カテゴリー別アーカイブ: 彫刻・ブロンズ像

東京都世田谷区下馬にて籔内佐斗司のブロンズ像「卯吉」、反物など。

 

東京都世田谷区下馬にて籔内佐斗司のブロンズ像「卯吉」、反物などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、籔内佐斗司のブロンズ像「卯吉」、反物など。籔内佐斗司は、日本を代表する彫刻家として知られています。東京芸術大学の教授としても高い功績を残しており、数々の後進を育て上げている事でも知られています。平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」を制作した事でも有名です。本品は、平成11年の干支作品、うさぎの「卯吉」。330個限定のブロンズ置物。小振りながら、大変かわいい人気作品です。共箱にしまわれて大事に保管されておりましたので、大変状態が良かったです。六角堂で買い取りを強化している作家作品の為、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、本場結城紬や、黄八丈の反物なども併せてお売りいただきました。素晴らしいお品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「籔内佐斗司」作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

籔内佐斗司(やぶうちさとし)
1953年、大阪府大阪市にて生まれる。大阪府立三国丘高等学校を経て、1978年、東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。1980年、東京芸術大学大学院美術研究科澄川喜一研究室で彫刻を専攻し、修了する。1982年から1987年まで、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室の非常勤講師を勤める。仏像などの古美術の古典技法とその修復技術を研究、新薬師寺地蔵菩薩立像(奈良市)、平林寺十六羅漢像(新座市)などで東京芸術大学が中心となって行った、保存修復に参加する。1987年、彫刻家として活動を開始する。作品には、横浜ビジネスパークの「犬も歩けば」(1990年)など、パブリック・アートも多い。1996年、ニューヨークにて『The World of Satoshi Yabuuchi-scuiptor』展。1997年に第17回現代日本彫刻展の宇部興産株式会社賞。1999年にはパリ三越にて個展を開催。2000年、個展『新世紀に向けて 籔内佐斗司の世界展』。2003年、第21回平櫛田中賞を受賞。2004年、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室教授に就任する。

東京都中央区勝どきにて伊藤國男の馬のブロンズ像、お着物、反物など。

東京都中央区勝どきにて伊藤國男の馬のブロンズ像、着物、反物などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や反物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお着物はお客様が成人式の時に一度のみ使用された振袖のセット、色留袖、紬など。サイズもあり、保管状態も良かったので、お客様にご満足いただける査定額で買取出来ました。証紙も大切に保管されてましたので、高価査定に繋がりました。反物は友禅のものや紬など。こちらも保管状態が良かったです。他にも帯留め・帯締め・草履・下 駄・かんざし・櫛・バッグ等などの和装小物も併せてお売りいただきました。シミ汚れなど状態に難のあるものも数点ございましたが、こちらも全て買い受けさせていただきました。着物の他にも馬の置物をご処分されたいとのことで確認したところ、馬のブロンズ像の第一人者である伊藤國男氏の作品でございました。以前にも何度か取扱させていただきましたが、伊藤國男のブロンズ像はまるで生きているかのような表情でとても精巧に造られております。さすが生涯全てを馬像制作に捧げたといわれる作家の作品でございます。残念ながら体の所々にスレ傷がありましたが、買取強化中の作家作品ですので、高価査定で買取らせていただきました。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。

伊藤國男(いとうくにお)1890年に岩手県生まれの彫刻家。
10人兄弟で家計を助けるためにある彫刻家の内弟子となり、その頃に馬と関ったことがきっかけで馬像を彫るようになりました。騎兵学校や御料牧場を訪ねては馬像の制作に励み、やがてその作品は天皇陛下の元にも置かれるようになりました。モデルとなった馬たちが次々と戦争で命を落とすことに心を痛め、全財産を費やして戦没馬慰霊像を制作しました。生涯の全てを馬像制作に捧げたといわれている作家でございます。

東京都港区東麻布にて宮地寅彦のブロンズ像、奏任官大礼服、絵画など。

東京都港区東麻布にて宮地寅彦のブロンズ像、奏任官大礼服、絵画、置物、洋食器などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、リフォーム前のお片付け整理でお呼びいただきました。リフォームする際にまとめてお荷物をお片付けされたいとのことでお呼びいただき、買取できるお品は全て買取させていただきました。お売りいただいたお品は、宮地寅彦のブロンズ像、奏任官大礼服、絵画、置物、洋食器など。たくさんのお品をお売りいただきました。宮地寅彦は石川県金沢市生まれの彫刻家。猫を抱き上げる裸婦の表情が豊かな作品、宮地寅彦の晩年期の作品です。恐らく明治期の頃と思われる大礼服は、奏任官用のもの。奏任官というのは、行政府の奏上を以って天皇より任用される中級の官吏であります。勅任官用と比べると、帽子の飾毛が黒になり、胸および背面肩の金モール飾がありません。上衣襟部、袖部には菊の紋章が施されております。お客様のご先祖が着られていたというお品です。代々と大切に桐箱で保管されておりましたので、状態も良くお客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。他にも絵画、置物、洋食器など多数お売りいただきました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は当社をお呼びいただき有難うございました。

宮地寅彦 (みやちとらひこ)明治35(1902)年9月24日~平成7(1995)年9月23日
明治35(1902)年9月24日石川県金沢市に生まれる。昭和2(1927)年東京美術学校彫刻科を卒業し、翌年の昭和3年第9回帝展に「白哲」が初入選する。構造社展にも出品し、「猫」が構造賞を受賞、会員となりました。戦後は、日展を中心に出品を続け、審査員をつとめ、出品委嘱をかさねた。また、日木彫塑会の選考委員、理事なども務めました。昭和39年に日展評議員となり、昭和45年に日展参与となりました。近年は、次第に人体表現のなかにフォルムの単純化による抽象的な要素をもりこむようになっておりましたが、平成7(1995)年の第27回展には、ブロンズによる座像「口笛」が遺作として出品された。平成7(1995)年9月23日、東京都小平市の自宅にて逝去。享年92。

東京都府中市にて北村西望のブロンズ像「将軍の孫」、ジャガールクルトの置き時計。

東京都府中市にて文化勲章受章 北村西望のブロンズ像「将軍の孫」、Jaeger-LeCoultre(ジャガールクルト)アトモス置き時計をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。他社と相見積もりでしたが、査定の上当社にお売りいただくこととなりました。本日お売りいただいたお品は、北村西望(きたむらせいぼう)のブロンズ像「将軍の孫」、Jaeger-LeCoultre(ジャガールクルト)アトモス置き時計。彫刻家北村西望の人気作品である「将軍の孫」。こちらは高さ約50㎝の大振りなブロンズ像。「将軍の孫」は大正7年、日露戦争の軍神であった橘中佐の立像を制作するため遺品を預かっていたところ、麦藁帽子をかぶって北村西望のアトリエに遊びに来た当時五歳の長男・治禧(はるよし)氏が、ぶかぶかの軍靴をはき、西望に拳手の礼をとったあどけない姿をモデルにしたもの。この作品は、文部省第12回美術展覧会(文展)に出品され、推薦を受けております。文展における推薦は無監査と同じ。大正5年に文展の褒状制度が改正され、入賞は一括して特選となり、新たに無監査の推薦が設定されました。この像は当時青山にあった学習院の幼稚園と府中刑務所に設置されました。現在では、井の頭公園、調布市の神代植物公園、箱根の彫刻の森美術館をはじめ各所に置かれ、誰にでも好かれている作品の一つです。本品は高岡銅器製、共箱付。また、Jaeger-LeCoultre(ジャガールクルト)アトモス置き時計また、も併せてお売りいただきました。電池を動力とせず、ただ置いておくだけで半永久的に動く置時計アトモス。この時計は空気を動力としております。記念が入ってしまっておりますが動作良好、こちらも買取させていただきました。良いお品をお売りいただき、誠に有難うございました。
市場へ戻る途中、志木市にある中華料理屋「五番」さんで食事をしました。昔ながらの中華料理屋で、店内は高級感あふれるお店ですが、料金はリーズナブル。よく寄らせてもらってます。こちらのおすすめは広東麺ですが、本日は担々麺、とても美味しかったです。

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
明治17年 12月16日長崎県南高来郡にて出生
明治45年 東京美術学校彫刻科卒業
大正4年 第9回文展 初入選
大正7年 第12回文展 「将軍の孫」出品
大正14年 帝国美術院会員
昭和30年 長崎「平和記念像」完成
昭和33年 文化勲章 文化功労者顕彰 日展創立
昭和40年 日本芸術院第一部長
昭和44年 社団法人日展改組、会長
昭和45年 社団法人日本彫塑会改組、名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に西望記念館完成
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和52年 広島市中央公園 鯉「飛躍」設置
昭和56年 東京都青梅市御岳山頂「畠山重忠公像」設置
昭和62年 3月逝去 104歳

埼玉県本庄市にて、岡崎雪聲の二宮金次郎ブロンズ像、桐箪笥など。

   

埼玉県本庄市にて、岡崎雪聲の二宮金次郎ブロンズ像、時代桐箪笥などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県深谷市にて五月人形のご処分でお呼びいただきました。兜、甲冑やお人形など、多数まとめてお売りいただきました。ご親戚の大切にされていたお人形、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日二件目は、業者様のご紹介で本庄市へ解体前のご処分整理でお呼びいただきました。こちらでは、岡崎雪聲(おかざきせっせい)の二宮金次郎ブロンズ像や時代箪笥などをご売却いただきました。岡崎雪聲は上野公園の西郷隆盛像を造られたことで有名であります。(原型は高村光雲)また、学校などで見かける二宮金次郎像は、雪聲が最初に制作したことで知られております。(明治43年(1910年)に東京彫工会に出品されました。)本品もまた、二宮尊徳(金次郎)十四歳の時の肖像であります。箱書は渡邊久次郎書とあります。箱にしまわれて大事に保管されておりましたので、状態も良かったです。こちらは六角堂で買い取りを強化している作家作品の為、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、時代桐箪笥やかんざしなども併せてお売りいただきました。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「岡崎雪聲」作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
本日の昼食は、本庄市にある夢庵さんでいただきました。鮭や蟹の入ったうどん、とても温まり美味しかったです。

岡崎雪聲(岡崎雪声)おかざきせっせい
嘉永7年1月29日(1854年2月26日) – 大正10年(1921年)4月16日)。
山城国伏見町(京都市)で、釜師岡崎貞甫の子として生まれる。本名は庄次郎。
大阪で釜師の修業をしたのち、21歳のときに上京し鋳工を学び、鋳金家の鈴木政吉の門人となる。
明治22年(1889年)のパリ万国博覧会に出品した作品が二等となり、また並行して各地の古仏像の調査研究を鋳造の面から研究してその名を高めたことで、後に岡倉覚三(天心)の知己を得て、明治23年(1890年)に東京美術学校鋳金科の教師となる。明治25年(1892年)に制作した『執金剛神』像がシカゴ万国博覧会出品作に選ばれるなど、その後も精力的に作品を制作し、同29年(1896年)には鋳金科教授となった。日本美術院の設立にも名を連ね、香取秀真や津田信夫ら数多くの鋳金家を育てた。
明治23年、第3回内国博覧会に出品した「鋳銅雲竜図」が2等妙技賞を受賞。
明治26年に開催されたシカゴ万国博覧会へは自費で鋳造技法の調査旅行に赴いている。
分解鋳造法による大型鋳造が得意で、銅像や建築装飾などを手がけたが、原型は彫刻家によることが多く、鋳金工芸家というよりは鋳物師としての功績が大きい。
代表作品は「青銅鐘」(宮内庁蔵)、「日本橋装飾獅子」(原型制作は渡辺長男)、上野公園「西郷隆盛像」、皇居前広場「楠木正成像」など。

埼玉県さいたま市桜区にて、伊藤國男のブロンズ像、馬の置物など。

埼玉県さいたま市桜区にて、伊藤國男のブロンズ像、馬の置物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都世田谷区宮坂にて、ヤマハ製サイレントチェロを出張買取しました。付属品も揃っており、動作確認もしていただいておりましたので、スムーズに買取させていただくことが出来ました。お客様が使用されていた思い出のお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目は埼玉県さいたま市桜区へ、遺品整理でお呼びいただきました。お父様が馬の置物がお好きだったようで、木彫りやブロンズ像などたくさんのお品をお売りいただきました。馬はブロンズ像の中でも人気があり、中でも作家物のお品は高額査定となる場合が多くございます。本日お売りいただきました伊藤國男のブロンズ像も五万円の査定をさせていただき、お客様にお喜びいただけました。共箱はありませんでしたが、保管状態が良かったので査定を頑張ることが出来ました。他にも池田勇八の馬のブロンズがございましたが、こちらは形見として残されるとのこと、良い作品ですので大切にされてください。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。良いお品をお売りいただき有難うございました。
暑い日には辛い料理をと、帰り際に大宮駅にある蒙古タンメン中本さんへ寄りました。北極ラーメンは完食できる自信がなかったので、少し辛さを抑えて五目蒙古タンメンを注文しました。中本さんは辛さの中に旨味があり癖になります。いずれは北極にも挑戦してみようと思います。

伊藤國男(いとうくにお)1890年に岩手県生まれの彫刻家。
10人兄弟で家計を助けるためにある彫刻家の内弟子となり、その頃に馬と関ったことがきっかけで馬像を彫るようになりました。騎兵学校や御料牧場を訪ねては馬像の制作に励み、やがてその作品は天皇陛下の元にも置かれるようになりました。モデルとなった馬たちが次々と戦争で命を落とすことに心を痛め、全財産を費やして戦没馬慰霊像を制作しました。生涯の全てを馬像制作に捧げたといわれている作家でございます。

東京都大田区田園調布にて、雨宮敬子のブロンズ裸婦像の買取。

     

東京都大田区田園調布にて、雨宮敬子のブロンズ裸婦像、洋画をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、人気彫刻家雨宮敬子の作品。裸婦のブロンズ像になります。共箱がなくお客様が作家が分からないとのことでしたが、足元のにあるKeikoのサインやお顔の表情ですぐに雨宮敬子のものと分かりました。雨宮敬子は、女性像の中でも、特に裸婦像を一貫して作り続けており、外観的な女性美を表現するだけでなく、内面的・精神的な美を表出させることによって、女性ならではの清楚な作風となっています。 多少スレや傷みがございましたが、六角堂で買取強化中の作家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。ブロンズの他、洋画やリトグラフなども併せてお売りいただきました。良いお品をまとめてお売りいただき有難うございました。
帰りに市場の仲間たちと食事をすることになりました。荻窪駅にあるインド料理屋「ナタラジ 荻窪店」さんへと行きました。店内は広く、とても良い雰囲気の場所でした。こちらのカレーは肉を使わず野菜や豆類のみで作られており、とてもヘルシーです。カレーはもちろん、天然酵母のナンやラッシーもとても美味しかったです。

雨宮敬子(あめみやけいこ)
父・雨宮治郎、弟・雨宮淳も日本芸術院会員として活躍した彫刻一家で育つ。日本大学芸術学部を卒業し、北村西望、富永直樹に師事する。裸婦を中心とした作品を展開しています。
1931 東京に生まれる
1956 第12回日展初入選(以後連続入選)
1958 第1回新日展「薫風に望む」特選(以後1回)
1969 総合美術展「湖」参加
1972 第26回新樹会展招待出品(’77まで)
1980 第1回現代女流美術展出品(以後連続出品)
1982 第10回長野市野外彫刻賞受賞
1985 第17回日展「道」内閣総理大臣賞受賞
1994 日本芸術院会員となる
1996 個展(日本橋・三越)
1998 日本彫刻会常務理事となる
2002 日刊現代美術展実行委員をつとめる
2005 国民文化祭美術展で審査員となる
2017 旭日中綬章受章、文化功労者となる

東京都渋谷区笹塚にて、時代家具、金工師旭峯作猿のブロンズ置物など。

 

東京都渋谷区笹塚にて、時代家具、金工師旭峯作猿のブロンズ置物、市松人形などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お父様が生前大事にされていたという大正期の時代家具や置物、人形などを買い取らせていただきました。今回引越しされる更に前のお家より連れてこられた家具や置物たち、時代を重ねてきた歴史を感じさせてくれます。金工師旭峯のブロンズ像は、猿の彫刻が細密に彫られており、雰囲気良い作品となってます。昭和の作品かと思われます。共箱などございませんでしたが、金工師によるブロンズ像を買取強化中ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。六角堂では、金工師によるブロンズ作品を探しております。ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。金工作家作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
帰宅途中、世田谷区にある「長浜らーめん」さんへ行きました。近くへ来た時にはよく寄っておりますが、いつ来ても美味しいです。今夜は私の住む三芳町のお祭り「みよしまつり」の開催日でしたので、家族で行ってきました。近年お祭りの開催日は雨の日が多かったのですが、今年は一日延期したため雨が降らずとても良いお祭りでした。打ち上げ花火も例年通りとても素晴らしかったです。また来年が楽しみです。明日はお休みをいただき、明後日は四件の出張買取になります。明日は一日ゆっくりと休みます。

東京都文京区千石にて、進藤武松のブロンズ裸婦像、カルテルやイームズのチェア。

 

東京都文京区千石にて、進藤武松のブロンズ裸婦像、カルテルのルイ ゴーストチェア、ハーマンミラー社イームズデザインのアームシェルチェアなどをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、東京都文京区千石へオフィスのお片付け整理でお呼びいただきました。カッシーナやハーマンミラー、ドマーニなどの高級デザイナーズ家具を片付けで欲しいとご連絡いただきお伺いしました。いつもお客様をご紹介くださり有難うございます。オフィスへ到着して見渡すと有名なデザイナーズ家具や人気ブランド家具が多数ございました。だいぶ使用されていたようで状態の悪いものが多くございましたが、人気家具ですのでお客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。ハーマンミラー社製チャールズ&レイ・イームズデザインの代名詞とも言えるアームシェルチェアは、セカンドモデルと呼ばれている貴重なヴィンテージチェアです。ファイバーグラスというガラス繊維で強化されたプラスチックを使用しており、コレクターにはたまらない一品です。家具の他、ステンドグラスのライトや彫刻家進藤武松のブロンズ裸婦像も買い取らせていただきました。進藤武松は東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家。写実的な女性の裸体像や若い男性像を得意とした彫刻家で、美空ひばりの等身大のブロンズ像を手掛けている事でも知られています。六角堂でも買取を強化している彫刻作家の一人です。共箱の欠品、スレなどございましたが、強化買取り作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いお品を多数お売りいただき、有難うございました。
帰宅途中、大塚駅の近くにある「博多長浜らーめん ぼたん」へ寄りました。ラーメンに揚げネギニンニクをトッピング。濃厚な豚骨のスープに揚げネギニンニクが良く合い、替え玉を二杯追加しました。久々がっつりといってしまいました。とても美味しかったです。

進藤 武松(しんどう たけまつ)1909年1月5日 – 2000年2月12日
日本の彫刻家、日本芸術院会員。東京生まれ。東京物理学校中退。
1929年構造社彫塑研究所に入所。斎藤素巌に師事。
1934年「構造賞」受賞。
1938年文展特選。
1952年日展特選、朝倉賞、川合賞。
1961年日展評議員。
1968年日本彫刻会理事。
1973年日本芸術院賞。
1975年日展理事。
1980年日本彫刻会委員長(-1990年)。
1983年日本芸術院会員。
1984年日展顧問、日本彫刻会常務理事。
1985年勲三等瑞宝章、紺綬褒章受章。
1987年日展常務理事。
1993年、「悲しき口笛」を歌う12歳の美空ひばりの等身大ブロンズ像を制作した。

神奈川県横浜市港北区にて、舟越保武のブロンズ像「少女A」「K嬢」

 

神奈川県横浜市港北区にて、舟越保武のブロンズ像「少女A」、「K嬢」、古銭、雑貨などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。古銭や雑貨の他、人気彫刻家舟越保武のブロンズ像を買い受けました。理想的な女性像をモチーフとし理想の美を追求した舟越保武のブロンズ像。私たち古物商の間では定番のアイテムとなっております。お売りいただいた作品は、「少女A」「K嬢」になります。以前買い取らせていただいた舟越作品の「ローラ」と並べてみると、三姉妹が揃った感じがします。良いお品をお売りいただき有難うございました。
帰宅途中、20年近く前に住んでいた神奈川新町駅のそばのマンションを通ってみると、隣に大勝軒さんが出来ておりました。20年も経つと周りの雰囲気が変わってしまうものですね。小腹がすいておりましたので、「大勝軒神奈川新町店」へ寄らせていただくことにしました。お昼時間でしたので、たくさんのお客さんが並んでおりました。つけ麺にしようか迷いましたが、本日はカレーらーめんをいただくことにしました。玉子をトッピングしましたが、こちらのラーメンはボリュームがあるのでお腹いっぱいになりました。とても美味しかったです。

舟越保武(ふなこしやすたけ)
1912年12月7日~2002年2月5日
佐藤忠良と共に戦後日本を代表する彫刻家。
新制作協会彫刻部創立会員。東京藝術大学名誉教授。
文化学院出身で画家の妻道子との間に子供6人。
次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍中。
略歴
1912年 岩手県二戸郡一戸町小鳥谷に生まれる。父親は熱心なカトリック信者
1939年 東京美術学校彫刻科を卒業。このときに終生の友情を培う佐藤忠良と出会う
1950年 長男が生まれて間もなく急死。これを機に、カトリックに帰依、キリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした制作が増える
1962年 長崎二十六殉教者記念像完成。第5回高村光太郎賞受賞
1967年 東京芸術大学教授に就任。1980年までの間、東京芸術大学教授。
1972年 第3回中原悌二郎賞受賞
1973年 ローマ法王より大聖グレゴリオ騎士団長賞受賞
1978年 芸術選奨文部大臣賞受賞
1980年 東京芸術大学を退官。翌年多摩美術大学教授となる
1983年 「巨岩と花びら」で日本エッセイストクラブ賞受賞
1984年 勲4等旭日小授章授章 個展(札幌芸術の森、いわき市立美術館ほか)
1986年 東京芸術大学名誉教授になる
1987年 脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になったが、すぐにリハビリを開始。死の直前まで左手で創作を続けた。
1999年 文化功労者
2002年 多機能不全で死去(享年89歳)