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saito について

桐箪笥・骨董品・茶道具の高価買取実施中です。お気軽にお問い合わせください。

埼玉県熊谷市にて、桐箪笥、お着物、琉球紅型、谷脇仁光作赤珊瑚千手観音菩薩像(黒檀厨子)など。

埼玉県熊谷市にて、桐箪笥、お着物、琉球紅型、谷脇仁光作赤珊瑚千手観音菩薩像(黒檀厨子)などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お婆様が大事にされていた桐たんす、琉球紅型のお着物や訪問着、留袖、紬、名古屋帯、反物、和装小物など、全て買い受けさせていただきました。また、黒檀の厨子に納められた谷脇仁光作赤珊瑚千手観音菩薩像などもお売りいただきました。大事にされていた思い出のお品、大事に次へと繋げていきたいと思います。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。出張帰りに、熊谷市にある「麺場 田所商店 熊谷銀座店」さんへと寄りました。こちらは、以前談合坂SAや市川市へ出張した際にも寄らせていただいたお店で、麦味噌のラーメンスープがとても美味しいお店です。今日は、九州麦味噌肉ネギらーめんをいただきました。ご当地味噌を使った味噌ラーメン、味噌好きにはたまらないです。

琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)
紅型は琉球王府、首里、浦添を中心に、婦人の礼装として、また神事に関する古式の服装として摺込みの手法で染められたのが、琉球紅型のおこりだといわれています。 その後、14~15世紀、中国や東南アジアとの海外交易により中国の印花布の技法や印度、ジャワなどの染色技法が伝わります。 やがて沖縄の気候風土と自然に育まれながら、沖縄独自の紅型が誕生しました。第2次大戦により壊滅的な打撃を受けましたが、戦後、紅型保存会の結成、沖縄びんがた伝統技術保存会の結成、昭和59年の国の「伝統的工芸品」の指定を経て、その振興が図られています。昨今では、着物や帯などの和装、日常装飾品、着尺、訪問着、振袖、帯地、他に壁掛け、風呂敷、のれん、掛軸、その他装飾品の用途も広くなり、沖縄県内外の人々から歓迎されております。

谷脇仁光
1958年 高知県生まれ
1980年 父、黄綬褒章珊瑚彫刻家谷脇利光に師事。雅号(仁光)を授かる。
1988年 珊瑚名作コンテストにおいて、観光連盟会長賞受賞。現在に至るまで数々の賞を受賞
2006年 高知県技能功労章受賞。
現在も、利光のもとで伝統工芸を継承し、数々の作品を生み出しております。

千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)
千手観音菩薩は「観音様」と呼ばれる観音菩薩の一種。「観音」は、観察の観、人々の声である音に由来します。
つまり、観音菩薩は人々を観察して救済する仏です。千本の手は観音様が無限に手を差し伸べる様子を表します。
千手観音の正式名称は千手千眼観世音菩薩と呼びます。一本の手に一つの眼が刻まれていることに由来し、千の眼は人々をしっかりと見て導くという意味がございます。

東京都武蔵野市にて、桐箪笥、日本人形、陶芸家廣瀬義之(師 藤本能道)作 色絵朝顔乃図香炉。

東京都武蔵野市にて、桐箪笥、日本人形、廣瀬義之(師 人間国宝藤本能道)作 色絵朝顔乃図香炉をお売りいただきました。

昨日は東京都清瀬市で、解体業者様にお呼びいただき、買取の物量が多かったので朝から一日作業となってしまい、買取事例の更新が出来ませんでした。
古酒、バカラのグラス、リヤドロのフィギュリン、マイセン、鼈甲のメガネなどの小物をはじめ、マントルピースや机、サイドボード、コレクションケースなどの家具を多数お売りいただきました。後日、商品を更新させていただきたいと思います。
本日は、東京都武蔵野市にてお引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。総桐の小箪笥、日本人形や博多人形、陶芸家廣瀬義之の色絵朝顔乃図香炉などを買い受けました。廣瀬義之氏は、色絵磁器で人間国宝になられた藤本能道氏を師に持つ陶芸家で、自身も色絵磁器をたくさん造られております。良いお品をお売りいただき、ありがとうございました。
作家物はもちろん、六角堂では作家の無い陶芸作品も買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。

廣瀬義之(ひろせよしゆき)陶芸家
1954 栃木県に生まれる。
1980 東京藝術大学工芸科卒業
1982 同大学工芸科大学院修了
1984 同大学工芸科研究生を経て、同大学非常勤助手となる。
1986 人間国宝・藤本能道氏に師事
1992 青梅にて独立し、作陶
1994 日本工芸会正会員 認定
1997 新宿高島屋にて「藤本能道・弟子たち展」出品
1998 日本橋三越 ホテルニューオータニにて逸品会展
(以後 00、’02、’06出品)
国際交流基金 作品買上
引き続き 日本橋三越にて「廣瀬義之セラミック展」
(以後 ’00、’02、’06開催)
2000 立川高島屋にて「藤本能道・門下生色絵磁器展」出品
2001 日本橋三越「陶・食のうつわ展」(以後 ’05出品)
2002 青梅市 作品買上
2003 日本橋三越にて「色絵磁器6人展」出品
2008 第3回菊池ビエンナーレ展入選
(菊池寛実記念智美術館・東京)
2011 佐野市立吉澤記念美術館(栃木県)にて
「小特集・廣瀬義之の色絵」展 開催
現在 日本工芸正会員

千葉県松戸市にて、金工師寿玉作 鋳銅製柿の置物、銀泉堂恵比寿大黒の置物など。

 

千葉県松戸市にて、金工師寿玉作 鋳銅製柿の置物、銀泉堂恵比寿大黒の置物などお売りいただきました。

本日は、千葉県船橋市へ桐箪笥、お着物の見積もり、松戸市へと置物などの出張買取をさせていただきました。松戸市は、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。長火鉢や南部鉄瓶の他、木彫りや金工置物などを多数お売りいただきました。お忙しい中、ありがとうございました。千葉県内を移動途中、市川市にある「権左衛門」さんへと寄りました。鉄鍋らぁめんという看板につられ、お店へと入りましたので、もちろん鉄鍋ラーメンをいただきました。山菜やもやしなどがたくさん入っており、味噌というよりは担々麺風のラーメンで熱々のスープがとても美味しかったです。
ただいま六角堂では、金工作家のお品を探しております。
飴谷有珉、石黒光南、初代魚住為楽、内島青鳳、海野盛寿(凌雲斎)、海野勝珉、二代海野美盛、海野清、圓鍔勝三、大澤光民、大島如雲、大森雪峰英友、奥山峰石、香川勝広、鹿島一谷、鹿島秀広、桂盛仁、加藤忠三郎(紫金堂)、香取秀真、香取正彦、門脇喜平、金森映井智、金谷五郎三郎、加納夏雄、鴨下春明、菊池政光、北村静香、黒川栄勝、黒瀬宗康、高玉斎一久、小林親光、駒井音次郎、齋藤明、佐々木象堂、澤田宗味、正阿弥勝義、須賀松園、須賀月真、関谷四郎、紹美栄祐、鈴木長翁、鈴木盛久、高村豊周、田口壽恒、玉川宣夫、帖佐美行、塚田秀鏡、豊田勝秋、内藤四郎、中川衛、中杉与七、二橋衡、根来実三、野上龍起、般若勘渓、羽原秋芳、本間琢斎、蓮田修吾郎、増田三男、丸谷瑞堂、三好三治、村田整珉、米光光正、和田美之助、山田宗美
などの金工作品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。

東京都大田区西馬込にて、関西桐箪笥、お着物、金彩友禅作家 和田光正の書籍、額、浮世絵の本など。

   

東京都大田区西馬込にて、関西桐箪笥、お着物、金彩友禅作家 和田光正の書籍、額、浮世絵の本など買い取りさせていただきました。

お家の建て替え前のお片付け整理にてお呼びいただきました。現在はリサイクルが厳しくなっている天角のものでしたが、幅広の関西桐たんすでしたので、買い受けさせていただきました。他にも、お着物、浮世絵の本、贈答品などをお売りいただきました。四百年余りの伝統をもつ京都を代表する伝統技法〈金彩友禅〉。この華やかな世界を今に伝える金彩友禅作家「和田光正」の作品集に金彩の額なども買い受けました。色々なものをお売りいただき有難うございました。帰りに、デニーズさんで担々麺をいただきました。ファミレスの麺も美味しいですね。今日は三連休の最終日、出張などで子供たちを外へ連れて行くことが出来ませんでしたが、息子の友人のパパが、子供たちを連れて大黒海釣り公園へと連れて行ってくれました。息子にアジをと頼んでおりましたが、結果ウミタナゴにベラ・・・外道ばかりでしたが、堤防釣りでこの釣果は立派なものです。息子がようやく釣りに目覚め始めました。近いうち、ボート釣りにでも連れていこうと思います。

和田光正(わだみつまさ)
昭和15年5月  京都市に生まれる。
昭和37年1月  見習修業後、独立して工房を持つ。
昭和43年4月  第十三回京都彩芸服飾工芸作品
発表会に於て、帯、彩芸賞。
昭和58年1月  「横綱千代の富士関」の金彩友禅化粧廻し創作。
昭和60年12月  伝統工芸士に認定される。
平成13年11月  京都府伝統産業優秀技術者『京の名工』として表彰される。
平成15年10月  京都手描友禅協同組合設立。顧問に就任、現在に至る。
平成15年11月  卓越技能者『現代の名工』として表彰される。

先日、世田谷区成城で買い取らせていただきましたお茶道具。

   

先日世田谷区成城で買い取らせていただいた、茶道具をご紹介させていただきます。上から、裏千家14代淡々斎書付の裏千家11代玄々斎好 源氏棗。上が須磨で金蒔絵、下が明石で青金、胴の点前が松風で銀、客付は榊で金、裏向こうが東屋で赤になっています。蓋裏に表千家即中斎の花押の入った棗。志土呂焼の茶入「長生殿」。淡々斎書付玄々斎判竹蓋置、銘「千鳥」の茶杓など、時代茶道具を買い受けました。良いお茶道具をお売りいただき有難うございました。京都土産をいつもお世話になっている仕事の先輩のところに持って行くと、お礼にとびっくりドンキーさんへ連れて行ってくれました。牛鍋風鬼おろしバーグ、とっても美味しかったです。明日から出張買取が続きますので、たくさん栄養を取らせていただきました。ご馳走様でした!

志戸呂焼
志戸呂焼の名前は、その昔に静岡県の大井川の西金谷の宿一帯が志戸呂郷と呼ばれており、そこで作られた焼き物であったことから、地名をとって「志戸呂焼」と名付けられたもの。
この一帯では十二世紀前半(平安時代)から十三世紀後半(鎌倉時代)には山茶碗などが焼かれており、きつね沢古窯等が発掘されています。
十六世紀後半の天正十年(1582年)に駿河国を領有した徳川家康公が、美濃久尻の陶工・加藤庄右衛門影忠(後に五郎左衛門と改名)を招いたり、尾張瀬戸地方の陶工の移住によって、志戸呂焼の生産が本格的に行なわれたと考えられています。
その後、寛永年間(1624~1643年)に将軍家の茶道指南であった小堀遠州公が好みの茶器製作の御指導をなされ、すぐれた茶入・水指・茶碗・花入などを焼出されました。
小堀遠州に好まれ、”遠州七窯”の一つにも数えられ、全国的にその名が知られている焼き物。

玄々斎(げんげんさい)精中宗室 1810~1877
三河国領主松平乗友の子として生まれる。
1819年、奥殿藩松平家から裏千家10世認得斎の養子となり、認得斎や大徳寺大綱和尚の下で茶道はもとより、謡曲、香道、華道、和歌、書、国漢文に至るまで、多岐にわたり文学を学び自我の研鑽に努め、17歳の頃に10代認得斎の没に伴い宗室を襲名。認得斎長女まち子と結婚。
主な仕事としては、歴代の家業であった加賀金沢前田家や、伊予松山久松家にての茶道奉行の他、松平家出身ということも有り、尾張徳川家にも仕えている。
1839年の利休250年忌の法要茶会では、3千家の中心的宗匠として催し、それに伴い邸内の増築を行っている。
茶箱点や立礼式の創始、和巾点の復興など、明朗で積極的な人であった。立礼式は明治5年(1872年)の博覧会に際して外国人を迎えるための創案であり、また同じ年に『茶道の源意』を著して茶道は遊芸とする風潮を批判するなど、幕末から明治の変動の時代に合わせた茶道の近代化の先駆として評価されている。

京都府京都市へ出張。無事帰宅しました。

31日の夜より京都へと出張へ行き、先程埼玉へと帰省しました。今回も、道具屋さん仲間たちとお茶道具や骨董品などの勉強に行ってまいりました。ここ数年は京都への出張が多く、いつも茶道具商や骨董屋さんの先輩方に勉強を兼ねて食事に連れて行ってもらったりしてます。今回の出張でも、多くのことを教わり、たくさん勉強させていただきました。わたくし自身を含め、六角堂では日々勉強して成長していきたいと思います。いつもお世話いただき、とても感謝しております。画像は、 新東名高速道路浜松SAでしぞ~か(静岡)おでんをいただきました。京都に到着後すぐにえびす神社へと寄り、商売繁盛祈願をさせていただきました。最近は京都へ来た際に、必ず寄らせていただいております。京都のえびす神社は、西宮、大阪今宮神社と並んで「日本三大ゑびす」と言われており、地元の方は「えべっさん」と呼んでます。ゑびす様は商売繁盛の神として知られていますが、「商売はんじょ(繁盛)で笹持って来い!」の笹は、こちらの恵美須神社が発祥のようです。到着日の夜、京都市中京区にある「ステーキハウス 听 京都本店」さんへ先輩方に連れてっていただきました。こちらは前回来た際にもよらせていただいたのですが、すごくすごく美味しいお店です。平松牧場指定の熟成黒毛和牛で、ヒレ、リブロース、サーロインなどをいただき、贅沢させていただきました。先日、秘密のケンミンSHOWで見たのですが、日本一牛肉を食べる都道府県民は、なんと京都府民のようです。近くに神戸牛や近江牛などブランド牛の土地があるからのようですね。ケンミンSHOWを見てから意識して歩いていると、京都府にはたしかに牛肉料理のお店が多く見られました。次回来た時にも、牛肉料理をいただきたいと思います。ご馳走様でした!二日目は、朝から夜までひたすら勉強会、ホテルに戻ったのは三日の朝五時頃。ひたすら骨董品、美術品の勉強をしましたので、また少し成長できたのかと思います。お昼頃京都を出発し、いつも寄る土山SAのステーキ丼をいただきました。勉強会で疲れておりましたので、こまめに休憩をとりながら、先程無事帰省しました。また出張買取の日々が続きますので、お腹と気を引き締めて頑張ります!!次回は来年の一月に勉強会に参加する予定です。全国各地の古美術商の先輩方に色々とご指導いただいて、六角堂は日々成長しております。今後とも、ご指導、ご馳走よろしくお願い致します。

東京都世田谷区成城にて、お茶道具、唐木煎茶盆、古墨、古伊万里や染付の陶磁器など。

東京都世田谷区成城にて、茶道具、鉄瓶、唐木煎茶盆、古墨、古伊万里や染付の陶磁器などをお売りいただきました。

先日お呼びいただいたお客様より、茶道具や古伊万里などが出てきたとのことでご連絡いただき、再度お伺いさせていただきました。
出張の準備で画像など詳細は出張から帰宅後に更新させていただこうと思います。
また近日、刀剣の買い取りでお呼びいただけるとの事、楽しみにお待ちしております。
帰宅時に、入間郡三芳町にある雷豚ラーメンさんへと寄りました。本日はハロウィンのようで、店内がハロウィンの飾りつけをしてました。渋谷などの街では、にぎやかにハロウィンを楽しんでいるのでしょうね。息子も、近所をずいぶんと回ったようで、たくさんお菓子を持って帰ってきておりました。
皆様、HAPPY HALLOWEEN!!

これから京都府へと出張してまいります。お茶道具や骨董品の勉強を兼ねていってきますので、一回り成長して戻ってきます。出張買取は、11月4日より再開させていただきます。京都出張中もご予約は随時承っておりますので、何かございましたらお電話またはお問い合わせ欄からメールにてご連絡ください。

埼玉県日高市、入間市へ出張見積もりへ行ってまいりました。

埼玉県日高市、入間市へ出張見積もりしてまいりました。本日は見積もりのみ、二件回ってまいりました。日高市では、桐箪笥、お着物、入間市では時代和家具、お茶道具、書道具の見積もりでした。お引越しが決まり次第、お呼びいただけるとの事、楽しみにお待ちしてます。仕事帰りに、入間市にあるコストコさんへ寄りました。さすがアメリカの企業、量がどれも半端ないです。家族にティラミスとパンを買って帰りましたが、果たして全て食べきれるのか・・・という量です。実家におすそ分けすることにします。店内のフードコートでホットドッグ、ピザなどをいただきましたが、こちらも量が多いです。安かったので、ついつい頼み過ぎてしまいました。玉ねぎ好きのわたしには、入れ放題なのが嬉しかったです。また来たいと思います。
本日は、先日栃木県足利市で買い取った尾形乾山作 色絵定家詠十二ヶ月花鳥和歌色紙皿をご紹介したいと思います。尾形乾山は兄・尾形光琳と共に琳派の発展に大きな影響を与えた一人。京焼の名工、野々村仁清から陶芸を学ぶ。その作風は自由闊達な絵付や洗礼された中にある素朴な味わいが特徴で、多くの作品が重要文化財に指定される。芸術的香気があり、格調高く秀でたものでありました。こちらの色絵皿十二枚は、表面に藤原定家が詠んだ和歌 ― 詠花鳥倭歌各十二首 ― に因んだ花鳥の絵が描かれ、裏面に各月ごとの花鳥に因む倭歌二首づつが書かれています。表面の花鳥図の絵付けは狩野派が得意とした仁清窯と同様に狩野派絵師との合作が考えられる作品です。季節の雰囲気をよく捉えた各月の絵は、下地の温雅な色調に鉄絵具の褐色が効果的に使われており、乾山焼の中でも逸品といえます。

尾形乾山(おがたけんざん)
寛文3年(1663年)〜寛保3年(1743年7月22日) 81才没。
京都の呉服商「雁金屋」の当主 尾形宗謙の三男として生まれる。尾形光琳は兄。
野々村仁清に陶芸を学び、元禄12年(1699)、37歳のとき京都市の鳴滝に開窯する。
その場所が都の北西(乾)の方角あたることから、「乾山」と号した。
正徳2年(1712)、二条丁子屋町に移住して多くの作品を手がけ「乾山焼」として世にもてはやされた。
享保12年(1731)江戸入谷に移住。
寛保3年(1743)逝去。81歳。
鳴滝時代末期から丁子屋町時代にかけて、兄の光琳は絵付で乾山を助け、兄弟合作の作品が数多く残されている。
陶芸作品においては成形、施釉、焼成は他の専門的な陶工に任せ、絵付についても光琳との合作以外に複数の専門画家が携わっていたと思われど、
基本的には工房生産態勢をとっていたと思われる。
乾山の作品は、陶芸作品のみならず書や絵画においても、俗気を脱したおおらかで文人的な洒脱味がある。
代表作は、
花籠図(福岡市美術館、重要文化財)
金銀藍絵松樹文蓋物(出光美術館、重要文化財)
銹藍金絵絵替皿(根津美術館、重要文化財)

東京都練馬区南大泉にて、長火鉢、南部岩鋳堂清茂初代小川三郎作 唐銅蓋岩肌鉄瓶など。

 

東京都練馬区南大泉にて、長火鉢、南部岩鋳堂清茂初代小川三郎作 唐銅蓋岩肌鉄瓶などお売りいただきました。

本日は、一件のみの買い取り。練馬区で解体前のお片付け整理。雨の中での作業でしたが、すぐに見積りが出来るよう、一か所にまとめていてくれましたので、早々に作業が出来ました。鉄瓶などの買い取りでお呼びいただきましたが、捨てようとされていた長火鉢も併せて買い受けさせていただきました。価格は落ちてきてますが、まだまだ長火鉢の需要もございます。お忙しい中、お呼びくださり有難うございました。本日は台風の為、午前中のみの仕事でした。お昼には帰宅し、久々に家族孝行をしました。埼玉県富士見市にあるららぽーとへ家族で行き,ブラブラと買い物をして、昼食をいただきました。画像のお蕎麦をいただき、本日もご飯はカット。昨日に引き続きダイエットです。大好きな白米を二日間断食。甘える息子が可愛く、息子の大好きなアンパンマンをUFOキャッチャーでたくさんゲットしました!家族と過ごす時間はいいものです。

六角堂では、鉄瓶、急須、銀瓶、金瓶を強化買取りしております。強化買取中の鉄瓶は、以下となります。
龍文堂、亀文堂、金龍堂、金寿堂、祥雲堂、瑞雲堂、雲色堂、光玉堂、蔵六造、大国造、日本梅泉造、秦蔵六、畠春斎、 般若勘渓、石黒光南、角谷一圭、角谷興斎、鈴木盛久、長野垤志、中川浄益、名越弥五郎、宮崎寒雄、小泉仁左衛門、佐藤清光、菊池政光

埼玉県桶川市にて、桐箪笥、京都の塗師鈴木表朔の一閑塗若狭盆(裏千家14代 淡々斎書付)など。

   

埼玉県桶川市にて、桐箪笥、お茶道具、京都の塗師鈴木表朔の一閑塗若狭盆(裏千家14代 淡々斎書付)などをお売りいただきました。

遺品整理にて、裏千家茶道をされていたお客様よりお茶道具などをお譲りいただきました。他にも、棗や香合など淡々斎の書付があるものが有り、素晴らしいお道具がございました。当社で責任を持って次へと大事に繋げていきます。この度は当社をご指名くださり有難うございました。出張帰りに、埼玉県ふじみ野市にある「ステーキ 宮」さんへと伺いました。ご飯を抜いてお肉のみ食べるダイエットが効く聞きましたので、さっそくチャレンジ。しかしながら、わたしはやはり白米が大好きです。明日にはきっと普通にいただいているのでしょう・・・。
六角堂では、お茶道具に関して幅広く取り扱っており、茶道具専門スタッフか、直接お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

鈴木表朔(すずきひょうさく)
表派塗師の系統である京都の代表的な塗り師、鈴木表朔。初代、二代、三代と続くその家系では、それぞれの個性が色濃く現れた、京都らしい上品でオリジナリティ溢れる作品が特徴です。表派の初代ともいわれいている木村表斎は、1817年に生まれ、それ以降、朱塗、真塗などの技を駆使し京都の塗りの伝統を守り続けて行きます。
初代 鈴木表朔 1874(明治7)年~1943(昭和18)年
鈴木表朔は滋賀県安曇川町に生まれました。
旧姓を井上、本名を捨吉といいます。
蒔絵師・鈴木長真の婿養子となって鈴木表朔を名乗りますが、
後に2代木村表斎に師事しました。
1904(明治37)年、新古美術品展四等賞を受賞しました。
1909(明治42)年、伊勢神宮の神宝の塗りを担当しました。
1913(大正2)年、京都御所の御大典高御座、御帳台、万才旙等の塗りを担当しました。
1916(大正5)年、内務省御用となりました。
1919(大正8)年、佳都美会会員となりました。
1923(大正12)年、伊勢大神宮の神宝の塗りを担当しました。
1924(大正13)年、京都美術工芸会会員となりました。
2代 鈴木表朔 1905(明治38)年~1991(平成3)年
2代鈴木表朔は初代鈴木表朔の子として京都に生まれました。
本名を貞次、俳号を貞路といいます。
1937(昭和12)年、パリ万国博覧会で銀賞を受賞しました。
3代 鈴木表朔 1932(昭和7)年生
3代鈴木表朔は京都に生まれました。
本名を雅也といいます。
1972(昭和47)年、日本現代工芸賞を受賞しました。
1973(昭和48)年、日展で特選を受賞しました。
1977(昭和52)年、箱根彫刻の森美術館賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、京都府京都文化博物館の歴史展示室各室の造形演出作品の企画・制作。
1993(平成5)年、内閣総理大臣賞を受賞しました。

裏千家14代 淡々斎宗室 1893(明治26)年~1964(昭和39)年
裏千家14代淡々斎宗室は裏千家13代圓能斎宗室の長男として生まれました。
幼名を政之輔、名を永世・宗叔・宗室、
号を玄句軒・玄句斎・淡々斎・碩叟・梅糸庵・無限斎、画号を玄石といいます。
大徳寺488世全提要宗より「無限斎」、九条家より「淡々斎」の号を授かりました。
1923(大正12)年、裏千家14代家元を襲名しました。
門下の養成ばかりでなく、各宮殿下や神社仏閣への献茶奉仕も積極的に行いました。
学校教育への茶道導入を働きかけた結果、学校での活動の大半は裏千家となります。
時には海外にまでその教化を計り、茶道普及に奔走した功績は多大です。
社団法人茶道裏千家淡交会や財団法人今日庵を設立し、
現代における茶道普及・伝統保持という組織機構の基礎を築き上げました。
桐蔭席、甘雨亭、玉秀庵等の名席も残しています。
紺綬褒章、紫綬褒章、勲三等旭日中綬章を受章しました。
一行物を始めとする遺墨や各種の著述にも大いにその才を発揮しました。