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saito について

桐箪笥・骨董品・茶道具の高価買取実施中です。お気軽にお問い合わせください。

中野区松が丘にて、柳海剛の青磁大徳利、李方子の高麗焼茶碗、寿山石の置物など。

東京都中野区松が丘にて、韓国人間文化財柳海剛の青磁大徳利、李方子の高麗焼茶碗、寿山石の楼閣山水置物などをお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、練馬区高野台へお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、掛軸、勲章、置物、雑貨、着物、鼈甲の櫛や簪などをお売りいただきました。なるべくお荷物を減らしたいとのことでしたので、当社で可能な限り買い取らせていただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。二件目は中野区松が丘へ、お片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、韓国人間文化財柳海剛の青磁大徳利、李方子の高麗焼茶碗、寿山石の楼閣山水置物、銀盃などをお売りいただきました。韓国の陶磁器がたくさんありましたが、お値段のつく二点を選ばせていただきました。韓国陶磁器の作家では、柳海剛や李方子の他、柳海剛同様、韓国人間文化財である安東五、池順鐸の作品を買い取り強化しております。本日三件目は、品川区旗の台へお呼びいただきました。こちらでは、三味線や撥などのお道具をお売りいただきました。ご家族が大切にされていた三味線のご処分とのことで、はるばる愛知県よりお越しいただきました。お稽古用のものや破損のあるものであまりご期待にお応えする事が出来ませんでしたが、全て買い受けさせていただきました。ご家族の思い出のお品、当社でメンテナンスしてから大切に次へと繋げさせていただきます。遠いところよりお越しいただき有難うございました。
今日は久々N郷氏と出張買取回らせていただきました。免許取り立てで、まだ運転を任せられませんが、お品の梱包や搬出でよく働いてくれました。昼食は、ガストさんでとんかつ定食をいただきました。N郷氏も細身の体ですが、よく食べておりました。とても美味しかったです。明日は世田谷区玉川へ出張買取、頑張ります!

柳根瀅(号 海剛)
1894年 京畿道に生まれる
1911年 高麗青磁の研究に入る
1928年 日本国博覧会出品 金杯受賞
1945年 高麗青磁研究所 開設
1950年 第一回大韓民国輸出工芸品展受賞
1954年 第三回国産品展示会出品
大韓民国文教部長官賞受賞
1956年 米国カリフォルニア州国際博覧会出品 金牌受賞
1960年 大韓民国人間文化財に指定される
1973年 大韓民国文化公報部長官より感謝状を受ける
1975年 国内外招待展出品、20数回受賞
長男光烈(海剛二代)と共に高麗青磁の研究をする
その傍ら、後輩の指導に尽力する
1993年 1月20日 老衰のため京畿道利川郡の自宅で死去(享年99歳)

李方子(り まさこ)
日本の皇族・梨本宮家の長女として生まれる。
昭和天皇の后候補にもなりましたが、昭和天皇より数ヶ月年上だったことで、后候補から外れ朝鮮王朝最後の皇太子と結婚。
戦後は韓国に渡り、韓国最初の養護学校や障害者施設建設・運営に尽力。
1981年、韓国政府より「牡丹勲章」が授与。

東京都中央区八丁堀にて、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、銀製茶托。

   

東京都中央区八丁堀にて、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、中国銀製茶托など煎茶道具をお売りいただきました。

お引越しによるお片付け整理にてお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、梅泉写し金銀象嵌高岡鉄瓶、中国銀製茶托など煎茶道具。鉄瓶は日本梅泉造を高岡鉄器瑞心堂が写したもので、本体に蘭蟹図、金銀象嵌が施されてます。日本梅泉とは滋賀県の湖東地方(能登川)で主に鉄瓶を製造していた亀文堂の鉄瓶製品の事。日本亀文の鉄瓶は、持ち手と本体部分を繋いでいる部分に珍獣の象嵌彫刻が施されているのですが、日本梅泉には梅の木と花をあしらった象嵌彫刻が施されているのが特徴です。日本梅泉を生産していた亀文堂自体は、昭和に入り時代の流れで高級鉄瓶の需要がなくなり残念ながら四代目で途絶えてしまいます。近年の鉄瓶ブームで亀文堂梅泉造の鉄瓶は人気があり、市場価格が高騰しております。唐物銀製の茶托は共箱などありませんでしたが、こちらも現在人気のあるお品でございますので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
煎茶道具は、近年古物業界で人気があり、六角堂でも買い取りを強化しております。朱泥・紫泥の急須や白泥の涼炉、古竹でつくられた茶合や煎茶道具、錫製の茶壷や茶托、鉄瓶や銀瓶などは、近年中国からの人気があり、市場でも高騰しております。六角堂では、煎茶道具でしたら古いものから新しいもの、作家物から名前のないもの、日本のものから中国唐物まで全て買い受けます。ご不要の煎茶道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。煎茶道具に詳しいスタッフが一点一点丁寧に査定し、高額査定にて買取させていただきます。
帰りに志木市場へ寄り、小池さんらーめんで夕食をいただきました。ラーメンに激辛の爆弾炒飯を食べ、締めにかき氷をいただきました。暑い日が続いてますので、かき氷がとても美味しかったです。明日からも出張買取頑張ります!

東京都国分寺市にて、山口真功の油彩画「大山・雪の林道」、洋食器。

 

東京都国分寺市にて、山口真功の油彩画「大山・雪の林道」、ロイヤルコペンハーゲンやウェッジウッドなどの洋食器をお売りいただきました。

お片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、山口真功(やまぐち しんこう)の油彩画「大山・雪の林道」、ロイヤルコペンハーゲンやウェッジウッドなどの洋食器など。山口真功は透明感あふれる色彩とマティエールで新しい絵画の可能性を開拓し続ける作家。雪の林道に色彩が奏でる光、山口真功さんらしい作品です。本日は六角堂をご指名、良いお品をお売りいただき有難うございました。
今日は午前中のみの買取でしたので、午後は倉庫へ戻り仕分け作業をしました。倉庫へ向かう途中「福よし 大井店」へ寄り、もやしあんかけそばをいただきました。サンマー麺のようなお味で、とても美味しかったです。

山口真功(やまぐちしんこう)
1960年 熊本に生まれる
1984年 大阪芸術大学卒業
1988年 渡仏
1989年 大阪現代画廊にて初個展
1991年 ’91国際美術大賞展入選 第1回花の美術大賞展入選
1992年 東京池袋にて新鋭作家5人展出品、大阪ギャラリーアルバで個展 以後毎年開催
1994年 東京、大阪、名古屋、神戸等 各地で個展開催
2002年 渋谷・東急本店にて個展 以後毎年開催
2003年 松屋銀座にて個展 以後毎年開催
現在:無所属

東京都中野区沼袋にて、岩田久利の瑠璃金彩壷、桐箪笥の買取。

東京都中野区沼袋にて、ガラス工芸家岩田久利の瑠璃金彩壷、桐箪笥などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、人気ガラス工芸家岩田久利の作品、伝統工芸品名古屋桐箪笥など。岩田久利の作品は6点ほどございました。残念ながら共箱等の付属品はありませんでしたが、六角堂で買取を強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。色ガラスの粋、ガラスの詩人と称えられた岩田久利。繊細華麗、金箔を縦横に使いこなし、絶えず新たな表現に挑戦し続けました。瑠璃金彩壷は瑠璃色のガラスに金箔が入れ込まれた艶やかな壷で、岩田久利の作品の中でも最上作品といえます。作業途中にお茶や和菓子を用意していただいたり、お気遣いいただき有難うございました。お茶菓子とても美味しかったです。ご実家にある掛軸の査定でまたお呼びいただけるとのこと、楽しみにしております。本日は有難うございました。
帰宅途中、中野区にある「ジョナサン鷺宮店」で、骨董屋の仲間たちと合流し、食事をしました。ピザにカレーうどん、あんみつなど、とても美味しかったです。今夏はとても暑い日が続いておりますので、たくさん栄養をとって乗り越えたいと思います。明日は倉庫作業の為、出張買取はお休みします。

岩田久利(いわた ひさとし) 
◆略歴◆
1925年 岩田藤七の長男として生まれる。
1939年 小寺健吉画塾に学ぶ。
1941年 廣川松五郎に師事、デザインを学ぶ。伊藤熹朔に師事。
1942年 和田三造に師事、デッサン、図案を学ぶ。春台美術・本郷研究所に通う。
1944年 東京美術学校(現東京芸術大学)工芸部図案科入学。
1946年 外山卯三郎に西洋美術史およびバウハウス・デザイン運動を学ぶ。
1947年 阿部俊夫にガラスの科学的基礎を学ぶ。
1948年 森谷太郎教授にガラス組成の指導を受ける。株式会社岩田硝子製造所入社。
1949年 第5回日展初出品。初入選、以後毎年出品、連続入選。糸子と結婚。
1950年 東京工業大学窯業科ガラス研究室研修修了。
1951年 東京美術学校工芸部図案科卒業。
1953年 岩田工芸硝子株式会社に社名変更、代表取締役社長となる。
1955年 第11回日展特選受賞。国際工芸美術家協会設立、初代理事長。
カリフォルニア州博覧会・ブラッセル博覧会にて金賞受賞。
1956年 第12回日展特選受賞。
1957年 財団法人日本デザイン協議会理事。財団法人世界デザイン会議日本運営設立準備委員。
1959年 第2回日展審査員。以後数回。
1963年 武蔵野美術大学講師。窯業協会理事(~1967)
1966年 第7回国際ガラス会議年会参加。
1968年 日本硝子製品工業会評議員。
1971年 初の個展開催。
1972年 日本ガラス工芸協会創立、初代会長。日展評議員
1973年 社団法人窯業協会理事(工芸担当)。
1974年 現代工芸美術家協会評議員。
1975年 第1回「資生堂 現代工藝展」に出品。以後毎回出品。
岩田工芸硝子株式会社社長を糸子に譲り、ガラス制作に専念する。
1976年 第8回日展文部大臣賞受賞。労働省より技能者表彰審査員委嘱される。
1979年 紺綬褒章受章。
1980年 父岩田藤七死去。
1981年 ホテルニューオータニ鶴の間にガラスによる大装飾壁面製作。
1982年 第23回毎日芸術賞受賞。第38回日本芸術院賞受賞
1986年 ニューヨークメトロポリタン美術館20世紀Design and Architecture部門に藤七・久利・糸子作品が永久収蔵される。
1993年 最終の個展開催。日展及び資生堂現代工藝展に最終出品。
1994年 1月8日死去。68歳。
叙勲 勲四等旭日小綬賞

東京都東村山市にて、高木得元の釜、茶道具、掛軸、佐久間竹浦の画帖。

 

東京都東村山市にて、釜師高木得元の四方口釜、茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、置物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、釜師高木得元の釜など茶道具、掛軸、日本画家佐久間竹浦や草刈樵谷などの画帖、薩摩焼や九谷焼の置物など。たくさんのお品をお売りいただきました。高木得元は高木治良兵衛と同じ高木家の釜師。高木治良兵衛は京の町のほぼ中央に位置する「釜座(かまんざ)」に現在までに残る1855年創業の釜師が代々襲名する名前で、当代で6代目となっています。 お売りいただいた釜は宗旦好四方口釜。四方口釜(よほうぐちがま)は、茶の湯釜の形状のひとつで、口造りが甑口を四角形にした形の釜です。四方口釜は、宗旦好み、天命作で、釜の底を尾垂(おだれ)に直したものといいます。古いお品ですので錆や共箱の痛みなどございましたが、 大変良い作でしたのでお客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。掛軸は、日本画、書のものなどがございました。画帖は、佐久間竹浦や草刈樵谷など日本画家のものが十点ほど納まっておりました。亡くなられたお爺様やお母様のご遺品とのこと、大切に次へと繋げられるよう頑張らせていただきます。本日は良いお道具をお売りいただき、ありがとうございました。
帰宅途中、「江川亭 東村山店」へ寄り、昼食をいただきました。こちらは15年ほど前、妻と結婚したばかりの頃によく来たお店で、約十年ぶりに寄りました。中華麺をいただきましたが、昔と変わらない味でとても懐かしかったです。いずれまた妻と来てみたいと思います。

佐久間竹浦(さくま ちくほ)
名は資夫、号は竹浦、別に菌浦、五谿と号した。明治9年竹田町で生れ大正14年に没した。幼くして独り祖母に育てられた。亡父純徳医師の遺産が豊かで、大切に育てられた。五つ六つの頃に紙と筆を与えると絵を描いて居たと言う。9歳の春に元岡藩絵師川合石舟の門に入り、後に京都に出て田能村直入の指導を受け南画を学んだ。直入没後は田近竹邨に師事して大いに研鑚を積み、郷里に帰り水石会の中堅として活躍し、多くの作品を遺して居る。初め水石会で竹浦について学び、後京都の竹邨の門に入った画家は草刈樵谷などが幾人か居る。竹浦は小学校の時代に、作曲家瀧廉太郎と親友で、交流が続き廉太郎からの書簡や絵が今も遺っております。また、昭和41年5月から55年3月まで竹田市長を務めた佐久間盛夫は三男にあたる。

草刈樵谷(くさかり しょうこく)
1892-1993 大分県竹田市に生まれる。本名辰生。初め同地の佐久間竹浦に師事して画を修め、大正8年京都に上り田近竹邨の門に入る。昭和20年まで京都在住の間、竹邨の主宰する日本南画院に連続出品。大正13年日本南画院院友となる。昭和3年大禮記念京都大博覧会に「秋山吟節」を出品。昭和12年第一回南画連盟展に「溪夏」を出品し奨励賞を受賞。昭和17年第5回新文展に「奔瀬図」が入選。昭和20年帰郷、翌年竹田荘に入り、以後16年間同荘の経営管理に従事する。かたわら田能村竹田画の研究に情熱を傾け、その画風を慕って南画制作を続けた。また、昭和49年にはそれらの功績が認められ、竹田市在住者で初めて名誉市民に選ばれることになった。平成5年(1993)歿、100才。

東京都日野市にて、有本一郎作 加茂桐箪笥の出張買取。

 

東京都日野市にて、木工一級技能師有本一郎の加茂桐箪笥をお売りいただきました。

本日は一件のみの出張買取。業者様のご紹介で東京都日野市へ、お引越しによるお片付け整理でお呼びいただきました。お着物は既に他の業者さんへ売却済みで、桐箪笥のみ売れ残ってしまったとのことでした。本日お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸の下二大洋和箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。木工一級技能師有本一郎氏の作。砥粉落ち、シミ、小傷などございましたが、当社で買い取りを強化している桐たんすですので、買い受けさせていただきました。お母様の思い出の桐たんす、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はわたくしたちの時間に合わせ、立川市からお越しくださり有難うございました。
本日は志木市場の開催日でしたので、帰りに寄らせていただきました。市場終了後、市場の仲間たちと朝霞台駅の側にある「風風ラーメン朝霞台店」さんへ寄りました。わたしはバリ黒豚骨わたしはラーメンを注文。豚骨スープに焦しニンニクとマー油、とても美味しかったです。明日は一日お休みをいただきます。暑い日が続いており疲れがたまってますので、ゆっくりと寝たいと思います。

加茂桐箪笥(かもきりたんす)は、新潟県加茂市で作られる最高級の桐たんす。六角堂でも探し求めている桐箪笥の一つになります。加茂市で「桐たんす」が作られるようになったのは、およそ200年以上前(天明年間)と言われており、現在では日本全国の約70%の桐たんすが加茂で作られています。桐たんすと言えば「加茂」と言われるほど、その技術と品質は全国的に高い評価を受けています。数々の逸品を生み出してきたその技は脈々と受け継がれ、その伝統と優れた品質が評価され、1976(昭和51)年、通商産業大臣から伝統的工芸品「加茂桐箪笥」の指定を受けました。木肌のぬくもり、絹に例えられる白い艶や、柾目の色合いは、家具の最高級品の名にふさわしいものです。

東京都練馬区春日町にて、牛島義弘の油彩画「私の温室」、バカラのグラス。

東京都練馬区春日町にて、牛島義弘の油彩画「私の温室」、バカラのグラスやフラワーベースをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日の出張買取は、夕方のご指定でしたので、お客様のご指定時間にお伺いしました。今日は遅い時間の出張でしたので、前日までに買い取らせていただいたお品の掃除や仕分け作業をしておりました。買い取りが続いておりますので、ずいぶんと沢山のお品を仕分けしました。本日お売りいただいたお品は、牛島義弘の油彩画「私の温室」、バカラのグラスやフラワーベースなど。牛島義弘は熊本生まれ、ルドルフ・ハウズナーに師事しウイーン幻想派を流れをくむ画家。作品は1994年の作、画題は「私の温室」です。とても雰囲気良い絵画です。良いお品をお売りいただき有難うございました。
今日は数年ぶりに小・中学校の同級生と食事をすることになりました。練馬区は私の生まれ育った場所で、子供の頃に住んでいた光が丘で会うこととなりました。毎日のように通っていた光が丘IMAにある「韓国名菜 福寿」さんへ行きました。以前わたしが住んでいた頃とは違うお店でしたが、少し歩いてみるとほとんどのお店が変わってしまっておりました。今なお続くお店を懐かしみながら、食事へ向かいました。韓国名菜 福寿さんは高級感ある店内で、食事もとても美味しかったです。焼肉、サムギョプサル、大好物のチジミ、どれも美味しかったです。友人とは昔話で盛り上がりました。また会える日まで、お互いに頑張ろうと語り合いました。K林、また会う日まで!

牛島義弘(うしじまよしひろ)昭和22年 〜 平成22年
昭和22年  12月22日、熊本県人吉市に生まれる。
昭和47年  熊本大学教育学部美術科卒業
昭和49年  京都市立芸術大学美術専攻科修、オーストリア・ウィーン造形美術大学入学
昭和50年  ルドルフ・ハウズナーと弟子達展
昭和52年  オーストリア主権回復25周年記念展(ウィーン)、日本文化センターオープニング(在オーストリア日本国大使館文化センター/ウィーン)
昭和54年  個展(ラーベンシュタイク画廊/ウィーン/日本国大使館作品買上)
昭和57年  ゲーテ生誕記念ファウスト展(ウィーン)、個展(美術協会アルカデ画廊/メードリング/メードリング市作品買上)
昭和62年  日本アートフェア’87(セントラル美術館/東京)
昭和63年  松下電工「Base Light Gatalogue」池上俊郎氏との共作
平成 3年  両洋の眼・現代の絵画展(日本橋三越・京都大丸ミュージアム 他)
平成 8年  「終りなき祝祭」辻井喬著 新潮社(表紙)「鳥が飛んだ日」
平成18年  Ars Kumamoto アルス・クマモト-熊本力の現在(熊本現代美術館/熊本)
平成20年  DOERNERS ERBE デルナーの伝承展(在オーストリア日本国大使館文化センター/ウィーン)
平成22年  6月6日、逝去

杉並区高井戸西にて、和たんす、着物、伊万里錦手鉢、江戸末期粉彩鉢。

昼食

東京都杉並区高井戸西にて、和箪笥、着物、伊万里錦手鉢、江戸末期粉彩鉢をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、世田谷区野沢へお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、掛軸やリトグラフ、雑貨などを買い取らせていただきました。掛軸は、日本画や山水画などございました。リトグラフは外国人作家のもの、贈答品は食器や花器などございました。まとめてお売りいただき有難うございました。二件目は、杉並区高井戸西へ遺品整理でお呼びいただきました。明治期の時代箪笥やお着物、帯などの他、伊万里錦手鉢、江戸末期粉彩鉢などの陶磁器を買い取らせていただきました。お着物はシミや汚れなど出てしまっているものが多くございましたが、なるべくリサイクルされたいとのことでしたので、全て買い受けさせていただきました。江戸後期~明治期に造られたと思われる伊万里焼の鉢は、錦手のもので、菊花が描かれてます。江戸末期につくられた粉彩鉢は、菊花や蝶が描かれております。薄作りの焼き物で、カオリンが含まれております。カオリンはカオリン鉱物を主成分とし、白色に焼き上がる粘土をいいます。高温度に耐える性質の目安を示す耐火度がかなり高いのが特徴です。いずれも素晴らしい陶器でした。ご家族が大切にされていたお品々、大切に次へと残していきたいと思います。六角堂をご指名いただき有難うございました。
本日も昼食で世田谷区にある「長浜らーめん」さんへ行きました。近くへ来た時にはほとんど寄っておりますが、長浜らーめんさんいつ食べても美味しいです。今日はとんこつ味噌にすりごまを多めに入れてみました。もちろん替え玉追加で。また寄らせていただきます。

東京都武蔵村山市にて、桐箪笥、小館善四郎の油彩画「染付徳利れもん」

 

東京都武蔵村山市にて、桐箪笥、小館善四郎の油彩画「染付徳利れもん」をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。伝統工芸品春日部桐箪笥、人気洋画家小館善四郎の油彩画「染付徳利れもん」をお売りいただきました。小館善四郎はレモン画家として知られる青森県出身の洋画家で、当社でも数多く取り扱う作家です。額にキズや破損がございましたが、六角堂で買取を強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「小館善四郎」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
小館善四郎作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。
昼食は、イオンモールむさし村山の店内にあるフードコートへ行きました。N尾氏は大阪王将で炒飯や餃子を、わたしはペッパーランチでビーフペッパーライスを食べました。久々のペッパーランチ、とっても美味しかったです。

小館 善四郎(こだて ぜんしろう) 1914年(大正3年)11月29日 – 2003年(平成14年)10月8日
青森市生まれ。旧制青森中学校(青森県立青森高等学校)在学中、南部公鎮に師事。
1932年(昭和7年)に旧制青森中学校を卒業して上京し、帝国美術学校(武蔵野美術大学)に入学、牧野虎雄に師事した。
1936年(昭和11年)11月、学校側の都合により帝国美術学校を繰上卒業。同年から1943年(昭和18年)まで母校青森中の図画科教師。
1938年(昭和13年)、第13回国画会展に初入選。1948年(昭和23年)、国画奨学賞受賞。1953年(昭和28年)、国画会会員。
1975年(昭和50年)、青森県褒賞受賞。1992年(平成4年)、青森県文化賞受賞。1998年(平成10年)、国画会永年会員。
2000年(平成12年)、文化庁地域文化功労者表彰受賞。
代表作に「赤衣少女」「檸檬とれもんの絵」などがある。