!

中村翠嵐(なかむらすいらん)1942年(昭和17)~
交趾焼の第一人者として知られ、青、紫、黄、緑などの鮮やかな釉薬発色の交趾焼作品を得意としております。中村翠嵐の作品には、基本的な茶道具四器(水指、杓立、建水、蓋置)を一式そろえた皆具や茶碗、水指、蓋置、喰籠、香合、鉢、花入、茶器、火入、銘々皿など種類が豊富にございます。
1942年 京都で生まれでる。
1961年 京都市立日吉ケ丘高校美術課程陶芸家を卒業する。陶磁器上絵付業を営む父、初代翠嵐に師事する。
1974年 二代 翠嵐を襲名する。
1984年 第06回京都・清水焼展グランプリ受賞。第09回全国伝統的工芸展NHK会長賞受賞。
1987年 京都・清水焼伝統工芸士に認定される。
1993年 125年ぶりの海外展「現代の京焼・清水焼パリ展」に出品、同展実行委員長を務める。
2003年 京の名工 京都府伝統産業優秀技術者賞。
2010年 現代の名工(卓越した技能者)厚生労働大臣賞を授かる。
2014年 伝統工芸業務功労者として「瑞宝単光章」受章。
以後多数の個展・展示会を開催し活躍中。次代の娘も作陶中。

辻清明(つじせいめい)1927年(昭和2)~2008年(平成20)
富本憲吉や板谷波山と言った日本を代表する陶芸家に薫陶を受けると東京都多摩市に開窯。 「明る寂び」と呼ばれる美意識の表現を目指し信楽を中心に焼締を中心に作陶すると一躍大陶芸家へとのし上がる。 陶芸作品のほかにガラス工芸のコレクターとしても有名で、90年頃より自らもガラス製作を手掛けました。
1927年 東京都で生まれる。
1941年 姉・輝子と共に、辻陶器研究所を設立。日本現代工芸美術展で25回記念賞を受賞する。
1952年 新工人会を設立。
1952年 光風会展で工芸賞受賞。
1955年 現代生活工芸協会会となる夫人・協と共に多摩丘陵に辻陶器工房を設立。
1964年 日本陶磁協会賞受賞。
1968年 シドニー・ボナイスン画廊を皮切りに、以後世界中のギャラリーで個展を開催する。
1983年 日本陶磁協会金賞受賞。
1990年 藤原啓記念賞受賞。第33回日展審査員をつとめる。
2006年 東京都名誉都民に認定される。
2008年 肝臓がんのため逝去。
陶印は「清明」、「ツ」

 

さいたま市西区にて真葛香斎の花入、白鳳造の皆具、鈴谷茂翁の棗。

 

埼玉県さいたま市西区にて真葛焼宮川香斎の黄交趾鶴首花入、平安白鳳造の染付祥瑞皆具、鈴谷茂翁の双鶴蒔絵棗など、茶道具一式の出張買取。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県坂戸市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、お着物や雑貨、人形などをお売りいただきました。お着物は残念ながらシミなどが出てしまっているものが多くありましたが、お母様の思い出のお着物、全て買い受けさせていただきました。なるべくお荷物を減らしたいとのこと、他にも雑貨やお人形など当社でリサイクル出来るものを集めて、まとめてお売りいただきました。ご家族の大切な思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日二件目は、業者様のご紹介でさいたま市西区へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。本日お売りいただいたお品は、真葛焼宮川香斎の黄交趾鶴首花入、平安白鳳造の染付祥瑞皆具、鈴谷茂翁の双鶴蒔絵棗など、茶道具一式。京都東山の伝統的な焼物である真葛焼。この真葛焼を極めた人物こそが真葛香斎であります。京焼のもつ洗練された独特の焼物文化を引き継ぐ、美しくモダンなそのデザインは、外国の方々に人気があり、生産数は年々増えてきていると言われております。真葛香斎は代々受け継がれている家督となっており、現在では宮川香斎という号で当主が活躍を続けています。六角堂では京都真葛とよばれる宮川香斎(真葛香斎)、横浜真葛とよばれる分家筋・宮川香山の茶道具を強化買取中です。真葛香斎作品の他にも、たくさんの茶道具をお売りいただきました。箱のないものも多くございましたが、全て買い受けさせていただきました。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。
本日は市場の開催日。出張買取の後に市場へ行き、帰りにみんなで食事をしました。今日も市場で奢っていただけるとのこと、朝霞市にある大庄水産さんで贅沢させていただきました。刺身の盛り合わせ、生牡蠣、のどぐろの煮つけなど、とても美味しかったです。仲間達で行く市場の後の食事は、とても楽しいです。

宮川香斎(2代 真葛香斎) 1922(大正11)年生
5代宮川香斎(2代真葛香斎)は東京に生まれました。
旧姓を杉本三喜重、号を香斎・治平(隠居後)といいます。
1946(昭和21)年、4代宮川香斎(初代真葛香斎)の長女と結婚して宮川家に入籍しました。
1972(昭和47)年、5代宮川香斎(2代真葛香斎)を襲名しました。
表千家13代即中斎宗左より「真葛」の印を授かりました。
2002(平成14)年、養子・和男に家督を譲って隠居し、「治平」を名乗りました。
久田家11代無適斎宗也の逝去後は12代尋牛斎宗也に指導を仰いで茶陶を制作しました。
陶印は「香斎」 「真葛」「十水五石」ほか

埼玉県坂戸市にて、加藤重高、波多野善蔵の茶碗、茶道具一式、掛軸、絵画、甲冑。

   

埼玉県坂戸市にて、加藤重高、波多野善蔵の茶碗など茶道具一式、掛け軸、絵画、甲冑をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、茶道具一式、陶磁器、掛け軸、絵画、甲冑など。たくさんのお品をお売りいただきました。陶器は古備前や古信楽など。掛け軸は日本画や書のもの。二重箱に納められているものが多くございました。絵画は日本画、リトグラフなど。甲冑は飾られていたので痛みが多くございましたが、大変造りの良いものでした。茶道具は加藤重高の黄瀬戸茶碗、波多野善蔵の萩茶碗をはじめ、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿など一式買い取らせていただきました。加藤重高の黄瀬戸茶碗は仕覆付きで大切に保管されておりました。共箱のないものもございましたが、茶道具は当社で買い取りを強化しておりますので全て買い取らせていただきました。お客様の大切にされていたお道具達、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はまとめてお売りいただき有難うございました。
帰宅途中、関越道三芳PAにある「すし松」さんでお土産を買って帰りました。お店で食べるお寿司も美味しいですが、持ち帰って食べるお寿司も美味しいですね。

加藤重高(かとうしげたか)
愛知県出身の陶芸家。近代瀬戸焼の巨匠と呼ばれた加藤唐九郎の三男として生まれ、愛知県瀬戸窯業学校を卒業後、父に師事して作陶に従事します。伝統を重んじながらも、自由な精神で数々の作品を生み出した実力が認められ、多くの賞を受賞されました。たくさんの作品を生み出すことでも知られており、織部・志野・黄瀬戸・唐津など茶陶を中心に製作を行いました。
1927年 愛知県で生まれる
1945年 愛知県瀬戸窯業学校を卒業する
1966年 日展で特選・北斗賞を受賞する
1967年 日本陶磁協会賞を受賞する
1970年 日本現代工芸展で工芸賞を受賞する
1971年 公募展の出展を辞め、個展発表に切り替える
1998年 名古屋芸術家特賞を受賞する
2013年 逝去

波多野善蔵(はたのぜんぞう)
波多野善蔵は幼い頃に唐津焼の重要無形文化財保持者でもある陶芸家の中里無庵の工房に通っておりました。陶芸家を目指し、萩焼の陶芸家で文化功労者でもある吉賀大眉に師事し、芸術性よりも用の美を追及した茶陶に惹かれ伝統工芸を作る事となります。跡取りを探していた萩焼窯元である指月窯の養子となり、波多野栄三に師事しました。
1942年 佐賀県唐津市に生まれる
1972年 山口県美術展知事賞
1973年 日展入選(三回)
1974年 現代工芸展入選(三回) 九州・山口陶磁展第一位(二回) 山口県美術展文部大臣奨励賞
1977年 第二十四回日本伝統工芸展初入選
1981年 第二十八回日本伝統工芸展「日本工芸会奨励賞」受賞
1987年 山口県芸術文化振興奨励賞受賞
1992年 「日本の陶芸〈今)100選展」出品。山口県選奨を受ける
2002年 山口県指定無形文化財保持者
現在は山口県萩市にある波多野指月窯にて親子2代で萩焼の研究に励んでいます。

東京都台東区にて稲尾誠中斎の長板、手塚充の蓋置など茶道具一式。

東京都台東区谷中にて、稲尾誠中斎の長板、手塚充の蓋置など茶道具一式をお売りいただきました。

遺品整理にお呼びいただきました。お母様が茶道をされていたとのことで、三代稲尾誠中斎の松摺一双長板、手塚充の黒仁清青海文蓋置の他、茶碗、水指、釜、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿、茶棚など一式買い取らせていただきました。三代稲尾誠中斎は当社で買い取りを強化している京指物師。茶道具のみならず大徳寺本山、建仁寺本山など諸寺社の御用も賜わる実績ある指物師であります。建仁寺前々管長竹田益州老師より拝号された「誠中斎」の号を、京指物継承三十周年の節目にあたり建仁寺現管長小堀泰巌老師のご承諾を得て「誠中」と改められ、自然の木の優しさと美しさを活かせる作品をと、日々精進されております。手塚充は京都府出身の陶芸家。手塚玉堂の五男として生まれ、兄の手塚慧は2代・手塚玉堂を襲名し、他の兄である手塚央、手塚大示も陶芸家として活躍しています。陶芸一家で育った手塚充は父親に師事し、京焼作家として活躍するようになります。手掛ける作品には仁清写や安南写のものが多く、茶碗や水指などの茶道具を中心に制作を行っており、個展を中心に作品の発表を行っています。お母様の大切にされていたお道具達、大切に次へと橋渡しさせていただきます。まとめてお売りいただき有難うございました。六角堂では、裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりにお伺いし、査定させていただきます。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。お客様にご満足いただけるよう、頑張らせていただきます!
本日は京都でお世話になっている茶道具商の方が近くに来ているとのことで、湯島にある「四万十」さんで合流しました。以前着物市場の方々に連れて来ていただいたお店で、美味しかったので今回も寄らせていただきました。揚げ出しサンマ、まぐろの刺身、ちゃんこ雑炊、どれも美味しかったです。

3代目 稲尾誠中斎
昭和22(1947)~京都生まれの指物師。
昭和46年、家業を継ぎ各地で個展、大徳寺・建仁寺本山などから注文を受ける。
建仁寺小堀泰巌管長の承諾を得て誠中斎改め誠中となる。
広く茶道具を手がけ、大徳寺本山大徳寺別院浮御堂永源寺本山生田神社等の古材道具の御用も賜わっている。また、大徳寺塔中如意庵住職大亀老師や表千家の堀内宗匠、久田宗匠などのため茶杓や竹一重切花入、煙草盆、板風炉などを制作してます。

手塚充(てづかみつる)
1942年 手塚玉堂の五男として京都府で生まれる
1971年 独立して京都山科清水焼団地にて勧修寺窯を開窯する
1972年 陶朱会に入会する
1973年 東京高島屋雙葉会展に出品する
1974年 東京三越にて個展を開催する、東京三越青樹会展に出品する、バロリス国際展に出品する
1975年 以後、個展を中心に活動する
2001年 大徳寺管長高田明浦老師より 窯名・花蝶窯、陶名・石雲を拝命する
東京日本橋三越・横浜高島屋・大阪高島屋・名古屋三越・京都大丸・神戸そごう陶で毎年個展を開催する

東京都新宿区西新宿にて、金谷五郎三郎、志扛造などの煎茶道具。

東京都新宿区西新宿にて、金谷五郎三郎、志扛造などのお煎茶道具を一式お売りいただきました。 

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は銀瓶などの煎茶道具。煎茶道の先生をされていたお客様でしたので、たくさんの良いお道具がございました。画像の銀瓶は、名工金谷五郎三郎(かなやごろうさぶろう)造の精銀鎚目菊摘 宝珠式湯沸。火箸は金谷五郎三郎造南鐐椎頭火箸。托子(茶托)は志扛造の純錫剣木瓜波花翔鶴透し托子。茶入れは志扛造の純錫赤漆角(清風画)茶入、純錫赤漆六面式(詩歌紋)茶入紋。純錫赤漆角茶入の胴には五代清風与平(せいふうよへい)による画賛が描かれております。画像の他にも、煎茶碗、香合、茶合、茶入、茶心壷、鉄瓶、銀瓶、湯沸し、ボーフラ、湯さまし、水注、涼炉、火炉、炉台、火箸、宝瓶、急須、建水、瓶掛、瓶敷、罐座、瓶座、結界、硯屏、炉屏、茶箱、器局、提藍、茶櫃、茶籠、茶托、煎茶盆、烏府、炭斗、火斗、羽箒、炉扇、滓盂、洗瓶、巾筒など、たくさんのお道具をお売りいただきました。煎茶碗は平安春峰、清風与平、北村和善、三浦竹泉、三浦篤のものなどがございました。良いお道具を多数まとめてお売りいただき、有難うございました。また伊豆にある別荘にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。煎茶道具は近年中国からの人気があり、中古市場でも価格が高騰しております。六角堂では、煎茶道具でしたら古いものから新しいもの、作家物から名前のないもの、日本のものから中国唐物まで全て買い受けます。ご不要の煎茶道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。煎茶道具に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定し、高額査定にて買取させていただきます。

本日は横浜で中国オークションが行われていたようで、たくさんの骨董屋仲間が横浜に集まっておりました。新宿区の後、川崎市で一件見積りを終え、わたしも横浜で合流することとなりました。横浜で集まる時には、必ず中華街へ行くことにしております。今日は華福飯店さんへと行きました。こちらのお店は時間制限なしの食べ放題。話好きの古物商に時間制限なしは嬉しいです。お腹いっぱい中華料理をいただきました。美味しかったです。

金谷五良三郎(かなやごろうさぶろう)
寛永年間に京都で創業した金工の名家で、豊臣家の武人安藤氏の子であり初代が緋銅色、黄銅色の金属着色法を生み出し屋号を「金家」として始まりました。その後、3代では茶器や諸道具の制作を行うようになり、7代では工房を作り、制作を工業化させました。9代の時には「金家」から「金谷」に改め、現在までこの名前が受け継がれています。13代は金谷家の血筋ではなかったが、技術継承を重んじる金谷家にその技術力を買われ、13代を継承しました。その息子が14代、15代と継承しており、今に続いております。

清風与平(せいふうよへい)
江戸時代から続く京都の名門です。初代は青華(染付)、金襴手、乾山、青磁を得意とし、二代は着彩技法の名工と謳われました。三代は純東洋趣味的な作品、浮彫が得意で陶芸界初の帝室技芸員に選定されました。四代は父:三代に技法を、日本画の技法を田能村小斎に学び、代々の趣向を取り入れました。五代清風与平は独自の染付・極彩色 の世界を築き上げ、現在も多くの京焼作家の手本とされています。

東京都大田区南雪谷にて、吉向十三軒、大樋長左衛門、宮崎寒雉などの茶道具。

     

東京都大田区南雪谷にて、八代吉向十三軒、十代大樋長左衛門、十三代宮崎寒雉などの茶道具をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お母様が裏千家茶道をされていたようで、お茶道具を処分されたいとのことでご連絡いただきました。本日もたくさんのお道具をお売りいただきましたが、本日ご紹介するお品は茶道の道具で代々続いている名家吉向十三軒、大樋長左衛門、代宮崎寒雉のお品です。八代吉向十三軒のお品は、好日汲出湯呑茶碗、十代大樋長左衛門のお品は、大樋焼飴釉の雲鶴蓋置、十三代宮崎寒雉のお品は、雲鶴蓋置。十代大樋長左衛門と十三代宮崎寒雉の雲鶴蓋置は、セットで二重箱に納められております。金沢の陶工大樋長左衛門、釜師宮崎寒雉は共に江戸時代前期の茶人千宗室(4代)1622-1697に指導を受け、以来深い縁で結ばれております。他にもたくさんのお道具をお売りいただきました。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。
帰りに都内で骨董屋をされている先輩と合流し、蒲田駅にある「個室居酒屋ダイニング 旬菜」へ行きました。わたしは豚バラと水餃子の塩鍋をいただきました。やはり冬は鍋が温まっていいですね。○○堂のO先輩、ご馳走様でした!明日は一日お休みをいただき、倉庫の整理をしたいと思います。また、11日より京都府へ出張に行ってまいります。宜しくお願い致します。

八代 吉向十三軒(きっこうじゅうそうけん)
昭和23年、大阪生まれ。七代十三軒の四男。父に師事し、昭和46年八代十三軒を襲名。
裏千家(今日庵)御出入の職方として知られ、作家活動は個展のみとしている。

十代 大樋長左衛門(おおひちょうざえもん)(大樋年朗)
1927年 大桶窯九代長左衛門の長男に生まれる
1949年 東京美術学校工芸科卒業
1958年 日本陶磁協会賞受賞
1982年 第十四回日展文部大臣賞受賞
1987年 十代大桶長左衛門襲名
1999年 日本芸術院会員就任
2004年 日本陶磁協会特別記念功労賞受賞
2008年 日展顧問就任
2011年 文化勲章受章
2011年 石川県名誉県民顕彰
文化功労者
日本芸術院会員
日展常務理事
現代工芸美術家協会理事長
石川県美術文化協会理事長
石川県陶芸協会顧問
金沢卯辰山工芸工房工房長
ロチェスター工科大学名誉博士
金沢学院大学美術文化学部学部長・教授

十三代 宮崎寒雉(みやざきかんち)
大正4年。加賀藩主の御用釜師として寛文年間より続く家系に生まれる
石川県立工業学校卒業後、父・12代宮崎寒雉に師事。
昭和39年、13代寒雉を襲名
初代からの伝統ある寒雉釜の重厚さを受け継ぐ 当代は14代

さいたま市大宮区にて天猫作甑口釜(大西清右衛門識)、中川浄益の南鐐蓋置など。

埼玉県さいたま市大宮区にて、天猫作肩霰宝書地紋甑口釜(千家十職 十五代大西清右衛門識)、千家十職 中川浄益(11代)の純銀製一葉蓋置などのお茶道具、お着物をお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。お母様が生前裏千家茶道をされており、残されたお道具を処分されたいとのことでお呼びいただきました。本日お売りいただいた茶道具は、千家十職である中川浄益(11代)や 大西清右衛門の識箱に入っている釜など良いお道具が多くございました。十五代大西清右衛門(浄心)の識箱の収められている釜は天猫作肩霰宝書地紋甑口釜。天猫(てんねこ)作は江戸時代初期から後期にかけての釜で底を直して茶の湯に使用できるようにした釜です。本来の天明釜より後の時代です。
千家十職とは茶道の三大流派の表千家、裏千家、武者小路千家の三千家好みの茶道具の制作を行っている金物師(中川浄益家)表具師(奥村吉兵衛家)や茶碗師(楽吉左衛門家)塗師(中村宗哲家)釜師(大西清右衛門家)土風炉・焼物師(永楽善五郎家)一閑張細工師(飛来一閑家)指物師(駒澤利斎家)竹細工・柄杓師(黒田正玄家)袋師(土田友湖家)の十の職業、十の家のことを言います。六角堂では千家十職のお道具を強化買取しております。ご不用のお道具がございましたら、是非六角堂をご指名ください。茶道具に詳しいスタッフが査定し、高価買取させていただきます。
良いお道具、お着物をお売りいただき有難うございました。倉庫へ戻る途中、近くにある「武蔵野うどん 竹國」さんへと寄り、肉うどんをいただきました。こちらは並盛、中盛、大盛どれも同じ料金、もちろん大盛りをいただきました。すごいボリュームでしたが美味しかったです。

中川浄益(なかがわじょうえき)
千家の流れを汲む茶の湯の道具を、代々にわたって制作する「千家十職」の一つ「金物師」。 中川家当主が代々襲名する名称である中川浄益。 もともとは越後国で、甲冑(かっちゅう)や鎧(よろい)などの武具を作っていたが、千家の依頼により茶道具を手掛け、薬鑵(やかん)を作ったのが家業のはじまりといわれている。 中川家は錺師(かざりし)とも言われ、金工の技を伝承してきた家でもある。 鋳物(いもの)や鎚物(うちもの)、彫金、象眼、七宝など、また用いられる金属素材も金、銀(南鐐)や銅を中心に青銅、真鍮(しんちゅう)、砂張(さはり)と豊富。その名跡は代々継承されており、現在は11代目が継いでおります。
1559~1622年 初代(紹高)
1593~1670年 2代(重高)
1646~1718年 3代(重房)
1658~1718年 4代(重忠)
1724~1791年 5代(頼重)
1766~1833年 6代(頼方)
1796~1859年 7代(頼実)
1830~1877年 8代(幾三郎)
1849~1911年 9代(益之助)
1880~1940年 10代(淳三郎)
1920~2008年 11代(紹真)

十一代・中川浄益(紹真)
京都市立第二工業高校(現在の京都市立伏見工業高等学校)金属工芸科卒業。
1920(大正9)年 十代浄益の長男として京都に生まれる。幼名を紹真という。
1940(昭和15)年 父の死後、十一代浄益を襲名。
2008(平成20)年 逝去。十一代亡き後、当主の座は空席が続いている。

大西清右衛門(おおにしせいえもん)
大西清右衛門(おおにしせいうえもん)は千家十職の釜師。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。四代当主が清右衛門を名乗り、六代目以降は代々清右衛門という名を継いでおります(九代目を除く)。工房は、京都市中京区の三条釜座にあり、「大西清右衛門美術館」が併設されてます。釜の他にも、鉄、唐銅、銀などの金属を使って、花入や蓋置、建水、火箸などの茶道具を制作しております。当代は、十六代。
1590~1663年 初代・浄林
1594~1682年 2代・浄清
1630~1684年 3代・浄玄
1645~1700年 4代・浄頓
1647~1716年 5代・浄入
1689~1762年 6代・浄元
1720~1783年 7代・浄玄
1747~1785年 8代・浄本
1749~1881年 9代・浄元
1777~1852年 10代・浄雪
1808~1875年 11代・浄寿
1841~1869年 12代・浄典
1866~1943年 13代・浄長
1888~1960年 14代・浄中
1924~2002年 15代・浄心
1961~        16代・大西清右衛門

十五代・大西清右衛門(浄心)
先代の『[父]大西家十四代/大西浄中(1888-1960)』の次男として生まれ「九州大学」卒業後、「京都大学大学院」、「京都美術学校専攻科」にて学ぶ。
昭和三十五年(1960年)、三十六歳の時に【大西家十五代/大西清右衛門】を襲名。
京釜についての執筆も旺盛に行い、多くの論文をのこしている。
隠居後『表千家十三代/即中斎無盡宗左(1901-1979)』より【浄心】の号を受ける。

さいたま市にて、杉田祥平造の茶碗、加藤光右衛門の水指、井口海仙の茶杓など。

埼玉県さいたま市にて、杉田祥平造の色絵秋草画茶碗、加藤光右衛門の美濃伊賀水指、井口海仙の自作茶杓(二重箱入り、銘 福寿)など、茶道具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県入間市にて、民芸調箪笥、お着物、掛け軸などを買い取らせていただきました。お片付けでお忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。二件目はさいたま市浦和区へ、お着物やお茶道具の処分整理でお呼びいただきました。お母様が裏千家茶道をされていたとのことで、杉田祥平造の茶碗、加藤光右衛門の水指、井口海仙の茶杓の他、釜、鉄瓶、棗、茶入、香合、花入、菓子皿、茶棚など一式買い取らせていただきました。お母様の大切にされていたお道具達、大切に次へと橋渡しさせていただきます。たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。
本日の昼食は、かつやさんへと行きました。揚げたてのかつ丼に豚汁、とても美味しかったです。先程、女子テニスの大坂なおみ選手が全豪テニスオープンで見事優勝されました。すごいですね。わたしも彼女のように頑張っていきたいと思います。大坂選手おめでとうございます!!

加藤光右衛門(かとうこうえもん)1937年 -~2018年
岐阜県で生まれた陶芸家です。本名は光夫。
加藤十右衛門の次男として生まれ、他の兄弟も陶芸家のため、加藤三兄弟として有名な作家です。
兄は加藤芳右衛門、弟は加藤弥右衛門。
高校を卒業してから父親に師事し、陶芸を学びました。
1982年(昭和57年)に加藤十右衛門家の出生地、岐阜県土岐郡笠原町・現多治見市の地に窯を開き 陶磁器問屋時代の屋号”山十窯”と名付ける。
美濃伊賀、黄瀬戸、黒織部を中心に茶陶を制作しています。
瀬戸一重口水指は彼の作品の中でも茶陶の銘品と言われてはおります。
また、中日国際展や朝日陶芸展などの公募展でも活躍し、個展も数多く開催しています。
2018年 岐阜県多治見市にて没 享年81歳

杉田祥平(すぎたしょうへい)1942年~
旧伯爵・清閑寺家の許可を得て江戸後期に築窯された清閑寺窯の四代当主。
裏千家に出入りが許され、清閑寺窯丸印を裏千家家元・鵬雲斎、及び覚入より拝領する。
1942年 京都府で生まれる
1960年 京都芸術短期大学に入学する
1962年 京都市立工業試験場に入所、伝統作家協会二世会に入会する
1965年 楽家14代・覚入に師事する
1977年 裏千家・金澤宗也に茶道を習う
1999年 4代目を襲名する

井口海仙(いぐちかいせん)1900年6月24日~1982年6月8日
裏千家13代目円能斎宗室の3男として生まれ、本名は三郎、茶名は宗含、庵号は幽静庵、斎号は玄妙斎。
13代目円能斎宗室に茶道を学び、茶道の教授をしながら機関誌「茶道月報」を主宰。執筆作業にも励み、茶道入門や原色茶道大辞典などを製作し、戦後には淡交社社長として活躍され、茶道ジャーナリストとしても活躍します。

横浜市南区にて、重要無形文化財(人間国宝)加藤卓男の藍彩平水指、掛軸など。

     

神奈川県横浜市南区にて、重要無形文化財(人間国宝)加藤卓男の藍彩平水指、掛軸などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお荷物の整理処分でお呼びいただきました。いつも素敵なお客様をご紹介くださり有難うございます。本日お売りいただいたのは、人間国宝である加藤卓男(かとうたくお)の藍彩(らんさい)平水指、茶道具、掛軸など。加藤卓男の作品は、卓夫の落款となっております。これは人間国宝になられた後、最晩年の落款になります。二重箱に収められております。少しの焼成温度差で流れ方が変わる藍彩。本作は藍彩(酸化コバルト)のさわやかな色調の作品。保管状態も良く、当社の買取強化作家作品でしたので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。素晴らしい作品の数々をお売りいただき有難うございました。
本日は横浜市で中国オークションがあり仕事の仲間たちが近くに来ておりましたので、中華街で合流し食事をすることになりました。萬金楼(まんきんろう)さんへ寄り、食べ放題コースをいただきました。メニューが100点以上もあり、たくさんいただいてしまいました。どれもとても美味しかったです。食事後、仲間達は占いをしてもらっておりました。W氏は現在モテ期とのことで、大変喜んでおりました。次来た時にはわたしも占ってもらおうかと思います。

加藤 卓男(かとう たくお)1917年~2005年
1917年 岐阜県多治見市に生まれる。家は江戸時代から続く窯元幸兵衛
1935年 多治見工業学校を卒業する
1954年 第10回日展に入選
1961年 フィンランド政府の招聘で、フィンランド工芸美術学校へ留学
1963年 第6回新日展で特選・北斗賞受賞
1964年 「美濃陶芸協会」設立、初代会長に就任。岐阜県芸術文化顕彰受賞
1965年 第8回新日展にて北斗賞受賞
1976年 東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加
1980年 イラク文化省よりバクダッド大学に客員教授として招聘を受ける
1983年 多治見市無形文化財保持者認定、同岐阜県重要無形文化財保持者認定
1988年 紫綬褒章受章
1989年 正倉院に二彩鉢の復元作品を納める
1991年 美濃陶芸協会名誉会長となる
1995年 重要無形文化財「三彩」保持者認定
1996年 岐阜県名誉県民となる
2005年 1月11日死去