カテゴリー別アーカイブ: 茶道具

さいたま市にて、杉田祥平造の茶碗、加藤光右衛門の水指、井口海仙の茶杓など。

埼玉県さいたま市にて、杉田祥平造の色絵秋草画茶碗、加藤光右衛門の美濃伊賀水指、井口海仙の自作茶杓(二重箱入り、銘 福寿)など、茶道具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県入間市にて、民芸調箪笥、お着物、掛け軸などを買い取らせていただきました。お片付けでお忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。二件目はさいたま市浦和区へ、お着物やお茶道具の処分整理でお呼びいただきました。お母様が裏千家茶道をされていたとのことで、杉田祥平造の茶碗、加藤光右衛門の水指、井口海仙の茶杓の他、釜、鉄瓶、棗、茶入、香合、花入、菓子皿、茶棚など一式買い取らせていただきました。お母様の大切にされていたお道具達、大切に次へと橋渡しさせていただきます。たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。
本日の昼食は、かつやさんへと行きました。揚げたてのかつ丼に豚汁、とても美味しかったです。先程、女子テニスの大坂なおみ選手が全豪テニスオープンで見事優勝されました。すごいですね。わたしも彼女のように頑張っていきたいと思います。大坂選手おめでとうございます!!

加藤光右衛門(かとうこうえもん)1937年 -~2018年
岐阜県で生まれた陶芸家です。本名は光夫。
加藤十右衛門の次男として生まれ、他の兄弟も陶芸家のため、加藤三兄弟として有名な作家です。
兄は加藤芳右衛門、弟は加藤弥右衛門。
高校を卒業してから父親に師事し、陶芸を学びました。
1982年(昭和57年)に加藤十右衛門家の出生地、岐阜県土岐郡笠原町・現多治見市の地に窯を開き 陶磁器問屋時代の屋号”山十窯”と名付ける。
美濃伊賀、黄瀬戸、黒織部を中心に茶陶を制作しています。
瀬戸一重口水指は彼の作品の中でも茶陶の銘品と言われてはおります。
また、中日国際展や朝日陶芸展などの公募展でも活躍し、個展も数多く開催しています。
2018年 岐阜県多治見市にて没 享年81歳

杉田祥平(すぎたしょうへい)1942年~
旧伯爵・清閑寺家の許可を得て江戸後期に築窯された清閑寺窯の四代当主。
裏千家に出入りが許され、清閑寺窯丸印を裏千家家元・鵬雲斎、及び覚入より拝領する。
1942年 京都府で生まれる
1960年 京都芸術短期大学に入学する
1962年 京都市立工業試験場に入所、伝統作家協会二世会に入会する
1965年 楽家14代・覚入に師事する
1977年 裏千家・金澤宗也に茶道を習う
1999年 4代目を襲名する

井口海仙(いぐちかいせん)1900年6月24日~1982年6月8日
裏千家13代目円能斎宗室の3男として生まれ、本名は三郎、茶名は宗含、庵号は幽静庵、斎号は玄妙斎。
13代目円能斎宗室に茶道を学び、茶道の教授をしながら機関誌「茶道月報」を主宰。執筆作業にも励み、茶道入門や原色茶道大辞典などを製作し、戦後には淡交社社長として活躍され、茶道ジャーナリストとしても活躍します。

横浜市南区にて、重要無形文化財(人間国宝)加藤卓男の藍彩平水指、掛軸など。

     

神奈川県横浜市南区にて、重要無形文化財(人間国宝)加藤卓男の藍彩平水指、掛軸などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお荷物の整理処分でお呼びいただきました。いつも素敵なお客様をご紹介くださり有難うございます。本日お売りいただいたのは、人間国宝である加藤卓男(かとうたくお)の藍彩(らんさい)平水指、茶道具、掛軸など。加藤卓男の作品は、卓夫の落款となっております。これは人間国宝になられた後、最晩年の落款になります。二重箱に収められております。少しの焼成温度差で流れ方が変わる藍彩。本作は藍彩(酸化コバルト)のさわやかな色調の作品。保管状態も良く、当社の買取強化作家作品でしたので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。素晴らしい作品の数々をお売りいただき有難うございました。
本日は横浜市で中国オークションがあり仕事の仲間たちが近くに来ておりましたので、中華街で合流し食事をすることになりました。萬金楼(まんきんろう)さんへ寄り、食べ放題コースをいただきました。メニューが100点以上もあり、たくさんいただいてしまいました。どれもとても美味しかったです。食事後、仲間達は占いをしてもらっておりました。W氏は現在モテ期とのことで、大変喜んでおりました。次来た時にはわたしも占ってもらおうかと思います。

加藤 卓男(かとう たくお)1917年~2005年
1917年 岐阜県多治見市に生まれる。家は江戸時代から続く窯元幸兵衛
1935年 多治見工業学校を卒業する
1954年 第10回日展に入選
1961年 フィンランド政府の招聘で、フィンランド工芸美術学校へ留学
1963年 第6回新日展で特選・北斗賞受賞
1964年 「美濃陶芸協会」設立、初代会長に就任。岐阜県芸術文化顕彰受賞
1965年 第8回新日展にて北斗賞受賞
1976年 東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加
1980年 イラク文化省よりバクダッド大学に客員教授として招聘を受ける
1983年 多治見市無形文化財保持者認定、同岐阜県重要無形文化財保持者認定
1988年 紫綬褒章受章
1989年 正倉院に二彩鉢の復元作品を納める
1991年 美濃陶芸協会名誉会長となる
1995年 重要無形文化財「三彩」保持者認定
1996年 岐阜県名誉県民となる
2005年 1月11日死去

東京都大田区にて、亀井味楽の高取水指(鵬雲斎書付)、膳所焼 陽炎園の茶碗など。

東京都大田区にて、亀井味楽の高取焼水指(鵬雲斎書付)、膳所焼 陽炎園の干支や麦ワラ手茶碗など、お茶道具をお売りいただきました。

お着物やお茶道具の処分整理でお呼びいただきました。お母様が裏千家茶道をされていたとのことで、亀井味楽の高取焼水指、膳所焼 陽炎園の干支や麦ワラ手茶碗の他、釜、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿、茶棚など一式買い取らせていただきました。亀井味楽の高取焼水指の共箱には、裏千家15代前家元の鵬雲斎(ほううんさい)の書付がございました。陽炎園は、江戸時代に廃絶してしまった膳所焼を復興させようと膳所に住んでいた岩崎健三が日本画壇の巨匠、山本春挙とともに膳所焼の復興に尽力し、完成した膳所焼の工房。 陽炎園の名前は「陽炎の池」が庭内にあることから命名されております。 陽炎園の作品に多い「淡海ぜ々」という言葉は、昔近江地方が「淡海」と書かれており、これは琵琶湖の事を指しています。 陽炎園は琵琶湖近くで焼かれている焼物という意味で「淡海ぜ々」という言葉が使われております。 現在は岩崎健三の子孫が跡を継いでいます。お母様の大切にされていたお道具達、大切に次へと橋渡しさせていただきます。まとめてお売りいただき有難うございました。六角堂では、裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりにお伺いし、査定させていただきます。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。お客様にご満足いただけるよう、頑張らせていただきます!
本日の昼食は、平和島の流通センター内にある「とんかつ和幸」さんで食事をしました。ご飯にキャベツ、しじみ汁がお代わりし放題。たくさんおかわりしてしまいました。とんかつもとても美味しかったです。明日の夜から京都府へ出張に行ってまいります。出張買取は、1月14日より再開いたします。出張期間中もご予約は随時承っておりますので、何かございましたらお電話またはお問い合わせ欄からメールにてご連絡ください。

十五代 汎叟宗室 鵬雲斎(ほううんさい、1923年(大正12)~(現在))
本名は政興(幼名)、宗室、玄室   裏千家15世家元 汎叟宗室
1923年 4月19日、裏千家14代家元碩叟宗室の長男として産まれる。
1943年 学徒出陣により第14期海軍予備学生として海軍に入営。
1945年 特別攻撃隊(通称・特攻隊)に志願。10月、終戦に付き除隊。同志社大学法経学部経済学科に復学。
1946年 同志社大学卒業。
1949年 大徳寺管長後藤瑞巌老大師につき得度。斎号鵬雲斎を授く。
1950年 ハワイ大学に修学。
1959年 日本青年会議所会頭に就任。
1964年 父宗室死去により千利休居士15代裏千家今日庵家元宗室襲名。
1993年 立命館大学客員教授
2002年 長男に家元継承。玄室に改名。
2006年 源氏物語千年紀のよびかけ人となる。
2012年 ユネスコ親善大使に任命される

亀井味楽(かめいみらく)1931年(昭和6)~現在
福岡県出身。号は隠居後に又生庵。
九州を代表する陶窯として有名な、高取焼を代表する亀井家に生まれる。
伝統の技法を受け継ぎ、祖父13代亀井味楽に師事。
1964年に14代を襲名、同年、日本伝統工芸展に初入選、以降同会や日本陶芸展などで活躍する。
77年には福岡市指定無形文化財技術保持者に認定。
88年に国際芸術文化賞、92年に福岡県技能功労賞などの受賞歴を持つ。
2001年に長男の正久氏に15代味楽を襲名させ、隠居後は又生(庵)と号して現在も作陶を続けている。

さいたま市桜区にて、清水公照絵付田原陶兵衛造萩茶碗、象彦の茶入など。

埼玉県さいたま市桜区にて、清水公照絵付田原陶兵衛造の萩茶碗、平安象彦の菊寿蒔絵茶入など、お茶道具をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。生前整理でお茶道具を処分したいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。茶碗、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿などの茶道具を一点一点査定し、全て買い取らせていただきました。十二代田原陶兵衛の萩茶碗には、東大寺長老清水公照によるだるまさんの絵付けが入っており、とても素敵な作品でした。共箱蓋裏にも清水公照の書付がございます。全てのお道具の保管状態が良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。お客様の思い出のお道具たち、六角堂で責任もって大切に次へと繋げさせていただきます。本日はご指名いただき有難うございました。
帰宅後に家族でららぽーと富士見に行き、「彩の国レストラン」さんで夕食をいただきました。こちらのお店は、色々な野菜をたくさん使った自然食ビュッフェレストラン。外食が多く、野菜不足が続いておりますので、こちらには時々寄らせていただいております。本日もたくさんの野菜を補給させていただきました。

十二代 田原陶兵衛(たはらとうべえ)1925~1991年 本名:源次郎
温和な人柄で知られ、茶碗にかけては特に攻手。裏千家茶道の造詣を深め、伝統の家法に習熟し、萩焼の源流である高麗茶碗の研究に励み、陶兵衛茶陶とも称すべき独特の作風を作り上げた。
1925年 10代・田原陶兵衛の次男として山口県で生まれる
1944年 旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る
1945年 終戦と共にシベリアに抑留される
1948年 抑留されていたシベリアから復員する
1956年 12代・田原陶兵衛を襲名する
1972年 日本工芸会正会員となる
1981年 山口県指定文化財に認定される
1982年 山口教育文化交流視察団に参加。
1991年 9月27日、66歳にて永眠

清水公照(しみず こうしょう)1911年(明治44)~1999年(平成11)
兵庫県出身 龍谷大学卒 本名「睦治」、号「泥仏庵」、異名「今良寛」
1927年東大寺塔頭宝厳院に入寺、清水公俊(後の義父)の下で修行し、僧名を公照。
33年からの天龍寺での四年間の禅の修業を経て、37年には東大寺塔頭龍蔵院、同上生院住職に就任。戦時中は、中国に出征となるが、帰国後の46年に、東大寺塔頭宝厳院住職に就任。
47年に青々中学(後の東大寺学園)を創建、63年には東大寺幼稚園と女子学園園長に就任するなど
学校教育にも貢献。
華厳宗宗務長、東大寺執事長などの就任を経て、75年から大僧正、華厳宗管長、東大寺住職 第207・208世別当を歴任、81年には東大寺長老となり「仏教伝導文化章」を受章。
氏の代表的な仕事の一つに、71年から10年間かけての東大寺大仏殿の「大仏殿昭和大修理落慶大法要」があり主宰、厳修を務めた。約50億円もの資金を要した大偉業を成し遂げました。
また法務の傍ら美術品研究家として知られ作家作品の箱書、古書や古陶磁の鑑定を行い、自らも絵画、陶芸、書を中心に多数の作品を制作。
特に陶芸作品でテラコッタ風の「泥仏」とされる仏像は愛嬌があり大変人気が高い。

東京都豊島区北大塚にて、即中斎書付桐木地四方棚、光清造の蒔絵炉縁など。

東京都豊島区北大塚にて、表千家家元13代即中斎書付桐木地四方棚、光清造高台寺菊桐蒔絵炉縁など、お茶道具をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お母様が表千家茶道の師範をされていたので、お茶道具がたくさん残っており処分されたいとのことでお呼びいただきました。たくさんのお道具をお売りいただきましたが、本日は即中斎書付桐木地四方棚、光清造高台寺菊桐蒔絵炉縁をご紹介します。桐木地四方棚には、表千家十三代即中斎の書付がございます。即中斎(そくちゅうさい)は、茶道表千家の十三代家元。昭和初期に代を継ぎ「現代茶道の祖」とも呼ばれています。四方棚(よほうだな)は、桐木地で、天板と地板が四方の、二本柱で、及台子を二分したものをもとにしていますが、天板の方が地板より大きな形状の小棚です。古くは「半台子」「利休水指棚」とも呼ばれました。四方棚には、利休好みと表千家逢源斎江岑好みがあり、利休好みは天地の板が角隅で、江岑好みは丸隅になっています。光清造の炉縁は高台寺菊桐蒔絵はの入ったもの。高台寺蒔絵とは京都市東山区にある高台寺の霊屋(れいおく)内部や同寺所蔵の秀吉夫妻愛用の調度品に施された蒔絵、および同系統のもの。桃山時代の蒔絵を代表する様式で、秋草文様や本品のような菊桐文様を多く用いております。炉縁(ろぶち)とは、炉の炉壇の上にかける木の枠のことです。 炉縁は大別して木地縁と塗縁があります。塗縁には、無地と本品のような蒔絵の入ったものがございます。他にもたくさんのお道具をお売りいただきましたので、また後日紹介させていただきます。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。お母様の思い出のお道具たち、当社で大切に次へと橋渡しさせていただきます。
帰る途中、大塚駅の近くにある「二十六代目 哲麺 大塚店」さんへ寄らせていただきました。わたしは豚骨味噌をいただきました。臭みやクセのない上品なスープに、コシのある細麺が良く合ってます。替え玉が50円ですので、もちろんお代わりしました。とても美味しかったです。

無盡宗左 即中斎(そくちゅうさい)1901-1979 幼名覚二郎。無尽・清友軒。
即中斎は、明治・⼤正・昭和にかけて茶道の普及に努めた12 世惺斎(さいせい)の次男として⽣まれた。慶應義塾⼤学⽂学部、及び京都⼤学史学部選科を卒業し、兄に続いて⽗を亡くしたことから、1937年に家元を継ぎ、表千家13 世家元となる。
第⼆次世界⼤戦に前後して、⽇本全国に⽀部を構える⼀般社団法⼈表千家同⾨会を設⽴。表千家同⾨会は海外(ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコ)にも⽀部を設け、⽇本のみならず海外での茶道普及にも貢献した。
1901年 京都府で、表千家12 世惺斎の次男として⽣まれる
1936年 兄・不⾔斎逝去
1937年 表千家12 世惺斎逝去。表千家13 世家元を継承
1940年 利休350 年忌の法要と茶事を開催
1942年 表千家同⾨会を発⾜し、茶道の全国普及と組織化に尽⼒
1965年 著書「表千家」を刊⾏
1979年 逝去

埼玉県和光市にて、加藤舜陶の呉須湯呑、白峰斎の花籠、茶道具など。

   

埼玉県和光市にて、加藤舜陶の呉須湯呑、白峰斎の花籠、お茶道具などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。本日お売りいただいたお品は、瀬戸焼の名工加藤舜陶(かとうしゅんとう)の呉須湯呑、竹細工師島村白峰斎の花籠、茶道具など。お茶道具はお稽古用のものでしたが、全て買い受けさせていただきました。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。六角堂では、竹編、竹籠、竹細工を高価買取しております。飯塚鳳斎、飯塚小玕斎(しょうかんさい)、飯塚琅王干斎(ろうかんさい)、田邊竹雲齋、 早川尚古斎、前田竹房斎、鈴木玩々斎 、和田和一斎などの有名作家の竹籠は特に人気があり、 高価で買取りさせていただきます。
本日は一件のみの買取で早くに帰宅出来ましたので、家族でららぽーと富士見へ行きました。ららぽーと内にある雲龍一包軒で夕食をいただきました。餃子と小籠包で有名なお店ですが、炒飯や黒胡麻担担麺もとても美味しかったです。

加藤舜陶(かとうしゅんとう)1916~2005年
加藤舜陶は陶祖「加藤四郎左衛門影正」という由緒正しき名家に生まれる。
瀬戸焼において鈴木青々や河本五郎などと並び、三本柱の一人として有名になる。
1916年 愛知県瀬戸市に生まれ県立窯業学校に入学。
板谷波山に師事研鑽を積む。
1950年 第6回の日展で初入選。様々な工芸展などに出品を重ねる。
1955年 日本陶芸展文部大臣賞を受賞。、
1960年 第3回新日展に出品。特選・北斗賞を受賞。
1990年 新工芸展で内閣総理大臣賞。
1991年 日展で内閣総理大臣賞を受賞。
1974年 瀬戸市功労賞を受賞。
1982年 愛知文化功労に表彰。
1983年 東海テレビ賞
1987年 訓四等瑞宝章を受ける。
1990年 第12回日本新工芸展で内閣総理大臣賞。
1991年 第23回日展において灰釉花器「悠映」で内閣総理大臣賞受賞。
1994年 灰釉系技法で愛知県指定無形文化財保持者に認定される。
2005年 愛知県瀬戸市で死去、88歳。

千葉県八千代市にて、柿右衛門原画香蘭社の花瓶、藤田喬平の花瓶、茶道具など。

 

千葉県八千代市にて、酒井田柿右衛門原画香蘭社製の花瓶、藤田喬平の手吹花瓶、小柳金太郎の樺細工まくり張抹茶入、茶道具などをお売りいただきました。

本日は四件の出張買取。千葉県船橋市、八千代市、市川市、東京都豊島区を回りました。一件目は業者様のご紹介で千葉県船橋市へ桐箪笥の処分でお呼びいただきました。お売りいただいた桐箪笥は伝統工芸品春日部箪笥、新潟県の加茂桐箪笥同様、伝統工芸品に指定されている桐たんすで、六角堂でも買取を強化しております。状態も良く、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。二件目は八千代市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは茶道具や陶器などを多数お売りいただきました。香蘭社製の花瓶は有田焼の名工十三代酒井田柿右衛門の原画「花鳥図 春」をもとに香蘭社が作陶されたものです。抹茶入れは樺細工で作られたもの。樺細工は桜の樹皮を使った秋田県を代表する工芸品。小柳金太郎氏は樺細工職人としてその生涯を捧げた名工で、現在に至るまで数々の業績を残されました。藤田喬平の手吹花瓶は共箱に破損、本体に痛みなどありましたが、こちらも買い受けさせていただきました。他にも茶道具一式、コレクションボードなどを買い取らせていただきました。お問い合わせ時から作業時に至るまで親切にしていただき有難うございました。三件目は業者様のご紹介で、市川市行徳へ遺品整理でお呼びいただきました。こちらではお母様のご遺品である和たんす、着物、アクセサリーなどをお売りいただきました。和箪笥は民芸箪笥で、欅に南部金具が付いた素晴らしいものでした。お着物は多少シミや汚れなどございましたが、全て正絹のもので作家物なども数点ございました。良いお品をお売りいただき有難うございました。四件目は、東京都豊島区池袋本町へ家具の買い取りでお呼びいただきました。こちらは一年近く前にお呼びいただいたお客様で、お家の建て替えが完了したので不要になられた家具を買取に行かせていただきました。お売りいただいたのはチーク製の食器棚。一年近く前にお呼びいただいた時に査定させていただいた家具でした。前の三件の移動に時間が掛かってしまいお待たせしてしまいましたが、気持ちよく受け入れて下さいました。久々にお会いでき嬉しかったです。お家もとても素敵な家が建っており、羨ましかったです。また何かございましたら、ご連絡ください。六角堂のご指名、有難うございました。
本日のランチは、千葉県八千代市八千代台駅にある吉野家さんへ行きました。どうしても牛丼を食べたくなり、わざわざ五キロ以上も離れた場所まで向かっておりました。とろろをトッピングしましたが、とても美味しかったです。

13代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)1906~1982
1906年 12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれる。本名、渋雄。
1924年 有田工業学校製陶科を卒業。
1953年 父とともに濁手素地の復興に成功。
1963年 13代酒井田柿右衛門を襲名。
1972年 紫綬褒章を受章。
1978年 勲四等旭日小綬章を受章。
1982年 死去。

藤田喬平(ふじたきょうへい)1921~2004
1921 東京都新宿区に生まれる
1944 東京美術学校工芸科彫金部卒業
1949 2年間務めた岩田硝子工芸退社。ガラス作家として独立
1964 流動ガラスの代表作「虹彩」を発表
1973 飾筥の代表作「菖蒲」を発表
1977 ヴェネチア・ムラノ島にてガラス製作を始める
1989 恩賜賞・日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員就任
1996 藤田喬平ガラス美術館開館
1997 文化功労者顕彰、紺綬褒章受章
2002 文化勲章受賞
2004 逝去

小柳金太郎(こやなぎきんたろう)1922~2014
樺(かば)細工師 現代の名工。
14歳で樺細工職人となり、戦時中、民芸運動の父とされる柳宗悦の指導を受けた。
1975年に「現代の名工」に選ばれた。76年県芸術選奨、81年県文化功労者。2014年逝去。

東京都豊島区西巣鴨にて、清水六兵衛の朝鮮唐津茶碗、法隆寺古材の香合など。

 

東京都豊島区西巣鴨にて、大徳寺12代管長512世浩明宗然書付清水六兵衛の朝鮮唐津茶碗、法隆寺古材の香合などお茶道具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、板橋区徳丸へお着物のお片付け整理でお呼びいただきました。残念ながらシミ汚れの出てしまっているものが多くございましたが、お客様のご希望通り全て買い受けさせていただきました。地震による地盤のお話など色々聞かせていただきました。とても面白かったです。本日は当社のご指名有難うございました。二件目は不動産業者様のご紹介で、豊島区西巣鴨へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お茶道具がたくさんあるとのことでお呼びいただきました。中でも名工清水六兵衛の朝鮮唐津茶碗は、大変素晴らしい茶碗でした。唐津焼は砂目のざんぐりとした土味と素朴な絵、簡素な形、渋い色調が古くから茶人たちに「一楽、二萩、三唐津」、「一井戸、二楽、三唐津」ともいわれ愛されてきました。朝鮮唐津は、鉄釉(飴釉)とわら灰釉の二つを上下にかけ分けて景色を作って焼いております。大徳寺12代管長512世浩明宗然の書付で、銘「祥雲」とあります。浩明宗然は大徳寺派12代管長、博多崇福寺101世住職に就任し、花園大学講師をつとめた臨済宗の僧で、浩明宗然の墨蹟は美術年鑑にも載るほど価値が高いものとされています。法隆寺古材の香合は、名前の通り法隆寺の古材でつくられた香合です。他にもたくさんの茶道具をお売りいただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。
帰りの途中、大塚にある「豚toko 大塚店」へ寄り、味噌らーめん、鶏皮ポン酢をいただきました。豚骨の入った味噌スープがとても美味しかったです。

清水六兵衛(きよみずろくべえ)
京焼の家元の一つ。江戸後期に初代 清水六兵衛が京都五条坂に開窯。
初代~三代は古藤六兵衛。三代の時に清水(しみず)六兵衛に改める。
(きよみず)の読みは、五代以降。
江戸時代中期以来の清水焼陶工の名跡。
現在は8代目。名は柾博。2000年に8代を襲名。
早稲田大学卒。日本陶磁協会賞受賞。京都造形芸術大学教授。

東京都中央区八丁堀にて、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、銀製茶托。

   

東京都中央区八丁堀にて、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、中国銀製茶托など煎茶道具をお売りいただきました。

お引越しによるお片付け整理にてお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、中国銀製茶托など煎茶道具。鉄瓶は日本梅泉造を高岡鉄器瑞心堂が写したもので、本体に蘭蟹図、金銀象嵌が施されてます。日本梅泉とは滋賀県の湖東地方(能登川)で主に鉄瓶を製造していた亀文堂の鉄瓶製品の事。日本亀文の鉄瓶は、持ち手と本体部分を繋いでいる部分に珍獣の象嵌彫刻が施されているのですが、日本梅泉には梅の木と花をあしらった象嵌彫刻が施されているのが特徴です。日本梅泉を生産していた亀文堂自体は、昭和に入り時代の流れで高級鉄瓶の需要がなくなり残念ながら四代目で途絶えてしまいます。近年の鉄瓶ブームで亀文堂梅泉造の鉄瓶は人気があり、市場価格が高騰しております。唐物銀製の茶托は共箱などありませんでしたが、こちらも現在人気のあるお品でございますので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
煎茶道具は、近年古物業界で人気があり、六角堂でも買い取りを強化しております。朱泥・紫泥の急須や白泥の涼炉、古竹でつくられた茶合や煎茶道具、錫製の茶壷や茶托、鉄瓶や銀瓶などは、近年中国からの人気があり、市場でも高騰しております。六角堂では、煎茶道具でしたら古いものから新しいもの、作家物から名前のないもの、日本のものから中国唐物まで全て買い受けます。ご不要の煎茶道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。煎茶道具に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定し、高額査定にて買取させていただきます。
帰りに志木市場へ寄り、小池さんらーめんで夕食をいただきました。ラーメンに激辛の爆弾炒飯を食べ、締めにかき氷をいただきました。暑い日が続いてますので、かき氷がとても美味しかったです。明日からも出張買取頑張ります!

東京都東村山市にて、高木得元の釜、茶道具、掛軸、佐久間竹浦の画帖。

 

東京都東村山市にて、釜師高木得元の四方口釜、茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、置物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、釜師高木得元の釜など茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、薩摩焼や九谷焼の置物など。たくさんのお品をお売りいただきました。高木得元は高木治良兵衛と同じ高木家の釜師。高木治良兵衛は京の町のほぼ中央に位置する「釜座(かまんざ)」に現在までに残る1855年創業の釜師が代々襲名する名前で、当代で6代目となっています。 お売りいただいた釜は宗旦好四方口釜。四方口釜(よほうぐちがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、口造りが甑口を四角形にした形の釜です。四方口釜は、宗旦好み、天命作で、釜の底を尾垂(おだれ)に直したものといいます。古いお品ですので錆や共箱の痛みなどございましたが、 大変良い作でしたのでお客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。掛軸は、日本画、書のものなどがございました。画帖は、佐久間竹浦や草刈樵谷など日本画家のものが十点ほど納まっておりました。亡くなられたお爺様やお母様のご遺品とのこと、大切に次へと繋げられるよう頑張らせていただきます。本日は良いお道具をお売りいただき、ありがとうございました。
帰宅途中、「江川亭 東村山店」へ寄り、昼食をいただきました。こちらは15年ほど前、妻と結婚したばかりの頃によく来たお店で、約十年ぶりに寄りました。中華麺をいただきましたが、昔と変わらない味でとても懐かしかったです。いずれまた妻と来てみたいと思います。

佐久間竹浦(さくま ちくほ)
名は資夫、号は竹浦、別に菌浦、五谿と号した。明治9年竹田町で生れ大正14年に没した。幼くして独り祖母に育てられた。亡父純徳医師の遺産が豊かで、大切に育てられた。五つ六つの頃に紙と筆を与えると絵を描いて居たと言う。9歳の春に元岡藩絵師川合石舟の門に入り、後に京都に出て田能村直入の指導を受け南画を学んだ。直入没後は田近竹邨に師事して大いに研鑚を積み、郷里に帰り水石会の中堅として活躍し、多くの作品を遺して居る。初め水石会で竹浦について学び、後京都の竹邨の門に入った画家は草刈樵谷などが幾人か居る。竹浦は小学校の時代に、作曲家瀧廉太郎と親友で、交流が続き廉太郎からの書簡や絵が今も遺っております。また、昭和41年5月から55年3月まで竹田市長を務めた佐久間盛夫は三男にあたる。

草刈樵谷(くさかり しょうこく)
1892-1993 大分県竹田市に生まれる。本名辰生。初め同地の佐久間竹浦に師事して画を修め、大正8年京都に上り田近竹邨の門に入る。昭和20年まで京都在住の間、竹邨の主宰する日本南画院に連続出品。大正13年日本南画院院友となる。昭和3年大禮記念京都大博覧会に「秋山吟節」を出品。昭和12年第一回南画連盟展に「溪夏」を出品し奨励賞を受賞。昭和17年第5回新文展に「奔瀬図」が入選。昭和20年帰郷、翌年竹田荘に入り、以後16年間同荘の経営管理に従事する。かたわら田能村竹田画の研究に情熱を傾け、その画風を慕って南画制作を続けた。また、昭和49年にはそれらの功績が認められ、竹田市在住者で初めて名誉市民に選ばれることになった。平成5年(1993)歿、100才。