カテゴリー別アーカイブ: 絵画・掛軸

東京都国分寺市にて、山口真功の油彩画「大山・雪の林道」、洋食器。

 

東京都国分寺市にて、山口真功の油彩画「大山・雪の林道」、ロイヤルコペンハーゲンやウェッジウッドなどの洋食器をお売りいただきました。

お片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、山口真功(やまぐち しんこう)の油彩画「大山・雪の林道」、ロイヤルコペンハーゲンやウェッジウッドなどの洋食器など。山口真功は透明感あふれる色彩とマティエールで新しい絵画の可能性を開拓し続ける作家。雪の林道に色彩が奏でる光、山口真功さんらしい作品です。本日は六角堂をご指名、良いお品をお売りいただき有難うございました。
今日は午前中のみの買取でしたので、午後は倉庫へ戻り仕分け作業をしました。倉庫へ向かう途中「福よし 大井店」へ寄り、もやしあんかけそばをいただきました。サンマー麺のようなお味で、とても美味しかったです。

山口真功(やまぐちしんこう)
1960年 熊本に生まれる
1984年 大阪芸術大学卒業
1988年 渡仏
1989年 大阪現代画廊にて初個展
1991年 ’91国際美術大賞展入選 第1回花の美術大賞展入選
1992年 東京池袋にて新鋭作家5人展出品、大阪ギャラリーアルバで個展 以後毎年開催
1994年 東京、大阪、名古屋、神戸等 各地で個展開催
2002年 渋谷・東急本店にて個展 以後毎年開催
2003年 松屋銀座にて個展 以後毎年開催
現在:無所属

東京都東村山市にて、高木得元の釜、茶道具、掛軸、佐久間竹浦の画帖。

 

東京都東村山市にて、釜師高木得元の四方口釜、茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、置物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、釜師高木得元の釜など茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、薩摩焼や九谷焼の置物など。たくさんのお品をお売りいただきました。高木得元は高木治良兵衛と同じ高木家の釜師。高木治良兵衛は京の町のほぼ中央に位置する「釜座(かまんざ)」に現在までに残る1855年創業の釜師が代々襲名する名前で、当代で6代目となっています。 お売りいただいた釜は宗旦好四方口釜。四方口釜(よほうぐちがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、口造りが甑口を四角形にした形の釜です。四方口釜は、宗旦好み、天命作で、釜の底を尾垂(おだれ)に直したものといいます。古いお品ですので錆や共箱の痛みなどございましたが、 大変良い作でしたのでお客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。掛軸は、日本画、書のものなどがございました。画帖は、佐久間竹浦や草刈樵谷など日本画家のものが十点ほど納まっておりました。亡くなられたお爺様やお母様のご遺品とのこと、大切に次へと繋げられるよう頑張らせていただきます。本日は良いお道具をお売りいただき、ありがとうございました。
帰宅途中、「江川亭 東村山店」へ寄り、昼食をいただきました。こちらは15年ほど前、妻と結婚したばかりの頃によく来たお店で、約十年ぶりに寄りました。中華麺をいただきましたが、昔と変わらない味でとても懐かしかったです。いずれまた妻と来てみたいと思います。

佐久間竹浦(さくま ちくほ)
名は資夫、号は竹浦、別に菌浦、五谿と号した。明治9年竹田町で生れ大正14年に没した。幼くして独り祖母に育てられた。亡父純徳医師の遺産が豊かで、大切に育てられた。五つ六つの頃に紙と筆を与えると絵を描いて居たと言う。9歳の春に元岡藩絵師川合石舟の門に入り、後に京都に出て田能村直入の指導を受け南画を学んだ。直入没後は田近竹邨に師事して大いに研鑚を積み、郷里に帰り水石会の中堅として活躍し、多くの作品を遺して居る。初め水石会で竹浦について学び、後京都の竹邨の門に入った画家は草刈樵谷などが幾人か居る。竹浦は小学校の時代に、作曲家瀧廉太郎と親友で、交流が続き廉太郎からの書簡や絵が今も遺っております。また、昭和41年5月から55年3月まで竹田市長を務めた佐久間盛夫は三男にあたる。

草刈樵谷(くさかり しょうこく)
1892-1993 大分県竹田市に生まれる。本名辰生。初め同地の佐久間竹浦に師事して画を修め、大正8年京都に上り田近竹邨の門に入る。昭和20年まで京都在住の間、竹邨の主宰する日本南画院に連続出品。大正13年日本南画院院友となる。昭和3年大禮記念京都大博覧会に「秋山吟節」を出品。昭和12年第一回南画連盟展に「溪夏」を出品し奨励賞を受賞。昭和17年第5回新文展に「奔瀬図」が入選。昭和20年帰郷、翌年竹田荘に入り、以後16年間同荘の経営管理に従事する。かたわら田能村竹田画の研究に情熱を傾け、その画風を慕って南画制作を続けた。また、昭和49年にはそれらの功績が認められ、竹田市在住者で初めて名誉市民に選ばれることになった。平成5年(1993)歿、100才。

東京都練馬区春日町にて、牛島義弘の油彩画「私の温室」、バカラのグラス。

東京都練馬区春日町にて、牛島義弘の油彩画「私の温室」、バカラのグラスやフラワーベースをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日の出張買取は、夕方のご指定でしたので、お客様のご指定時間にお伺いしました。今日は遅い時間の出張でしたので、前日までに買い取らせていただいたお品の掃除や仕分け作業をしておりました。買い取りが続いておりますので、ずいぶんと沢山のお品を仕分けしました。本日お売りいただいたお品は、牛島義弘の油彩画「私の温室」、バカラのグラスやフラワーベースなど。牛島義弘は熊本生まれ、ルドルフ・ハウズナーに師事しウイーン幻想派を流れをくむ画家。作品は1994年の作、画題は「私の温室」です。とても雰囲気良い絵画です。良いお品をお売りいただき有難うございました。
今日は数年ぶりに小・中学校の同級生と食事をすることになりました。練馬区は私の生まれ育った場所で、子供の頃に住んでいた光が丘で会うこととなりました。毎日のように通っていた光が丘IMAにある「韓国名菜 福寿」さんへ行きました。以前わたしが住んでいた頃とは違うお店でしたが、少し歩いてみるとほとんどのお店が変わってしまっておりました。今なお続くお店を懐かしみながら、食事へ向かいました。韓国名菜 福寿さんは高級感ある店内で、食事もとても美味しかったです。焼肉、サムギョプサル、大好物のチジミ、どれも美味しかったです。友人とは昔話で盛り上がりました。また会える日まで、お互いに頑張ろうと語り合いました。K林、また会う日まで!

牛島義弘(うしじまよしひろ)昭和22年 〜 平成22年
昭和22年  12月22日、熊本県人吉市に生まれる。
昭和47年  熊本大学教育学部美術科卒業
昭和49年  京都市立芸術大学美術専攻科修、オーストリア・ウィーン造形美術大学入学
昭和50年  ルドルフ・ハウズナーと弟子達展
昭和52年  オーストリア主権回復25周年記念展(ウィーン)、日本文化センターオープニング(在オーストリア日本国大使館文化センター/ウィーン)
昭和54年  個展(ラーベンシュタイク画廊/ウィーン/日本国大使館作品買上)
昭和57年  ゲーテ生誕記念ファウスト展(ウィーン)、個展(美術協会アルカデ画廊/メードリング/メードリング市作品買上)
昭和62年  日本アートフェア’87(セントラル美術館/東京)
昭和63年  松下電工「Base Light Gatalogue」池上俊郎氏との共作
平成 3年  両洋の眼・現代の絵画展(日本橋三越・京都大丸ミュージアム 他)
平成 8年  「終りなき祝祭」辻井喬著 新潮社(表紙)「鳥が飛んだ日」
平成18年  Ars Kumamoto アルス・クマモト-熊本力の現在(熊本現代美術館/熊本)
平成20年  DOERNERS ERBE デルナーの伝承展(在オーストリア日本国大使館文化センター/ウィーン)
平成22年  6月6日、逝去

東京都武蔵村山市にて、桐箪笥、小館善四郎の油彩画「染付徳利れもん」

 

東京都武蔵村山市にて、桐箪笥、小館善四郎の油彩画「染付徳利れもん」をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。伝統工芸品春日部桐箪笥、人気洋画家小館善四郎の油彩画「染付徳利れもん」をお売りいただきました。小館善四郎はレモン画家として知られる青森県出身の洋画家で、当社でも数多く取り扱う作家です。額にキズや破損がございましたが、六角堂で買取を強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「小館善四郎」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
小館善四郎作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。
昼食は、イオンモールむさし村山の店内にあるフードコートへ行きました。N尾氏は大阪王将で炒飯や餃子を、わたしはペッパーランチでビーフペッパーライスを食べました。久々のペッパーランチ、とっても美味しかったです。

小館 善四郎(こだて ぜんしろう) 1914年(大正3年)11月29日 – 2003年(平成14年)10月8日
青森市生まれ。旧制青森中学校(青森県立青森高等学校)在学中、南部公鎮に師事。
1932年(昭和7年)に旧制青森中学校を卒業して上京し、帝国美術学校(武蔵野美術大学)に入学、牧野虎雄に師事した。
1936年(昭和11年)11月、学校側の都合により帝国美術学校を繰上卒業。同年から1943年(昭和18年)まで母校青森中の図画科教師。
1938年(昭和13年)、第13回国画会展に初入選。1948年(昭和23年)、国画奨学賞受賞。1953年(昭和28年)、国画会会員。
1975年(昭和50年)、青森県褒賞受賞。1992年(平成4年)、青森県文化賞受賞。1998年(平成10年)、国画会永年会員。
2000年(平成12年)、文化庁地域文化功労者表彰受賞。
代表作に「赤衣少女」「檸檬とれもんの絵」などがある。

足立区東保木間にて、黒沢信男の油彩画、着物、岡野武一郎の佐賀錦袋帯。

東京都足立区東保木間にて、黒沢信男の油彩画「富士快晴(忍野にて)」、お着物、岡野武一郎の本綾佐賀錦袋帯などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お母様が大切にされていたお着物や帯、和装小物、絵画をお売りいただくこととなりました。帯が10枚近くございましたが、中でも岡野武一郎の佐賀錦袋帯は当社で買い取りを強化している作家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。佐賀錦は和紙に金銀箔を貼り、それを細かく切って細工するというとても繊細な作業で、熟練者でも1日に少しずつしか織ることができません。明治期に一時中断された織物を再興、改良を重ねて、佐賀錦織のブランドとして昭和48年に誕生したのが「岡野武一郎」です。日本最古の伝統的絹織物・博多織の系譜を受け継ぎ、皇室献上や内閣総理大臣賞受賞など数々の実績をあげ、25年余りの研究の末に佐賀錦の帯は生まれました。大変素晴らしい帯をお売りいただき有難うございました。また、人気風景画家である黒沢信男の油彩画「富士快晴(忍野にて)」をお売りいただきました。山梨県にある忍野から見る富士山の雪景色に繊細な木々の描写が素晴らしい絵画です。お母様の大切にされていたお品たち、大切に次へと橋渡しさせていただきます。良いお品をお売りいただき有難うございました。
愛知県で骨董商をされている先輩からご連絡いただき、東京へ来ているとのことで池袋で食事をすることになりました。池袋駅東口にある「居酒屋千家」さんというお店に行きました。店主さんが釣り人なのでしょうか、店内には幻の魚であるアラの魚拓が飾っておりました。10年近く前、わたしは相当な釣りバカでしたが、アラは茨城県の船宿から五回程出船していずれも撃沈と苦い思い出があります。仕事が落ち着いたら、いずれまた挑戦したいと思っている魚です。魚料理がおすすめのお店のようで、わたしたちも魚料理をいただくことにしました。たくさん食べましたが、中でもイサキの塩焼きが一番おいしかったです。塩焼きはやはりイサキが一番ですね。先輩ご馳走様でした!

黒沢信男(くろさわのぶお)
白日会委員・日展会友
1930年 埼玉県本庄市に生まれる
1947年 白日展初入選
1949年 東京芸術大学美術学部入学
1952年 日展初入選(以後毎年出品)
1959年 白日会会員となる
1973年 安井賞展入選(同 ’74)
1979年 白日会記念展内閣総理大臣賞
1992年 日展特選
1996年 白日展中沢賞

墨田区石原にて加茂桐箪笥、着物、江東区亀戸にて志村立美のリトグラフ。

東京都墨田区石原にて加茂桐箪笥、着物、和装小物、江東区亀戸にて志村立美のリトグラフ「仕度」をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。墨田区、江東区へ出張させていただきました。一件目は墨田区石原へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは加茂桐箪笥やお着物、帯締めなどの和装小物を買い取らせていただきました。こちらの桐たんすは新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸の下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには光彦刻の銘、四君子の彫金があります。四君子(しくんし)とは、蘭、竹、菊、梅の4種を、草木の中の君子として称えた言葉。それらを全て使った図柄、模様を指します。多少のシミなどはございましたが、経年の割に状態の良いタンスでした。お着物もシミ汚れなど出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。思い出のタンス、お着物など、大切に次へと繋げさせていただきます。帰りに暑いからと栄養ドリンクをいただきました。お気遣いいただき有難うございました。二件目は江東区亀戸へ絵画の買取でお伺いしました。お売りいただいた絵画は、挿絵界の巨匠、志村立美のリトグラフ「仕度」。リトグラフではありますが、当社の買取強化作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
帰宅途中、江東区亀戸にある「ハッスルラーメン ホンマ 亀戸店」さんへ寄りました。インパクトある店名につられ、寄ってみました。わたしはハッスルらーめんを注文。背油ちゃっちゃ系のお店とのことですが、40代のわたしは背油少なめにしてもらいました。量は多めでしたが、意外とあっさりしたスープが美味しく、完食しました。美味しかったです。

志村立美(しむらたつみ)1907年~1980年
群馬県高崎市生まれ、その後横浜市中区へ移住する。 神奈川県立神奈川工業高等学校図案科を中退、1924年(大正13年)山川秀峰に入門美人画を修める。 当時、山川秀峰は鏑木清方同門の伊東深水と共に、挿絵での活動もしていた。 山川秀峰の推薦を受け、立美も挿絵での活動を行うようになる。
肉筆画も鏑木清方主宰の郷土会、師である山川秀峰、伊東深水らの主宰する青衿会等へ出品をする。 その後主婦の友・婦女界などの雑誌口絵などでその名を知られるようになり、林不忘原作の丹下左膳の挿絵などで岩田専太郎と並ぶ人気画家となる。 当時の大衆娯楽としての挿絵の重鎮として活動をしていくが、晩年、挿絵での活動を休止し、本来の立美の原点である日本画、美人画への回帰をしていく。
出版美術家連盟会長などをつとめ、1976年(昭和51年)作品集『美人百態』で日本作家クラブ賞を受賞。1980年(昭和55年)5月4日、東京都新宿区の病院で死去。73歳。

東京都練馬区石神井台にて、鈴木政輝の油彩画、中国陶器、七宝の花瓶など。

東京都練馬区石神井台にて、鈴木政輝の油彩画、中国陶器、七宝の花瓶、銀製置物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。中国陶器や火鉢を処分されたいとのことでお呼びいただきましたが、他にも絵画や七宝製品、純銀製扇子の置物などもお売りいただきました。中国陶器は近年造られた染付の工芸壺でした。七宝も近年の工芸品。絵画は人気洋画家である鈴木政輝の油彩画。鈴木政輝は海や帆船を描いた海洋画を多く描き、光と風をテーマとした独特の空気感に人気がございます。本作はSMサイズと小振りな作品でしたが、六角堂強化買取り作家作品のため、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。次回また、火鉢やカメラの買取でお呼びいただくこととなりました。楽しみにお待ちしてます。
本日の出張は一件のみで早く帰宅することができましたので、家族でステーキガストさんへ行きました。切り落としビーフにサラダやカレー、パンまでたくさんいただきました。切り落としビーフ以外は全て食べ放題、とても美味しくて今夜もまたがっつりといってしまいました・・・。

鈴木政輝(すずきまさてる)1924(大正13)年~
1924(大正13)年 長崎県島原市に生まれる。
1938(昭和13)年 14歳にて上京。島野重之に師事。
1945(昭和20)年 国内だけではなく、海外に向けても作品を発表する。欧州諸国を訪問し、海洋、帆船について研究し、絵画に活かしていく。
1983(昭和58)年 大阪でアジア初の帆船フェスティバル記念展を開催。大阪市に作品が買い上げられる。
1984(昭和59)年 東京・神戸で行われた国際ボートショウで 鈴木政輝海と帆船展を開催。同じく、「新日本丸竣工記念展」を東京で開催する。
1985(昭和60)年 東京練馬区立美術館開館記念展に招待出品。日本丸一世公開記念展を横浜で開催し、横浜市に作品が収蔵される。
1986(昭和61)年 運輸省大臣室に作品が収蔵される。以後、運輸省広報誌の表紙にて作品を一年間掲載される。船の科学館での船の絵画展に招待出品。
1987(昭和62)年 大阪開港120年記念展を大阪で開催。
1988(昭和63)年 (財)帆船日本丸記念財団に作品収蔵。運輸大臣賞受賞。
1989(平成元)年 内閣総理大臣より観桜会に招待される。横浜博覧会・開港130周年記念特別企画展を横浜で開催。
1993(平成5)年 船の科学館に作品が収蔵される。
1994(平成6)年 中国北京市市長室に作品が収蔵される。

茨城県牛久市にて、エルテ、トーマスマックナイト、ラッセンのシルクスクリーン。

茨城県牛久市にて、エルテのシルクスクリーン、トーマスマックナイトのシルクスクリーン「リバディ」、ラッセンのミクスドメディア「インフィニットウェイ」、切手などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。十数年前にたくさん絵画を購入されるも、飾る機会がなく保管されていたのでご処分されたいとのことでした。ラッセンはハワイで購入されたようで証明書がありませんでしたが、エルテ、トーマスマックナイトは証明書が一緒に保管されておりました。特に目立つ痛みもなく状態の良いものでしたので、精一杯査定を頑張らせていただきました。他にも切手、反物を買い取らせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。帰りに常磐自動車道守谷サービスエリアへ寄り、茨城もりの市場食堂さんで海鮮丼を食べました。茨城県内の漁港で水揚げされた魚介で作られているようで、とても美味しかったです。茨城県の出張買取のは久々でしたので、お土産をたくさん買いました。茨城県に来ると必ず買うのが納豆のスナック菓子、家族みんな大好きなお菓子です!

エルテ(Erte)1892~1990
本名はロマン・ド・ティルトク。18歳の時、パリへ渡りポール・ポワレに認められ、デザイン画やファッションデザインを学び、アール・デコ様式の代表的作家となる。 アメリカで、ファッション及びハリウッドMGMでの映画セットの製作で活躍するが、第二次世界大戦で一時中断、その後76歳の時、最初の石版画やリトグラフを制作、発表する。
1892 ロシアのぺテルスブルクに生まれる
1912 パリに移る。ペンネームをエルテと命名
1919 ムーランルージュをはじめとし、数十年にわたり舞台セットのデザイン・衣装を手掛ける
1968 76歳の時、最初の石版画やリトグラフを制作
1976 フランス政府より文芸士賞を授与
1982 パリ市賞の銅メダルを授与、グラフィックの大展示会が開催される
1983 アメリカ、フランスで大回顧展開催
1990 パリの病院で死去

トーマス・マックナイト(Mcknight Thomas )1941~
世界中の都市やリゾート地をモチーフに描かれている。パステル調のカラフルな色彩と、それぞれ特色のあるインテリアの部屋から見える海や空など、トロピカルな明るく開放的なイメージの作品が多い。
1941 米国カンザス州ローレンス市に生まれる
1973 アメリカ、ヨーロッパで展覧会多数開催
1981 ホワイトハウスで開催される展覧会への出展アーティスト30人に選ばれた
1988 オーストリアン・ガーデンが、メトロポリタン美術館の永久保存作品の1点に加えられる
1990 3冊目の本「Windows On Paradise」出版
1991 アーバンリゾートフェア神戸 ’93のイメージアーティストに選ばれる
1993 神戸市博物館にて個展開催
1995 神戸市復興のために、美しい神戸の街並みを再度描き、神戸市に寄贈。
1996 三年連続で、オフィシャルクリスマスカードの制作を依頼される
1997 各地で来日展開催。リマーク入りの『スウィート・ルーム・スイート』を発表

クリスチャン リース ラッセン(Lassen Christian Riese)
1956年、3月11日アメリカ カリフォルニア生まれ。4歳の頃からすでに絵画に親しむほど、幼少の頃から才能に恵まれる。’66年ハワイ・マウイ島へ家族で移住。海の魅力に魅せられ、様々な試行錯誤の末に水面の上下で宇宙と海底を表現する2WORLDの画風を確立させる。’76年より作品を発表しつつ、プロサーファーとして世界的なランク入りを果たす。’83年、国連<クリーンオーシャンキャンペーン>のイメージアート「サンクチュアリ」を制作。’89年、ホノルルマラソン公式アーティストに選定される。 ’90年、海に対する恩返しの気持ちから環境保護団体<シービジョン財団>設立。’92年、「サンクチュアリ」が国連記念切手となる。’96年、映画「フリッパー」の公式ポスター制作。’98年、「国際海洋年1998」の公式ポスターを制作するとともにN.G.O.組織<F.U.N.>の親善大使に任命される。さらに自身が作曲・ボーカルを担当した「TURN THE TIDE」を発表。マリンアートの第一人者として日本での人気は絶大である。

さいたま市浦和区にて、徳力富吉郎の木版画、ウィルハイムの油彩画。

埼玉県さいたま市浦和区にて、創作木版画家である徳力富吉郎の木版画集「京の四季」、オランダの女流画家ウィルハイムの油彩画「丘で」であるをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。先日お電話いただき、青森県のご実家から小館善四郎の絵画を持って帰るので出張するようご依頼いただきました。青森県からさいたま市浦和区までお持ち帰りくださり有難うございました。小館善四郎の絵画は残念ながら印刷ものでございました。油彩画もあるようですが、こちらはお父様がまだ残したいとのことで青森に残されるようです。他にお売りいただいた絵画は、オランダの女流画家ウィルハイムの油彩画「丘で」や刺繍額、書の額など。また、創作木版画家である徳力富吉郎の木版画集「京の四季」も併せてお売りいただきました。木版画集は既に額装されているものを含め、三枚のみ。四季のものですので、一枚の欠品でしょうか。欠品、シミなどはございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、買い受けさせていただきました。この度は六角堂をご指名いただき有難うございました。
今日は近所のふじみ野市で「おおい祭り」が行われておりました。昨年も寄ったのですが、活気のあるお祭りでした。息子たちは山車囃子が気に入ったようで、長い間見とれておりました。今夜はお団子やお好み焼きなどで夕食を済ませました。

徳力富吉郎(とくりきとみきちろう)
版画界の第一人者として活躍した木版画家。
1902 3月22日、京都市下京区に生まれる。代々画家の家系で、本願寺絵所を預かる旧家で十二代目に当る。
1924 京都市立美術工芸学校、及び、絵画専門学校を首席で卒業。山元春挙、土田麦僊、鹿子木盂郎に日本画、洋画を日野慶吉、大岩徳蔵に師事して版画を学び、国画創作協会第六回展で日本画「人形」を出品、樗牛賞を受賞する。
1928 平塚運一、棟方志功ら版画家と同人雑誌「版」を刊行。
1929 土田杏村氏などの推薦により、版画雑誌「大衆版画」を発行。春陽会に創作版画出品発表(以降、10年間連続出品)。
1946 終戦と同時に版画製作所「版元まつ九」を設立し、幾多の従弟を養成する。産業的版画の量産を始め、木版手摺の絵葉書を製作、全日本絵葉書コンクールに出品受賞する。
1962 米国、及び、欧州各国の古美術見学やスケッチ旅行にて約2ヶ月ほど渡る。
1964 米・英・独各地にて、デモンストレーションを行い、好評を得る。
1965 東京銀座いとう画廊にて、第一回個展開催。
1968 米クリーブランド市メーカーカンパニー百貨店で、棟方志功らと同時個展を開催。
1978 4月29日、勲四等瑞宝章を受賞。
1980 京都市文化功労賞を受賞。
1985 本願寺名誉総裁賞を受賞。
1990 京都仁和時国宝「孔雀明王」(千三百度摺)の復元、摺刷を監修。
1992 京都府特別文化功労賞を受賞。
1996 日本浮世絵協会より、浮世絵奨励賞を受賞。
2000 7月1日、京都市左京区の病院で死去、享年98歳。

埼玉県さいたま市見沼区にて、山本倉丘や安西啓明などの掛軸。

埼玉県さいたま市見沼区にて、日本画家の山本倉丘や安西啓明などの掛軸、置物、雑貨などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、日本画家の山本倉丘や安西啓明などの掛軸、木彫りや陶製の置物、雑貨など。鳥を題材にした掛軸がお好きだったのでしょうか、鳥の描かれているものが多くございました。山本倉丘の掛軸は「千鳥」というもの、二重箱に収められておりました。安西啓明は「辛夷花」というもの、辛夷花とはこぶしの花のことです。シミなどが出てしまっておりましたが、六角堂で買取を強化している作家作品、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良い作品をお売りいただき有難うございました。
本日のランチは、さいたま市見沼区にある「麵家 光」へ寄りました。辛ネギ味噌ラーメンをいただきましたが、見た目通りの超激辛。この辛さがまた癖になりそうです。とても美味しかったです。

安西啓明(あんざいけいめい)1905~1999
明治38年4月15日生まれ。日本画家。東京生。名は正男。川端龍子に師事。
大正15年院展に「学校」が初入選。再興院展に入選するが、龍子が青龍社を結成するに及びこれに参加、社人となる。また龍子の画塾御形塾の塾頭をつとめ、自らは青明会を主宰した。
昭和20年新京芸術院教授として満州(中国東北部)にわたる。帰国後は建築をテーマに青竜展,個展などで活躍。日本美術家連盟理事。平成11年(1999)1月11日死去、93才。

山本倉丘(やまもとそうきゅう)1893~1993
本名は伝三郎。号は橘村のち倉丘
京都に出て、山元春挙の画塾早苗会に入る。
昭和元年、第7回帝展にて初入賞を果たし、以後も出品入選を繰り返す。
昭和8年、第14回帝展で特選を受賞。
早苗会解散後は、堂本印象の画塾東丘社にも属す。
戦後は日展などに出品し、昭和40年には新日展で日本芸術院賞を受賞する。
昭和の京都画壇で活躍されました。
1893 高知県大方町伊田に生まれる。
1919 京都市立絵画専門学校を卒業
1922 池田遥邨、上村松篁らと水明会を結成
1936 水明会を結成する
1953 日展審査員になる
1961 紺綬褒章を受章
1966 日本芸術院賞を受賞
1974 勲四等旭日賞を受賞
1993 死去、99才。