カテゴリー別アーカイブ: 美術品・骨董品

東京都豊島区にて、桐箪笥、山本雄一窯の備前焼花生、伊藤赤水窯の湯呑、掛軸。

 

東京都豊島区池袋本町にて、桐たんす、山本雄一窯の備前鶴首花生、五代伊藤赤水赤水窯の無名異焼湯呑、掛け軸をお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。不要となった陶器や漆器、贈答品などを買い取らせていただきました。備前焼の人間国宝である山本陶秀の長男、山本雄一の窯作品である備前鶴首花生や、無名異焼の人間国宝である五代伊藤赤水の窯作品の湯呑などをお売りいただきました。どちらも窯作品ではありますが、人気作家のものとなりますので、一点一点丁寧に査定させていただきました。他にも平安象彦や山田平安堂の漆器、日本画や書画などたくさんの掛け軸をお売りいただきました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。今日は志木市場で数か月に一度の骨董大会をしておりましたので、帰りに寄らせていただきました。ふだんお目にかかれない貴重な道具がたくさん出ていたようですね。市場のそばに新しいお店が出来たとのことで、途中みんなで食事に行きました。「コミュニティレストラン ソラシドキッチン」さんというお店です。お洒落なお店で、メニューもお洒落なものばかり。料金がとてもお安いのに、サラダバーやスープバーが付きます。新鮮なサラダはとても美味しく、おかわりしてしまいました。わたしのいただいた「ソラシメン」、かき揚げの揚げ具合が絶妙でとても美味しかったです。市場の近所に素敵なお店が出来ました。また寄せていただきます。明日は東京都杉並区への出張買取、頑張ります!

山本雄一(やまもとゆういち)
人間国宝山本陶秀長男として生まれる。1959年から父のもとで陶芸の道に入りました。1968年には備前焼で初めてガス窯を導入。科学好きの旺盛な探究心で、偶然に頼る部分の多い緋襷を意図的なデザインとして生み出す方法を研究。稲わらを煮詰めて抽出したエキスを絵の具のように使い、素地に花や模様を描いた人口の緋襷「緋紋」「緋彩」の技法を考案しました。花器、茶器、壺、大鉢など幅広く製作しています。1967年日本工芸会正会員に。1995年、制作者向けの入門書「備前焼の技法 伝統と創造」を出版。1996年には茶の湯の造形展で田部美術館大賞を受賞。同年、岡山県重要無形文化財保持者に認定されました。1998年に紺綬褒章を受章、2002年に表千家同門会岡山副支部長に就任。
金重陶陽賞、岡山県文化奨励賞、山陽新聞賞、紺綬褒賞、岡山日日新聞芸術文化功労章、茶の湯の造形展大賞など多数受賞する。

伊藤赤水(いとうせきすい)
五代伊藤赤水(本名伊藤窯一)は、1941年新潟県・佐渡市相川町の無名異焼窯元、四代伊藤赤水の長男として生まれた。1966年京都工芸繊維大学を卒業後帰郷。祖父三代赤水について家業の無名異焼の伝統技法を修業した。1977年に五代伊藤赤水を襲名。作調は「窯変」と「練上」に大別される。窯変は穴窯によるもので、窯の中での焔の洗礼によって、器表に表れた不定形な赤と黒のコントラストとその境界に表れる微妙な変化が見所である。練上は地元の白・赤・黒の三種の陶土をこね合わせ、その切口の断面を鉢等の全体的な文様として構成する工芸技法によるもので、電気窯又は、ガス窯で焼成される。その作品は無名異焼の伝統に新生面を拓いた。2003年重要無形文化財「無名異焼」の保持者(人間国宝)に認定。

神奈川県横浜市旭区にて、屋久杉の飾り棚、人間国宝伊勢崎淳、伊勢崎満の備前焼。

神奈川県横浜市旭区にて、屋久杉の飾り棚、お着物、日本人形、人間国宝伊勢崎淳の備前緋襷瓢徳利、備前火襷耳付花生、伊勢崎満の備前徳利などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、横浜市泉区へお家建て替え前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、ブランド物のバッグや、贈答品などを買い取らせていただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。二件目は横浜市旭区へ、お片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、屋久杉の飾り棚、古唐木の花台、伊勢崎淳の備前緋襷瓢徳利、備前火襷耳付花生、伊勢崎満の備前徳利などをお売りいただきました。美しい杢目の屋久杉の民芸飾り棚、屋久杉は世界遺産となり現在伐採を禁止されております。その為、大変貴重なものとなっております。また、備前焼で人間国宝となられた伊勢崎淳や、その兄である伊勢崎満の花瓶や酒器(徳利)を、併せてお売りいただきました。伊勢崎淳の作品は、人間国宝となられる前の前作でございましたが、当社強化買取り中の作家作品でしたので、全て買い受けさせていただきました。素晴らしい家具、お道具をお売りいただき有難うございました。
今日の昼食は、横浜市泉区和泉町にある、「高社樓」という中華料理屋さんへ行きました。こちらは昭和51(1976)年創業のお店のようで、奇遇にもわたしの生まれた年と同じです。わたしは味噌らーめん、麻婆豆腐をいただきました。昔ながらのシンプルなお味で、とても美味しかったです。近くへ来た時には、また寄りたいと思います。
六角堂ではただいま金重陶陽、伊勢崎淳、藤原啓、 藤原雄、山本陶秀、安倍安人、森陶岳、中村六郎、中村真、原田拾六、隠﨑隆一、藤原楽山、金重道明、金重素山、伊勢崎満、伊勢崎陽山 など備前焼作家物を強化買取りしております。備前焼以外にもたくさんの陶磁器を探しております。たくさんの御見積お待ちしております。

伊勢崎淳(いせさきじゅん)1936年(昭和11)~(現在)
1936年 岡山県で生まれる
1959年 岡山大学特設美術科を卒業する
1960年 兄とともに姑耶山古窯跡に中世の半地下式穴窯を復元する
1966年 日本工芸会正会員となる
1978年 岡山大学特設美術科の講師をつとめる
1981年 金重陶陽賞を受賞する
1987年 田部美術館茶の湯の造形展優秀賞を受賞する
1993年 岡山県文化奨励賞を受賞する
1996年 山陽新聞文化功労賞を受賞する
1997年 フランスの備前焼千年の伝統展に出品する
1998年 岡山県重要無形文化財保持者に認定される
日本工芸会理事、日本工芸会中国市支部幹事長に就任する
2002年 新首相官邸の陶壁を作成する
2003年 岡山大学創立50周年記念の陶壁を作成する
2004年 重要無形文化財(人間国宝)に認定される
三木記念賞を受賞する
2006年 アメリカのボストンで「一門展」を開催する
2007年 イギリス大英博物館の展覧会に出品する
2013年 県重要無形文化財保持者5人による秀作展に出品する

伊勢崎満(いせざきみつる)1934(昭和9)~(現在)
弟の伊勢崎淳と共に岡山県重要無形文化財に認定されました。
古備前への探究心と彫塑で培った造形感覚を駆使し、円熟した陶技からはベテラン作家としての貫禄が伝わってきます。
作品によって登窯と中世の穴窯を使い分け、電気窯やガス窯は使用しない松割木による焼成にこだわっています。
1934(昭和9)年、伊勢崎陽山の長男として岡山県備前市に生まれました。
1957(昭和32)年に岡山大学教育学部特設美術科彫塑専攻を中退後、父に師事して本格的に備前焼に取り組みました。
1961(昭和36)年、弟・淳と姑耶山の古窯跡に備前で初めて中世の古窯(半地上式穴窯)を復元。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1972(昭和47)年、備前陶心会会長に就任しました。
1973(昭和48)年、緋襷花器が外務省に買い上げられ、中国の日本大使館に展示されました。
1974(昭和49)年、金重陶陽賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、岡山日々新聞社文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会中国支部審査員に就任しました。
1990(平成2)年、岡山県文化奨励賞を受賞しました。
1994(平成6)年、山陽新聞文化功労賞を受賞しました。
1998(平成10)年、田部美術館大賞「茶の湯の造形展」で大賞を受賞しました。
2007(平成19)年、小形登窯と穴窯を築窯する。

東京都品川区にて、唐木・玉製の観音像、唐木花台、ぺこちゃんこけしなど。

東京都品川区旗の台にて、唐木・玉観音像、唐木花台、ぺこちゃんこけし、古いアニメのレコードなどをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、新宿区西早稲田にて、お着物の買取でお呼びいただきました。古めのお着物でしたが、大切にされていたようで保管状態の良いお着物が多くございました。帯締めや草履なども併せ、全て買い取らせていただきました。お亡くなりになられた叔母様のご遺品でしたが、次に着ていただける方へ大切に繋げさせていただきます。二件目は業者様のご紹介で、品川区旗の台へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。子供の頃に住んでいらっしゃった三姉妹の方々が揃ってお迎えくださいました。お売りいただいたのは、お父様が昔香港へ仕事で行かれた際にいただいたという唐木や玉製の観音像、仏画などの掛け軸やまくり、唐木の花台の他、ご姉妹の方々が子供の頃に聞いていらっしゃったアニメのレコード、ブリキのおもちゃ、古いソフビ、ペコちゃんこけしなど。玉製観音は寿山石で彫られたもの。赤みのある凍石が混ざっており雰囲気がいいです。唐木の観音は時代物の為、ひび割れなどございましたが、仏像は当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。唐木の花台は、小振りなもので、木目が綺麗なものでした。古いレコードは昔懐かしいアニメのもの。ペコちゃんこけしはレトロで可愛いですね。他にもおもちゃや雑貨などたくさんお売りいただきました。ご家族皆様の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。終始、丁寧にしていただき、有難うございました。倉庫へ戻る途中、知人のリサイクル業者のところへ、日本画家河合玉堂の掛軸を査定しに行ってまいりました。残念ながら、工芸画でした。倉庫へと戻り、市場の仲間たちと「らーめんの小池さん」へ行きました。今日はスタミナラーメンに爆弾チャーハン。爆弾チャーハンとても辛いです!汗だくだくでいただきました。皆さんも是非ご挑戦ください。明日は、世田谷区成城、港区赤坂、大田区東糀谷へ出張買取。ハードスケジュールですが、頑張ります!

東京都練馬区石神井台にて、玉珪銘江戸期銀製根付、銀製兜のボンボニエール。

 

東京都練馬区石神井台にて、仏像、仏具、玉珪銘江戸期銀製根付、天皇家卸下賜品銀製兜のボンボニエールをお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。お爺様が生前集めていらっしゃった、仏像や根付、印籠、天皇家卸下賜品である銀製品のボンボニエールなどを、まとめて買い取らせていただきました。銀製の根付は江戸期の根付師玉珪のもの。玉珪は、上田令吉の『根附の研究』には「木刻を以て人物獣蟲を作る、天明寛政頃の人なり」と文献に記載されております。龍珪や法珪と同派で木刻のみを作り上げました。同派の根付師が明治になっても同名で同じスタイルの根付を製作していたとする説があり、恐らくこちらの根付は同派のものと思われます。銀製兜は菊紋が入っている為、おそらく天皇家卸下賜品であるボンボニエールと思われます。「ボンボニエール」とは、フランス語でボンボンと呼ばれる小さな砂糖菓子を入れる器。 日本では明治時代から、天皇のご即位をはじめ、お子様のご誕生やご結婚式などの皇室・宮家の慶事の度、金平糖が詰められたボンボニエールが祝宴の記念品として招待された人々に贈られてきました。ボンボニエールは、今なおコレクターさんが多く存在し、市場でも高額で取引されるものが多くございます。こちらの兜形ボンボニエールは希少なもので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。六角堂では、こういった根付やボンボニエールなどの時代小物の買い取りを強化しております。ご不要の時代小物がございましたら、是非六角堂をご指名ください。良いお道具をたくさんご売却いただきありがとうございました。
本日は志木市場でしたので、出張帰りに寄らせていただき、市場終了後いつものように仲間たちと「大島屋食堂」さんへ食事に行きました。こちらのお店はメニューが豊富で、いつ来ても飽きません。昨日に引き続き、T橋氏ご馳走様でした!

根付(ねつけ)とは、江戸時代に煙草入れや矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和、平成の現代根付に大別されます。 製作国の日本以上に、日本国外では骨董的蒐集品として高く評価されております。

東京都目黒区上目黒にて、民国萬同順銘粉彩弥勒佛の置物、清代茶葉末釉の皿。

東京都目黒区上目黒にて、民国萬同順銘粉彩弥勒仏(布袋像)の置物、清代茶葉末釉の皿、掛け軸などをお売りいただきました。

遺品整理で、中国の骨董品や掛け軸などを処分したいとのことでお呼びいただきました。お売りいただきましたのは、民国期の萬同順銘粉彩弥勒佛(布袋様)の置物や茶葉末釉の皿、中国書画や日本画の掛軸など。粉彩(ふんさい)とはヨーロッパの七宝(銅胎七宝)の技術を陶磁器に応用したもので、琺瑯彩(ほうろうさい)、洋彩(ようさい)とも呼ばれております。弥勒佛は、笑いの佛ともいわれ、幸運・財運・健康運を招く仏様として、世界中で親しまれ、信仰されています。「弥勒」と聞くと、国宝の「弥勒菩薩半跏思惟像」を思い浮かべる方や、笑顔あふれる布袋様と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、どちらも弥勒様のお姿の一つと言われております。はだけた衣、大きなお腹、あふれんばかりの笑顔、その姿は、執らわれのない、明るく素直な心、全てを受け入れる大きな心を表しております。底に萬同順と陶印があり、時代は民国期のものとなります。残念ながら、頭部に直しがございました。茶葉末釉の皿は、おそらく清代の頃のものと思われます。茶葉末釉らしいしっとりとした深い色合いが魅力的です。茶葉の粉末の色のように見えるため、茶葉末釉(ちゃようまつゆう)と呼ばれております。緑色と黄色が混ざった釉薬は蕎麦の実のようにも見えるため、日本では蕎麦釉(そばゆう)と呼ばれております。こちらも残念ながら、一か所縁にカケがございました。直しやカケなどございましたが、人気の中国骨董は当社で買い取りを強化していますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。古き良き時代の美術品をお売りいただき有難うございました。
帰りの途中、いつもお世話になっているT橋氏、O橋氏と合流し、ガストさんで食事をしました。牛カルビとミックスフライ御膳にとろろをダブルでトッピング。とても美味しかったです。T橋氏ご馳走様でした!是非また市場の日に!

六角堂では、ただいま中国骨董・美術品・工芸品を積極的に買い受けしております!
中国陶磁器・書道具・煎茶道具・中国書画・古唐木家具・中国古書・中国古銭・中国切手・中国酒などございましたら、六角堂までお問い合わせください!
中国の骨董、美術品に詳しい鑑定士が見積もり査定させていただきます。

神奈川県横浜市磯子区にて、人間国宝 金重陶陽の湯冷し、掛軸。

 

神奈川県横浜市磯子区にて、人間国宝 金重陶陽の湯冷し(金重道明識)、掛け軸をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、備前焼で初めて人間国宝となられた金重陶陽の湯冷しになります。こちらは本人の共箱ではなく、陶陽の長男である金重道明の識箱に収められておりました。六角堂で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。良いお道具をお売りいただき有難うございました。二日前に横浜市へ来た時にも寄らせていただきましたが、本日もまた中華街へと寄らせていただきました。昼食は、「熊猫飯店」さんへ、なんとも可愛らしい看板につられて寄ってみました。ネギらーめんに炒飯のセットランチをいただきました。他に春巻きも付いて千円しませんでした。もちろん美味しかったです。本日もまた、中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと参拝しに寄ってきました。今日は志木市場の開催日でしたので、早々に戻らせていただきました。明日より一週間、買取事例担当のものがお休みをいただきますので更新することが出来ません。出張買取、受付は通常通り営業しておりますので、引き続きどしどしとお問い合わせください。

金重陶陽(かねしげとうよう)1896~1967年
金重陶陽は金重楳陽の長男として岡山県備前市伊部に生まれました。本名を勇といいます。
1910(明治43)年、伊部尋常高等小学校を卒業後、父に師事して細工物に従事しました。
1918(大正7)年、色絵(彩色)備前を造り始め、この頃より「陶陽」の号を用い始めました。
1928(昭和3)年、備前飛獅子置物、彩色備前鬼瓦に鳩置物を天皇陛下に献上されました。
茶道具の基本を学ぶ為、表千家流に入門。
1930(昭和5)年、備前焼の本質を無釉焼き締めの土味に求めて土の生成法を発見し、
桃山備前の土味を再現する事に成功しました。
江戸時代から伊部で用いられてきた水簸土は土味を失うからとして使用を止めました。
1932(昭和7)年、本格的に轆轤制作を開始し、陶印を「陶陽造」等から「土」に改めました。
以前までは細工物を中心に焼成していましたが、
古備前の豪快で侘びた美しさに傾倒して作陶の主題は茶陶へと移行します。
武者小路千家12代愈好斎宗守が来訪したのを機にその門に入門しました。
高松宮両殿下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
1936(昭和11)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
1939(昭和14)年、再び三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
川喜田半泥子、弟・金重素山と岡山県邑久の虫明窯を訪れて作陶しました。
皿等の重ね焼きで緋襷の焼成に成功しました。
1941(昭和16)年、三重県津市の川喜田半泥子の千歳山窯を訪れて作陶。
金重素山の出征を機に窯を改良し、古備前の窯変に画期的な成功を収めました。
1942(昭和17)年、川喜田半泥子、荒川豊蔵、10代三輪休雪とからひね会を結成しました。
備前焼の技術保存資格者に認定されました。
1944(昭和19)年、日本美術、工芸統制協会代議員に就任。
1945(昭和20)年、岐阜県大萱の荒川豊蔵の窯を金重素山と訪れて作陶。
1947(昭和22)年、生活用品芸術陶磁器認定委員に就任。
1948(昭和23)年、芸術陶磁器第二部資格者となりました。
1949(昭和24)年、藤原啓、山本陶秀、藤田龍峰、金重素山、浦上善次と備前窯芸会を結成。
1951(昭和26)年、京都府亀岡市の大本教本部が花明山窯を築窯する際、指導を行いました。
1952(昭和27)年、備前焼の無形文化財記録保持者に認定されました。
以前から親交のあった北大路魯山人がイサム・ノグチを伴って来訪し、作陶を行いました。
北大路魯山人から食器の世界、前衛彫刻家のイサム・ノグチから造形の強烈な個性を受け、
この大家との出会いが陶陽の作陶に大きな変化と幅を持たせる事になりました。
魯山人の「ロ」に倣って陶印を「ト」に改め、次第に小さくなって最後まで使用しました。
秩父宮妃殿下が金重家を御来訪されました。
北大路魯山人が北鎌倉山崎の邸内に備前窯を築窯する際に協力し、
ここで志野、織部、瀬戸、伊賀等の土物を多数制作しました。
石黒宗麿、荒川豊蔵、加藤唐九郎、宇野三吾と日本工芸会の設立を協議しました。
再び、花明山窯を訪れて指導しました。
1954(昭和29)年、熱海伊豆山桃李郷で石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、
加藤唐九郎、小森松庵、黒田領治、佐藤進三と桃李会を結成。
岡山県重要無形文化財に認定されました。
山口県萩市の吉賀大眉窯、佐賀県唐津市の中里太郎右衛門窯を訪れて作陶しました。
1955(昭和30)年、日本工芸会が結成。
1956(昭和31)年、重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1959(昭和34)年、中国文化賞を受賞。
1960(昭和35)年、山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞た。
岡山県文化財保護協会理事、備前町文化財保護委員会委員長に就任。
1961(昭和36)年、石黒宗麿、加藤土師萌、小山冨士夫、荒川豊蔵、宇野三吾と柏会を結成。
京都府綾部市の大本教本部の鶴山窯で備前や信楽を焼成しました。
1962(昭和37)年、日本伝統工芸展審査員、日本工芸会理事に就任。
1963(昭和38)年、島根県知事・田部長右衛門の招きで出西窯を訪れて作陶。
1964(昭和39)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
1965(昭和40)年、岡山県工業試験所陶磁器指導所講師に就任。
1966(昭和41)年、ハワイ大学夏季大学講師に就任。
紫綬褒章を受章しました。
1967(昭和42)年、昭和天皇両陛下が備前町行啓の際、御前制作を行いました。
勲四等旭日小綬章を受章。

金重道明(かねしげみちあき)
1934年 岡山県備前市伊部に金重陶陽の長男として生まれる。
1956年 金沢美大工芸科卒業。
1957年 朝日現代陶芸展初入選
1958年 日展入選。
1964年 日本伝統工芸展入選。
1967年 米国・メキシコで開催の「国際芸術見本市」に出品。
1968年 京都、東京国立近代美術館(現代陶芸の新世代展出品)
1969年 日本工芸会正会員となる。
1970年 第2回ヴァルロス国際陶芸ビエンナーレ出品。
1971年 第3回金重陶陽賞受賞。
1973年 一水会陶芸展出品、委員に推挙される。
1975年 鈴木蔵と双戌展開催。
1976年 東ドイツにて開催の「日本の陶磁名品」展に出品
1979年 第7回中日国際陶芸展審査員。
1980年 日本陶磁協会賞受賞。
1981年 作陶25周年記念展開催。
1982年 第7回アジア芸術祭(香港)「現代日本陶芸」展に招待出品。
1984年 西ドイツ国内巡回開催の「土と炎ー現代日本の伝統陶芸」展に出品。
1985年 作陶30年記念展開催。
1995年 没。

神奈川県横浜市西区にて、唐物玉山堂の粉彩筆筒、ネパール曼荼羅(タンカ)。

神奈川県横浜市西区にて、唐物玉山堂の粉彩筆筒、ネパール曼荼羅(タンカ)をお売りいただきました。

本日は一件の見積もり、一件の出張買取でした。一件目は、目黒区大岡山へ見積もりへ伺いました。時代箪笥、茶道具の茶碗、マッピン&ウェブの家具調カトラリーセットなど。当社で精一杯の査定をさせていただきましたので、ご縁がございましたら、ご連絡よろしくお願いいたします。鶯坂を昇り、大岡山公園の桜を眺め、二件目の横浜市西区へと向かいました。遺品整理とのことで、お呼びいただき、時代箪笥、古家具の他、唐物玉山堂の粉彩筆筒、ネパール曼荼羅(タンカ)などを買い取らせていただきました。粉彩(ふんさい)とは、白磁上絵付(うわえつけ)技法の一種。西洋から中国に伝わった琺瑯(ほうろう)の技法をベースに、清(しん)朝康煕(こうき)年間(1662~1722)末には江南の景徳鎮窯(けいとくちんよう)で開発され、官窯の重要な新技法として珍重されました。絵具が柔らかいため軟彩とも、また琺瑯(ほうろう)彩ともよばれております。絵付けの良い素敵な筆筒でした。ネパールタンカは、一見古いもののように見えましたが、残念ながらよく見ると印刷されたものでした。印刷物ではありましたが、タンカ(曼荼羅)は中国での人気がありますので、買い受けさせていただきました。人気の中国物の買取り、当社をご指名くださりありがとうございました。
帰りに、横浜中華街が近かったので、夕食へと寄りました。今日は昼食がとれずお腹が空いておりましたので、中華街にある食べ放題のお店「客満堂 二号館」さんへと行きました。何種類のメニューを食べ放題なのかで料金設定が変わるようで、お腹がペコペコだったため130品食べ放題1880円のコースにしました。わたしもN尾氏もたくさん注文し、満腹になりました。とても美味しかったです。また、中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟(よこはままそびょう)へと本日も参拝しに行きました。もちろん中国美術との出会いを求めて祈願してまいりました。中国美術、骨董品をご売却の際は、是非六角堂をご指名ください!明日は埼玉県越谷市へ出張買取、頑張ります!

千葉県柏市にて、お着物、掛軸、置物、埼玉県三郷市にて、桐箪笥、神田浩二の絵画。

   

千葉県柏市にて、お着物、掛け軸、花瓶などの置物、埼玉県三郷市にて、桐たんす、お着物、一枚の絵作家神田浩二の絵画「水温む」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は千葉県柏市にて、お引越し整理でお呼びいただきました。一か月ほど前にご予約をいただいて、ようやくお伺いすることが出来ました。掛け軸やお着物、花瓶などをお売りいただきました。掛軸は、画像の橋本雅邦の他、伊東深水などをお売りいただきました。橋本雅邦(はしもとがほう)は、江戸の生まれの日本画家、明治画壇の巨匠。本名は長郷。狩野派に学び、狩野芳崖とは同門。フェノロサ・岡倉天心に認められ、新日本画の確立に尽くしました。東京美術学校教授として横山大観・下村観山・菱田春草らを指導されました。中国七宝の花瓶は、古い箱に収められており、一見時代物のように見えますが、近年造られた工芸品でした。お着物は、ウールや喪服がございましたが、全て買い受けさせていただきました。他にも深川製磁などの陶器、象彦などの漆器をお売りいただきました。たくさんお売りいただき有難うございました。二件目は埼玉県三郷市へ、桐たんす、お着物、絵画の出張買取。遺品整理にて、お呼びいただきました。こちらでは、一枚の絵作家神田浩二の絵画の他、リトグラフなどお売りいただきました。お着物はシミ汚れなどございましたが、状態の良い帯なども多くあり、全て買い取らせていただきました。搬出時にお茶をいただいたり、お気遣いくださり有難うございました。本日は一人での出張でしたので、満開の桜を眺め、倉庫近くの山田うどんさんへと寄り倉庫へ戻りました。明日は埼玉県さいたま市南区へ出張買取。頑張ります!

橋本雅邦(はしもとがほう)1835~1908
1835年 江戸の木挽町(現在の銀座)狩野家の邸内で生まれる。父親は狩野派の絵師、橋本晴園。
1847年 狩野勝川院雅信に入門。
1854年 勝川塾の塾頭となる。
1860年 雅邦の号を貰い絵師として独立する。
1882年 第1回内国絵画共進会に「得宜」を出品し銅賞受賞。
1884年 フェノロサを中心に結成された鑑画会の活動に参加。
1889年 東京美術学校の初代日本画教授となる。
1890年 第3回内国勧業博覧会で「白雲紅樹図」が一等妙技賞受賞。
1895年 第4回内国勧業博覧会に「竜虎図屏風」を出品。
1898年 パリ万国博覧会に「竜虎図屏風」を出品し銀牌を受賞。
1898年 東京美術学校を退職。岡倉天心とともに日本美術院を創立。
1908年 死去。享年73歳。

神田浩二(かんだこうじ)
1972年島根県出雲市に生まれる。幼い頃から絵が好きで、学生時代には美術部に籍を置く。島根大学理学部数学科卒業後は家業を手伝いながら描き続け、各種コンクールに出品。
県展、島根洋画展、昭和美術会展、花の美術展等での受賞・入選、平成11年 画商に認められ専属契約、翌年 若手画家で創る<美術家集団21>の設立に参加する。
平成14年、一枚の絵「現代洋画精鋭選抜展」で過去に無い高評価を受け、審査員を驚かせる新表現で金賞を受賞。できる限り簡略化し、同系色でまとめる独特な作風を個性とし、風景を中心に描き続けている。

東京都世田谷区北沢にて、桐箪笥、チーク家具、掛軸、万年筆、藤田喬平の花瓶。

 

東京都世田谷区北沢にて、古い加茂桐箪笥、チーク家具(ブックシェルフ)、掛け軸、パイロット蒔絵万年筆、人気ガラス工芸家藤田喬平の手吹花瓶をお売りいただきました。

本日は一件の出張買取、二件の見積もりで出張しました。一件目は、世田谷区北沢。先月お見積りにお伺いしたお客様と買取が成立しましたので、出張買取させていただきました。お売りいただいた桐たんすは、時代桐箪笥。お客様のご出身が新潟県加茂市で、何十年も前に購入された加茂桐箪笥。伝統工芸品に指定される前のたんすで、オーダーメイドのもの。二つのタンスを一つに組み合わせた大変珍しいタンスでした。現在、この時代の桐タンスの買い取りは厳しくなっておりますが、こちらは特別に買い受けさせていただきました。チーク製の家具はブックシェルフ。所々傷みがございましたが、人気のチーク家具、買い取りさせていただきました。掛軸は、田能村竹田の山水画や山本梅逸の花鳥図など。万年筆は、皇太子殿下御成婚記念の際に、パイロット社が國光会の中で人気の作家である吉田久斎とコラボして作られたものになります。ペン先は18金で、本体には御所車や桜の蒔絵が入っております。とても見事な万年筆でした。藤田喬平は東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区百人町)生まれのガラス工芸家。東京美術学校で彫金を学ぶが、途中でガラス工芸に転向。その後、イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立されました。宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)に、藤田喬平ガラス美術館がございます。藤田喬平のガラス工芸品は、六角堂で買い取りを強化しております。良いお品をお売りいただき有難うございました。また近日、古銭などの買取りでお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。二件目は、神奈川県川崎市中原区へ、お茶道具の見積もりでお伺いしました。人間国宝である角谷一圭の弟である釜師角谷莎村(かくたにしゃそん)の鉄瓶、十四代坂倉新兵衛の萩茶碗、他にも棗や香合などございました。精一杯の査定額を付けておりますので、ご縁がございましたらご指名ください。三件目は、東京都大田区へお着物のお見積り。振袖や留袖、紬、帯などを査定させていただきました。こちらもまた、精一杯の査定額を付けておりますので、ご縁がございましたらご指名ください。本日の昼食は、世田谷区へ向かう途中、高円寺近くの環七沿いにある立ち食いそば屋さん「江戸丸」さんへと寄りました。安い、美味い、早いと、典型的な立ち食いそばの良店。初めて寄りましたが、メニューも豊富で、久々の立ち食いそばはとても良かったです。ゲソ天に春菊天を入れたうどんをいただきましたが、熱々でとても美味しかったです。また寄りたいと思います。夕食は遅くなってしまいましたが、最近通っている所沢市にある「麺場 壱歩」さんへ行きました。今日は九州麦味噌肉ネギらーめんをいただきました。とても美味しかったです。明日は、東京都足立区竹の塚へ出張買取、頑張ります!

藤田喬平(ふじたきょうへい)
1921 東京都新宿区に生まれる
1944 東京美術学校工芸科彫金部卒業
1949 2年間務めた岩田硝子工芸退社。ガラス作家として独立
1964 流動ガラスの代表作「虹彩」を発表
1973 飾筥の代表作「菖蒲」を発表
1977 ヴェネチア・ムラノ島にてガラス製作を始める
1989 恩賜賞・日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員就任
1996 藤田喬平ガラス美術館開館
1997 文化功労者顕彰、紺綬褒章受章
2002 文化勲章受賞
2004 逝去

東京都練馬区谷原にて、桐箪笥、館林源右衛門窯 萬歴風人物絵 花瓶。

 

東京都練馬区谷原にて、桐箪笥、館林源右衛門窯 萬歴風人物絵 花瓶をお売りいただきました。

本日は何と五件の出張買取。本日の出張コースは、世田谷区等々力~大田区池上~昼食~杉並区和田~練馬区谷原~世田谷区桜上水~長浜ラーメン~帰宅と朝から夜までの出張買取となりました。腰痛に悩まされながら、一件目世田谷区へと向かいました。こちらは業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。イタリア家具、古い映画のパンフレット、お着物などを買い取らせていただきました。二件目大田区池上も業者様のご紹介でお呼びいただき、こちらでは油彩画、翡翠の香炉や置物など、中国へ行った際に購入された工芸品をまとめてお売りいただきました。三件目の杉並区和田では、こちらもまた業者様のご紹介でイラン製のウール絨毯を買い受けました。痛みやシミ汚れなどありましたが、まだまだリサイクル可能のものでした。四件目は練馬区谷原にて、桐箪笥、館林源右衛門窯 萬歴風人物絵 花瓶を買い取らせていただきました。源右衛門窯は、260年余の歴史を持つ名窯で、柿右衛門窯、今右衛門窯と並ぶ有田の三右衛門の1つであります。現在も往古のままの手技(てわざ)と、古伊万里のこころを受け継いでおります。六角堂では、源右衛門窯、柿右衛門窯、今右衛門窯の三右衛門作品を強化買取りしてますので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。本日のラスト五件目は、お片付け整理でお伺いさせていただきました。こちらでは、お着物を買い取らせていただきました。ウールのものやシミのあるものもございましたが、全て買い受けさせていただきました。本日お伺いした五件のお客様、色々とお売りいただき有難うございました。全て大切に次へと繋げさせていただきます。今日は朝から回りましたが、さすがに五件の出張は大変でした。移動距離平均10キロ前後とうまくルートを組んだのですが、都内は渋滞がありますのでなかなかうまく回れませんね。もう少しうまく予定を組んでいこうと思います。本日の昼食は、大田区池上にある「うまい肉と麺の店 ヨネ家」さんというお店に寄りました。こちらは全国丼グランプリ金賞受賞というのぼり旗につられて入ったのですが、入ってみるとなにやらお洒落なバーのようなお店。プロレスのチラシなどがたくさん貼ってましたのでお店の方にプロレス好きですか?と聞くと、なんとこちらのお店のオーナーさんは現役のプロレスラーとのこと。モハメドヨネさんというレスラーで、オーナーの名前をとってヨネ家さんのようです。わたしはラーメンと「幻霜肉丼」なるものをいただきました。広島のブランド豚である「幻霜(げんそう)ポーク」を使った肉丼、魚介と豚骨のダブルスープが美味しいラーメン、どちらもとても美味しかったです。近くに来た時には、また寄りたいお店です。夕食は、夜になってしまいましたが、いつも寄らせていただいている世田谷区の「長浜ラーメン」さんへと寄りました。替え玉を二玉追加しましたので、本日計四玉も麺を食べてしまったようです。もう少し控えなければですね。明日は三件の出張買取、中野区、武蔵野市、武蔵村山市を回ります。明日は麺を控えて頑張ります!