カテゴリー別アーカイブ: 絵画・掛軸

栃木県宇都宮市にて坂本好一、相澤弘邦の版画、佐伯守美、山口幹彦など陶器。

 

栃木県宇都宮市にて坂本好一の銅版画、相澤弘邦の木版画、佐伯守美、山口幹彦など陶器を多数お売りいただきました。

質屋さんのご紹介で先月お見積りへお伺いしたお客様宅へ、出張買取させていただきました。たくさんの陶器や絵画をご処分されたいとご連絡いただき、先月お見積りへお伺いさせていただきました。ご検討いただき、当社にお売りいただけるとのこと、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は坂本好一、相澤弘邦の版画多数、佐伯守美のひび化粧葡萄文ぐい吞、山口幹彦の染付山水香炉、益子焼や備前焼など花器、茶器、皿、置物などたくさんの陶器。絵画は銅版画、木版画など、たくさんの版画がありました。坂本好一、相澤弘邦、いずれも同じ栃木県の画家さんです。風景画が多くございました。陶器は佐伯守美、山口幹彦の他、栃木県の焼き物である益子焼が多くございました。作家物、作家のないもの、共箱のあるもの、箱のないものなどございましたが、全て買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていた絵画、陶器、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二度にわたり、六角堂をご指名いただき有難うございました。帰りにシュークリームをいただきました。とても美味しかったです。ご馳走様でした。
最後の画像は昨日宇都宮駅近くにある「鶏そば HIBARI」さんで食べた鶏そば、パクチーメンマ。こちらは前回の見積りの時にも寄らせていただきました。濃厚スープがとても美味しいです。帰りには「宇都宮餃子 来らっせ」さんへ寄りました。こちらは宇都宮で人気の餃子店の餃子が日替わりで食べることが出来ます。一皿で5店舗の餃子、二皿10店舗分の餃子をいただきました。どれも美味しかったですが、個人的には高橋餃子さんの餃子が一番おいしく感じました。日替わりですので、また寄りたいと思います。

坂本好一(さかもとこういち)
栃木県生まれ。
1953(昭和28)年頃より日本画を学ぶ。
1955(昭和30)年頃には独学で版画を始める。
1957(昭和32)年に新制作協会展に日本画を出品。
1960(昭和35)年に日本版画協会展に初出品。
1966(昭和41)年以降、春陽会展と日本版画協会展に銅版画を出品。主な活動の場とする。
1967(昭和42)年に初の個展を開催。鳥、鳩、殻、民家集落などのシリーズを発表し、孤独感漂うひとの棲家に独自の情感を盛り込んでいる。

相澤弘邦(あいざわひろくに)
1946年 栃木県大田原市生まれ
1990年 板院展新人賞
1992年 JCAA日中美術家協会理事・板画院々友推薦
1993年 板院展院友賞
1944年 板画院同人推挙
1994年 初個展
1997年 栃木県美術作家連盟会員
1998年 八星会々員
1999年 板院展審査員・日本作家協会々員
2000年 朝日新聞「歌壇」欄の挿絵版画担当

佐伯守美(さえきもりよし)
1949年 彫刻家佐伯留守夫の長男として生まれる
1975年 東京藝術大学院修了。「掻落し芙蓉文大皿」芸大資料館買上げ
1978年 栃木県芸術祭工芸部門芸術祭賞受賞
1987年 東京藝術大学非常勤講師となる(~2001年)
1988年 第28回伝統工芸新作展奨励賞受賞、国際陶芸展優秀賞受賞
1989年 栃木県文化奨励賞受賞
1990年 マロニエ文化賞受賞
1991年 第31回伝統工芸新作展「練込象嵌樹林文扁壺」東京都教育委員会賞受賞
2001年 文星芸術大学非常勤講師となる
2002年 「象嵌釉彩樹林文扁壺」宮内庁買上、第4回益子陶芸展審査員特別賞受賞
2004年 大滝村北海道陶芸展金賞受賞。第66回 一水会陶芸展 一水会賞受賞
2013年 現代工芸アートフェアに参加。高輪会にて個展。
2017年 日本橋三越本店で「象嵌・彩泥 佐伯守美の世界展」を開催

山口幹彦(やまぐちみきひこ)
1980年 九州山口陶磁展入選、以後入選。佐賀県展入選、以後連入
1981年 西日本陶芸美術展入選入賞 以後入選入賞
1982年 山幹窯 開窯
1983年 日本伝統工芸展入選、以後入選
1995年 通商大臣指定 伊万里有田焼伝統工芸士認定
2002年 日本工芸会正会員認定
2004年 ドイツ マイセン陶芸展出品
2009年 九州国立博物館出品
2016年 有田国際陶磁展入選、以後入選

東京都国分寺市にて藤岡しんたろうの油彩、東勝廣の木彫、結城紬など反物。

東京都国分寺市にて藤岡しんたろうの油彩画「まどべのミモザ」、東勝廣の虎木彫「希望」、本場結城紬、都喜ヱ門(金ラベル)大島紬など反物多数お売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、藤岡しんたろうの油彩画「まどべのミモザ」、東勝廣の虎木彫「希望」、本場結城紬、都喜ヱ門(金ラベル)大島紬など反物多数。数多くのお品をお売りいただきました。藤岡しんたろうは一枚の絵作家であり、父・藤岡心象に師事した人気作家であります。東勝廣は飛騨高山の彫刻家であります。一位一刀彫で作られた虎は大変造りの良い作品であります。共箱に納められ、大変状態の良いお品でした。反物は本場結城紬、都喜ヱ門(金ラベル)大島紬など。残念ながらヤケやシミの出てしまっているものが多くございましたが、良い反物が多くあり全て買い取らせていただきました。都喜ェ門の反物は金ラベルの品。都喜ヱ門ブランドは名前の部分が『金』のもの、『銀』のもの、それ以外とランク分けされております。その中の最高品質のものがこちらの金ラベル。ヤケがなければ高額査定となっただけに残念でした。本場結城紬は状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり有難うございました。

藤岡しんたろう(ふじおかしんたろう)1968年~
1968年 奈良県に生まれる。父、藤岡心象に師事。
1988年 現代洋画精鋭選抜展銀賞
1989年 現代洋画精鋭選抜展金賞
1990年 現代洋画精鋭選抜展第20回記念大展銅賞
個展、2人展多数開催
特技はマジックとブルーズギター

東勝廣(あずまかつひろ)1944年~
1944年、高山市に生まれる。
昭和34年に竹腰亮次彫房において技術を習得。以降50年以上にわたり飛騨一位一刀彫の製作に従事する。
平成5年、卓越した技能者の岐阜県知事表彰。平成28年、卓越した技能者の厚生労働大臣表彰。高山市祭屋台修理技術者

東京都稲城市にて原田泰治の木版画、大田区にて松澤登美雄の木彫り彫刻。

    

東京都稲城市にて原田泰治の木版画、大田区にて農民美術作家 松澤登美雄の木彫り彫刻をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都稲城市へ絵画のご処分でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、原田泰治の木版画を二種、計七点。額装されていない版画のみで七枚のうち六枚が同作品。メールでお問い合わせいただいた際に査定させていた金額で、全て買い取らせていただきました。シミ汚れ等なく、保管状態の良い作品でした。お忙しい中、当社をお呼びいただき有難うございました。二件目は業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥やお着物、置物などをご処分されたいとご連絡いただき、お伺いしました。桐箪笥は残念ながら現在買取が厳しいたんすでしたが、お着物、反物はシミなどあるものの全て買い取らせていただきました。置物は木彫りの人形や、農民美術作家 松澤登美雄の木彫り彫刻「割烹着」、「棟梁」をお売りいただきました。農民の手工芸品として始まった「農民美術」は、大正から昭和初期にかけて全国に広がり、現在は長野県上田地域の伝統的工芸品として定着し、白馬・大町などで作られております。信州の風土を背景にした生活の中より生まれる奔放な作品が多くございます。すべて手作り品のため、同じ作品がなく、そこが魅力のひとつであります。松澤登美雄氏の作品も長野発祥の木端人形がルーツの農民芸術であります。お売りいただいた作品のように、温かい温もりを感じる作品を現在も作られております。多少スレなどございましたが、全体的に状態良く、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
昼食で、世田谷区にある「長浜らーめん」さんへ行きました。コロナ禍で外食を控えておりますが、久々寄らせていただきました。とんこつ味噌にタマネギをトッピング。ゴマをたくさん入れるのが私流です。久々の長浜らーめんはとても美味しかったです。収束しましたら、以前のようにたくさん通いたいと思います。

原田泰治(はらだたいじ)1940年~
1940年 長野県諏訪市上町で生まれる。
1960年 武蔵野美術大学洋画科に入学、油彩画を学ぶ。翌年、商業デザイン科に再入学する。
1963年 武蔵野美術大学商業デザイン科卒業。デザイナーとして活動する。
1980年 第29回小学館絵画賞受賞
1982年 朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載開始/並行して全国で個展開催
1989年 アメリカ合衆国各地で展覧会を開催
1997年 長野冬季オリンピック競技大会での文化芸術祭に参加
1998年 諏訪湖のほとりに諏訪市原田泰治美術館がオープン
2000年 日本の全国各地20か所で「日本の童謡・唱歌100選展」開催
2008年 上田電鉄1000系電車のラッピング車輌「自然と友だち」のデザインを担当
2009年 日本グラフィックデザイナー協会会員
2009年 クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員中国・上海金山農民画協会会員を務める
現在、日本グラフィックデザイナー協会会員、クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員、中国・上海金山農民画協会会員。

松澤登美雄(まつざわとみお)1948年~
1948年、長野県白馬村生まれ
木彫家・尾澤千春氏に入門(農民美術家)
岐阜高島屋、横浜高島屋、池袋西武、池袋東武、ギャラリーにて個展多数
木彫フォークアートおおやにて大衆賞、銀賞、山田洋次記念賞受賞

東京都東村山市にて東山魁夷のリトグラフ、平山郁夫の工芸画、薩摩切子など。

東京都東村山市にて東山魁夷のリトグラフ「月唱」、平山郁夫の工芸画「ユーフラテス河 朝陽」、尚古集成館監修 復元薩摩切子の猪口、琴、薩摩琵琶などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画などを整理されたいとお電話いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、東山魁夷のリトグラフ「月唱」、平山郁夫の工芸画「ユーフラテス河 朝陽」、尚古集成館監修 復元薩摩切子の紅被せガラス切子猪口、琴、薩摩琵琶などの和楽器。東山魁夷、平山郁夫といえば現代⽇本画家の中でも最⾼峰の画家とされております。東山魁夷の作品はリトグラフ(新復刻画)でタイトル「月唱」。著作権者である東山魁夷夫人の監修のもと、限定制作された複製リトグラフです。北海道の然別湖を取材して描いた作品。湖畔の水面に対岸の山が倒影された様子を描いています。深い青の世界にぽっかりと浮かぶ月はやわらかく輝き、照らされた世界は清澄な空気が流れ、水面に映る月との対比が美しい作品であります。平山郁夫の作品は大塚巧藝社の工芸画でタイトルは「ユーフラテス河 朝陽」。こちらも平山郁夫らしい素晴らしい作品となっております。どちらもタトウ箱あり、多少のシミはございます。当社買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。切子の猪口は人気の薩摩切子。復元薩摩切子は、島津家28代・薩摩藩主島津斉彬の時代に製造された薩摩切子を収蔵・展示している尚古集成館が監修しております。作品にはSHIMADZUのサインがあります。島津家自ら復元、創作したものであり、他で製造・販売されている品物と区別する意味も含めて、SHIMADZUマークの彫刻が施されています。こんな素敵なお猪口で呑むお酒は、さぞかし美味しいのでしょう。他にも演奏用のお琴や薩摩琵琶や撥なども併せてお売りいただきました。お引越し先に保管場所がなく、泣く泣くのご処分とのこと、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をご指名いただき誠に有難うございました。

東山魁夷(ひがしやまかいい)1908-1999
1908年 横浜市に生まれる。
1929年 第10回帝展に「三国の秋」を出品し初入選。
1931年 東京日本美術学校日本画科卒業。結城素明に師事し、魁夷と号する。
1934年 第1回独文化交換学生としてベルリン大学入学。
1939年 第1回日本画院展で「冬日」が日本画院賞第一席となる。
1969年 文化勲章受章。文化功労者として顕彰される。
1979年 「日本東山魁夷絵画展覧会」が開催され訪独。
1980年 「第二期唐招提寺障壁画展」が開催される。
1995年 米寿記念「唐招提寺障壁画と画業60年の歩み、東山魁夷展」開催
1999年 死去。勲一等瑞宝章受章。
2005年 ⾹川県に「東⼭魁夷せとうち美術館」が開館

平山郁夫(ひらやまいくお)1930-2009
1930年 広島県で⽣まれる。
1945年 学徒勤労動員先にて被爆する。
1947年 東京美術学校(現・東京藝術⼤学)⽇本画科へ⼊学。
1952年 ⽇本画科を卒業後、前⽥⻘邨(まえだせいそん)に師事する。
1953年 第38 回院展に出品した「家路」が⼊選する。
1962年 第47 回院展出品作品「受胎霊夢」が⽇本美術院賞(⼤観賞)を受賞。ヨーロッパへ留学する。
1964年 第49 回院展出品作品「仏説⻑阿含経巻五」が⽂部⼤⾂賞受賞。
1974年 バチカン宮殿内現代宗教美術コレクションに「古代東⽅伝教者」を寄贈。
1974年 ローマ法王より、聖グレゴリオ騎士銀褒章を受章。
1976年 全国6 都市でシルクロード展を開催。
1978年 第63 回院展出品作品「画禅院⻘邨先⽣還浄図」が内閣総理⼤⾂賞受賞。
1981年 日本美術院理事となる。
1988年 東京藝術⼤学第6代学⻑に就任する。
1991年 フランス国立ギメ東洋美術館で「平山郁夫シルクロード展」開催。フランス政府よりコマンドール勲章を授与される。
1992年 中国日中国交正常20周年会議に出席。早稲田大学名誉博士となる。
1997年 「平⼭郁夫美術館」開館。
1998年 ⽂化勲章を受章。
2009年 逝去。

東京都江東区にて森田曠平、中山正のリトグラフ、板橋区にて高村光雲の銀製置物。

    

東京都江東区白河にて森田曠平の銅版画(エッチング、アクアチント)「舞い子(弥生)」、中山正の木版画「絵馬」、北欧家具、板橋区小茂根にて高村光雲の銀製置物「恵比寿大黒天」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は不動産業者様のご紹介で江東区白河へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、森田曠平の銅版画「舞い子(弥生)」、中山正の木版画「絵馬」、ノルウェー製のレザーソファなど。絵画はタトウ箱などの付属品はありませんが、状態の良い作品でした。ノルウェー製のレザーソファは使用感があり状態に難がございましたが、人気の北欧家具ですので買取させていただきました。処分しようと諦めていた家具がリサイクルされることとなり、お客様にお喜びいただきました。修復され次に大切にしていただける方へ繋がると思います。他にも岩谷堂家具など素晴らしい家具がございましたが、積みきれず来週またお呼びいただくこととなりました。来週もまた、よろしくお願い致します。本日は良いお品をお売りいただき有難うございました。また、お客様をご紹介いただいた業者様、誠に有難うございました。本日二件目は板橋区小茂根へ遺品整理でお呼びいただきました。こちらでは高村光雲の銀製置物「恵比寿大黒天」、木彫りの仏像などをお売りいただきました。高村光雲の銀製置物「恵比寿大黒天」は大変状態良く、付属品も全て揃っておりました。銀900の刻印あり。現在銀の価格が上がっており、高価査定となりました。仏像は近年のものですが、造りの良い木彫り仏でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。お父様が大切にされていた仏像など、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

森田曠平(もりたこうへい)1916年~1994年
1916年 京都に生まれる。
1932年 関西美術院で伊谷賢蔵に師事。石膏と人体素描、油絵を学ぶ。
1935年 第1回京都市展に洋画で入選。
1940年 小林柯白に師事し、日本画を学ぶ。
1943年 第30回院展に初入選。小林柯白が死去。
1944年 安田靫彦に師事。
1956年 第41回院展で奨励賞受賞。
1965年 第50回院展で日本美術院賞受賞。
1968年 第53回院展で日本美術院賞受賞。院展同人に推挙される。
1973年 第58回院展で内閣総理大臣賞受賞。
1982年 第67回院展で文部大臣賞受賞。国立能楽堂鏡板の「松」が完成。
1994年 死去。享年78才。

中山正(なかやまただし)1927年~
1927年 新潟県に生まれる。
1947年 多摩美術大学油絵科中退
1951年 日本美術会アンテパンダン展出品、アメリカ、イタリアで木版画展
1958年 第1回東京国際版画ビエンナーレ出品(第3回まで)
1959年 リトグラフ画集『ラッパ手』限定自家出版
1962年 ヨーロッパ、ギリシャ、トルコ、インド旅行、ミラノに滞在(翌年まで)
1963年 リトグラフ集『騎士のない馬』限定出版(パガーニ画廊/ミラノ)
1964年 バース・アカデミー・オブ・アート(イギリス)で木版画の講師を務める
1982年 木版画集『Tadashi Nakayama,His Life and Work』刊行(ヘンドリックス・アート・コレクション)
2000年 6月30日~7月6日、銀座和光ホールにて中山正木版画自選集展
東京国際版画ビエンナーレ、クラコウ国際版画ビエンナーレ、ノースウェスト国際版画展、日本アンテパンダン展などに出品。

高村光雲(たかむらこううん)1851年~1934年
1851 江戸・浅草北清島町に生まれる。
1863 仏師・高村東雲の弟子入りする。
1874 11年間の修行を終え、東雲より光雲の号を授かる。
1877 第1回内国勧業博覧会において「白衣観音」で龍紋賞を受賞する
1889 「矮鶏」が天覧に浴し、お買い上げとなり金賞を受賞する。
1890 東京美術学校の教授を務める。帝室技芸員拝命
1893 「老猿」をシカゴ万博に出品。
1900 「山霊訶護」をパリ万博に出品。
1908 文展審査員を務める
1919 帝国美術院会員
1925 聖観音菩薩製作をする。
1926 東京美術学校を退職し、名誉教授。
1929 国宝保存会委員
1934 東京で死去。享年83歳

山梨県甲府市にて奥村土牛、藤曲和の絵画、井上萬二の壷、唐木衝立など。

         

山梨県甲府市にて奥村土牛の「くわい」、藤曲和の「舞妓」、井上萬二の壷、唐木衝立、茶道具、贈答品、化石などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。山梨県の遠距離出張でしたので、前日からビジネスホテルへ泊まり午前中にお伺いさせていただきました。お売りいただいたお品は、現代日本を代表する日本画家 奥村土牛(おくむらどぎゅう)の「くわい」、藤曲和(ふじがねかず)の「舞妓」、三尾公三(みおこうぞう)のリトグラフ、人間国宝 井上萬二(いのうえまんじ)の白磁彫文壷、唐木衝立、茶道具、贈答品、化石など。一点一点丁寧に査定し、たくさんのお品をお売りいただきました。ご家族が絵画がお好きだったようで、たくさんの絵画がございました。保管されるお品、ご処分される絵画を分けながら、買取させていただきました。残される絵画にも素晴らしものが多くございました。大切にされてください。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰りに甲府駅にある武田信玄公の銅像を見て、ほうとうで人気のお店「小作」さんへ行きました。甲府に来たからにはほうとうを食べない訳にはいきませんね。野菜がたくさん入っており、とっても美味しかったです。

奥村土牛(おくむらどぎゅう)1889~1990年
1889年 東京の京橋に生まれる。本名は義三。
1905年 梶田半古の門に入り、塾頭の小林古径に師事。
1907年 東京勧業博覧会に「敦盛」を出品し入選。
1911年 約5年間、逓信省貯金局統計課に勤務してポスターなどを描く。
1920年 あらためて小林古径の画室で指導を受ける。
1923年 中央美術社第5回展で「家」が中央美術賞受賞。
1927年 第14回院展に「胡瓜畑」を出品し初入選。
1929年 第16回院展に「蓮池」を出品、日本美術院院友に推挙される。
1932年 日本美術院同人に推挙される。
1935年 帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)日本画科教授に就任。
1936年 第1回帝展で「鴨」が推奨第1位。
1947年 帝国芸術院会員となる。
1959年 日本美術院理事となる。
1962年 文化勲章受章。文化功労者に顕彰される。
1978年 日本美術院理事長に就任。
1990年 死去。享年101歳。

井上萬二(いのうえまんじ)1929年~
1929年 3月24日 佐賀県有田町生まれ
1945年 十二代酒井田柿右衛門の元で働き始める。
1952年 奥川忠右衛門門下生となり白磁や轆轤の技法を学ぶ。
1958年 酒井田柿右衛門窯を退社し、県立有田窯業試験場の技官として勤務。
1969年 ペンシルバニア州立大学から有田焼の講師。
海外での活動はドイツなどでの個展や2002年3月のモナコ国王の在位45年記念の展覧会など。
1968年 第15回日本伝統工芸展で初入選。
1977年 全国伝統的工芸品展通産大臣賞。
1987年 第34回日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞。
1995年 5月31日に重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定。
1997年 紫綬褒章を受章。
2003年 旭日中綬賞受賞。
現在、日本工芸会参与、有田町名誉町民。

岩手県八幡平市にて萄雅彦の油彩画、銅板レリーフ、セリグラフなど。

  

岩手県八幡平市にて萄雅彦の油彩画、銅板レリーフ、セリグラフなどをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、洋画家 萄雅彦の油彩画、銅板レリーフ、セリグラフなど。10点以上の作品をお売りいただきました。銅板レリーフ、油彩画数点はサイズ50号以上ある大作です。画集に掲載されている作品などもございました。大きいサイズの絵画とご連絡いただいておりましたので、トラックで向かってよかったです。油彩画に数点シミ汚れの出てしまっているものもございましたが、タトウ箱に納められておりましたので全体的に状態良く、全て買取させていただきました。絵画の他に、裸婦の石像もあわせてお売りいただきました。数もあり、当社で出来る限り精一杯の査定額で買い取りさせていただきました。お客様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。
岩手県まで埼玉県から約600キロ、片道8時間の距離でしたので、盛岡市にあるビジネスホテルへ宿泊しての出張となりました。遠距離出張での楽しみはご当地の食事です。盛岡市名物といえば盛岡三大麺、盛岡冷麺、じゃじゃ麵、わんこそばであります。盛岡冷麺、じゃじゃ麵は前日に盛岡名物が揃っている居酒屋さんでいただき、わんこそばは出張買取の帰りに食べさせていただきました。わんこそばで有名なお店で、お客様にも教えていただいた「東家(あずまや)本店」さんへ行きました。挑戦前にインターネットでわんこそばをたくさん食べるコツを学び、挑戦させていただきました。最初の15分が大事とのことでしたので、勢いよくお腹に流し込み、目標100杯を超える150杯を達成しました。達成証明書や木札をいただき、とても嬉しかったです。こちらのお店の最高記録は570杯で、記録保持者は地元岩手県盛岡市在住のフードファイター、菅原初代さんであります。女性なのにわたしの約四倍、凄すぎます。また岩手県へ出張で来ましたら、次回は200杯を目指したいと思います。岩手県は食事が美味しく、自然豊かな良い場所でした。

萄雅彦(どうまさひこ)1930~2010年
1930年 東京都青山に生まれる。
1960年 レリーフ創作に入る。
1975年 木版画創作に入る。
1976年 渡欧。
1977年 新日本美術院展特賞受賞。
1981年 日仏現代美術展入選、 パリ、グランパレ国立美術館出品。
1982年 個展開催、  国際アジア現代美術展版画部入賞、  国際芸術文化振興会、会長賞受賞、  亜細亜美術展海外選抜賞。
1983年 スペイン美術賞展トリエンナーレ入選、 パリ・サロン・ド・メ選考委員会賞。
1984年 オーストラリア美術展最優秀賞受賞。
1985年 パリインターナショナルサロン招待出品。  講談社より萄雅彦版画集出版。
1986年 東京大学に作品収蔵(版画・レリーフ) モントリオール日本芸術祭参加、 カナダ首相ブライアン・マローニ功労賞受賞。
1987年 サロン・インターナショナル・ド・パリ  グランプリ受賞。
≪作品収蔵≫
スペイン近代美術館、 クイーンズランド芸術大学、東京大学など。

東京都台東区浅草橋にて星襄一の木版画、生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物。

   

東京都台東区浅草橋にて星襄一の木版画「大樹(赤)」、此君亭工房 人間国宝 生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、星襄一の木版画「大樹(赤)」、此君亭工房 人間国宝 生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物など。お着物は紬や留袖、作家物の訪問着など。反物は結城紬や琉球紬など。和装小物も併せてお売りいただきました。
星襄一は大正~昭和にかけて活躍した版画家。生命の力強さと繊細さを併せ持った「樹木」を題材とした作品を多く手がけ、独特の美の緊張感の中に力強さと温か味のある作風が特徴です。お売りいただいた絵画は木版画「大樹(赤)」。星襄一の代表作です。1976年の作品。多少のシミ汚れが有るものの、当社買取強化作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。
生野祥雲斎は高い芸術性と個性表現を追及し造形力に秀でた作品を制作。透編組物、筒物などを得意とし、竹の清楚感と強靭さ生かした作品が特徴であります。1967年、竹芸技法で国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されております。此君亭工房生野祥雲齋が昭和20年代初期に創始した工房。日常生活の中で使われる花器や銘々皿、おしぼり入等、シンプルなデザインのクラフト作品を制作ております。現在は祥雲齋の長男の生野徳三が継いでおります。お品はシンプルで素晴らしいおしぼり受けです。
お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

星襄一(ほしじょういち)1913年~1979年
1913年 新潟県北魚沼郡小出町に生まれる
1932年 台南師範学校卒、現地にて教職13年
1946年 戦後台湾より引揚げ、生地にて謄写版印刷業を営みながら孔版画を始める
1952年 日本版画協会会員となる
1956年 武蔵野美術学校西洋画科卒、木版画独習
1960年 国画会会員となる
1969年 ニューヨークにて現代日本版画巡回展
1970年 『樹シリーズ』に取り組む、オレゴン大学にて100人の日本版画巡回展
1971年 ベルギー・ブラッセルにて現代日本版画展
1972年 イタリー・カルピ国際木版画トリエンナーレ
1977年 ベルギー・ブラッセルにて現代日本版画展、モンゴル取材旅行
1979年 6月17日、逝去

生野祥雲斎(しょうのしょううんさい)1904年~1974年
1904年 大分県生まれ
1923年 佐藤竹邑斎に師事
1938年 大分県工業試験場別府工芸指導所勤務
1943年 第6回文展特選
1956年 日展北斗賞
1957年 日展特選、北斗賞
1965年 日本伝統工芸展監査委員に就任
1967年 重要無形文化財「竹芸」保持者(人間国宝)に認定
1969年 紫綬褒章
1974年 勲四等旭日小綬章、逝去

千葉県柏市にて前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐箪笥。

    

千葉県柏市にて前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐たんすをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥や額などをご処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐たんす。桐たんすは伝統工芸品に指定されている名古屋桐箪笥。シミ汚れが目立つものの良いタンスですので、買取させていただきました。
前田青邨は二度の大戦をまたぎつつも日本美術界を牽引してきた巨匠。玉堂の後を継ぎ、皇室で絵の指導をする。武者絵、花鳥など主題は多岐に渡る。日本画の伝統に裏打ちされた確かな技術に加え、大胆な構図は流石である。多くの後進の育成にも非常に精力的だった。お品は青邨を代表する武者の図。川面義生作の木版画。落款と印共に版上。額は岡村多聞堂製。
九谷錦山窯は、石川県小松市高堂町にある九谷焼上絵付を専業とする窯元。明治39年に初代の吉田庄作がこの地に開業して以来、110 年近く窯の火を絶やさずに作陶を続けてきました。錦山窯が得意とするのは、金彩の技法であります。三代美統は「釉裏金彩」の技法を高め、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されております。現在は四代幸央が伝統の技を継承しております。お売りいただいたお品は色絵孔雀図飾皿。所々に金彩が施され、華やかな雰囲気になっています。見事な絵付けの皿です。
いずれも大変素晴らしい作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。大切にされていたお品々、大事に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をご指名くださり有難うございました。

前田青邨(まえだせいそん)1885年~1977年
1885年 1月27日、岐阜県に生まれる。本名 廉造。
1898年 上京し京華中学校に入学するが体をこわして中途退学、帰郷。
1901年 再び上京し、尾崎紅葉の勧めで梶田半古に入門。
1902年 半古から青邨の雅号をもらう。
1907年 紅児会に入会。
1911年 荻江露友と結婚。
1914年 再興日本美術院の同人に推挙される
1918年 日本美術院評議員となる。
1922年 小林古径と共に日本美術院留学生として約1年間渡欧。
1930年 日本美術院経営者となる。「洞窟の頼朝」で第1回朝日賞受賞。
1935年 帝国美術院会員となる。御即位記念献上画「唐獅子」を制作。
1937年 帝国芸術院会員となる。
1944年 帝室技芸員となる。
1950年 文化財保護委員会専門審議会委員に就任。
1951年 東京芸術大学日本画科主任教授となる。
1955年 文化勲章受章。皇居新宮殿石橋の間に壁画「石橋」を謹作。
1956年 日本美術家連盟会長に就任。
1957年 川合玉堂の後を継いで香淳皇后の絵の指導役となる。
1958年 日本美術院常務理事。
1959年 国立近代美術館評議員。
1960年 訪中日本画家代表団団長。
1962年 東京芸大名誉教授。
1964年 日光二荒山神社宝物館の壁画「山霊感応」完成。
1967年 法隆寺金堂壁画再現事業総監修に安田靫彦と共に就任。
1970年 1955年勤作「石橋」に加筆。左右に「紅牡丹」「白牡丹」の二面を制作。
1973年 高松塚古墳壁画模写事業総監修者。
1974年 ローマ法王庁からの依頼により「細川ガラシア夫人像」を完成。
1977年 10月27日、92歳で逝去。贈従三位。

東京都渋谷区広尾にて斎藤清、井堂雅夫の木版画、桐たんす、反物など。

東京都渋谷区広尾にて斎藤清の木版画「会津の冬」、井堂雅夫の木版画「会津 三津谷」、桐たんす、反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、斎藤清の木版画「会津の冬」、井堂雅夫の木版画「会津 三津谷」、桐たんす、反物など。桐たんすは伝統工芸品 春日部桐箪笥。少々当たり傷やシミ汚れがあるものの、大変造りの良いタンスです。桐たんすにしまったままの反物も併せてお売りいただきました。絵画は斎藤清や井堂雅夫の木版画の他、リトグラフや油彩画などもお売りいただきました。お客様のご出身が福島県とのことで、会津の風景が描かれた作品を購入されたようです。
木版画家である斎藤清は福島県河沼郡会津坂下町生まれ。独学で独自の木版画技法を確立。浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を取り入れ、日本的感情を表現した。安井曽太郎の木版に見せられ、版画を研究した。版画の他に油彩や水墨画も数点残しております。
井堂雅夫は京都の美に魅せられ「かけがえのない日本美と伝統芸術である木版画を次世代に繋げたい」との想いを胸に、描くことに人生を捧げた版画家。四季折々の美しい風景をIDO GREENとも呼ばれる独自の色づかいと、光と影の表現を大切にした作品を制作ししました。
保管状態も良く当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。

斎藤清(さいとうきよし)1907年〜1997年
1907年 福島県会津坂下町窪生まれ
1932年 白日会展で初入選。
1933年 東光会展で入選。
1935年 国画会展で初入選。
1936年 日本版画協会展で初入選。
1937年 国画会展版画部門で初入選。
1944年 朝日新聞社に入社。
1948年 サロン・ド・プランタン展で1等賞。
1951年 サンパウロビエンナーレ展でサンパウロ日本人賞受賞。
1954年 朝日新聞社を退社。
1956年 アメリカ合衆国国務省、アジア文化財団の要請でアメリカやメキシコ各地で版画の指導を行なう。
1957年 リュブリャナ国際版画ビエンナーレ、アジア・アフリカ諸国国際美術展で受賞。
1964年 ハワイ大学より招待を受ける。
1969年 カナダ・グレータービクトリア美術館、アメリカ・サンディエゴ美術館で個展開催。
1970年 連作「会津の冬」最初の20点を発表
1976年 福島県の県外在住者知事表彰。柳津町名誉町民となる。
1981年 勲四等瑞宝章
1995年 文化功労者。
1997年 福島県柳津町に斎藤清美術館が完成。11月14日永眠。享年90歳。

井堂雅夫(いどうまさお)1945年〜2016年
1945年 中国大陸東北部にて生まれる
1946年 岩手県盛岡市へ移る
1959年 上洛
1961年 伝統工芸士(染色家) 吉田光甫に弟子入り
1965年 染色家として活動しつつ、木版画の勉強をはじめる
1971年 日展評議員(染色家) 大坪重周に師事
1972年 木版画の制作を始める。
1973年 日本版画協会入選 日動版画グランプリ入選
1975年 以降は公募展には出品せず独自の活動を展開
1994年 岩手県花巻市にアトリエを開設
2003年 日本郵政公社 近畿版ふるさと切手「京の催事」発売 4種原画制作
「京都を見る」井堂雅夫木版画展(京都清水寺・重要文化財経堂)
2004年 「京都もの創り作家の会」設立
2016年 4月23日、逝去