カテゴリー別アーカイブ: 絵画・掛軸

東京都台東区浅草橋にて星襄一の木版画、生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物。

   

東京都台東区浅草橋にて星襄一の木版画「大樹(赤)」、此君亭工房 人間国宝 生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、星襄一の木版画「大樹(赤)」、此君亭工房 人間国宝 生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物など。お着物は紬や留袖、作家物の訪問着など。反物は結城紬や琉球紬など。和装小物も併せてお売りいただきました。
星襄一は大正~昭和にかけて活躍した版画家。生命の力強さと繊細さを併せ持った「樹木」を題材とした作品を多く手がけ、独特の美の緊張感の中に力強さと温か味のある作風が特徴です。お売りいただいた絵画は木版画「大樹(赤)」。星襄一の代表作です。1976年の作品。多少のシミ汚れが有るものの、当社買取強化作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。
生野祥雲斎は高い芸術性と個性表現を追及し造形力に秀でた作品を制作。透編組物、筒物などを得意とし、竹の清楚感と強靭さ生かした作品が特徴であります。1967年、竹芸技法で国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されております。此君亭工房生野祥雲齋が昭和20年代初期に創始した工房。日常生活の中で使われる花器や銘々皿、おしぼり入等、シンプルなデザインのクラフト作品を制作ております。現在は祥雲齋の長男の生野徳三が継いでおります。お品はシンプルで素晴らしいおしぼり受けです。
お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

星襄一(ほしじょういち)1913年~1979年
1913年 新潟県北魚沼郡小出町に生まれる
1932年 台南師範学校卒、現地にて教職13年
1946年 戦後台湾より引揚げ、生地にて謄写版印刷業を営みながら孔版画を始める
1952年 日本版画協会会員となる
1956年 武蔵野美術学校西洋画科卒、木版画独習
1960年 国画会会員となる
1969年 ニューヨークにて現代日本版画巡回展
1970年 『樹シリーズ』に取り組む、オレゴン大学にて100人の日本版画巡回展
1971年 ベルギー・ブラッセルにて現代日本版画展
1972年 イタリー・カルピ国際木版画トリエンナーレ
1977年 ベルギー・ブラッセルにて現代日本版画展、モンゴル取材旅行
1979年 6月17日、逝去

生野祥雲斎(しょうのしょううんさい)1904年~1974年
1904年 大分県生まれ
1923年 佐藤竹邑斎に師事
1938年 大分県工業試験場別府工芸指導所勤務
1943年 第6回文展特選
1956年 日展北斗賞
1957年 日展特選、北斗賞
1965年 日本伝統工芸展監査委員に就任
1967年 重要無形文化財「竹芸」保持者(人間国宝)に認定
1969年 紫綬褒章
1974年 勲四等旭日小綬章、逝去

千葉県柏市にて前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐箪笥。

    

千葉県柏市にて前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐たんすをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥や額などをご処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐たんす。桐たんすは伝統工芸品に指定されている名古屋桐箪笥。シミ汚れが目立つものの良いタンスですので、買取させていただきました。
前田青邨は二度の大戦をまたぎつつも日本美術界を牽引してきた巨匠。玉堂の後を継ぎ、皇室で絵の指導をする。武者絵、花鳥など主題は多岐に渡る。日本画の伝統に裏打ちされた確かな技術に加え、大胆な構図は流石である。多くの後進の育成にも非常に精力的だった。お品は青邨を代表する武者の図。川面義生作の木版画。落款と印共に版上。額は岡村多聞堂製。
九谷錦山窯は、石川県小松市高堂町にある九谷焼上絵付を専業とする窯元。明治39年に初代の吉田庄作がこの地に開業して以来、110 年近く窯の火を絶やさずに作陶を続けてきました。錦山窯が得意とするのは、金彩の技法であります。三代美統は「釉裏金彩」の技法を高め、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されております。現在は四代幸央が伝統の技を継承しております。お売りいただいたお品は色絵孔雀図飾皿。所々に金彩が施され、華やかな雰囲気になっています。見事な絵付けの皿です。
いずれも大変素晴らしい作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。大切にされていたお品々、大事に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をご指名くださり有難うございました。

前田青邨(まえだせいそん)1885年~1977年
1885年 1月27日、岐阜県に生まれる。本名 廉造。
1898年 上京し京華中学校に入学するが体をこわして中途退学、帰郷。
1901年 再び上京し、尾崎紅葉の勧めで梶田半古に入門。
1902年 半古から青邨の雅号をもらう。
1907年 紅児会に入会。
1911年 荻江露友と結婚。
1914年 再興日本美術院の同人に推挙される
1918年 日本美術院評議員となる。
1922年 小林古径と共に日本美術院留学生として約1年間渡欧。
1930年 日本美術院経営者となる。「洞窟の頼朝」で第1回朝日賞受賞。
1935年 帝国美術院会員となる。御即位記念献上画「唐獅子」を制作。
1937年 帝国芸術院会員となる。
1944年 帝室技芸員となる。
1950年 文化財保護委員会専門審議会委員に就任。
1951年 東京芸術大学日本画科主任教授となる。
1955年 文化勲章受章。皇居新宮殿石橋の間に壁画「石橋」を謹作。
1956年 日本美術家連盟会長に就任。
1957年 川合玉堂の後を継いで香淳皇后の絵の指導役となる。
1958年 日本美術院常務理事。
1959年 国立近代美術館評議員。
1960年 訪中日本画家代表団団長。
1962年 東京芸大名誉教授。
1964年 日光二荒山神社宝物館の壁画「山霊感応」完成。
1967年 法隆寺金堂壁画再現事業総監修に安田靫彦と共に就任。
1970年 1955年勤作「石橋」に加筆。左右に「紅牡丹」「白牡丹」の二面を制作。
1973年 高松塚古墳壁画模写事業総監修者。
1974年 ローマ法王庁からの依頼により「細川ガラシア夫人像」を完成。
1977年 10月27日、92歳で逝去。贈従三位。

東京都渋谷区広尾にて斎藤清、井堂雅夫の木版画、桐たんす、反物など。

東京都渋谷区広尾にて斎藤清の木版画「会津の冬」、井堂雅夫の木版画「会津 三津谷」、桐たんす、反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、斎藤清の木版画「会津の冬」、井堂雅夫の木版画「会津 三津谷」、桐たんす、反物など。桐たんすは伝統工芸品 春日部桐箪笥。少々当たり傷やシミ汚れがあるものの、大変造りの良いタンスです。桐たんすにしまったままの反物も併せてお売りいただきました。絵画は斎藤清や井堂雅夫の木版画の他、リトグラフや油彩画などもお売りいただきました。お客様のご出身が福島県とのことで、会津の風景が描かれた作品を購入されたようです。
木版画家である斎藤清は福島県河沼郡会津坂下町生まれ。独学で独自の木版画技法を確立。浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を取り入れ、日本的感情を表現した。安井曽太郎の木版に見せられ、版画を研究した。版画の他に油彩や水墨画も数点残しております。
井堂雅夫は京都の美に魅せられ「かけがえのない日本美と伝統芸術である木版画を次世代に繋げたい」との想いを胸に、描くことに人生を捧げた版画家。四季折々の美しい風景をIDO GREENとも呼ばれる独自の色づかいと、光と影の表現を大切にした作品を制作ししました。
保管状態も良く当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。たくさんのお品をお売りいただき、有難うございました。

斎藤清(さいとうきよし)1907年〜1997年
1907年 福島県会津坂下町窪生まれ
1932年 白日会展で初入選。
1933年 東光会展で入選。
1935年 国画会展で初入選。
1936年 日本版画協会展で初入選。
1937年 国画会展版画部門で初入選。
1944年 朝日新聞社に入社。
1948年 サロン・ド・プランタン展で1等賞。
1951年 サンパウロビエンナーレ展でサンパウロ日本人賞受賞。
1954年 朝日新聞社を退社。
1956年 アメリカ合衆国国務省、アジア文化財団の要請でアメリカやメキシコ各地で版画の指導を行なう。
1957年 リュブリャナ国際版画ビエンナーレ、アジア・アフリカ諸国国際美術展で受賞。
1964年 ハワイ大学より招待を受ける。
1969年 カナダ・グレータービクトリア美術館、アメリカ・サンディエゴ美術館で個展開催。
1970年 連作「会津の冬」最初の20点を発表
1976年 福島県の県外在住者知事表彰。柳津町名誉町民となる。
1981年 勲四等瑞宝章
1995年 文化功労者。
1997年 福島県柳津町に斎藤清美術館が完成。11月14日永眠。享年90歳。

井堂雅夫(いどうまさお)1945年〜2016年
1945年 中国大陸東北部にて生まれる
1946年 岩手県盛岡市へ移る
1959年 上洛
1961年 伝統工芸士(染色家) 吉田光甫に弟子入り
1965年 染色家として活動しつつ、木版画の勉強をはじめる
1971年 日展評議員(染色家) 大坪重周に師事
1972年 木版画の制作を始める。
1973年 日本版画協会入選 日動版画グランプリ入選
1975年 以降は公募展には出品せず独自の活動を展開
1994年 岩手県花巻市にアトリエを開設
2003年 日本郵政公社 近畿版ふるさと切手「京の催事」発売 4種原画制作
「京都を見る」井堂雅夫木版画展(京都清水寺・重要文化財経堂)
2004年 「京都もの創り作家の会」設立
2016年 4月23日、逝去

東京都新宿区戸山にて原田泰治のオリジナル木版画、茶道具など。

東京都新宿区戸山にて原田泰治のオリジナル木版画(ジークレー)「たこあげ」、「ねむの花」、「子守唄の村」、茶道具などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや茶道具をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、原田泰治のオリジナル木版画(ジークレー)「たこあげ」、「ねむの花」、「子守唄の村」、茶道具、贈答品、和装小物、アクセサリーなど。トラック一台分、たくさんのお品をお売りいただきました。当社が買い取りへ伺う前に、買取業者が数社入っておりましたので、他社が残していかれたお茶道具などを買取させていただきました。黒土風炉は電熱器の付いた電熱風炉、本麻の茶巾、紙釜敷、伝統工芸士 久保良斎の茶筅など、お道具としては脇役となってしまいますが、全て買取させていただきました。共箱のない茶碗や水指なども数点ございましたが、こちらも全て買い受けさせていただきました。贈答品は食器や花瓶、漆器など。こちらも全て買取させていただきました。原田泰治のオリジナル木版画(ジークレー)は、「たこあげ」、「ねむの花」、「子守唄の村」の三点。原田泰治の作品は、本品のようにふるさとを題材にした日本の風景を描いており、平面的な塗り、人物の顔の目や口、鼻が描かれていないのが特徴的です。やや波打ちなどの難もございましたが、全体的に良い状態の作品です。お母様が大事にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。

原田泰治(はらだたいじ)1940年~
1940年 長野県諏訪市上町で生まれる。
1960年 武蔵野美術大学洋画科に入学、油彩画を学ぶ。翌年、商業デザイン科に再入学する。
1963年 武蔵野美術大学商業デザイン科卒業。デザイナーとして活動する。
1980年 第29回小学館絵画賞受賞
1982年 朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載開始/並行して全国で個展開催
1989年 アメリカ合衆国各地で展覧会を開催
1997年 長野冬季オリンピック競技大会での文化芸術祭に参加
1998年 諏訪湖のほとりに諏訪市原田泰治美術館がオープン
2000年 日本の全国各地20か所で「日本の童謡・唱歌100選展」開催
2008年 上田電鉄1000系電車のラッピング車輌「自然と友だち」のデザインを担当
2009年 日本グラフィックデザイナー協会会員
2009年 クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員中国・上海金山農民画協会会員を務める
現在、日本グラフィックデザイナー協会会員、クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員、中国・上海金山農民画協会会員。

東京都八王子市にて小栗潮の日本画、友禅黒留袖、村上伸一郎の江戸小紋など。

 

東京都八王子市にて日本画家 小栗潮の風景画(高原)、友禅黒留袖、村上伸一郎の江戸小紋着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、日本画家 小栗潮の風景画(高原)、友禅黒留袖、村上伸一郎の江戸小紋着物、訪問着や帯、和装小物など。たくさんのお品をお売りいただきました。小栗潮は佐川県出身、昭和~平成の日本画家。花鳥・風景画を主に描かれております。こちらの他にも油彩画、リトグラフなど、たくさんの絵画をお売りいただきました。お着物が多くございましたが、残念ながら全体的にシミや汚れが出てしまっておりました。状態にやや難有でしたが、ウール、喪服以外は全て買取させていただきました。作家物のお着物も数点ございました。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。

小栗潮(おぐりうしお)1921年(大正10年)3月11日 ~
佐賀県西松浦郡有田町生まれ。山口蓬春、山本丘人ら、に師事。
1944年 東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒。同年学徒出陣。
1947年 第一作「不忍池」が院展入選。
1956年 日展に所属、同年「尾瀬沼畔」入選。
1957年 第13回日展にて「尾瀬沼」で特選。
1962年 第5回日展特選。
1965年 第8回日展菊華賞。
1991年 第23回日展文部大臣賞。
現在、日展参与。

東京都北区滝野川にて山下清のリトグラフ、近代日本名画撰、銀製や九谷焼の置物。

東京都北区滝野川にて山下清のリトグラフ「二重橋」、手摺木版画 近代日本名画撰、関武比古の銀製帆前船、九谷焼七福神の置物などをお売りいただきました。

先日お呼びいただいたお客様宅へ、再度出張買取させていただきました。お売りいただくお品の数が多く、前回積み残したお品や、新たに出てきましたお品の査定、買い取りをさせていただきました。お売りいただいたお品は、山下清のリトグラフ「二重橋」、手摺木版画 近代日本名画撰、関武比古の銀製帆前船、九谷焼七福神の置物など。「裸の大将」「放浪画家」などと世の人々から親しまれ、日本中を放浪していたことで知られる山下清(やました きよし)。お売りいただいた作品は、二重橋と人々の姿を細かく生き生きと描いたリトグラフ(石版画)。状態の良い作品でした。版画は丹青社出版の伝統芸術古法純手摺木版画 近代日本名画撰 全12図のセットになります。近代日本画の巨匠【横山大観、安田靫彦、竹内栖鳳、小林古径、富岡鉄斎、児玉希望、上村松園、福田平八郎、徳岡神泉】ら9名の名画12作品が厳選され、伝統古法純手摺りによって再現された木版画集です。 こちらは残念ながら二作品の欠品がございました。関武比古の銀製帆前船、九谷焼七福神の置物はガラスケースに収められており、状態の良いものでした。お引越しでなるべくお荷物を減らしたいとのことでしたので、他にも家具や絵画、空の額、贈答品なども併せてお売りいただきました。トラック一台分、数多く買取することが出来、お客様にお喜びいただけました。お引越しまで今しばらくお片付けが大変かと思いますが、残り少し頑張ってください。二度にわたり六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。帰りにいただきましたお茶やシュークリーム、とても美味しかったです。ご馳走様でした。

山下清(やましたきよし)大正11年(1922年)~昭和46年(1971年)
大正11年、東京都台東区浅草に生まれる。小学生の時に千葉県市川市の知的障害者養護施設八幡学園に入園。学園では「ちぎり紙細工」に没頭する。その才能に周囲は驚かされる。昭和14年、八幡学園を脱走しリュックひとつの放浪の旅へと出る。旅で印象づけられた風景を貼絵にし、画家や文学者から絶賛される数々の傑作を制作。花火が好きだった清は、花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げている。驚異的な映像記憶力を持ち「花火」「桜島」など行く先々の風景を多くの貼絵にのこしている。旅先で絵を描くことはほとんどなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶をもとに一気に描くというスタイルだった。昭和46年、死去。享年49歳

東京都練馬区石神井台にて掛軸、屏風、御所人形、古伊万里、はぎれなど。

 

東京都練馬区石神井台にて掛軸、巻物、屏風、御所人形、煙草盆、古伊万里、古ガラス、アンティークはぎれなどをお売りいただきました。

先日、お蔵の整理でお呼びいただきましたお客様から再度お呼びいただき、骨董品などを買取させていただきました。買取できるお品の数が多くあり、数回に分けての買取にしていただき、本日が二度目の出張買取となりました。本日お売りいただきましたお品は、掛軸、巻物、屏風、御所人形、煙草盆、古伊万里、古ガラス、アンティークはぎれなど。江戸から昭和初期にかけてのお品が保管されていたお蔵の蔵出し。お蔵の中は暗い為、ブルーシートを敷いていただき、蔵からお品を出しては並べての査定となりました。数が多くございましたが、一点一点丁寧に査定させていただきました。掛け軸は日本画、書、仏画など多数。江戸時代のものがおおくございました。屏風は日本画、巻物は書。残念ながらしまったままの状態でしたので、全体的に虫食いがひどく進んでいる状態でございました。古ガラスは戦前のグラスなど、何点かカケがありました。古伊万里は白磁の壷や煙草盆など。お人形は江戸期の御所人形など。御所人形は、朝廷の御慶事や御出産、御結婚など、祝祭事の際に飾られてきた人形。 江戸時代に西国の大名が参勤交代で江戸に赴く途中、京都の宮廷に立ち寄り、贈り物をした際の返礼としてこの人形が贈られ、宮廷や公家、門跡寺院等の高貴な人々の間で愛された人形であります。江戸時代末期には一般にも普及しました。幼童のあどけない姿を大きな頭と横ぶとりの丸々とした裸体で表現しています。桐材を用いて胡粉(ごふん)で膚を白くみがきあげます。本品のように江戸時代には人毛を使ったりしたものもございました。こちらもしまったままの状態でしたので、残念ながら毛が抜け落ち、肌地にひび割れなどございました。アンティークはぎれは明治から昭和初期のもので、色鮮やかなものや藍染のものなどございました。こちらは捨てようとされていたもので、こちらにも査定が付き、また次へと繋げることが出来、お客様にお喜びいただきました。お蔵に長年しまったままのお品ですので全体的に状態に難有りではありましたが、全て買い取らせていただきました。ご先祖様が残された大切なお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。まだまだ時代家具や古伊万里などの古陶磁器、古書などがお蔵に眠っております。また近日お呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日も帰りに美味しいお弁当をいただきました。そぼろがとっても美味しかったです。ご馳走様でした。本日も六角堂のご指名、誠に有難うございました。

千葉県松戸市にて平尾秀明の日本画、大山忠作のリトグラフ、着物、反物など。

 

千葉県松戸市にて平尾秀明の日本画「足柄の富士」、大山忠作のリトグラフ「双鶴富士」、着物、反物などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、日本画家 平尾秀明の絵画「足柄の富士」、大山忠作のリトグラフ「双鶴富士」、着物、反物など。たくさんのお品をお売りいただきました。こちらの他にも油彩画、リトグラフなど、たくさんの絵画をお売りいただきました。お着物がたくさん有り、作家物のお着物などもございましたが、残念ながら全体的にシミや汚れが出てしまっておりました。状態にやや難有でしたが、ウール、喪服以外は全て買取させていただきました。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。

平尾秀明(ひらおひであき)
昭和18(1943)年11月30日、岐阜県瑞浪市明世町山野内に生まれる。
明世小学校・明世中学校(当時)・岐阜県立瑞浪高校を経て、金沢美術工芸大学日本画科に進学。
昭和42(1967)年に、大学を卒業すると、瑞浪市を離れた。橋本明治、大山忠作に師事。
昭和56(1981)年、第13回日展特選
平成元(1989)年、第21回日展特選
現在は、日展特別会員・日春展会員として、日本画壇をリードしている。

大山忠作(おおやまちゅうさく)1922~2009
1922年 福島県二本松で生まれる。家業は紺屋で父も趣味で日本画を描いていた。
1943年 東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。
1947年 山口蓬春に師事。
1952年 第8回日展特選・白寿賞(同1955年)および朝倉賞受賞。
1962年 初の個展開催。(銀座、文芸春秋画廊)
1967年 1968年にかけて、法隆寺金堂壁画再現模写に従事。
1973年 「五百羅漢」で日本芸術院賞受賞。
1984年 大山忠作襖絵展。(日本橋三越・福島県文化センター)
1986年 日本芸術院会員となる
1991年 日展事務局長を務める。その後、1992~1995年まで日展理事長を努める
1992年 成田山聖徳太子堂壁画展。(日本橋三越)
1996年 勲三等瑞宝章受章。
1999年 文化功労者。現在、日本芸術院会員、日展常務理事。
2009年 逝去

東京都北区滝野川にて若井良一の油彩画、大山忠作の石版画、男物の紬など。

    

東京都北区滝野川にて若井良一の油彩画「道」、大山忠作の石版画「双鶴」、大島紬など男物のお着物などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、若井良一の油彩画「道」、大山忠作の石版画「双鶴」など絵画多数、大島紬や久米島紬など着物など。たくさんのお品をお売りいただきました。大山忠作は現代日本画壇の重鎮として日本の芸術文化の振興・発展に尽力した画家。鯉を描く画家として有名です。他にも油彩画、リトグラフなど、たくさんの絵画をお売りいただきました。お着物は男物が多くございました。紬や袴など、多数お売りいただきました。シミ汚れの出てしまっているものもございましたが、ウール、喪服以外全て買取させていただきました。本日積みきれなかった絵画や家具など、来週再度出張買取させていただくこととなりました。次回もよろしくお願い致します。本日はお忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。

大山忠作(おおやまちゅうさく)1922年 〜 2009年
1922年 5月5日、福島県二本松市に生まれる
1943年 学徒出陣のため、東京美術学校を繰り上げで卒業
1946年 台湾から復員後の第2回日展で「O先生」が初入選
1947年 山口蓬春に師事
1952年 第8回 日展で「池畔に立つ」が初の特選、同時に白寿賞・朝倉賞を受賞
1955年 第11回日展で「海浜」が特選・白寿賞を受賞
1961年 日展会員となる
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写に従事
1968年 第11回新日展で「岡潔先生像」が文部大臣賞を受賞
1973年 「五百羅漢」が日本芸術院賞に選ばれる
1980年 成田山新勝寺光輪閣襖絵第1期「日月春秋」28面を完成
1984年 成田山新勝寺光輪閣襖絵第2期「杉」「松」「竹」22面を完成
1986年 日本芸術院会員となる
1987年 二本松市名誉市民に選ばれる
1992年 成田山新勝寺聖徳太子堂壁画「白鷺」「蓮」「桜」「牡丹」「菊」「楓」6面を完成。日展理事長に就任
1993年 画業50年記念展を、東京・大阪・仙台・横浜で開催
1996年 勲三等瑞宝章を賜る
1999年 文化功労者として顕彰される
2005年 日展会長に就任
2006年 文化勲章を受章
2007年 新宿区名誉区民に選ばれる
2009年 2月19日、逝去。享年86歳。10月1日、大山忠作美術館(二本松市市民交流センター)開館

若井良一(わかいりょういち)1940年生まれ。栃木出身。1973年三軌会会員となる。現在無所属、日本美術家連盟会員、古川美術館作品収蔵。元三軌会員審、文部大臣奨励賞、安田火災奨励賞、他多数受賞。油絵大賞展入選、安井賞展入選。ブロードウェイギャラリー他個展。参考、2009年美術年鑑に号15万8千円で掲載。

埼玉県さいたま市大宮区にて竹内栖鳳などの掛軸、ちりめんなどの反物。

  

埼玉県さいたま市大宮区にて竹内栖鳳などの掛軸、ちりめんなどの反物をお売りいただきました。

数か月前にお呼びいただきましたお客様から、掛け軸や反物などがまだ出てこられたとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。本日お売りいただいたお品は、竹内栖鳳などの掛軸、ちりめんなどの反物、洗い張りの生地など。掛け軸は竹内栖鳳の花鳥図「柳鷺図」(二重箱)、赤松雲嶺、中倉玉翠の四季を描いた四幅対など。残念ながら赤松雲嶺は一本欠品しておりました。多少のシミはあるものの、全て買取させていただきました。反物は古代苑の浜ちりめん、扇昌の丹後ちりめんなど。こちらはシミ汚れも良く、保管状態の良いものでした。他にも洗い張りの生地なども併せてお売りいただきました。二度にわたり六角堂をご指名いただき、ありがとうございました。

竹内栖鳳(たけうちせいほう)1864(元治元)~1942(昭和17)
1864年、京都府京都市中京区の川魚料理屋「亀政」の一人息子として生まれました。本名恒吉。1877年(明治10年)に四条派の土田英林に絵を習い始めるが、1881年(明治14年)の17歳の時に同派の名手として知られた幸野楳嶺の私塾へ正式に入門する。この頃から頭角を現し、翌年には私塾の工芸長となり、「楳嶺四天王」(栖鳳と都路華香、谷口香嶠、菊池芳文の高弟4名を指す)の筆頭と呼ばれるようになりました。1887年(明治20年)、23歳の時に結婚し、これを機に絵師として独立する。同年、京都府画学校(現:京都市立芸術大学)修了。1889年(明治22年)には京都府画学校に出仕し、京都の若手画家の先鋭として名をあげていきます。1891年(明治24年)山元春挙、菊池芳文らと青年画家懇親会を興す。1899年(明治32年)京都市立美術工芸学校の教諭に就任。1900年(明治33年)36歳の時に7ヶ月かけてヨーロッパを旅行し、ターナー、コローなどから強い影響を受ける。帰国後、雅号を栖鳳と改める。1909年(明治42年)京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)の教諭に就任。1913年(大正2年)に「帝室技芸員」に推挙されることで、名実共に京都画壇の筆頭としての地位を確立されました。1919年(大正8年)帝国美術院会員。1920年(大正9年)と1921年(大正10年)の二度にわたって東洋画の源流を訪ねるために中国へ旅行し、代表作で重要文化財の「班猫」は、そののちに描かれた。1924年(大正13年)フランスのレジオンドヌール勲章を受賞、1931年(昭和6年)ハンガリー最高美術賞およびドイツのゲーテ名誉賞を受賞。1937年(昭和12年)、横山大観とともに第一回文化勲章を受章。1942年(昭和17年)、78歳で死去。 評論家の竹内逸は息子である。